超かぐや姫! 星の降る音   作:サトウシュン

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過去編 恋の歌を詠う歌人 後編

 藤原敦忠side

 

「例えそれでも、"絶対"に却下!」

 

「お願いお願いお願い〜〜〜!!かぐやの一生のお願いだから!!」

 

「その一生、もう何十回も聞いてるだろ!!」

 

「今回は本物だから!!」

 

「それも毎回言ってる!!」

 

 かぐや殿は触角をぺたんと合わせ、うるうるとした瞳で見上げる。

 

「ミコトぉ……お願い……?」

 

「…………」

 

 青年は目を閉じ、額へ手を当てる。

 

 おっ、これはいけただろうか?と思ったが……

 

「考え直したけど……やっぱりダメ」

 

「えぇぇぇぇぇぇぇぇ〜〜〜!!今日のミコトケチすぎ〜〜!!普段はこれで楽勝じゃん!?」

 

「よ〜〜し、お前が普段俺をどう思っているかがよ〜くわかった(怒)」

 

 食い下がるかぐや殿の姿を見て、恋多き色男の私は一つ助言を送った。

 

「かぐや殿」

「ん?」

「どうやら、その御仁は理屈で説き伏せられる相手ではないようだが……情にはひどく弱いと見た」

「それだっ!!」

 

 次の瞬間。

 

「ミ〜コトっ……♡ おねがぁ〜い♡」

 

 潤んだ瞳、上目遣いで小首を傾げる。だが……

 

「何度頼まれても答えは変わらん」

 

 かぐや殿はしゅんと触角を垂らす。

 

「……だって」

 

 ぽつりと呟いた声は、さっきまでとは違って少しだけ寂しそうだった。

 

「かぐや……また、みんなの前で歌いたいんだもん」

 

「…………」

 

「さっき敦忠さんの演奏を聞いてたら、思い出しちゃったの。みんながペンライト振ってくれて、一緒に歌ってくれて、『アンコール!』って叫んでくれて……」

 

 少し遠くを見るように儚く笑う。

 

「……」

 

「だから、もう一回だけでいいの……」

 

 潤んだ瞳が真っ直ぐに青年を見つめる。

 

「また……みんなの前でライブ、してみたいなぁ……?」

 

 ミコト殿は五秒ほど固まったあと。

 

「……はあぁぁぁぁ〜〜〜〜〜」

 

 大きくため息を吐き。

 

「………今回だけだからな」

 

「よっしゃぁぁぁぁぁぁ!!」

 

(うむ、驚くほどちょろいな。この男)

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 そして屋敷の使用人に化粧や着替えを頼み。

 

「…………」

 

 襖がゆっくりと開いてゆく。

 

 そこへ現れたのは──白い小袖に緋袴、結われた黒髪、薄く施された化粧。そして、

 

 世界のすべてを呪っているような顔。

 

「………」

 

 完全に不機嫌であり、「今すぐ帰りたい」と顔全体が主張している。

 

「……ぶっ」

 

 それを見たかぐや殿が吹き出す。

 

「ぷっ、くく……!」

 

 次いで、体が震え始め──

 

「あはははははははは!!」

 

 最後に、笑いの栓が決壊した。

 

「笑うなお前!!」

 

「もう……もう完全に女の子じゃん!!ミコト、可愛いよ〜!!……ぶはっ!!」

 

「お前、あとで覚えとけ……」

 

「その顔で脅しても全然怖くない〜〜!」

 

「──あぁ?」

 

 低い声に反して見た目は可憐な姫君。そのギャップに、かぐや殿は腹を抱えるように笑い転げた。

 

「ひぃ〜〜!ダメ!やめてミコト!その顔で睨まないで!余計面白いから〜〜!!」

 

「……もういい、出ていく!」

 

「ごめん!待って待って待って!!」

 

 服を脱ごうとするミコト殿へ、かぐや殿が慌てて飛びつく。

 

「お願い〜〜!機嫌直して?あと一回しか笑わないから!」

 

「あと一回は笑うんかい」

 

 その様子を眺めていた私は感心したように頷く。

 

「しかし意外であったな。君は"このようなこと"は決して許さないと思っていたが……」

 

「そりゃ、俺だってこんな格好すんのはめちゃくちゃ嫌──」

 

「いや、"女装の方ではなく"。姿を見られる危険性が低いとはいえ、"彼女を多くの人の前に立たせるような危険な真似"は決して承知せぬものと思っていた。実際、先程までミコト殿が彼女の願いを渋っていたのもそれが理由であろう?」

 

 もし問題が女装だけであったなら、ここまで強く反対はしなかっただろう。多少不満は漏らしても、すぐに彼女の願いを聞き入れていたはずだ。彼が迷っていたのは、かぐや殿を大勢の人々の前へ立たせ、その存在が誰かの目に留まることを憂いていたのだろう。

 

「うわ、洞察力高すぎて気持ちわる」

 

 彼は"かぐや殿を両手で包み込みながら"こちらへ体を向けると、少しだけ視線を逸らして続けた。

 

「……でも、そうですね。本当は、例えどれだけ過保護と言われようが、かぐやを危険な目には合わせたくない……ただ、もしもかぐやの身に危険が迫った時は、()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 迷いなくそう言い切ると、彼は手元のかぐや殿へ穏やかな視線を向けた。

 

「それで、かぐやのやりたいことを叶えられるなら──もう、俺に迷う理由はありません。かぐやには……ずっと、笑顔でいてほしいんです」ミシミシミシッ……!

ミホホミホホ(ミコトミコト)!聞いてる!?かぐやちゃん今すんごい顔になっひゃってるよ!?リンゴみたいに潰されそうになってる"う"あ"ぁ"ぁ"ぁ"〜〜!!」

 

 ……そう言って、ミコト殿は優しい顔で笑った。

 

「…………」

 

 なるほど、ようやく腑に落ちた。この青年は……

 

 どれほど面倒だと思っていても。どれほど恥ずかしくても。かぐや殿が心から望むことだけは、決して見捨てられない。

 

 どうやら、この過保護な青年は──かぐや殿のお願いだけには、とことん甘いらしい。

「んんぎぃぁぁぁぁぁぁ〜〜〜!!」

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 それから数日後──

 

 とはいえ……本番へ出る前に、一つ大きな問題が発覚した。

 

「……口の動きがまったく合っていないな」

 

「「え?」」

 

 当然と言えば当然である。歌っているのは胸元のかぐや殿。それに、ミコト殿は踊るのに集中しすぎているのだから。

 

「ミコト!何やってんのさ!口パクちゃんとやってよ!」

 

「仕方ねぇだろ!ただでさえこの服動きずらいんだから!もう踊りなくってよくない?棒立ちでいこうぜ」

 

「ダメ──!歌とダンスはセットなの!ファンはみんなだってそれを楽しみにしてるんだから!!」

 

「じゃあせめてもうちょっと簡単な振りに……」

 

「泣き言言わない!そんなんじゃ"トップアイドル"なんて夢のまた夢だよ!!」

 

「……あれ?俺たち、いつから"まだ存在すらしてない職業"の頂点目指すことになったんだ?」

 

 結局……ミコト殿は、表情筋をそれっぽく動かす練習。笑顔で手を振る練習、お辞儀の練習、立ち方の練習をこなしてゆくが、肝心の核となる──

 

「もっとアイドルっぽいダンスして!!」

 

「そんなもん知るか! 文句言うなら手本を見せろ、手本を!」

 

「仕方ないな〜! ちゃんと見ててね? こうだよ!!!

 

 そう言うと、かぐや殿は得意げに触角をぶんぶんと振り回し始めた。

 

「──それで参考になるかボケェ!!」

 

 残念ながらダンス?とやらの上達には何の役にも立っていないようだった。

 

「はぁ……これは前途多難であるな」

 

 それでも……互いに遠慮なく言葉を交わし合うその姿は実に楽しげで、見ているこちらまで頬が緩んでしまいそうであった。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 その後、“都で話題の美しき歌姫”として現れた謎の女性は、瞬く間に人々の視線を集めた。

 

 そして──その姿の陰から響いた歌声は、街中を静かに包み込んでいく。

 

「なんと美しい歌声だ……」

「これほど澄んだ声はこの都でも聞いたことがない」

「まるで天女ではないか」

 

 歓声が飛び交い、人々は惜しみない拍手を送る。それに対して、歌姫は柔らかな笑みを浮かべ、降り注ぐ歓声へ優雅に手を振って応えた。

 

 だが……その裏では──

 

「ミコト、そこでウインク!ファンのみんなが待ってるよ♪」

 

「うるさい!あと、お前は本番中に急にアドリブ追加してくんな、バカ!!」

 

 〜〜♪〜〜〜〜♪

 

「あぁっ!?今ワンテンポ遅れたよ!?ピースの角度も30度になってないしー!」

 

「だあぁ〜〜もう、要求が細かすぎんだよ!!」

 

 口元を袖で隠し、観客へ微笑みながら小声で必死に言い争う二人だが……その様子を知る者は誰一人いなかった。

 

 

 やがて演目が終わり、惜しみない拍手が鳴り響く。

 

「お見事です!」

「もう一曲! ぜひもう一曲!」

 

 歌姫は優雅に一礼すると、歓声はさらに大きくなる。そんな中、誰かが思わず声を張り上げた。

 

「好きです! どうか私とお付き合いください!」

 

 それをきっかけに、まるで火がついたように周囲から次々と声が上がる。

 

「私もだ! ぜひ婚姻を前提に!」

「どちらのお屋敷のお方なのですか!」

「どうか、どうか一度だけでもお話を!」

「いや、まずはお名前を教えてください!」

 

 口々に想いをぶつけ始め、場は一瞬で告白の嵐と化してゆく。それに対して、歌姫は袖で口元を隠したまま、適当に申し訳なさそうな顔を作り、首を横へ振っていた。

 

 ──その時だった。

 

「はぁ?」

 

 歌姫から先程までとは打って変わって、不機嫌極まりない小さな声が漏れる。

 

「ダメに決まってんじゃん! か・ぐ・や・の・ミコトなんだから!

 

「「「「「…………」」」」」

 

 かぐや殿が勢いよくそう言い切ったその瞬間。先ほどまで熱狂に包まれていた会場は、水を打ったような静寂に包まれる。その様子を見たミコト殿は、慌てて深々と頭を下げるや否や、人混みをかき分け一目散にその場を後にした。

 

 残された者たちは、しばらく呆然とその背を見送り……やがて姿が人混みの向こうへ消えると、誰からともなく顔を見合わせた。

 

「……今、"聞いたか"?」

「ああ……"確かにはっきりとおっしゃっていた"!」

「まさしく美しき姫に相応しい!」

 

 誰かがそう呟けば、周囲も「なるほど!」と何度も頷いている。

 

(……これは、とんでもない勘違いが広がっていっておるな……)

 

 本来であれば訂正すべきなのかもしれぬのだが、感嘆の声は瞬く間に広がり、誰一人として疑う様子はなかった。

 

(まあ、あの二人らしい騒動ではあるな)

 

 私は苦笑を浮かべ、小さく肩を竦めた。

 

 

「あっぶなぁ……!口元を隠してる時で良かった……お前な!急に喋-」

 

「ミコト?」「(ビクッ)……な、なんだよ」

 

「……やっぱりこの前言ったことは全部無しだから!ミコトはぜぇぇぇぇぇったいにアイドルになっちゃダメ!絶対禁止!!」

 

「なんで怒ってんだよ……別に他の人に頼まれてもならないし」

 

「あと他の人に笑いかけるのも禁止だから!!」

 

「俺、今の一分で職業選択の自由と表情筋を失ったんだけど!?」

 

 

 この折の問答がもととなり……

 

 "その名"だけが千と数百年後まで独り歩きし──わずか二月の間だけ都に姿を現し、その歌声で瞬く間に多くの人々を魅了した後、誰の想いにも応えることなく月影とともに姿を消した歌姫──輝夜命《カグヤノミコト》として、いくつもの書物や伝承に残ることになるとは……

 

 この時の二人は、まだ知る由もなかった。

 

 

 そんな日々が繰り返されてゆき──

 

「最っっっ高──!! すっごい楽しかった──!! またやりたい! 絶対またやろうね♪ミコト!」

 

 演奏が終われば、かぐや殿は嬉しそうに何度も飛び跳ね満面の笑みではしゃぎ回り。一方の青年は……

 

「もう二度とやんねぇ………」

 

 と魂が抜けたような顔で空を見上げていた。

 

 なお、その後もしばらくの間、都では。

 

『その歌姫──舞台では誰もが見惚れ、月のように気高く、されど一度口を開けば、その中身はどこまでも天真爛漫』

 

 ──そんな噂が語り継がれていった。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 私は静かに足を運び、ミコト殿とかぐや殿が休んでいる部屋の前までやって来た。

 

 夜もすっかり更け、屋敷は静寂に包まれていた。月明かりだけが廊下を淡く照らし、庭の木々が風に揺れる音だけが耳に届く。

 

(……さて、この時間ではもう眠っておられるか)

 

 少しばかり話したいことがあっただけだ。起きておられれば幸い、眠っておられるなら出直そう……そう思い、部屋の前まで歩み寄る。

 

「……ミコト殿。まだ起きておられるだろうか」

 

 そう静かに声を掛けると、間を置いて部屋の中から返事が返ってきた。

 

「……起きてるけど」

 

 ほどなくして戸が開き、姿を現す。

 

「なに?こんな夜中に……」

 

 いつの間にか、ミコト殿は私へ敬語を使わなくなっていた。

 

 初めて出会った頃はどこか一線を引くような話し方だったが、今では年の近い友人にでも接するかのような口ぶりである。かぐや殿風に言うなら、"デレた"と言うやつだろう。

 

「夜分に失礼した。少し、お話ししたいことがあってな。もし迷惑でなければ、少しだけ付き合ってもらえぬだろうか」

 

 ミコト殿は一瞬だけ不思議そうな顔をしたが、すぐに小さく頷いた。

 

「別にいいけど……」

 

 

 二人で部屋の前の縁側へ腰を下ろすと、庭では虫の音が静かに響いていた。

 

「いつ頃までこちらに滞在するつもりなのだ?」

 

「う〜ん、なんだかんだもう2ヶ月くらい経つしな。いつまでも世話になるわけにはいかないし、そろそろ別の場所に行こうと思ってる」

 

「……そうか」

 

 思ったよりもあっさり決まっていたらしい。少しばかり寂しくもあるが、それも旅人というものだろう。すると、不意にミコト殿がこちらを見る。

 

「そういやさ……あんた、"かぐやに惚れた"って言ってただろ。引き留めたりしないのか?」

 

「ああ、それならもうよいのだ。"今は他に好きな女性がおるのでな"」

 

 私は小さく笑った。

 

「……は?」

 

 ミコト殿の眉がぴくりと動く。次いで、目に見えて表情が険しくなっていく。

 

「節操のないやつだな……!そんな軽い気持ちでかぐやに──」

 

「軽い、とは違う」

 

 私は首を横へ振った。

 

「恋愛観は人それぞれ。そして恋の形もまた、人それぞれよ。心変わりが早く、すぐに新たな恋へ向かう者もいれば、いくつもの人を同時に好きになる者もいるのだ」

 

 人は変わる。ならば心もまた移り変わろう。それを責めることなど、誰にもできぬ。

 

「俺は……そう言う考え方、あんまり好きじゃない。人は、一人の人間を愛し続けるべきだろ」

 

 まるで疑う余地など一切ないと言わんばかりに言い切る。あまりにも真っ直ぐで、あまりにも純粋な価値観。だからこそ、この御仁らしいとも思えた。

 

「一人を想い続けることは確かに美しい……だが、人の心とはそれほど単純ではない」

 

「ふ〜ん、そういうもんかねぇ」

 

 夜風が彼の袖を揺らす。返事こそ返ってきたものの、その表情は右から左へ聞き流しているのがありありと伝わってくる。

 

 私は苦笑を漏らし、小さく肩を竦めた。

 

「まあ、ミコト殿の年齢では、まだ恋愛のいろはも分からぬのも致し方あるまい」

 

「は?調子乗んなクソガキが。軽くテメェの三百倍は生きてるわ」

 

「ははははは」

 

 思わず笑みが漏れる。

 

(まったく、怒るとすぐに分かるような嘘をつく御仁だ)

 

 どう見ても私より年若い青年であるのだから、三百倍などあまりにも荒唐無稽ではないか。普段は落ち着いておられるというのに、感情的になると途端に子供らしい。

 

 虫の音だけが夜を満たし、月は何事もなかったかのように静かに庭を照らしている。

 

 私は隣に座るミコト殿を横目で見た。

 

 ……この御仁は、不思議な方だ。誰よりもかぐや殿を気遣い、誰よりもかぐや殿のために動く。危険があれば真っ先に身を挺し、寝静まった夜ですら物音一つで飛び起きる。それほどまでに大切に想っているというのに──

 

「一つ、尋ねてもよいか」

 

「ん?」

 

「何故、その想いを伝えぬのだ?」

 

 ミコト殿は怪訝そうにこちらを見る。

 

「……何の話だ?」

 

「"かぐや殿のことだ"」

 

 すると、ミコト殿は肩を竦めて呆れたように笑う。

 

「勘違いしないでもらえる?俺は別に、かぐやのことをそういう意味で好きなわけじゃないし。それに前も言ったけど、普通の人はウミウシに恋なんてしないから」

 

「──本当にそうか?」

 

「……何がだよ」

 

「相手がウミウシだから、と言い訳をして己の心を誤魔化しておるだけではないのか?」

 

 月明かりの下、ミコト殿の目がわずかに見開かれる。今まで飄々としていた顔が、初めて揺らいだ。

 

「お主は理屈を並べるのが上手い。だが、人の心は理では割り切れぬ」

 

 かぐや殿を見る目、話しかける時の声、触れる時の優しさ。そのどれもが、ただの情けでは説明できぬほど深いものだった。

 

「私の目には……ミコト殿は、"自分自身の気持ちに気づかぬふり"をしておるようにしか見えぬ」

 

「っ……、それは──」

 

 ミコト殿が何か言い返そうとした、その時だった。

 

 

「ミコト〜……?」

 

 障子が少しだけ開き、小さな顔がひょこっと覗く。眠そうに目をポヤポヤとさせながら、かぐや殿がこちらへと向かってくる。

 

「ん? 二人で何の話してんの〜?」

 

 今にもその場で眠ってしまいそうなほど、寝ぼけた声だった。

 

 ミコト殿は小さくため息をつくと、自然な流れでその体を自身の膝の上へと乗せる。

 

「なんでもないから、かぐやはちゃんと寝とけ」

 

「え〜……じゃあ背中ぽんぽんして〜〜、あと子守唄も歌って〜〜」

 

「──注文多いな」

 

 呆れたようにぼやきながらも、その声には嫌そうな色は欠片もない。むしろ慣れたものだと言わんばかりだった。

 

 とん、とん、とん、と優しく背中を叩く音が響く。まるで、子を寝かしつける母のように、あるいは、何より大切な宝物を慈しむように。

 

 〜〜〜♪

 

 続いて静かに歌声が流れ始めた。穏やかで、柔らかく、夜風へ溶けるような澄んだ声。その歌声には、不思議と人の心を落ち着かせる力があった。

 

(……見事だ)

 

 私は思わず感嘆する。歌姫と称えられるかぐや殿には届かないとはいえ、とても美しい声であったからだ。

 

 歌が終わる頃には、小さな寝息だけが聞こえていた。

 

「ミコト殿も、それほど歌が上手いのなら歌手とやらを目指せばよいのではないか?」

 

 すると、ミコト殿は首を横へ振った。

 

「それは……ちょっと無理かな」

 

「何故だ?」

 

「人から注目されるのは、あんまり好きじゃないし……」

 

 それだけ言うと、一度言葉を切る。そして夜空を見上げ、小さく呟いた。

 

「それに……"あんまり長く、人前にはいられないから"」

 

 その声音は静かであり、そこには先ほどまでの軽口も、皮肉もなく……ただ、諦めだけがあった。何かを受け入れ、何かを失った者だけが浮かべるような、寂しげな笑み。

 

(……なんと、悲しげな顔をなさる)

 

 理由は分からぬし、尋ねても教えてはくれぬだろう。それでも、月を見上げるその横顔だけは、どうしようもなく孤独に見えた。

 

 

「さっきの質問だけどさ……」

 

 しばらく沈黙が流れたあと、不意にミコト殿が静かな声で口を開いた。

 

「かぐやには、"ずっと好きな人がいるんだよ"」

 

 その言葉に、私は思わず目を瞬かせる。

 

「それはミコト殿のことか?」

 

「そんなわけないだろ」

 

「……は?」

 

 あまりにも即答だった。予想を裏切る返答に、思わず間の抜けた声が漏れる。

 

 ミコト殿は私の反応など気にも留めず、夜空へ浮かぶ月を静かに見上げたまま、ぽつりぽつりと言葉を紡いでいく。

 

「あいつには……」

 

 一度だけ小さく息を吐き、まるで遠い過去を思い返すように目を細める。その横顔はどこか穏やかで、それでいて胸の奥に何かを押し込めているようにも見えた。

 

「ずっとずっと……気が遠くなるほど長い年月が経っても、逢いたいと願うくらい、"かぐやの世界を彩った人"がいるんだ」

 

 その声音には、誰よりもその想いの重さを知る者だけが持つ確信が滲んでいた。

 

「だから、それがミコト殿──」

「いい加減にしろ」

 

 ぴしゃり、と空気を断ち切るような声音だった。

 

 普段の飄々とした態度はどこへやら。こちらへ視線すら向けぬまま放たれたその一言には、有無を言わせぬ強さが宿っていた。

 

「だから俺は──その恋が叶うように手助けできれば、それでいい」

 

 そう言って月を見つめ続ける横顔には、一片の迷いもなかった。自分の想いなど初めから勘定に入っていないとでも言うように。

 

 ……私は、それ以上何も問わなかった。

 

 夜風だけが静かに吹き抜け、虫の音は変わらず庭へ響いている。

 

 その夜は、それきり互いに言葉を交わすことなく、更けていった。

 

 

 

 ミコト side

 

 数日後──。

 

 朝靄が都を包む中、俺たちは旅支度を終え、屋敷の門前に立っていた。

 

 見送りには敦忠が姿を見せており、胸ポケットから顔を覗かせたかぐやは、真剣な顔つきで見上げた。

 

「えっと……敦忠さん」

 

「うむ?」

 

「この前のお返事なんだけど……やっぱり、ごめんなさい。かぐやは、あなたとは付き合えないです」

 

 申し訳なさそうにぺこりと頭を倒すと、少しだけ沈黙が流れる。

 

 しかし敦忠は、驚くほど穏やかな笑みを浮かべたまま頷いた。

 

「ああ、それならもうよい。今は、他に想う女性がおるのでな」

 

「…………へっ?」

 

 かぐやがぽかんと口を開けた。まるで予想もしていなかった返事だったのだろう。目をぱちぱちと瞬かせて固まっている。

 

 俺は胸ポケットを軽く指先でつついた。

 

「……ドンマイ。まあ、あんま落ち込むなよ」

 

「なんでかぐやが振られたみたいになってんの!?」

 

 その様子に敦忠はとうとう堪えきれなくなったらしく、声を上げて笑った。

 

「ははは。まことに愉快な者たちだ」

 

「もう〜!」

 

 頬を膨らませるかぐやへ、敦忠は柔らかな笑みを向ける。

 

「改めて礼を言わせてくれ。かぐや殿のライブにはとても楽しませてもらった」

 

「えへへ、ありがと!」

 

 すると敦忠が今度はこちらを見てきたため。

 

「……まあ、俺も楽しかったよ。世話になった。ありがとう」

 

 素っ気ない言い方になってしまうが、断じて照れているわけじゃない。ただ、こういう別れの挨拶が昔から苦手なだけだ。

 

 すると敦忠は、くすりと笑った。

 

「初めて会った時は殺気を向けられていたと言うのに……これがかぐや殿の言う”つんでれ”というやつか?」

 

「ツンデレちゃうわ。あと、実際に殺す気なんてなかったし」

 

 楽しそうに笑う敦忠へ、俺は呆れたようにため息を吐いた。

 

「その直後に私をブン殴ろうともしていただろう」

 

「……そ、それも冗談に決まってんじゃん」

 

 実際に死刑になったら全力で逃げるし。骨折するだけでも泣きたいほど痛いのに、死刑なんてごめん被る。

 

「ところで、かぐや殿」

 

 敦忠は穏やかな笑みを浮かべたまま、一歩前へ出る。

 

「旅立つ前に、一つだけ歌を贈らせてもらってもよいだろうか」

 

「うん?」

 

 静かに息を整えると、澄んだ声で一首を詠んだ。

 

「逢ひ見ての のちの心に くらぶれば

 昔はものを 思はざりけり」

 

 その瞬間──風が一瞬だけ止まったような気がした。

 

(……この歌って……)

 

 どこかで聞いたような、重大なことを思い出しかけたような感覚に、俺は思わず目を見開く。そして──

 

「「……どういう意味?」」

 

 かぐやとぴたり、と声が重なる。

 

(ごめん、全然わかんなかった)

 

 敦忠は額へ手を当て、大きくため息をついた。

 

「……見事に二人とも同じ反応とは」

 

「だって難しいんだもん」「だって古文だし」

 

「いや、お主ら……」

 

 呆れたようにため息をつくと、そのまま説明を始める。

 

「『あなたと逢う前と、逢った後のこの想いを比べれば──昔の恋心など、恋とは呼べぬほど浅いものであった』……そういう意味だ」

 

「へぇ〜」「なるほど」

 

 二人して感心して頷く。

 

「……本当に分かっておるのか?」

 

「なんとなく!」「雰囲気は」

 

「はぁ……」

 

 またしても深いため息。そして、かぐやへ静かに視線を向ける。

 

「かぐや殿」

 

「うん?」

 

「人の心は移ろうもの。今、どれほど深く誰かを想うておろうとも、それが永遠とは限らぬ」

 

 その言葉にかぐやは首を傾げる。

 

「……そうなの?」

 

「ああ」

 

 敦忠は静かに頷く。

 

「されど、それを裏切りとは申さぬ。新たな出逢いによって、初めて知る想いというものもある」

 

 かぐやは「ふぅん」とまだ半分ほどしか理解していないような顔で頷いた。

 

 その様子に小さく笑うと、今度は俺へ視線を向ける。

 

「そして、ミコト殿」

 

「……まだなんかあんのかよ」

 

「一つだけ、覚えておかれるとよい」

 

 静かな声だった。

 

「人は、ときに誰かのためと思うて選んだ道であっても──」

 

 一度言葉を切る。

 

「その”誰か”が、本当に望んでおる道とは限らぬ」

 

「……」

 

「想いとは、勝手に決めつけるものではない」

 

 その一言だけを残し、敦忠はふっと笑う。

 

「ゆえに申す」

 

 そこで一度言葉を切り、二人を交互に見つめる。

 

「恋とは、相手のためだけにあるものではない。己のためにも、大切にするものなのだ」

 

 しばし沈黙が流れ……やがて、かぐやが首を傾げた。

 

「ん〜〜……難しい!」

 

「ははは。今は分からずともよい」

 

 そして最後に、どこか意味深な笑みを浮かべる。

 

「されど──いずれ、この歌の意味が腑に落ちる日が来よう。その折、お主らが己の心に悔いを残さぬことを願っておる……どうか、達者でな」

 

「うん、それじゃあまたね!!」

 

「世話になった」

 

 敦忠も静かに手を振り返した。その声を最後に、俺たちは都を後にした。

 

 

 ◇ ◇ ◇

 

 

 藤原敦忠 side

 

 やがて、二人の姿は道の彼方へと消えていった。私はしばらくその場を動かず、誰もいなくなった街道を静かに見つめる。

 

「……不思議な御仁たちであった」

 

 かぐや殿……あれほど眩しく、美しく、人の心を惹きつける女性を見れば、恋に落ちぬ者の方が少なかろう。私もまた、その一人であった。

 

 されど──。

 

「最初から、叶わぬ恋であったのだろうな」

 

 自然と苦笑が漏れる。

 

 私は、"確かにかぐや殿を想っていた"。

 

 しかし、ミコト殿は違う。あの御仁は、自分の命など何一つ惜しんではおらぬ。見返りなど、一度たりとも求めぬまま。

 

 そして何より、

 

「己が恋よりも、かぐや殿の恋が叶うことを願う、か」

 

 その言葉を思い返し、小さく息を吐く。

 

 あれほど深く想いながら、自分という存在は初めから選択肢に入れておらぬ。己の願いより、愛しい者の願いを優先する。

 

 なんとも愚かで。なんとも──尊い男だ。

 

「まったく……敵わぬな」

 

 私は静かに空を見上げた。

 

 どこまでも澄み渡る青空の下、二人は今も肩を並べて歩いているのだろう。

 

 願わくは──

 

「……どうか、その物語が、幸多き結末(ハッピーエンド)へと辿り着かんことを」

 

 そのささやかな願いだけを風へ託し、私は静かに踵を返した。

 

 

────────────────────────

 

 

 彩葉side

 

 ──こうして、平安時代での出来事を一通り聞き終えた私は、思わず大きく息を吐いた。

 

 縄文時代から始まり、平安時代まで。どれも教科書の中だけの話だったはずなのに、二人の口から語られると、まるで本当にその場にいたかのような光景が目の前へ浮かんでくる。

 

「いやぁ〜……それにしても」

 

 ヤチヨはどこか懐かしむように天井を見上げた。

 

「今になって思い返すと、敦忠さんには全部分かってたのかな〜」

 

 ぽつり、と独り言のように呟かれたその言葉は、どこか感慨深げだった。

 

「全部?」

 

 思わず聞き返すと、ヤチヨはこちらを向き、ぱちぱちと瞬きをしたあと、ふっと笑みを浮かべる。

 

「いや〜? なんでもない……それよりもさ!」

 

 次の瞬間には、さっきまでのしみじみとした空気などどこへやら。悪戯を思いついた子どものように目を輝かせながら、勢いよく身を乗り出した。

 

「彩葉にも、あの時の女装したミコトの姿、見せてあげたかったな〜!」

 

 思い出しただけでおかしくなったのか、ヤチヨは口元を押さえながら肩を震わせる。どうやら当時のミコトさんを思い浮かべているらしい。

 

 すると、ミコトさんはため息を一つ吐き。

 

「残念だけど──」

 

 どこか勝ち誇ったような笑みを浮かべ、まるで勝利宣言でもするように口を開く。

 

「酒寄さんがその姿を見ることは、”絶対”に無──」

 

 

 ※この数時間後、ばっちり全部見られた。

 




今回出てきた「逢ひ見ての のちの心に くらぶれば 昔はものを 思はざりけり」
意味は、「あなたに逢うまでは、自分は恋に悩んでいるつもりだった。でも、実際に逢った後の募る想いに比べれば、あの頃はまだ本当の恋の苦しみを知らなかった」というもの。

この歌は、かぐやには言わずもがな、今のミコトの心情にも合っていると思います。

ミコトは、かぐやが彩葉を想っていることを知っているからこそ、この気持ちは封じ込めて意識しないようにしていればいいと思っていた。しかし、八千年という途方もない時間をかぐやと共に過ごし、笑い合い、支え合い、かけがえのない存在になってしまいました。"逢ってしまった”からこそ、好きという気持ちは抑えるのが苦しくなっていく。だからミコトにとっては、「かぐやと出会う前なら、この苦しみは知らなかった」という意味になります。
実際に、ミコトはずっとヤチヨに対して「相棒」とか「大切な人」としか言っていなく、恋情の言葉はエピローグ入るまで言ってないんですよね。

やっぱずっと避けてきただけあって過去編は話作んのクッソ難しいですね。あんまり綺麗なオチが思い浮かばなかったです。
なので、江戸時代の二人が離れ離れになった話については、次の短編集でちょこっとだけ触れようと思います。簡単に言うと、ミコトが精神的に超無理限界ギリな時に互いの特大地雷踏み抜き合って別れちゃう話です。
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