超かぐや姫! 星の降る音   作:サトウシュン

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注意喚起
以下、江戸時代の話の冒頭部分です。29話読了後を推奨。
残酷な描写や曇らせが出てきます。
今後の話にも関係ないですし、ハッピーな二人だけを見ていたい人は見なくていいと思います。


過去編 江戸時代 

 

 ツクヨミのプライベートルームにて。

 

「へー、じゃあ、それからも二人はずっと一緒にいたんだ」

 

 平安時代の話を聞いた後、私が何気なくそう尋ねた瞬間だった。

 

「「……」」

 

 返事は返ってこなかった。さっきまであれほどテンポよく言い合っていた二人が、まるで時間が止まったみたいに動きを止める。ミコトさんは頬をぽりぽりと掻き、ヤチヨは困ったように目を泳がせる。そして、二人はほとんど同時にちらりと顔を見合わせ──何も言わないまま、すっと視線を逸らした。

 

 (……え。なに、この空気)

 

 部屋を包んでいた和やかな雰囲気が、一瞬で気まずいものへと変わる。まるで「そこは触れないでほしかった」とでも言いたげな反応に、私はぱちぱちと瞬きを繰り返した。

 

「あれ?」

 

首を傾げる私に、ミコトさんは観念したように小さく息を吐く。

 

「いや……実は」

 

 言いづらそうに口を開いた、その横で。

 

「一か月くらいだけ、離れ離れになったことがあって……」

 

 ヤチヨが申し訳なさそうに付け加えた。

 

「えっ?なんで?」

 

 思わず素っ頓狂な声が漏れる。だって、これだけ息ぴったりで、お互いのことを家族以上に理解していて。そんな二人が、一か月も離れ離れになるなんて。

 

 だからこそ、その答えはあまりにも意外で、私は二人の顔を交互に見つめることしかできなかった。しばらくの沈黙が流れるなか、その重たい空気を破ったのはヤチヨだった。いつもの軽い調子はなく、どこか遠くを見るような目で静かに口を開く。

 

「あれはね……ヤチヨたちが初めて、本当に離れ離れになった時の話」

 

 その一言だけで胸がざわついた。八千年もの間、一緒に旅をしてきた二人。その長い時間の中で、"たった一か月"。でも、そのたった一か月は二人にとって忘れられない時間だったことだけは、その表情を見れば十分に伝わってきた。

 

「時代で言うと……江戸時代かな」

 

 ヤチヨは懐かしむでもなく、恐れるでもなく、ゆっくりと目を伏せる。まるで、今でも鮮明に焼き付いている記憶を、ゆっくりと手繰り寄せるように──静かに語り始めた。

 

 ◇ ◇ ◇

 

 ミコトside

 

 あれから平安時代が終わり、時代は鎌倉時代へと移り変わる。

 

 武家による政治が始まり、鎌倉幕府はおよそ百年で幕を閉じる。その後、室町時代へ入ると文化はさらに花開き、日本各地で新たな芸術や風習が生まれていった。歴史を振り返れば、多くの文化が育まれた素晴らしい時代だったのだろう。

 

 ……だが、そんな時代よりも俺の記憶に強く焼き付いているのは──戦国時代だった。

 

 応仁の乱によって室町幕府の権威は失墜し、その後は各地の武将たちが天下を目指して争い始める。教科書で見れば、さまざまな戦国武将が活躍する華やかな時代だが、実際にその時代を生きてみれば、そんなものではない。

 あれは──地獄そのものだった。

 

 

 俺とかぐやは、焼け跡の残る村を静かに歩いていた。黒く炭化した家々。崩れ落ちた柱。鼻をつく焦げ臭い匂いは、何日経っても消えていない。

 

「……ひどい」

 

 胸ポケットから顔を出したかぐやが、小さく呟く。

 

 焼け焦げた地面には、誰かが大切に育てていたのであろう畑が広がっていた。子どものものと思われる草履が片方だけ転がり、井戸の近くには割れた茶碗が散乱している。

 

 ほんの数日前まで、ここには人々の暮らしがあったのだ。笑い声があって、食卓を囲む家族がいて、子どもたちは走り回っていたはずなのに、それが今は……何も残っていない。

 

「ここにいた人たち……どうなったのかな」

 

 かぐやの震える声に、俺はゆっくり首を横へ振ることしかできなかった。

 

 逃げられた人もいるだろう。けれど、全員ではない。焼け跡を見れば、それくらいは嫌でも分かってしまう。そう思うと、胸の奥がずしりと重く沈んでいく。

 

(この人たち一人一人にも、大切な家族がいて、帰る場所があったはずだ。明日もまた、いつもと変わらない日々が続くと信じていたはずなのに……)

 

 自然と拳に力が入る。

 

(……なんで、こんなに簡単に人の命を奪えるんだ…)

 

 刀を振るえば、人は死ぬ。火を放てば、家も人生も一瞬で消える。それを分かっていて、どうして……

 

(人の命を、なんだと思ってるんだ…っ)

 

 昨日まで笑っていた人が、今日にはもういない。そんな理不尽が、戦国の世では当たり前のように繰り返されていた。

 

 ……こんなのは、間違っている。人の命は、絶対にこんな簡単に奪われていいものじゃない。

 

「……ミコト」

 

 かぐやの声は、今にも泣き出しそうなほど震えていた。俺は胸ポケットへそっと手を添え、その小さな体を優しく撫でる。

 

「……行こう、かぐや」

 

 もう二度と、こんな景色は見たくない。心の底からそう願いながら、俺は静かに村へ背を向けた。

 

 ……だが、その願いはあまりにも脆く、あっさりと打ち砕かれることになる。次に地獄が俺たちを襲った時、今度は傍観者ではいられなかった。

 

 戦国時代に入って三十年ほどが過ぎた、ある日のことだった。

 

 俺たちが身を寄せていた小さな村に、軍勢が押し寄せてきた。兵糧を奪うための略奪だった。怒号が響き渡り、逃げ惑う人々の悲鳴が四方から聞こえ、穏やかだった村はほんの数分で地獄へと変わり果てた。

 

 俺たちも慌てて逃げようとするなか──

 

「ミコト、あそこ! 逃げ遅れてる人がいる!」

 

 かぐやが示した先には、三十代ほどの男がいた。足が悪いのだろう。杖に体を預けながら必死に歩いているが、その歩みはあまりにも遅い。このままでは、背後から迫る兵に追いつかれるのは時間の問題だった。

 

「助けないと!」

 

 迷いのないその声に、俺も頷きかける。だが、すぐに首を横へ振った。

 

「いや、駄目だ。まずはかぐやを安全な場所に──」

「あの人、このままじゃ殺されちゃうよ!!」

 

 俺の言葉を遮るように、かぐやが叫ぶ。

 

「かぐやは隠れてるから!だから……お願い!あの人を助けてあげて!」

 

 小さな体で、それでも真っ直ぐ俺を見つめてくる。その瞳に迷いはなかった。

 

「……わかった」

 

 短く頷き、俺は辺りを見回す。人目につかない木箱を見つけると、かぐやをそっと中へ入れた。

 

「後で必ず迎えに来る。だから、それまでここから出るなよ!」

「うん!」

 

 頷くのを確認するとすぐに蓋を閉め、俺は男のもとへ向かって駆け出した。

 

「肩を貸します!俺につかまってください!」

「……っ!す、すまない」

 

 相手の体を支えながら必死に走る。いや、正確には走れてなどいなかった。相手は足が悪く、どうしても速度は出ない。その間にも背後から鎧のぶつかる音が近づいてくる。

 

(……このままじゃ、追いつかれる!)

 

 そう思った、その瞬間だった。

 

「い、いやだっ!! 死にたくないっ!!」

 

「っ!?」

 

 悲鳴と同時に、背中へ強烈な衝撃が走る。視界が反転し、そのまま地面へ叩きつけられた。

 

 ……一瞬、何が起きたのか分からなかった。足を取られたのか、転んでしまったのか──

 

 混乱したまま顔を上げると、そこでようやく異変に気づいた。さっきまで隣にいたはずの男がいない。

 

「……ぇっ?」

 

 少し先で、杖を投げ捨て、必死に走っている姿が見えた。足を引きずりながら。転びそうになりながら。それでも、生きたい一心で。

 

(……ああ。そういうことか)

 

 遅れて理解が追いつく。

 

 ──俺は助けようとした男に、突き飛ばされたのだ。武士の足を止めるための囮として。自分だけは、生き延びるために。

 

 ザシュッ──

 

 離れた場所で、鋭い斬撃音が響いた。視線を向けると、逃げ惑っていた男が待ち構えていた武士に、あっけなく斬り伏せられる。悲鳴は短く、それきり男の口から声が漏れることはなかった。

 

 その光景に息を呑んだ──その直後。

 

 ──ドスッ、と胸の奥へ鈍く重い衝撃が突き刺さる。続いて、心臓を鷲掴みにされ、そのまま抉られるような激痛が全身を駆け巡る。

 

「がぁっ……!」

 

 息が、吸えない。肺は必死に空気を求めているのに、喉がひくつくだけで呼吸にならない。震える首をゆっくりと後ろへ回すと。

 

 ──心臓を、貫かれていた。

 

 武士は何の感情も見せず刀を引き抜くとらドロリとした赤い粘着質な液体がこぼれ落ちる。

 

「……ぁっ…っ…!」

 

 息を吸おうとしても肺は震えるばかりで、空気がまるで入ってこない。口から血が溢れ、鉄の味が喉の奥まで広がった。激痛と息苦しさで視界は滲み、意識はゆっくりと暗闇へ飲み込まれていく。

 

 だが、その時だった。

 

 不意に、胸の激痛が消えた。胸に傷はなく、流れ出た血も消えており、心臓を貫かれていたという事実そのものが、一瞬で消え去った。俺の体は一瞬で健康そのものへと戻った。

 

 ──そう。俺はその武士の目の前で、"傷が治る瞬間"を見せてしまったのだ。

 

 地面に手をつき、震える腕でゆっくりと体を起こす。四つん這いのまま顔を上げると、去ろうとしていた武士と視線が合った。その顔は、さっきまでとはまるで違っていた。獲物を狩る兵の顔ではなく、理解の及ばないものを目にした人間の恐怖そのものを表したような顔。

 

 "今まで何度も見たことがある顔"だった。

 

「ば、化け物……」

 

 かすれた声でそう呟くと、武士はじりじりと後ずさる。だが次の瞬間、その恐怖は憎悪へと変わった。

 

「化け物めぇぇぇぇッ!」

 

 叫び声とともに刀を振りかざし、銀色の刃が一直線に目の前へ迫る。迫り来る刀をぼんやりと見つめながら、俺は──

 

(……ああ、ドジっちゃったなぁ)

 

 どこか諦めたように心の中で呟いた。

 

 

◼️を切られた。断面は生の◼️◼️◼️みたいで、白い◼️が見えた……すぐに治った。

「□□□っ……!」

 痛みで体が言うことを聞かないなか、震える声でそう漏らす。

 でも、俺の声が届くことはなかった。

 

◼️を切られた。◼️◼️がこぼれ落ちる……すぐに治る。

「□□□□□□、□□□っ!」

 泣きながら懇願した。でも、武士は止まらずに狂気を宿した目で叫ぶ。

 

 頭がおかしくなりそうなほどの激痛に襲われ、もういっそ死ねた方が楽だと何度も思った。

 ……でも、この体はそれすらも許してくれない。

 

◼️◼️を切られる──治る。◼️◼️を刺される──治る。◼️を切り落とされる──治る。

 

 

 そして──

 

「ひゅっ……かっ……ぁっっ…」

 

 短く途切れた呼吸が何度も繰り返され、そのたびに身体は小さく震える。かすかに聞こえる衣擦れの音。力の入った腕は細かく震えており、抵抗するように別の手が添えられるが、それでも離れる気配はない。

 

 ──俺の手が、武士の首を締め上げていた。

 

 荒く乱れた呼吸が静まり返った空間へ断続的に響く。奪った刀を持ち上げ、切っ先をゆっくりと武士の喉元へ突き立てると、薄い血の筋が流れる。すると、たちまち武士が恐怖に目を見開き、涙を浮かべる。

 

(このまま押し込めば、それで──殺せる)

 

 腕に力を込めた、次の瞬間──

 

「……っ……ぁ、"葵"……」

 

 武士が震える声で、誰かの名を呼んだ。妻か、子か。死の間際に呼ぶのだから、おそらくそのどれかなのだろう。

 

「……──ぁ?」

 

 その一言で、まるで凍りついたように腕の動きが止まる。刀が手から滑り落ち、乾いた音を立てて地面へ転がった。熱に浮かされたようだった頭が、すっと冷えていく。

 

「………?──……ひっっ!」

 

 弾かれたように武士から飛び退くと、震えの止まらない両手へおそるおそる視線を落とす。

 

 (……今……自分は、何をしようとしていた?)

 

 あれほど人の命を奪うことを嫌悪していたはずの自分が。人には誰しも大切に想う人がいるとわかっていたはずの自分が……

 

 ──何の躊躇いもなく、人を殺そうとしたのか?

 

「ぉぇっ……ぅっ……」

 

 それを意識した途端、吐き気が込み上げ呼吸が浅く乱れていく。

 

 はぁっ…はぁ……もし…あの一言が、なかったら……。

 俺はっ、本当に……人を、殺し、てッ……!?

 

 頭を抱えた途端、脳内では勝手に自己正当化が始まる。

 

(違っ……これは、正当防衛で……だって、こいつが、何度も俺を……俺は悪くなくって、だって痛くて、……まともじゃなくって…だから仕方ない……あれは俺じゃなくて、……それに、こっちは何回も……そもそも、死んでないんだから…別に──……っ、違う、俺は……この手で…!)

 

「こっちだ!」「まだ近くにいるぞ!」

 

 遠くから、武士たちの怒声が響く。

 

 逃げなければ……その一心だけで、ぐちゃぐちゃな頭のまま、震える足を無理やり動かす。後ろを振り返ることもなく、夢中で走り続けた。

 

 

 そして、村から武士たちが物資を奪い撤退したタイミングでかぐやを迎えに行った。

 

「ミコト!」

 

 俺を見つけたかぐやが、安堵したように駆け寄ってきた。途中でズタズタになった服は脱ぎ捨て、別の衣服に着替えていたため、かぐやは何も気づいていない。あの人はちゃんと逃げられたの?と不安そうに尋ねるかぐやに、俺は小さく頷く。

 

「よかったぁ……!」

 

 そう言って笑いかけてきたかぐやだったが、すぐにその表情が曇る。

 

「……あれ?」

 

 俺の顔をじっと見つめ、小さく首を傾げた。

 

「ミコト……顔色悪くない? "どこか痛いの"?」

「っ……!」

 

 心配そうな声。その一言で、あの時の光景が脳裏をよぎり、思わず肩が小さく震える。

 

「……いや」

 

 慌てて首を横に振り、無理やり口元を緩めた。

 

「"俺に傷なんて残るわけないだろ"? 大丈夫だよ」

 

 ──そう言って俺は、かぐやを心配させたくなかったから嘘をついた。

 

 全然、大丈夫なんかじゃなかった。助けようとした相手に裏切られ、自分を身代わりにされたこと。必死に訴えても聞く耳を持たれず、何度も斬りつけられたこと……もちろん、そんな人間ばかりではない。そんなことは、これまでの旅で嫌というほどわかっている。

 

 それでも──あの日の出来事は、俺の心に消えないトラウマを刻みつけた。

 

 その日から、眠ればあの日の夢を見るようになった。何度も、何度も俺を斬りつけ、そして最後には、その首を締め上げ、苦しげに歪んだ表情のまま命を落としていく。そんな悪夢を、何度も繰り返し見た。だから、"眠るのをやめた"。幸い、この体は眠らなくても問題なく動き続ける。大丈夫、大丈夫だと、自分にそう言い聞かせて、かぐやには心配をかけないように、今まで通りに振る舞い続けた。

 

 何度体が元に戻ろうと、決して癒えることのない──心の傷を抱えたまま。

 

────────────────────────────────

 

 そして、また時は流れ──時代は江戸時代へと移り変わった。

 

 俺とかぐやは、人々で賑わう江戸の町を歩いていた。これまで訪れた町とは比べものにならないほどの活気に満ちた街並み。そんな中、ひときわ華やかな一角へ足を踏み入れる。

 

「ここって?」

「吉原遊廓だな。昔ネットで見たことある」

 

 全国から集められた遊女たちが、客を迎える場所だ。簡単にそう説明すると、

 

「ミ、ミコトは絶対にお店に入っちゃダメだからね!」

 

 かぐやが慌てたように念を押してきた。

 

「……言われなくても入んないよ。金ないし」

 

 店先に掲げられた料金を見ると、金二分。現代の価値に換算すれば、およそ五万円ほど。今の俺たちには、とても払えるような額ではない。

 

「……は? お金があったら行ってたってこと?」

 

 じとり、と威圧するような視線が突き刺さる。嫌な汗が背中を伝い、俺は思わず目を逸らした。さっさとこの辺を抜けよう、そう思ったその時だった──

 

「てめえ!逃げようとしてんじゃねえよ!」

 

 と怒声が聞こえてくる。見てみれば、

 

「いやっ!!誰か助けてっ!」

 

 まだ中学生か、もしくは高校生くらいの女の子が男性に髪を掴まれていた。周りにいた人たちは一瞬止まりそちらを見たが、ありふれた光景だというようにすぐに元の動きに戻っていった。

 

「ひどい!なんで誰も助けようとしないの!?」

 

 ──"俺も"、それを冷ややかな目で見ていた。

 

「ミコト、助けてあげてよ!」

 

 胸ポケットからかぐやが声を張り上げる。

 

「……俺だって死なないだけのただの人間なんだから、ヒーローみたいに誰かれ助けるなんて出来ない」

 

 そんな言い合いを行っている最中にも、少女は腕を掴まれて連れられていく。

 

「私まだやりたいことがあるのっ!遊女になんかなりたくないっ!!やだ……っ、おうちに……帰りたいっっ……!

 

 涙を流し、必死に抵抗する姿が目に映る。

 

 おそらく、あの子もここにいる花魁たちと同じで、理由はどうあれ、ここへ売られてきたのだろう。この瞬間から、彼女の人生はこの場所で金を稼ぐために使われる。それが嫌で逃げて、そして捕まった──そんなところだろう。

 

 でも、一人だけを助けるなんて都合のいいことはできない。そんなことをするなら、この遊廓にいる女性たち全員を助けなければ筋が通らない。それに、助け出した後はどうする?食べさせるのか。住む場所を用意するのか。追っ手から守り続けるのか。そんなこと、今の俺たちにはできるはずがない。それどころか、遊廓の"商品"を奪えば、奉行や権力者に目をつけられるのは目に見えている。

 

 それを説明してもかぐやは「でもっ……」と諦めきれないようだ。

 

「ていうか、いい加減学べよ。いつまでそんな全員を助けたいなんてガキみたいな思想してんだよ」

 

 確かに人を助けたいという気持ちは正しいし善だと言えるだろう。でも世の中にはどうしようもないことがあるのだ。

 

 ──そもそも、なぜかぐやは赤の他人のためにここまで思えるのだろうか?

 ……だって、

 

「別に、他人がどうなろうがどうでもいいだろ」

 

「……え? 何、言って──」

 

「かぐやの目的は2030年まで生きて、会いたい人に会うことだろ?だったら、ここであの人を助ける必要なんてない。ただ見なかったことにして、安全に生きていけばいい」

 

「たしかにそうかもしれないけどっ!でも、ミコトは!」

 

 そこで一度言葉を切り、俯いたままポツリと呟く。

 

「ミコトは……前はそんなこと、言わなかったじゃん……」

 

 その言葉に俺は思わず吐き捨てるように言う。

 

「前って、いつのこと言ってんだよ。"時間が経てば人の心なんて嫌でも変わっていく"。いつまでも……お前みたいに、正しくいられるわけじゃないんだよ」

 

 かぐやは何も言い返さない。それでも、その瞳だけは俺を真っ直ぐ見つめていた。その視線が、妙に腹立たしかった。

 

「俺はお前の奴隷じゃない。自分じゃ何もできないくせに、勝手なことばっかり言うなよ。そうやって面倒を被るのは、いつだって俺なんだから」

 

 しばらくの沈黙の後、かぐやは小さく俯いた。

 

「……わかった」

 

 チッ、と思わず舌打ちが漏れる。

 

「……俺も、悪かった。さっさとこんなところを出て、別の場所に──」

「──じゃあ、かぐや一人で助ける」

 

 その一言に、思考が止まる。

 

(一人で助ける? 何もできない、そんなウミウシの体で?)

 

「……っ、できるわけないだろ。そんなこと」

 

「でも!放って置けない!だってあの人、そんな運命望んでないって、嫌がってる!自分の望んでない運命を無理矢理押し付けられるなんて、そんなの間違ってる!

 

 そうして胸ポケットから飛び出して向かおうとするかぐやを、上から両手で地面に押さえつける。

 

「離してよっ!ミコトのバカッ!」

 

(普通に考えれば助けられないことなんてわかるだろ!なんでこんなに無謀なんだ。なんで、こいつは、いつまで経っても正しいままで……っ)

 

「ミコトは"そんなに凄い力"を持ってるのに、なんで助けようとしないのっ!?」

 

 ………は?──"凄い力"? 

 

 胸の奥で、何かが冷たく軋んだ。

 

(そうか。こいつには、そう見えるのか。こんな……死ぬこともできない"呪いみたいな体"が)

 

「黙れ……」

 

 思わず低い声が漏れる。

 

「もういい!かぐや1人で──」

 

「黙れよっ!!」

 

 怒鳴った瞬間、かぐやの小さな体がびくりと大きく震えた。今まで押し殺してきた怒りが、苦しみが、すべてが喉元までせり上がり、言葉となって迸っていく。

 

「……そもそも、俺をこんな体にしたのは、お前なんじゃないのか?

 

「──ぇ?」

 

 口にした瞬間、かぐやの表情がぴたりと止まった。

 

「突然8000年前にタイムスリップしたと思ったら、最初に会ったのが同じように未来から来た喋るウミウシだぞ?偶然にしては出来過ぎてるだろ……しかも、そいつには'八千年後に会いたい人"がいるときた。時間も越えられる月の技術とやらで、自分の足として使える死なない奴隷でも作ったんじゃないのか?」

 

 ──違う。コイツがそんなことをする奴じゃないのは、今までの付き合いからわかってる。こんなものは、完全に八つ当たりだ。

 

(……っ…こんなこと、言いたいはずじゃないのに……ただ、かぐやには危ない目にあって欲しくないだけなのに……)

 

 その思いとは裏腹に、心の奥から押し出てくるドス黒いドロドロとした感情が抑えきれない。

 

「ち、違……っ…!私──」

 

 かぐやが震える声で何かを言おうとする。その声を遮るように、俺は叫んでいた。

 

「なぁ……苦しむ俺を見て、楽しかったか?自分の目的のために、勝手に生かして利用して!……何もかも失って、生きる意味さえなくって……どれだけ苦しんでも、どれだけ絶望しても、死ぬことすら許されない!!」

 

 抑え込んでいた感情が、堰を切ったようにあふれ出す。

 

「不老不死になりたいだなんて、一度だって望んでないっ!……こんな終わりのない、地獄みたいな人生──俺は、一度だって望んでないんだよ!!」」

 

 言葉を吐き出し切ったはずなのに、胸の奥を締め付ける苦しさは少しも消えなかった。

 

 はぁ、はぁ……っ。──あ。

 

 かすかな嗚咽が耳に届く。

 

「うっ、うぅっ……」

 

 ──目の前でかぐやが泣いていた。

 

 その姿を見た瞬間──脳裏に、あの日の光景が鮮明によみがえる。ちょうど今みたいに、両手で上から押さえつけて。首を締め上げられ、涙を浮かべながら、こちらを見る恐怖に歪んだ瞳、震える声。

 

 全部、今のかぐやと同じだった。

 

「……っっ、ぁ…、違っ……!」

 

 "何か"がゴトリと地面に落ちる音だけが、やけにはっきりと耳に届いた。俺は居た堪れず、かぐやを置いてその場から逃げ出した。

 

「────!」

 

 後ろからかぐやがなにか言っているのが聞こえたが、振り返らなかった。いや振り返れなかった。

 

 どれだけ走ったのかも覚えていない。気づけば俺は、人影ひとつない路地裏で膝を抱え、うずくまっていた。

 

(……早く、かぐやを迎えに行かなきゃ)

 

 そう心では思うが体が動かない。あんなことを言ってしまった自分が、どんな顔をして会えばいいかわからなかった。『かぐやなら他の誰かが助けてくれるはずだ』、『だから大丈夫だ』、そんな楽観的な考えで無理矢理自分を納得させる。

 

 ──他ならぬ自分自身が、先ほどその行動を否定したばかりだというのに。

 

 

────────────────────────────────

 

 

「ちょ、ちょっと待って待って待って!!」

 

 "ヤチヨから江戸時代の話"を聞いている最中だが、私は慌てて両手を突き出して二人の間へ割って入る。

 

「どうしたの、彩葉?」

 

 ヤチヨはきょとんと首を傾げ、ミコトさんは呑気にそんなこともあったな〜と呟いていた。……二人とも、自分たちがどれほどとんでもない話をしているのか、本気で分かっていないようだった。

 

 (──いや……重い重い重い!! 重いって──!!)

 

 思わず心の中で全力のツッコミを入れる。

 

(いやいやいや!? 一か月離れ離れって、もっとこう……軽い喧嘩をしちゃって〜とか、意見がすれ違っちゃって〜とか、そういう話じゃないの!?)

 

 私が想像していた”すれ違い”なんて可愛いものだった。次から次へと明かされる事実に、完全に頭が追いついていなかった。しかし、そんな私をよそにヤチヨは腕を組んだまま逃がさないと言わんばかりにじっとミコトさんを見つめる。

 

「……ねぇ、ミコト」

「ん?」

 

 ミコトさんは穏やかに返事をしながら視線を向ける。

 

「確かにさ、あの時はヤチヨも軽はずみなこと言ったとは思うよ? でもさぁ……」

 

 そう前置きすると、じろりと睨むような視線を向けた。

 

なんであんなに思い詰めてたの?

 

「…………」

 

「絶対、ヤチヨのいない間に”何かあった”でしょ?」

 

 ヤチヨの口ぶりには確信があった。何事もなく普通に生活していたのなら、あそこまで追い詰められるはずがない。自分の知らないところで、何か決定的な出来事が起きていた──そう考えているのがその真剣な眼差しから伝わってきた。

 

 すると、ミコトさんは少しだけ考える素振りを見せたあと、拍子抜けするほどあっさりと言った。

 

「いや、別に"きっかけとかは特にないけど"?」

「──え?」

 

 思わず声が漏れる。ヤチヨも一瞬だけ目を丸くしていた。

 

「あの時は、ただ溜まりに溜まってたものがたまたま爆発しただけだ」

 

 肩を竦め、どこか他人事のように苦笑する。

 

「そりゃあ、八千年も生きてりゃ機嫌の悪い日くらい誰だってあるだろ?」

 

「──いや、どう考えてもそのレベルじゃなかったでしょ!」

 

 ヤチヨが身を乗り出しながら即座にツッコんだ。その返しには、安堵よりも焦りや怒りが滲んでいた。その説明で済ませようとしていること自体が不自然だったからだ。

 

「その前の態度からしても、完全に精神的な限界だったじゃん!」

「……」

 

 ミコトさんは何も答えずに、頭を掻きながら視線を逸らす。その反応は、明らかに何かを隠しているようにも見えた。けれど、それ以上追及される前に話を切り替えるように口を開く。

 

「……いや、それを言ったら。お前だって俺に真相隠してただろ」

「うっ……」

 

 予想外の切り返しだったのか、ヤチヨの肩がぴくりと跳ねた。

 

「結局、あの時の俺の予想ほとんど当たってたじゃん」

「そ、それはぁ……」

 

 さっきヤチヨ自身が打ち明けた、不老不死の真相について問い詰める。今度はヤチヨが露骨に目を逸らす番だった。そして、その様子を見て私はようやく腑に落ちた。

 

「ああ……だからさっきヤチヨから真相を聞いた時も、ミコトさんあんまり驚いてなかったんですね」

 

「……まあ、なんとなくそうかなーって、少しだけ予想はしてたんで」

 

 ミコトさんは気まずそうに呟いた。

 

「…………」

 

 それを聞いたヤチヨは静かに視線を伏せた。望んでもいない不老不死をミコトさんに背負わせてしまった──その事実は、ヤチヨにとって何千年経っても消えない後悔なのだろう。さっきまで勢いよく問い詰めていたはずなのに、それ以上の言葉は出てこなかった。

 

 重たい沈黙が二人の間に落ちる。すると、その空気を断ち切るようにミコトさんはパンと軽く手を叩いた。

 

「ほら、まだ話の途中だろ……この話はもういいから、早く続きを話そうぜ」

 

 これ以上この話を続けさせたくない、そんな意図がその軽い口調の奥に隠れている気がした。

 

「……まあ、今は引き下がってあげる」

 

 ヤチヨは少しだけ不満そうに唇を尖らせたものの、小さく息を吐いて気持ちを切り替える。今は問い詰めても答えは返ってこない……そう判断したのだろう。ヤチヨは再び遠い昔を思い返すように目を細めた。さっきまでの鋭い表情は消え、昔を語る”語り手”の顔へ戻っていく。

 

「──じゃあ、続きを話すね」

 

 

────────────────────────────────

 

 

 かぐやside

 

 彼が立ち上がると、もと光る竹を入れていたリュックがゴトリと音を立てて地面に落ちた。そして、ミコトが走り去っていく。

 

「いや……やだ……行かないでっ!!かぐやを、一人に、しないで……っ」

 

 そんな言葉も届かず、彼の姿はすぐに見えなくなってしまった。思えば、彼と本気で喧嘩をしたのはこれが初めてだった。基本的にミコトはやさしく、私がわがままを言っても受け入れてくれた。それに、ずっと甘えてしまっていたのだ。

 

 私は、八千年ぶりに──ひとりぼっちになってしまった。

 

(……今は…さっきの子を、助けない、と)

 

 私は虚ろな目のまま、少女がいた方へ視線を向ける。けれど、そこにはもう誰の姿もなかった。

 

(……追いかけなきゃ。でも、どうすれば……そうだ。"誰かに声をかけて”運んでもらえば……)

 

 そう思い、リュックの影に隠れながら周囲へ視線を巡らせる。道行く人々を見ながら、"いつもみたいに"、声をかけようと口を開いた瞬間──喉が震え、声が出なかった。

 

「…………」

 

 そこで私は初めて気づいた──自分が、人を怖がっているということに。

 

 今までも人と接する機会はあった。けれど、そのほとんどでミコトが隣にいてくれた。何かあればすぐに庇えるように。少し過保護なくらい、いつもすぐそばにいてくれた。だから私は、何も考えずに人と話せていたんだ。

 

 ……彼の言った通りだった。

 

(ミコトがいないと、私は……何もできない)

 

 ──きっと、少し経てばミコトが迎えに来てくれる。そしたら、またいつもみたいに笑って一緒にいられる。そう信じて、人目につかず、それでいて彼から見つけてもらいやすそうな場所へ身を隠した……けれど。

 

 一日、二日が過ぎて、そして、三日が経っても。ミコトは来なかった。

 

 空は重く曇り、やがて冷たい雨が降り始める。

 

 あれから、あの時の彼の叫びが何度も頭の中で繰り返される。──その一つひとつが、胸を抉るように痛かった。

 

 私は、ずっと勘違いしていた。彼はいつも笑っていたから、大丈夫なんだと。でも違った。彼は苦しくなかったから笑っていたんじゃない。私に心配をかけないよう、ずっと笑っていてくれただけだった。

 

 八千年もの間、誰にも打ち明けられない苦しみを抱え、終わりたくても終われず、生きる意味を見失ってもなお、生き続けるしかなかった。そんな絶望を、彼はたった一人で背負い続けていたんだ。

 

 それなのに私は、彼が最も苦しみ最も憎んでいた不老不死を、何も知らず「凄い力」だなんて言ってしまった。一番理解してあげなければならなかった私が、一番長く彼の隣にいた私が……彼の苦しみに何一つ気づいてあげられなかった。何よりも、

 

「……“自分の望んでない運命を無理矢理押し付けられるなんて、そんなの間違ってる”……か」

 

 彼を不老不死にして、家族や友人から引き離し、この世界へ連れてきたのは──"他でもない私だというのに"……

 

いったい、どの口が言っているんだろうか。

 

 気づけば、頬を伝う涙と降りしきる雨が混ざり合い、その境目さえ分からなくなっていた。体は小刻みに震え、涙は次から次へと溢れ出す。胸の奥に押し込めていた感情が堰を切ったように溢れ出し……もうどうすることもできなかった。

 

「うっ……うぅっ……ああぁぁぁぁぁっ……!」

 

 嗚咽は雨音を突き破るように夜の街へ響き渡る。私は、ただ雨に打たれながら子どものように声を上げて泣き続けることしかできなかった。

 

 

 ……どれほどそうしていただろうか。不意に、頭へ落ちていた雨粒が止んだ。

 

「寺へ参った帰りに、泣き声が聞こえるから来てみれば……」

 

 ゆっくりと顔を上げると、涙で滲む視界の向こうには幾本もの簪が雨空の下でもきらりと光り、豪奢な打掛を纏った一人の女性が静かに傘を差し出して立っていた。

 

「あんた、こんなところで泣いて……どうしたんだい?」

 




 
 最初の回想シーンはあくまで"ミコトの回想"であり、ヤチヨが彩葉に話している内容は自分が体験した江戸時代からのものになります。そのため、ヤチヨは自分がミコトに人助けを頼んだ結果、彼の身に何が起こったのかを、“まだ”知りません。
 過去ミコト「かぐやがこれ知ったら落ち込むだろうからなー……この話は黙ってよ」
 現在ミコト「ヤチヨが念願叶って酒寄さんと再会したんだし……この話は黙ってよ」

 この出来事でミコトがかぐやへの想いを自覚したり、かぐやのヤンデレ度合いがワープ進化したりするんですが……続きません。まあ、本編見ればわかるように、この後二人はちゃんと仲直りしました(お互いに肝心なところは話していない)
 かぐやも本来ならここまで聞き分けがないわけじゃないんですけど、あの女の子のセリフが過去の自分と重なってクリティカルヒットしてしまった感じですね。
 ちなみにこの時、ミコトは花さんという覚醒後彩葉みたいな性格した一人暮らしの女の子のもとで野良猫みたいに保護されていました。
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