「多目的室?」
「はい、今日の放課後に使用させていただきたくて」
小鳥のさえずりが聞こえる朝7時ごろ、職員室にて。
担任の男性教師・
「他に使う予定はないから問題はないと思うけど……何に使うのかな?」
「部活に使おうと思いまして」
「部活? 部活というと確か、サッカー部?」
「はい」
「そうか……」
一条はかけている眼鏡をかけ直し、少し悩むそぶりをみせる。
「サッカー部って、今年人数不足で出られないじゃなかったっけ?」
「あはは……それが、もしかしたら出場できるかもしれなくて。その、連合チーム、になるかもしれないんですけど」
連合チームねぇ、と腕を組んで一条が言う。
「取り組みは立派だと思うけど、そこまでしてサッカーに入れ込まなくてもいいんじゃない? 雨楽さんの事だから心配ないけど、もう受験生だからね。今から学業に集中すれば難関校でも十分に進学できると思うけど……サッカーだって、高校に入ってからでも出来るわけだし……」
「私が勉強を頑張ってるのは、行きたいと思ったところに行くときに不自由したくないだけですから。背伸びしても後から苦しくなるだけですし」
―――意外としっかりしているというか、意志が固いというか。
自分の芯を持っているんだよな
心の中で少し感心する一条に対して、雨楽は言葉を続ける。
「それに私、証明したいんです」
「証明?」
「はい。群青中サッカー部にいてくれる選手はちゃんと強いんだぞって」
証明というか、自慢に近い感じなんですけどね。
雨楽が困ったように笑みを浮かべる。
「……そうか。先生、ちょっと余計な事を言ってしまったかもな。すまん! 他の先生には多目的室の事伝えとくな!」
「はい。よろしくお願いします。では、失礼しました」
最後まで礼儀正しく、雨楽は職員室を後にしていった。
「ね、さっきの雨楽さん、なんか楽しそうじゃなかったですか? ワクワクしてる表情してたっていうか、いつもよりもテンション高めだったように見えたんですけど」
雨楽がいなくなったタイミングを見計らってか、他の机に向かって座っていた恋愛ドラマ好きの後輩がニマニマと笑みを浮かべながら一条の元に駆け寄ってくる。
「雨楽さんが? まぁ試合ができるって言ってるんだからそれが原因じゃない?」
後輩はちっちっち、と舌を鳴らす。
「分かってない、分かってないですよ一条さん! あんなの恋に決まってるじゃないですか!」
「また突拍子のない話を……同じ部活の奴ともそんな雰囲気なかったし、クラスメイトともいつも通りに接していた気がするけど」
「えー、じゃあアレですよ! 幼いころ片思いだった相手と偶然再会して、昔の感情が燃え上がってきたとか、そういうの!」
……ないな。
一条が鼻で笑うと、後輩からわき腹をつつかれた。
◇
校舎から出た雨楽は部室まで小走りで駆けていく。
朝。バランスよくご飯を食べて、家を出る。
お気に入りの折り畳み傘はいつも鞄の中にしまっておく。それとは別に、もう2人分。
そして誰よりも早く部室に来て鍵を開ける、それが普段の雨楽潤の日課だ。
いつもはそう、なんだけど。
「みんな……もう来てるかな」
今日は朝にどうにも用事があって来るのが遅れてしまった。
誰かが立ち往生していないといいのだけれど。
部室の前まで行くと、まだ誰もいない様子だったので雨楽はほっと安堵した。
ちょっとだけ上がった息を整える内に昨日の出来事が蘇る。
快晴君と対決するのならその時は、お互い悔いのないよう全力で戦おうと思っていた。
でもあんな事があって、私たちも試合に出られないかもしれなくて。
―――それがまさか、一緒に戦おうだなんて。
緩みかけた頬をつねる。
最低だ。お互い苦肉の策なのに、この状況をどこか嬉しいと思ってしまう自分がいる。
でも私個人の感情は置いといても、皆の実力を証明できる機会だ。
部長として、こんな機会を見逃すわけには……いやでも、反対意見とか来るかもしれないし、私そういう時にちゃんと堂々と出来るかなぁ。
ふと、雨楽の視線が部室のドアノブに突き刺さる。
……そういえばこのドアノブって、快晴君が触ったんだよね。
あれ、触っていないんだったっけ? 仮に触ったとしても別に体温が残っているとか香りがついているとかそういうわけでもないし。
…………でも最後に閉めたのって昨日の私だから、少しくらい快晴君の指紋とか触った形跡が残ってても―――。
「おはようございます、雨楽先輩」
「わひゃああ!? わ、私何もしてないです!! や、や、や、や、やましい事なんて、なんにも!!」
「……どうしたんですか、らしくもない。俺ですよ、俺」
オレンジのショートヘアーをした青年が至って冷静に返す。
「れ、
いわゆる弱小と呼ばれる群青中が誇るエースストライカーだ。
去年も初戦敗退の中、唯一の得点を挙げてくれた二年生だ。
素っ気ない態度と頬の傷のせいで避けられがちだが、雨楽は彼の事をよく知っている。
復帰してからずっと一番に朝練に参加してくれていること。
中々部員の集まる見込みのないこの部活の勧誘活動に根気強く参加してくれていること。
ちょっとぶっきらぼうかもしれないけれど、彼は心優しい人間だ。
一時期部に来ない時期もあったけれど、サッカーへの熱は誰にも負けていない。
今では部に戻って戦ってくれている頼りになるFWだ。
「何を言ってるんですか。一番先に来てるのは雨楽先輩の方でしょう」
「わ、私? 私は、ほら……部室を開けることくらいしかしてないから」
火威が深いため息を吐く。
「雨楽先輩はもっと自分の貢献度に自信を持つべきです。貴女がいなければこの部活はとうの昔に空中分解していてもおかしくないんですから」
「そ、そうかなぁ……?」
「……というか、それより。いつまでドアノブを握ったままじっとしているんですか」
「えっあっごめんね!? 大した意味はないんだよ!?」
「ドアノブごときに大した意味があるとは思いませんよ。失礼します」
火威がドアを開ける。
その先には部活動の跡を残す、いつも通りの古びた部室が広がっている。
「……掃除しておかないと、だね」
今後は来客の機会が増えるかもしれない。
そうなると部室の掃除もしておかないと、とつい心の声がそのまま漏れてしまった。
「……?? 掃除もいいですけど、まずは勧誘が第一優先でしょう。今年こそ勝つために、今はとにかく部員集めしかないですよ。今日も勧誘するんですよね? 俺も協力しますから」
「……う、うん。そのことなんだけどね」
「大体、朝練だって強制してしまえばいいんですよ。『来たい時でいいよ』って、雨楽先輩の優しさに甘えてこない人もいるし……。先輩の優しいところは俺が良く知ってますけど、優しいばかりじゃ意味がないですからね? 俺が今度がつんと言ってきてやりましょうか?」
「それは……皆怖がっちゃうかも。それぞれ事情があるわけだし」
朝にちょっと弱い子。家を出発する前の占いを見たい子。
他のからすれば顔をしかめられそうな理由だが、それでも普段の練習にはきっちり来てくれているし、非凡なものを見せる子たちだっている。
勝ちたい気持ちに偽りはない。
けれど、サッカーの事は好きでいてほしいと思う。
そういう子たちに息苦しい思いはしてほしくない。
「じゃ、俺外で着替えてくるんで」
「あ、別に遠慮せずここで着替えても……」
「……いや、流石にそれは。気まずいです、お互いに」
そう言って火威が去っていき、部室は再び一人となる。
せめて見栄えだけでもと思って、雨楽は落ちている埃を箒で払い、サッカー雑誌もほぼ順番通りに並べていく。
これくらいしかできないけれど、それでも部室が綺麗であれば部員が入ってくる可能性も上がるかもしれない。
……それでも、部室くらいしか残せるものがないと言われると皆はどう思うだろうか。
(……残したいな)
物理的なものでなくとも、経験とか、試合の機会とか、そういうものを部活の皆に残したい。
だったら、私の選ぶべきは……
『おっはーれんじ!』
『おはようございます。あと俺、「れんじ」じゃなくて「れん」ですからね』
何やら部室の外から元気な声が聞こえてくる。
この声と聞きなじみのある会話は……どうやら
「おっはよーじゅんっち!!」
「わっ」
むぎゅ。
そんな擬音が聞こえてきそうな勢いで少女が雨楽に抱き着いてきた。
日に焼けた肌、健康的なプロポーション。朝の太陽が彼女の茜色の髪をより一層きらめかせている。
雨楽は大事なものをそっと包むように、抱き着いてきた少女の背中をぽんぽんと優しく叩く。
「おはよ、ひーちゃん」
雨楽が微笑むと、ひーちゃんこと
「ねぇねぇ、今日の練習なーに!?」
ふんすふんす、と期待のこもった目で巳波が雨楽に強い視線を送る。
「ひーちゃん、まだ朝だからちょっと音量抑え目にね……。今日は、うーんそうだなぁ。いつも通りになっちゃうけど、ストレッチして私と1対1で勝負するとか……あとは蓮君のシュートを止める練習とかがいいかな」
群青中の朝練のメニューは部員が自分たちで考えている。
顧問の先生も朝練の許可を取ってくれているが、元々サッカーをしていたわけではないので練習のメニューは自分たちで考える他ないのだ。
幸いにも、チームのブレーンである一人の選手がそういった練習メニューに関して積極的に案を出すことでひとまず練習内容は落ち着いている。
……ただ、やはり停滞感が否めない。
個々にそれぞれポテンシャルのある選手はいれど、それを活かしきれていないのはきっと自分の責任だろうと雨楽は思っている。
練習を考えてくれている
頼りすぎるとパンクしてしまうかもしれないという懸念もある。
チームを強くするには、勝ち進んで多く試合をしていくためには優れた指導者が必要だ。
試合に出るためには人数だって必要だ。ただの数合わせではなく、勝ちたいと心の底から思ってくれる選手が。
―――それに私は、快晴君を……。
……うぅん、これは私の心にしまっておくべきだ。
私の個人的な感情を吐きだしたところで皆きっと迷惑だろう。
「オッケー! そうとなったら早速勝負を……」
「ねぇ、ひーちゃん」
「ん? なになにどしたん??」
「やっぱり、皆試合に出たいよね」
巳波はきょとんとまばたきをして、それから段々眉間にしわを寄せて考える仕草を見せる。
「う~ん……アタシは楽しければ割とどっちでもいいな。れんじ*1は試合に出たいだろうし、
「……うん、やっぱりそうだよね」
「あ、でもでも!!」
「?」
「じゅんっちが楽しい方、悲しまない方が絶対いいなって思う!!」
……悲しまない方。
私が、後悔しない方に。
雨楽がそっと巳波の髪を撫でる。
くすぐったそうに巳波が笑う。
「ありがとう、ひーちゃん。私、決めたよ」
「決めた? 決めたって何を??」
「
「??? うん、わかったぁ!」
元気な声を返すが、多分伝わっていないだろうな、と雨楽は付き合いの長さ故に思った。
まぁ、内緒と釘を刺しておいたから大丈夫だろう。
ひーちゃんの事だから内緒ごとは守ってくれるだろう。
意図せずうっかり話しちゃうかもしれないけれど。
「ふぁあ……おはざーっす」
4人目の来訪者、伸びた茶髪が寝癖のように立っている青年があくびをしながら部室に入ってくる。
最近入部してくれたチームの若き守護神だ。
「おはよう
「おっはー、がんつ*2!」
「あ、おはようございます先輩方!! 朝から目の保養ありがとうございますっ!!」
声をかけられた途端、岩田はぴしりと背筋を整え勢いよく頭を下げる。
「メノホヨウ……??」
「あ、あはは……」
首をかしげる巳波の様子に雨楽は苦笑するほかない。
「今日は、もしかして蓮君に誘われたのかな?」
「あ、はい! まさにそうっす!! 火威先輩がキーパー練習に付き合ってくれるっつーんで早起きしました!」
なるほど、と雨楽は思った。
確かに蓮君は他の後輩、とりわけ岩田君に対してはよく面倒を見てくれている。
岩田君もやる気は十分だし、良い先輩後輩の関係を築けている。
「最近ゴールキーパーとして調子いいんすよ! いや~早く試合をしてみたいっす! そしたら、いよいよ俺もハットトリック? を決められるんじゃね? って思うんすよ!!」
「うーん……ゴールキーパーにハットトリックは無理じゃないかなぁ」
「というかがんつ、ハットトリックが何か知ってる?」
「えっ、知らんっすけど。ま、とりあえず活躍しまくればいいんでしょ? 不可能なんてねぇ! 俺になら出来る!」
「……後でハットトリックの意味を教えてあげるね。うん、それじゃあいこっか、練習」
その朝、いたくショックを受けた様子の岩田が目撃されたという。
今回は火威君、巳波ちゃん、岩田君の三人に登場していただきました。
顔見せ回は大体これくらいのペースで進んでいくと思います。
後はキャラクターがぶれていないか不安ですね。
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