球磨川禊VSルルーシュ   作:stein0630

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『最高に失礼だ』

 

球磨川の声は、拍子抜けするほど柔らかかった。

 

だが、その柔らかさが、講堂の空気を余計に冷やした。

 

ヴァイスは表情を崩さない。

 

「失礼?」

 

『うん。だってさ』

 

球磨川はマイクを指先で軽く回した。

 

『きみ今、“僕はもう理解済みです”って顔してるだろ。分類表の外じゃない、中にいる、管理済みだ、失敗例だって。そうやって、相手がどこに置かれるかを先に決めてから喋るの、すごく選ぶ側っぽくて好きだよ』

 

「言葉遊びだな」

 

『違うよ』

 

球磨川は笑う。

 

『言葉遊びっていうのは、遊んでいい場所でやるから遊びなんだ。きみは今、人を片づけるために言葉を使った。だからそれはただの仕事だろ』

 

客席がざわつく。

 

ヴァイスの発言は刺激的だった。だが球磨川の返しは、その刺激を“情報”ではなく“態度”の問題へ変えてしまう。何を知っているかより、どういう位置から知ったふりをしたか。その瞬間、相手の優位が少しだけ濁る。

 

「片づける」

 

ヴァイスは反復した。

 

「そう見えるのなら心外ですね。私は、既存制度で扱えない事例を、扱えないと認識しているだけです」

 

『うわあ。もっと悪い』

 

球磨川は本当に楽しそうだった。

 

『それって、“僕たちは万能じゃないから、この人は例外なんです”って言ってるだけだろ。優秀な人が無能を認めるときって、だいたい一番傲慢なんだよね。自分が理解できないものを“理解不能”って名前で棚に上げれば済むと思ってる』

 

講堂の後方で、誰かが小さく笑った。緊張に耐えきれず漏れた笑いだ。だが、そういう一滴が場の重心をずらす。

 

ヴァイスは、その微細な変化まで聞いている顔をした。

 

「では、君は何なのです?」

 

『知らないよ』

 

即答。

 

『僕、自分が何者かなんて、きみに説明したくて生きてるわけじゃないし』

 

「説明できない、の間違いでは?」

 

『うん、半分はそうかもね』

 

球磨川はあっさり認める。

 

『でも、説明できないことと、きみに定義されていいことは別だろ』

 

ルルーシュは、その応酬を冷静に見ていた。

 

球磨川は食らった。確かに一度、食らった。だが立て直しも早い。むしろ、一瞬食らったからこそ、その後の反発に熱が出た。

 

熱は武器になる。

 

だが、熱が出たときの球磨川は危うい。言葉のねじれが、相手だけではなく場そのものへ走る可能性がある。

 

ヴァイスがそれを読めないはずがなかった。

 

「なるほど」

 

彼は静かに頷く。

 

「やはり、君はここにいるべきではない」

 

客席がざわつく。

 

その台詞は強すぎる。露骨だ。だが露骨である以上、意図もある。

 

『へえ』

 

球磨川の笑みが深くなる。

 

『排除宣言? 親切だなあ。ようやく本音が出てきた』

 

「違います」

 

ヴァイスは淡々と否定した。

 

「ここは制度の是非を論じる場です。しかし君は制度に対して責任を負えない。責任を負えない者の過剰な言葉は、時に救済をも破壊する」

 

『責任』

 

球磨川が反復する。

 

『いい言葉だよね、それ。誰かを黙らせるのに便利だから』

 

「便利ではなく必要です」

 

『違うなあ』

 

球磨川はマイクを置いた。

 

置いてから、両手を机の上に投げ出すみたいに広げた。まるでやる気のない生徒の姿勢だ。なのに、そこへ集まる視線は逆に増える。

 

『責任ってさ、取る人間が持つもんじゃないんだよ。取らせる側が持たせるもんなんだ。だから、偉い人が“責任を負えるのか”って言い出した瞬間って、だいたい“お前には喋る資格がない”の言い換えだろ』

 

保護者席が動く。教師席も揺れる。

 

ヴァイスは表情を変えないが、少しずつ場が球磨川の文脈へ寄っているのを理解しているはずだ。

 

なら、ここで次の手を打つ。

 

ルルーシュはマイクを取った。

 

「議論を戻す」

 

声を落としすぎず、上げすぎず。場を切る声だ。

 

「問題は球磨川禊の定義ではない。本制度が、定義を隠したまま人を選別しうる構造にあることだ」

 

ヴァイスが視線を向ける。

 

ルルーシュは続けた。

 

「行政局側は、対象範囲を確定できず、基準を公開できず、名簿流出の責任所在も明示できていない。その状態で、当事者に従属だけを求めるのは手続として無効だ」

 

「無効、ですか」

 

ヴァイスは少しだけ興味深そうに聞き返した。

 

「学園生徒会長に、行政局運用を無効とする権限が?」

 

「あるかないかで言えば、ない」

 

客席がざわめく。ヴァイスの口元がわずかに動く。自滅に見せたいのだろう。

 

だがルルーシュは止まらない。

 

「だが、無効と宣言することはできる」

 

一拍。

 

「学園自治実験の議長として、この制度の学内運用協力を拒否する。少なくとも、基準非公開・対象不確定・外部監査不在の三点が解消されるまでは」

 

ざわめきは拍手へ変わりかけ、だが完全にはならない。まだ迷っている。行政局への恐れと、言い切ってくれた快感の間で。

 

ヴァイスはそこへ冷たく杭を打つ。

 

「拒否した結果、学園が実験区指定を外され、より直接的な管理下へ置かれても?」

 

いい問いだ、とルルーシュは思った。

 

制度協力を拒めば、制度の外からもっと悪い制度が来るかもしれない。それは現実的な脅しであり、単なる脅しではない。

 

そして、ここで安易に「それでも拒否する」と英雄ぶれば、保護者や教師の一部は離れる。守りたいものがある人間ほど、破局を正義では測れない。

 

数秒。

 

その数秒で、真正面の球磨川が笑った。

 

『ねえ、生徒会長』

 

ルルーシュは視線だけで応じる。

 

『今の質問、いい問題だよね』

 

「……そうだな」

 

『答え方、間違えるなよ』

 

上から目線だ。腹立たしい。だが正しい。

 

ルルーシュはマイクを握り直した。

 

「直接管理下へ置く、というのが脅しでないなら、なおさら今日の議論が必要になる」

 

ヴァイスの目が少し細くなる。

 

「脅しとは言っていません」

 

「言外の話だ」

 

ルルーシュは冷静に返す。

 

「だが、当事者にとっては言外も制度の一部だ。拒否すれば悪化する、従えば説明は後回しでいい。そうやって選択肢を細くするやり方そのものが、今ここで問題にされている」

 

客席の空気が少し戻る。

 

「私は拒絶しているのではない」

 

ルルーシュは続けた。

 

「条件を要求しているだけだ。基準を示せ。対象範囲を示せ。記録を外部と共有しろ。最低限の透明性を満たせば、議論は続けられる」

 

「満たさなければ?」

 

ヴァイスが聞く。

 

「協力しない」

 

今度こそ、拍手が起きた。

 

断片的だが確かな拍手。保護者席から強い。教師席からも混じる。生徒席は少し遅れて追随した。

 

ヴァイスは、その拍手を受けながら、ルルーシュではなく球磨川を見た。

 

「満足ですか?」

 

『全然』

 

球磨川は言った。

 

『だって今の、きみが負けてるわけじゃないだろ。単に“まだ押し切れないから一回引く”って顔してるだけじゃないか』

 

その言葉に、客席のざわめきが戻る。

 

ヴァイスが引いていない。そうだ。ここで条件を飲むふりをして、別ルートから再構築する可能性は十分ある。球磨川は、それを早すぎる段階で言葉にする。

 

ルルーシュは内心で舌打ちした。

 

正しいが、正しすぎる。

 

今は一度の後退でも「止めた」という実感が必要だ。相手の引き際まで暴いてしまえば、安堵は生まれず、ただ不信だけが増幅する。不信だけでは人は持たない。

 

ヴァイスは、そこを逃さなかった。

 

「そうですね」

 

あっさり認める。

 

「私個人としては、ここで結論を出す必要はないと思っています」

 

客席がざわつく。

 

「制度は再設計できる。名目も、手続も、窓口も変えられる。今日ここで皆さんが不快に感じた点は、いずれより洗練された形に置き換わるでしょう」

 

ミレイが小さく「最低」と呟いた。

 

最低だ。だが巧妙でもある。敗北ではなく学習だと宣言した。つまり、今日止めても、次はもっと見えにくくなると自白したに等しい。

 

球磨川が、そこでゆっくり笑った。

 

『ほらね』

 

その一言は、客席よりルルーシュへ向けられていた。

 

『やっぱり“綺麗に止める”だけじゃ足りないだろ?』

 

ルルーシュは答えない。

 

答えないこと自体が答えになる局面だった。

 

ヴァイスは立ち上がった。

 

「本日のところは、移送措置の保留を維持し、追加資料の扱いを再点検します。評議会の提案についても持ち帰り検討しましょう」

 

「文書で残せ」

 

ルルーシュが即座に言う。

 

「もちろんです」

 

「対象範囲の拡張は、その検討が終わるまで凍結すると明記しろ」

 

ヴァイスは一瞬だけ考えた。

 

「対象範囲の新規確定を凍結する、と表現しましょう」

 

『うわあ、嫌な言い換え』

 

球磨川が心底うれしそうに言う。

 

『“もう確定してるぶんは別だよ”って匂いしかしない』

 

ヴァイスは視線を向けた。

 

「言葉に敏いですね」

 

『きみほどじゃないよ』

 

「それはどうも」

 

二人の応酬は一見平坦だ。だが平坦な分だけ、不穏だった。

 

ルルーシュはそこで会議を畳みに入った。

 

「本日の評議会では、行政局側より移送措置保留および対象範囲新規確定凍結の文書化が約された。文書到着まで、学園側は個別移動・追加情報提供・非公開呼び出しへの協力を停止する」

 

客席へ視線を流す。

 

「教員、保護者、生徒、それぞれに確認する。今日ここで聞いたことを、聞かなかったことにはしないでほしい」

 

静まり返る。

 

「制度は、黙っている相手を好む。だからこそ、記録して、共有して、問い続ける」

 

そこまで言うと、客席の最前列にいた保護者の一人が立ち上がった。

 

「質問があります」

 

予定外だ。だが当然でもある。

 

司会教師が戸惑う前に、ルルーシュは頷いた。

 

「簡潔に」

 

四十代くらいの女性だった。強い顔だが、目の下に疲れがある。

 

「うちの子の名前、名簿にありました」

 

講堂が少し揺れる。

 

「今日保留になったとして、明日も大丈夫だと言えますか」

 

ルルーシュは即答しなかった。

 

この問いに安請け合いはできない。できないし、してはいけない。

 

「言えない」

 

正面から答える。

 

空気が張る。

 

「だが、今日よりはずっと見える場所に引きずり出した。だから明日同じことをするにも、向こうは今日より多く隠さなければならない」

 

保護者の女性は、それを聞いて唇を結んだ。

 

納得ではない。だが、嘘をつかれたとは思わない顔だった。

 

「もう一つ」

 

彼女は続ける。

 

「その子が、本当に“困っている側”だった場合はどうするんですか。制度が悪いとしても、困っていることまで嘘になるわけじゃないでしょう」

 

強い問いだ。

 

ヴァイスが黙って聞いている。球磨川も、珍しく茶化さない。

 

ルルーシュは、その質問を受け止めた。

 

「その通りです」

 

一拍。

 

「問題は、支援の名目で選別と移送が混ざっていることだ。本当に必要な支援まで否定してはならない。だから、学園側でも別に窓口を作る」

 

ミレイが一瞬こちらを見る。初耳だという顔だ。だが口を挟まない。

 

「生徒会、教員、保護者代表を交えた相談窓口を暫定設置する。行政局経由ではない形で、支援を必要とする声を受ける」

 

保護者の女性は、ゆっくりと座った。

 

いい返答だった。少なくとも、この場では。

 

だが横で、球磨川が小さく笑った。

 

『へえ』

 

またその声だ、とルルーシュは思う。

 

『ちゃんと作る側の返事するんだな』

 

会議が閉じる。

 

完全勝利ではない。制度は消えていない。相手は引いただけだ。だが、引かせた。記録も取った。時間も稼いだ。ここまでは上出来だ。

 

講堂から人が流れ出す。ざわめき、安堵、不安、興奮。どれも混じっている。

 

ヴァイスは席を立つ前に、球磨川へ一言だけ残した。

 

「また会いましょう」

 

『二度と会いたくないなあ』

 

「それは残念だ」

 

男は去った。

 

残された舞台の上で、ルルーシュはようやく息を吐いた。

 

『おつかれさま』

 

真正面から球磨川が言う。

 

「お前に労われる筋合いはない」

 

『そう? 今日は結構助けたぜ、僕』

 

「余計な火もつけたがな」

 

『火のないところに煙立てるの、難しいんだよ?』

 

「誇ることか」

 

『誇ってないさ。得意なだけ』

 

球磨川は立ち上がり、机の上に指で見えない何かを書くみたいに動かした。

 

『でも、面白かったな。きみ、やっぱりちゃんと王様だった』

 

「その呼び方はやめろ」

 

『じゃあ、皇帝?』

 

ルルーシュの視線が、そこでわずかに鋭くなる。

 

一瞬だけ。

 

球磨川は、その変化を見たのか見ていないのか、すぐに笑った。

 

『あはは。冗談だよ』

 

冗談にしては、刺さる場所を知りすぎている。

 

「……お前」

 

『うん?』

 

「どこまで知っている」

 

『いろいろ』

 

「その答えはもう聞いた」

 

『じゃあ、少しだけ増やそうか』

 

球磨川は舞台の縁まで歩いて、空になりかけた客席を見下ろした。

 

『きみが、すごく手っ取り早く全部を従わせられる類の人間じゃないかってこと』

 

ルルーシュは黙った。

 

『でも、それを僕に使う気はあんまりないってこともね』

 

「……なぜそう思う」

 

球磨川は振り返らない。

 

『簡単だよ』

 

静かな声だった。

 

『僕にそれをやっても、多分きみが一番知りたい答えは手に入らないから』

 

ルルーシュの目が細くなる。

 

球磨川は続けた。

 

『従わせるって、“言うことを聞く”だけだろ。でも僕みたいなの、言うことは聞けても、本当に聞かせたい部分は別にあるじゃないか。たとえば、何を見て、どこで傷ついて、どこで嬉しそうに壊れるかとかさ』

 

言いながら、球磨川はようやく振り向いた。

 

『きみ、そういうの知りたいタイプだろ? 人を使うにしても、ただ動かすんじゃなくて、“どういう理屈でその動き方を選ぶ人間か”を読みたいタイプ』

 

ルルーシュは否定しなかった。

 

球磨川は、そこで少しだけ目を細めた。

 

『だから使わない。少なくとも、まだね』

 

まだ。

 

その言葉が小さく刺さる。

 

「自信家だな」

 

『ううん。逆だよ』

 

球磨川は笑った。

 

『僕、自分が従わないって言ってるんじゃない。従わせられても、その勝ち方だときみがつまらないだろって言ってるだけ』

 

ルルーシュは、その瞬間に理解する。

 

こいつは見えていない。ギアスそのものは知らない。だが、人を強制で動かすという“種類の勝ち方”が自分との相性を悪くすることだけは、かなりの精度で読んでいる。

 

そして、それは正しい。

 

球磨川にギアスを使えば命令には従うだろう。評議会で黙らせることもできる。行政局への牽制に使うことも、不確定要素として封じることもできる。

 

だが、その瞬間に失われるものがある。

 

球磨川の言葉は、論理ではなく“歪みの出方”に価値がある。どういう侮辱に反応し、どういう矛盾に食いつき、どういう敗者性を武器にするのか。その生の揺れこそが、制度の隠しているものを暴く。

 

ギアスで従わせた球磨川は、役に立つ駒にはなっても、読める鏡にはならない。

 

そしてもう一つ。

 

もし球磨川のような人間に強制を使えば、それは単なる支配では済まない。こちらが今、制度へ向けている批判――分類し、理解したふりをし、相手の選択を奪うこと――を、自分自身が最も露骨な形でなぞることになる。

 

それはできる。できるが、やった瞬間に、この戦いの足場が一段崩れる。

 

少なくとも、今は。

 

「……勝手に人の考えを読むな」

 

ルルーシュはそれだけ返した。

 

球磨川は嬉しそうに笑った。

 

『当たってた?』

 

「外れてはいない」

 

『やったね』

 

まるで褒められた子供みたいな顔をする。その無邪気さが、逆に腹立たしい。

 

舞台袖からミレイが顔を出した。

 

「ちょっと二人とも。終わったあとまで不穏な会話しないでくれる?」

 

『してないよ』

 

「してるのよ」

 

ミレイは呆れた顔で近づいてきた。

 

「保護者代表と教員代表、別室で話したいって。あと、今日の録音データも整理が必要」

 

「分かりました」

 

「それと」

 

ミレイは球磨川を見る。

 

「あなた、しばらく単独行動しないで。嫌な予感がする」

 

『優しいなあ』

 

「優しくないわよ。あなた、放っておくと自分から危ないところに寄っていくでしょ」

 

『寄っていくっていうか、向こうから寄ってくることも多いんだけど』

 

「どっちでも同じ」

 

ミレイは即答した。

 

ルルーシュはそのやり取りを聞きながら、講堂の出口のほうを見た。

 

既にヴァイスの姿はない。

 

だが、去り際にあの男が何を持ち帰ったかは分かる。学園側の反発の強さ。ルルーシュの交渉スタイル。球磨川禊の位置づけ。そして何より、“一度止まった”という事実の原因についての不自然さ。

 

あの男は、必ず掘る。

 

「ミレイ先輩」

 

「なに?」

 

「今日以後、行政局側と接触した教員、生徒、保護者の記録を取ってください」

 

「報復を警戒してるのね」

 

「ええ」

 

『へえ』

 

球磨川が笑う。

 

『きみって、本当にちゃんと怖がるんだな』

 

「怖がらない人間は死ぬ」

 

『違う違う』

 

球磨川は首を振る。

 

『怖がる人間は、たいてい自分だけが死ぬ。でもきみは、他人がどこで巻き込まれるかまで怖がるだろ。そこ、結構珍しいよ』

 

「分析はもういい」

 

『そう? 面白いのに』

 

講堂の外へ出る。

 

廊下は少し静かになっていたが、まだ各所で小さな輪ができている。議論。噂。確認。泣きそうな顔。怒っている顔。今日一日で学園の空気は変わった。元には戻らない。

 

その変化を眺めながら、球磨川がふいに言った。

 

『でもさ、生徒会長』

 

「何だ」

 

『今日のきみ、結構危なかったよね』

 

「何がだ」

 

『一回、すごく楽なほうに行きかけた』

 

ルルーシュは立ち止まらなかった。

 

『でも踏みとどまった』

 

球磨川の声は妙に軽い。

 

『偉い偉い。そういうの、好きだな』

 

「お前の好みを知る必要はない」

 

『知ってるくせに』

 

知っている。少なくとも断片は。

 

球磨川は、正しさそのものではなく、“正しさを疑いながらなお使う人間”に興味を持つ。綺麗事を信じる者より、綺麗事の汚れを知っている者のほうを面白がる。

 

最悪の観客だ。

 

そして、その最悪の観客を前にして、自分は一度ギアスを使った。ヴァイスではなく女へ。あれを球磨川は感じ取っている。確証はなくとも、違和感としては掴んでいる。

 

なら、次はもっと慎重に使わなければならない。

 

使うなら、意味ごと上書きできる場面だけだ。

 

廊下の突き当たりで、ニーナが駆け寄ってきた。

 

「ルルーシュ」

 

「どうした」

 

「録音のバックアップを確認してたら、評議会開始前の舞台袖側マイクに妙な音が入ってる」

 

「妙な音?」

 

「声が二つ。ヴァイスと、誰か」

 

ルルーシュの目が細まる。

 

「誰だ」

 

「分からない。男。かなり小さい。でも……」

 

ニーナは言い淀んだ。

 

「“一度でも止まった原因を特定しろ”って」

 

空気が、また少し冷えた。

 

やはり来た。

 

ヴァイスは、移送中断そのものより、その原因を掘っている。

 

球磨川が、横で楽しそうに笑った。

 

『あーあ』

 

「笑っている場合か」

 

『笑うだろ。だって面白いじゃないか』

 

「何がだ」

 

球磨川は、少しだけ顔を傾けた。

 

『きみの“手っ取り早さ”が、今から誰かにとって一番知りたい秘密になるってことだよ』

 

その言葉を聞いた瞬間、ルルーシュは静かに理解する。

 

今日の評議会は、一つの勝負が終わった場ではない。

 

むしろ、ここから始まるのだ。

 

制度を止める戦いと並行して、もう一つ。

 

自分の切り札が、どの程度まで“ただの交渉術では説明できないもの”として観測され始めているのかを巡る、別の頭脳戦が。

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