球磨川禊VSルルーシュ   作:stein0630

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ヴァイスが去った廊下には、引き潮みたいに人の気配だけが残っていた。

 

相談室の扉は半開き。椅子の脚がずれたまま。紙コップの水は飲み残され、記録用紙の端は微妙に折れている。何も起きていないふりをするには、あまりにも生々しい散らかり方だった。

 

『最高じゃないか』

 

球磨川が嬉しそうに言った。

 

「お前だけだ」

 

ルルーシュは短く返した。

 

だが、その声音にいつもの余裕は薄い。球磨川も気づいたらしく、楽しそうに首を傾げた。

 

『へえ。珍しく本当に嫌そうだ』

 

「嫌に決まっている」

 

「ルルーシュ」

 

ミレイが低い声で呼ぶ。

 

「保護者代表と教師側の数人、すぐ話したいって。面談の記録を止めたい人と、逆にもっと公開したい人で割れてる」

 

「想定内です」

 

「それだけじゃないわ」

 

ミレイは少しだけ言い淀んだ。

 

「三番目の部屋の録音、東雲側が一時提出拒否してる」

 

球磨川が吹き出した。

 

『うわあ。壊れたの、自覚あるんだ』

 

「当然だ」

 

ルルーシュは即答した。

 

「一番渡したくないのが三番目になる。なら、そこが一番価値がある」

 

「どうする?」

 

「回収する」

 

ミレイが眉を上げる。

 

「強気ね」

 

「強気ではない。向こうが一番嫌がるものをこちらが欲しがるのは、普通だ」

 

『詐欺師だなあ』

 

球磨川がしみじみ言う。

 

「褒めていないのは分かっている」

 

『でも褒めてるよ』

 

廊下の先から、慌ただしい足音が近づいてきた。リヴァルだ。息が上がっている。

 

「ルルーシュ! 校門の外、記者が来てる!」

 

「どこの」

 

「学園新聞とかじゃなくて、ちゃんとした外の。昨日の保護者経由かな。あと、ネットにも“選別面談”って単語がもう出てる」

 

ミレイが小さく口笛を吹いた。

 

「早い」

 

「早すぎるくらいです」

 

ルルーシュは一瞬で計算を組み替える。

 

外部の目は盾になる。だが同時に、場の主導権を奪う。こちらが意図した公開と、外から消費される炎上は違う。違うが、もう分けてはいられない。

 

「リヴァル、外には“本日の面談は中止、詳細は午後に文書で説明予定”とだけ伝えろ。推測で喋るな」

 

「了解」

 

「誰が話したがっているかだけ一覧にしてくれ。保護者、教員、生徒、全部だ」

 

「分かった」

 

リヴァルが走り去る。

 

球磨川が、廊下の壁に背を預けたまま言った。

 

『面白くなってきたねえ』

 

「面白がるな」

 

『無理だよ。だって昨日までは学園の中だけで完結するはずの話だったのに、もう外が覗いてる』

 

その言い方が妙に引っかかった。

 

覗いている。介入しているではなく、覗いている。

 

ルルーシュは球磨川を見る。

 

「何が言いたい」

 

『別に』

 

球磨川は笑った。

 

『たださ。外から見られると、制度って急に恥ずかしがるだろ。でも本当に面白いのって、恥ずかしがる制度じゃなくて、“見られてる前提で上品に振る舞い始める制度”なんだよね』

 

「ヴァイスのことか」

 

『うん。あの人、絶対そっちだ』

 

ミレイが苛立たしげに腕を組む。

 

「嫌ね。つまり、もっと感じのいい悪役になるってこと?」

 

『そうそう』

 

球磨川は嬉しそうだった。

 

『“強制じゃありません、選択です”“分類じゃありません、支援の優先順位です”“移送じゃありません、環境変更です”って、だんだん日本語が綺麗になっていく』

 

ルルーシュは、その未来図を嫌というほど正確に想像できた。

 

制度は正面から殴られて学ぶ。だが学んだ結果、善くなるとは限らない。むしろ、より反発されにくい顔を覚えるだけのことがある。

 

「なら、その前に固定する」

 

ルルーシュは言った。

 

「昨日と今日の言葉を、逃げられない形で残す」

 

ミレイが頷く。

 

「保護者会、教師代表、生徒会、三者連名で?」

 

「足りない」

 

ルルーシュは即答した。

 

「面談参加者本人の短い陳述も欲しい。向こうの文言より、聞かれた側の違和感を記録にする」

 

『へえ』

 

球磨川が笑う。

 

『きみ、ほんとにちゃんと“見た側”を増やすんだな』

 

「お前は減らしたいのか」

 

『まさか。増やしたほうが壊しやすいだろ』

 

「最低だな」

 

『知ってる』

 

そのとき、第三相談室の奥から、わずかな物音がした。

 

誰かいる。

 

ルルーシュはすぐに扉へ向かった。中にはもう誰もいないと思っていた。だが、記録補佐の女が、机の脇に膝をついて何かを探していた。顔色はまだ悪い。

 

ルルーシュが入ると、彼女はびくりと肩を揺らした。

 

「……何をしている」

 

「メモを」

 

「メモ?」

 

女は床の下を見たまま答える。

 

「落としました」

 

球磨川が後ろから覗き込む。

 

『へえ。面談中の私的メモ?』

 

女の指が止まる。

 

ミレイがルルーシュの横へ来て、柔らかい声で言った。

 

「見つかった?」

 

女は答えない。

 

代わりに、ルルーシュの視界の端が、一枚の小さな紙片を捉えた。机の脚の下に半分入り込んでいる。

 

彼はしゃがみこみ、先に拾った。

 

女が、明確に顔色を変える。

 

紙片は雑だ。公式記録用紙ではない。個人メモだ。

 

そこに走り書きで、いくつかの語句が並んでいる。

 

――自己位置づけの揺れ

――定義拒否強

――誘導質問を逆利用

――敵意より観察欲

――「生徒会長」への帰属反応あり

 

最後の一行で、ルルーシュの目が止まる。

 

球磨川が横から覗いた。

 

『うわ』

 

楽しそうだった。

 

『ちゃんと見られてるなあ、僕』

 

ミレイが顔をしかめる。

 

「何これ。研究対象じゃないのよ」

 

女が小さく言った。

 

「補助記録です」

 

「誰の指示だ」

 

ルルーシュの声は低い。

 

「東雲補助官の」

 

「提出先は」

 

女は答えない。

 

ルルーシュは、その沈黙を半分肯定として受け取った。

 

ヴァイスまで上がる。

 

当然だ。

 

球磨川はメモを見ながら、やけに楽しそうに首を傾げた。

 

『でも、最後のやつは間違ってるかな』

 

「何がだ」

 

『“帰属反応あり”ってとこ』

 

ルルーシュは視線を向ける。

 

球磨川は、笑みのまま言った。

 

『帰属じゃないよ。もっと嫌なやつ』

 

記録補佐の女が、そこで初めて球磨川を正面から見た。観察対象を見る目ではない。少し怯えた目だ。面談で壊れたのは東雲だけではなかったらしい。

 

ルルーシュはメモを折りたたむ。

 

「これは預かる」

 

「困ります」

 

女が反射的に言った。

 

「困る?」

 

ルルーシュは冷ややかに繰り返す。

 

「なぜだ」

 

「内部記録なので」

 

「内部で済ませるつもりか」

 

女は口を閉ざした。

 

ミレイがため息をつく。

 

「もう駄目ね。こういう“うっかり本音が見えた紙”って、一番外に出したくなる」

 

『分かる分かる』

 

球磨川が嬉しそうに同意する。

 

『だって、綺麗な制度っていつも最初に“人をどう見てるか”を隠すからさ』

 

ルルーシュは、そこで決めた。

 

「これも写す」

 

ミレイを見る。

 

「保護者代表に回してください」

 

「了解」

 

「待ってください!」

 

女の声音が少し上ずる。

 

「それは、個人の……」

 

「個人の何だ」

 

ルルーシュは問い詰める。

 

「感想か? メモか? 観察か? 分類か?」

 

女は何も言えない。

 

ルルーシュは静かに言った。

 

「自分たちが人を見る言葉だけは非公開でいたい、というのなら、それこそ今日の問題の縮図だ」

 

沈黙。

 

球磨川が、そこでくつくつと笑った。

 

『ねえ、生徒会長』

 

「何だ」

 

『今の、結構いいね』

 

「講評はいらない」

 

『でも本当に。きみ、最近ちょっと僕の好きな種類の嫌な奴になってきた』

 

「最悪の評価だな」

 

『褒めてるんだけどなあ』

 

第三相談室を出る。

 

廊下の空気は、さっきよりさらに張っていた。面談が中止になった話が広がっている。保護者たちの表情は一様ではない。安堵、怒り、不信、そして一部には妙な高揚もある。制度が止まる瞬間を見るのは、当事者であっても感情を歪める。

 

「午後の文書、どうする?」

 

ミレイが聞く。

 

「二本立てです」

 

ルルーシュは答えた。

 

「ひとつは事実関係だけ。面談の中止、録音保存、記録共有要求。もうひとつは、質問内容の傾向分析。こちらは内部配布に留める」

 

『あれ』

 

球磨川が言う。

 

『外に出さないんだ』

 

「全部を一度に外へ出すと、向こうが“悪意ある切り取り”で逃げる」

 

「へえ。珍しく我慢するんだ」

 

「我慢ではない。順番だ」

 

球磨川は、その言葉にだけは少し反応した。

 

『順番、ねえ』

 

嫌いそうな響きだった。

 

ルルーシュはそれを承知で続ける。

 

「今は面談の中止を、向こうの後退として固定するほうが先だ。観察メモまで一緒に出せば、向こうは“担当者個人の不適切メモ”に矮小化してくる」

 

「まあ、それはしそうね」

 

ミレイが頷く。

 

「で、固定してから次に刺す」

 

「そうです」

 

球磨川が少し黙り、それから笑った。

 

『偉いなあ』

 

「何がだ」

 

『ちゃんと勝ち方が汚い』

 

ルルーシュは返さなかった。

 

その代わり、少し離れた窓の外を見た。校門の向こうに、確かに報道車両らしき影が一台止まっている。まだ本格的な取材陣ではない。だが時間の問題だ。

 

今ここで必要なのは、熱を失わず、燃やしすぎず、向こうに整理の時間だけは与えないこと。

 

そのとき、廊下の端から小さな声がした。

 

「すみません」

 

昨日、評議会で質問した保護者の女性だ。今度は一人ではなく、もう二人別の保護者を連れている。

 

「保護者側で、独自に記録をまとめたいんです」

 

ルルーシュは即座に頷いた。

 

「歓迎します」

 

「ただ」

 

女性は球磨川をちらりと見る。

 

「この子の扱いだけ、決めておいたほうがいいと思う」

 

球磨川が口を尖らせた。

 

『ひどいなあ。荷物みたいに』

 

「半分は荷物でしょ」

 

ミレイが即答する。

 

保護者の女性は続けた。

 

「さっきの面談、たしかにこの子が壊した。でもそのせいで、向こうがこの子を中心に見始めるなら、制度の問題が“変わった一人の問題”にすり替わる危険もある」

 

ルルーシュは、それを聞いて短く息を吐いた。

 

まったくその通りだ。

 

そして厄介なことに、その危険性はさっきから自分も考えていた。

 

球磨川禊は強い。だが強すぎる異物は、時に制度の醜さを隠す。全部を「アイツが変だから」で処理させる免罪符にもなりうる。

 

「どうすればいいと思いますか」

 

ルルーシュが問うと、女性は少しだけ考えた。

 

「この子一人に代表させないことです」

 

球磨川が笑う。

 

『へえ。僕、代表っぽい?』

 

「っぽいじゃない。目立つの」

 

女性はきっぱり言った。

 

「目立つ人を中心に据えると、あとから“特殊事例への対応だった”って言われる。うちの子みたいな、もっと普通に怯えてる側が見えなくなる」

 

ルルーシュは頷いた。

 

その通りだ。

 

「ありがとうございます。重要です」

 

女性は会釈して去った。

 

球磨川は、その背中を見ながら、面白そうに言った。

 

『嫌われてるね、僕』

 

「違う」

 

ルルーシュは言う。

 

「お前が便利すぎるんだ」

 

球磨川が、そこで一瞬だけ目を細めた。

 

『へえ』

 

「向こうにとっても、こちらにとってもな」

 

『なるほど』

 

笑う。

 

だが、その笑みの奥でほんの少しだけ、別の温度が混じった気がした。

 

「……何だ」

 

『いや』

 

球磨川は肩をすくめる。

 

『便利って言われるの、ちょっと久しぶりだなと思って』

 

その一言は軽い。だが、なぜか引っかかった。

 

ミレイが空気を切るように言った。

 

「じゃあ決まりね。保護者会の文書は、“複数の参加者が共通して感じた違和感”を軸にする。個別に目立った子は、あくまで一例」

 

「ええ」

 

ルルーシュは頷く。

 

「球磨川は前に出しすぎない」

 

『えー』

 

「不満か」

 

『うん。ちょっと』

 

「我慢しろ」

 

『嫌だなあ』

 

だがその不満も、本気ではなさそうだった。少なくとも半分は演技だ。

 

そのとき、ルルーシュの携帯端末が震えた。

 

カレンからだ。

 

彼は少し離れて応答する。

 

「何だ」

 

『悪い報せ』

 

カレンの声は低い。

 

『行政局の“簡易面談”担当者のうち二人、正式所属が違う。片方は心理系じゃない。情報局寄りよ』

 

ルルーシュの目が細まる。

 

「もう一人は」

 

『軍の民間協力枠。名前は偽装されてる可能性が高い』

 

「……やはりか」

 

ただの制度調整ではない。学園を実験場にした、複数機関の混成運用。

 

『それともう一つ』

 

カレンが続ける。

 

『昨日止まった件、向こうは“発令系統の乗っ取り”を疑ってる』

 

ルルーシュの呼吸が一拍だけ止まる。

 

『単なる説得とか脅しじゃなく、命令そのものが変質した可能性があるって』

 

そこまで来たか。

 

まだ何も分かってはいない。だが、方向は危険だ。

 

『どうする?』

 

「今日以後、行政局の現場責任者クラスには安易に近づかない」

 

『珍しいわね』

 

「当然だ」

 

ルルーシュは低く言う。

 

「向こうが“何かおかしい”と知っていて、こちらも同じだと知っているなら、次は観察の精度を上げてくる。使うなら、意味ごと偽装できる局面だけだ」

 

通話を切る。

 

振り返ると、球磨川が少し離れた位置からこちらを見ていた。

 

『嫌な顔してるなあ』

 

「お前に関係ない」

 

『どうだろうね』

 

球磨川は笑う。

 

『きみの嫌な顔って、大体僕にも関係あるよ』

 

ルルーシュは、その言い方にだけは反論しなかった。

 

それが気に入ったのか、球磨川は妙に機嫌よく続ける。

 

『ねえ、生徒会長。さっきの保護者の人、正しかったね』

 

「どの話だ」

 

『僕を前に出しすぎると、“制度が悪い”じゃなくて“変な奴が騒いだ”になるってやつ』

 

「そうだな」

 

『じゃあさ』

 

球磨川は首を傾げた。

 

『今度は、僕が一番後ろにいればいいんじゃない?』

 

ルルーシュは少し考えた。

 

「……どういう意味だ」

 

『簡単だよ』

 

球磨川は、やけにあっさり言った。

 

『次の勝負、僕は最初から喋らない』

 

ミレイが怪訝そうな顔をする。

 

「あなたが?」

 

『うん』

 

球磨川は笑う。

 

『だって僕、目立つんだろ? じゃあ今回は、もっと普通の人たちが喋るようにしたほうがいい』

 

ルルーシュはその言葉をすぐには信じなかった。

 

こいつが自分から一歩引くときは、たいてい別の一歩を深く踏み込むためだ。

 

「何を企んでいる」

 

『失礼だなあ』

 

球磨川はけらけら笑った。

 

『でもまあ、企んでるよ』

 

「やはりな」

 

『だって喋らないのと、何もしないのは別だろ?』

 

ミレイが額を押さえる。

 

「最悪」

 

『知ってる』

 

球磨川はにこにこしている。

 

だがルルーシュには、そこで一つの形が見えた。

 

そうか。

 

球磨川を前に出さず、なおかつ向こうの視線を攪乱する方法がある。こいつ自身が口を閉じれば、今度は「誰がこの場を歪めているのか」の特定が遅れる。しかも、その裏でこいつが動けば、ヴァイスは異常の起点を見失う。

 

危険だ。だが、使いどころはある。

 

「……面白い」

 

ルルーシュが小さく言うと、球磨川の目が少しだけ輝いた。

 

『へえ。今の、褒めた?』

 

「勘違いするな。手としては、だ」

 

『十分十分』

 

球磨川は嬉しそうだった。

 

廊下の窓から差す朝の光が、少しずつ強くなっている。白い床に長く伸びた影が、もう昼へ向かって縮み始めていた。

 

制度はまだ死んでいない。

 

ヴァイスも引いていない。

 

そしてこちらも、もう元の盤面には戻れない。

 

ルルーシュはゆっくりと廊下を歩き出した。

 

「午後までに、保護者・教師・生徒の三者文書を揃える。面談録音は複製を確保。外部向け文書は温度を上げすぎず、だが行政局が“自発的停止”に見せる余地は潰す」

 

ミレイが頷く。

 

「了解」

 

「それと」

 

ルルーシュは少しだけ振り返った。

 

「球磨川」

 

『うん?』

 

「お前、本当に次は喋るな」

 

球磨川は、一秒だけきょとんとした顔をしてから、吹き出した。

 

『うわあ』

 

「何だ」

 

『いや、きみ、そういうとこ本当にいいよね』

 

「質問に答えろ」

 

『分かったよ』

 

球磨川は、ひどく楽しそうに笑った。

 

『じゃあ次は、ちゃんと静かにめちゃくちゃにする』

 

ミレイが顔をしかめる。

 

「日本語が壊れてるのよ」

 

『壊れてるのは好きなんだ』

 

ルルーシュは、その言葉を聞き流しながらも、心の奥で別の警戒を深めていた。

 

球磨川が静かになるとき。

 

それは大抵、言葉ではなく構造を壊しに来るときだ。

 

そして、そういう壊し方こそ、本当に厄介だ。

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