始業を告げるチャイムが鳴る。
スーツの襟を正し、美織は教室に入った。視線が一瞬、彼女へと集中して降り注ぐ。
中学校二年の担任だった。
そして──
「美織先生」
傍らにいるこの男。
「静かに。私語はやめてね」
美織は教壇に立ち、生徒たちを嗜める。
しかし、談笑のざわめきはなかなか止まらず、ホームルームが始められない。
口調を荒げることは憚られる。
強く叱れば、叱責だの指導だのと大袈裟に受け取られ、PTAやら何やらの委員会やらで、面倒な話に発展することもある。
美織の胸にあるのは、焦燥と諦観。その二つの言葉に尽きた。
ところが──
「そんなに大事な話なら、続けていいよ。一区切りついたら、静かにしようか」
遥斗がそう言った。
困り顔か、鬼の形相か。
自分がいい表情をしていないだろうことは、美織にも分かっていた。
しかし、その横で遥斗は、ニコニコと笑みを浮かべている。
美織は、プチンと来た。
小声で遥斗の耳元に顔を寄せ、囁く。
「あのね。生徒がおしゃべりしてたら、普通は注意するでしょ?
助長したらダメでしょ。教師なんだから!」
遥斗は平均よりも頭一つ高い。
その耳に近づくため、美織はつま先立ちになり、精いっぱい背伸びをする。
その体勢が、ほんの少しだけ屈辱だった。
「でも……」
「なによ?」
「やみました」
「何が?」
「おしゃべり」
教室には、いつの間にか静寂が訪れていた。
響いているのは、美織と遥斗の声だけだ。
私語はコソコソするから楽しいもので、遥斗が正面から容認するから、興ざめしたのかもしれない。
美織と遥斗の掛け合いが漫才のようで、そちらに単に興味と関心が向いたのかもしれない。
あるいは――
遥斗の耳に唇を近づける、そんな美織の仕草が、キスをねだる行為を想起して、思春期真っ只中の少年少女を刺激したのかもしれない。
そんな生徒たちの内心を知る由もなく、担任と副担任は、ホームルームを進めることにした。
「じゃあ、美織先生。今日も一日、元気に張り切っていってみましょう!」
呑気な人だ。
コントじゃないんだから!!
美織は心の中でツッコミを入れた。
──なんで、こんなことになったのか。
そんな自問を、胸の奥で繰り返しながら。
一日の始まりだというのに、美織は早退したい気分になった。または、定時で仕事を切り上げて、晩酌をしたい、アルコールをとにかく喉に流したい気持ちだった。
しかし、現実は残酷かつ皮肉なもので――教師とは多忙な職業であるから、美織にはそんな未来が見えることはなかった。