岡本
普段は冷静沈着。モンスターペアレントからの罵詈雑言にも眉一つ動かさない。
その胆力から、陰では“女帝”と呼ばれていた。
――だが。
そんな彼女にも、内心で苛立ちを覚える案件があった。
二年三組の担任問題である。
まさか担任教師が、教育実習生に手を出すとは。
挙げ句、その相手の家に婿入りするので退職する――などと言い出した。
ただでさえ人材不足の現場だ。
一人欠けるだけでも、現場は回らなくなる。
やむを得ず。
副担任であった高梨美織に、担任を任せることにした。
事実上、拒否権はない。
多少の負い目はある。
だが、現場を止めるわけにはいかなかった。
――そのとき。
一通の電子メールが届いた。
教員採用の面談希望。
岡本は即座に返信し、面談の日程を確定させる。
同席する学年主任のスケジュールも押さえた。
後は一つ。
その人材が、“使えるかどうか”。
それだけだった。
■■■
一方、黒幕博士の研究所。
遥斗は、採用応募のメールに返信が来ているのを確認した。件名には「Re:」の文字。
「博士。次の面談の日程が決まりました」
「そうか!それじゃ、派手に砕けて来い」
「なんで、落ちること前提なんですか……」
抗議の意味を込めて、じとりと視線を向ける。
「そりゃあ――実績が物語っておるからな」
黒幕博士は、珍しく真っ当なことを言った。
「面談の様子を思い出すんじゃ」
――面談。
遥斗の四連敗の記憶が、鮮明に蘇る。
「ご出身は?」
「地球です」
「……」
「お住まいはどちらに?」
「黒幕博士の研究所に居候しています」
「……」
「趣味は?」
「ニ●ニ●動画を漁ることです」
「……」
「えっと……我が校の教師に応募された動機は?」
「はい!この地球の人たちと真剣に向き合い、その文化や生活を学び、交流を深めるためです!」
「…………」
沈黙。
重い。とにかく重い。
このような有様だった。
黒幕博士は、肩を震わせながら笑いを堪えている。
面接官の困惑と狼狽が、手に取るように分かるからだ。
「馬鹿正直に答えてどうするんじゃ?」
「ダメですか?」
遥斗は、嘘を重ねることにどうしても抵抗があった。
「時と場合によるわい。まあ、“地球人じゃない”とカミングアウトするよりは、まだマシじゃがな」
「じゃあ、何かアドバイスくださいよ」
「アドバイスぅ?」
黒幕博士は、顎に手を当てて、しばし考える素振りを見せた。
――そして。
「ないの」
あっさりと切り捨てた。
「ワシは天才科学者じゃが、学校の先生ではないからの。教育のことは専門外じゃ」
「そこは、なんとかそれっぽいことを……」
「無責任な助言ほど害悪なものはないからのう」
妙にもっともらしいことを言う。
だが――
結局、事態は一向に改善しなかった。
そして遥斗は、何の対策もないまま――面談のときを迎えるのだった。
■■■
音前川第二中学校。
来賓向けの応接室。
時刻は、授業を終えた午後四時。
――静かな戦いが、幕を開けようとしていた。
校長・岡本は、一見すると穏やかな初老の女性だ。
だが、にこやかな笑みの奥に、明確な“圧”がある。
遥斗は、それを肌で感じ取っていた。
――この人は、ただ者じゃない。
まるで、獲物を見定める獅子。
視線を外せば、次の瞬間には喉元に食らいつかれる。
そんな錯覚すら覚える。隣には学年主任が同席していた。
だが――校長の前では、その存在感は完全にかき消されている。
事実上、遥斗と校長の
案の定というべきか。
形式的な質問――学歴や出自に関しては、遥斗はボロを出しまくった。
「最終学歴は?」
「士官学校を……いえ、●●大学の理工学部を」
「お住まいは?」
「黒幕博士の研究所……じゃなかった、●●市。●●駅の近郊にアパートを借りて……」
――自分でも分かる。
完全に不審者だ。
学年主任が、ちらりと校長の顔色を窺う。
だが、岡本は表情を崩さない。
「ご家族は?」
初めての質問だった。
遥斗は、一瞬だけ言葉に詰まる。
「両親は、早くに亡くしました。でも、親代わりになってくれた人がいます」
自然と、言葉は正直になっていた。
校長は、わずかに目を細める。
踏み込みすぎたかもしれない――そんな逡巡が見えた。
「ご苦労されたのですね」
「いえ。でも、その人のおかげで、色んなことを学べましたから」
――空気が、少し変わる。
「だからですかね」
遥斗は、まっすぐに校長を見た。
「俺……いえ、僕は、誰かから学ぶだけじゃなくて。誰かに教えることで、恩返しをしたいんだと思います」
校長・岡本は――悩んでいた。
小鳥遊遥斗。
目の前の青年は、受け答えがどこか噛み合わない。
率直に言えば、不審者に近い。
だが。
言葉の端々から、誠実さと真面目さが垣間見える。
それが、判断を鈍らせる。
二年三組の副担任を任せられるか。
それは担任である高梨美織の補佐であり、同時に――生徒たちを導く立場でもある。
教える技術の巧拙は、二の次だ。
問題は、“人間として信頼できるかどうか”。
そのとき。
応接室の扉が、強くノックされた。
コン、コン――ではない。
叩きつけるような音。
「校長先生!」
血相を変えた女性が、扉を開けて飛び込んできた。
高梨美織――二年三組の担任、その人だった。
「面談中ですよ。何かありましたか?」
岡本の声は、あくまで冷静だった。
美織は、視界の端に遥斗の姿を捉えた。
――あのときの。
スーパーマーケットで出会った青年。
自分のことを覚えているだろうか。
一瞬、そんな考えがよぎる。
だが。
今はそれどころではない。
雑念を振り払うように、美織は報告を続けた。
「建設中のビルの敷地に、“怪物”が出現しました」
その現場では、建設用ロボットの導入が進み、最近話題になっていた。
「そこに――うちのクラスの男子生徒が、数名入り込んでいます」
空気が、張り詰める。
校長は即座に口を開いた。
「順を追って説明しなさい。発生時刻、現在の状況、生徒の人数」
美織は端的に報告した。
発生は、たった今。
対象となる生徒は三名。
安否は――不明。
このような緊急事態において、教師は本来、前線に立つ存在ではない。
警察、自衛隊、救急――専門の機関が対応すべき領域だ。
それでも。
美織は言った。
「現場へ向かわせてください。せめて、生徒だけでも避難させたいんです」
職務を離れる許可を求める意味もあったのだろう。
岡本は、再び判断を迫られる。
――“怪物”が実在するなら。
それは、美織を危険に晒すことに他ならない。
そのとき。
「行きましょう!」
岡本が口を開くより早く、遥斗が立ち上がった。
「俺、車の運転ができます。一緒に行きましょう」
躊躇いはなかった。
遥斗は、美織の手を取り、そのまま応接室を出ようとする。
「小鳥遊くん。君は関係ないだろう。面談の最中だ」
学年主任が、初めて口を挟んだ。
だが。
「今はそれどころじゃありません。失礼します」
振り返りもしない。
そのまま、美織を連れて部屋を出ていった。
静寂が残る。
「こ、校長先生……」
学年主任の、頼りない声だけが響いた。
校長は、毅然とした態度で言った。
「まずは警察に連絡しましょう」
それだけだった。
私情も、焦りも、見せない。
あくまで、組織の長としての判断。
――だが。
そのとき。
校内のテレビから、ニュース速報が流れた。
地方局の臨時放送。
『ただいま、○○市の建設現場にて――』
怪物出現の報は、すでに公のものとなっていた。