仄暗いラボの一室。
モニターの映像は、すでに途切れていた。
フロッギーの信号は、完全にロストしている。
「……やられたか」
Dr.エンビーは、小さく呟いた。
その声音に、取り乱しはない。
「私のメタルキメラシリーズを――二度までも」
苦々しく吐き捨てながらも、その目は冷静にデータログを追っている。
一方で。
「クソ野郎が!!」
ジーグリードの怒声が、室内に叩きつけられた。
長い脚が振り上げられ、機材を蹴り飛ばす。
工具が床に散乱し、金属音が響いた。
「やめないか!」
エンビーが鋭く制止する。
「それには、まだ価値がある」
ジーグリードは舌打ちしながらも、動きを止めた。
だが、怒気は消えない。
「……あの野郎」
低く、唸るように吐き出す。
脳裏に焼き付いている。
あの機体――
そして、その内部にいる“男”。
「今度こそ、叩き潰す」
対して。
エンビーは椅子に腰を下ろし、指先でコンソールを叩いた。
戦闘ログが、次々と再生されていく。
「……いい」
その口元が、わずかに歪む。
「実にいいデータだ」
跳躍機構の限界値。
出力上昇の変化率。
精神干渉による挙動のブレ。
すべてが、想定以上。
「資金提供者への“土産”としては、申し分ない」
視線はモニターから外さないまま、続ける。
■■■
戦いが、終わった。
白い巨体――ウィンディアスは、ゆっくりと姿を変えていく。
装甲が再構成され、四肢が収束し、
再びジェットモードへと移行した。
同時に、機体へと同調していた遥斗の意識が、切り離される。
引き戻される感覚、重力、痛み――それらが肉体へ戻っていく。
倒壊しかけたビルの屋上。横たわっていた遥斗の指先が、わずかに動いた。
ゆっくりと、目を開く。
五本の指を順に曲げる。
感覚は、戻っていた。
「……はぁ」
短く息を吐いた。
周囲は静まり返っている。
さっきまでの轟音が、嘘のようだった。
「帰るか」
ジェットウィンドの機体下部が開き、操縦席ユニットが降下する。
簡易リフトのように、足場が展開された。
遥斗は立ち上がり、軽く身体の調子を確かめると、そのまま操縦席へと乗り込む。
そして、機体の進路をゆっくりと修正した。
向かう先は――黒幕博士の研究所。
長居は無用だ。
やがて、この場所には警察、報道、そして野次馬が押し寄せる。
あの戦闘の痕跡を放置しておくわけがない。
正体を知られるわけにはいかない。
誰にも見られていないことを確認し、ジェットウィンドは高度を上げていく。
――そのはずだった。
しかし。
遥斗は気づいていなかった。
ひとりだけ、目撃していた者がいることに。
高梨美織。
生徒たちを安全圏まで送り届けたあと、彼女は一人、車を引き返していた。
そして、今、崩れかけた建設中のビルから、空へと遠ざかっていく機影を、見上げている。
小さくなる影。
やがて、空の彼方へ溶けていく。
残されたのは、静寂と――疑問。
「……貴方は、何者なの?」
その問いに、答えはない。
ただ、夕焼けの空だけが広がっていた。
■■■
「今回もワシの発明が大いに役に立ったか。さすがワシ、平和の立役者じゃな」
黒幕博士は上機嫌だった。
遥斗から戦闘の一部始終を聞き終えると、机の上に広げた刺身や寿司へと箸を伸ばす。
いずれも、スーパーの半額シール付き。
だが、本人の満足度はやたら高い。
ぐい、とビールをあおる。
「くぅ〜っ!やはり戦勝のあとの一杯は格別じゃな!」
一方で、遥斗はグラスを傾けながら、わずかに顔をしかめていた。
ビールの苦味が、まだ口に合わない。
結局、手にしているのは甘いカクテル。
ほとんどジュースのような感覚で飲んでいる。
「お前、なかなかハイペースじゃのう。助手2号」
「そうですか?」
グラスを見つめたまま、首をかしげる遥斗。
「全くの下戸というわけではなさそうじゃ」
「味はまだよく分かりませんけど」
さらりと答える。
「ははぁ。つまり“酔い”はするが、“風情”は分からんというやつじゃな」
黒幕博士は面白そうに笑った。
だが、遥斗の表情に、ふと影が差した。
「面談……途中で、すっぽかしてしまいました」
「そうか」
「これ、絶対落ちましたよね?採用」
「当然じゃな」
黒幕博士は、まるで興味もなさそうに言い放つ。
グラスにビールを注ぎ、躊躇なく飲み干した。
「他人事ですね?」
「当たり前じゃ。お前が教師になろうが、ワシの懐は一銭も潤わん」
即答だった。
「じゃがな」
もう一度、ビールを注ぎながら続ける。
「お前の採用と、人の命。天秤にかければ、どちらに傾くか――答えは明白じゃろ」
それは慰めなのか。それとも、ただの事実の提示か。
遥斗は、わずかに視線を落とした。
「……そう、ですね」
短く答える。
「それより助手2号。ワシ、鰻が食いたいぞ」
「ないですよ。我慢してください」
「む。では今からジェットを飛ばして、浜松まで行くか?」
鰻。
遥斗は、まだ口にしたことがない。
「……それ、どんな味なんですか?」
少しだけ、興味が勝った。
黒幕博士は、ニヤリと笑う。
「極上じゃ」
そんな、取り留めのない会話を交わしながら。
夜は、静かに更けていく。
このとき、二人は気づいていなかった。
研究所の片隅の、起動したままのパソコンに、一通のメールが届いていたことに。
件名。
【採用結果通知】
その本文には、ただ一言。
――合格。
黒幕博士の愛車は、プジョー403カブリオレ(1959年式)。
クラシックカーの外見とは裏腹に、内部は博士による“魔改造”が施されている。
異常な加速性能を誇るエンジンに加え、独自開発のナビゲーションシステムまで搭載。
なお、音声案内は博士本人の趣味が色濃く反映されており、実用性については保証しない。
美織から後日、返還してもらっている。