昼休み。職員室の窓から校庭を見下ろしながら、美織はふと視線を止めた。遥斗が、生徒たちに混じってフットボールをしている。
カケルたち男子に囲まれ、笑いながらボールを追いかけていた。
初日だというのに、もうすっかり輪の中に溶け込んでいる。
(馴染むの、早すぎでしょ……)
率直な感想だった。
教師として距離を測っている様子はない。
かといって無理に合わせているわけでもない。
ただ自然に、その場にいる。
義務感でも、職責でもない。
あれは――単純に楽しんでいる顔だ。
美織は小さく息をついた。
(なんなの、あの人……)
大人が子どもに合わせている、という感じではなかった。
どちらかといえば――大きな子どもが、一人増えたような。
そんな、妙にしっくりくる感覚があった。
美織は、意を決して校長の岡本に尋ねることにした。
「校長先生。お伺いしたいことがあります」
「何かしら?」
教育委員会に提出する書類に目を落としていた岡本は、ゆっくりと顔を上げた。
逆光を受け、眼鏡の奥の視線が鋭く光る。
「あの、小鳥遊先生ですが、なぜ採用に至ったのですか?」
“女帝”の機嫌を損ねないよう、言葉を選ぶ。慎重に、慎重に。
「その質問は、彼が副担任として、あるいは教師として不適格だと言いたいのかしら?」
「あ、いえ、そういう意味では……」
視線だけで圧され、美織は言葉を詰まらせた。
「ただ、その……面談を途中で抜けたと聞いています。事情があったとはいえ、通常であれば……」
そこまで言って、口をつぐむ。
自分でも分かっている。これは“普通なら不採用になる案件”だ。
岡本はしばし無言で美織を見つめたあと、静かに口を開いた。
「あなたの指摘はもっともです」
一度、肯定してから。
「そのうえで、私が採用を決めた理由は単純です」
書類を閉じ、はっきりと言い切る。
「小鳥遊先生は、生徒を優先した。あの場で、自分の評価よりも子どもを選んだ。その判断ができる人間は、教師として価値があると私は考えました」
淡々としているが、揺るがない声音だった。
「子どもたちに資する人材かどうか。それが私の基準です」
その言葉に、美織は何も返せなかった。
採用を巡って、反対意見があったであろうことは、想像に難くない。それでもなお、この人は押し通したのだ。
「高梨先生。あなたはどうですか?彼は、いい先生だと思えますか?」
「上手くやっていけると思います」
当たり障りのない言葉を選ぶ。
「教師同士の相性ではなく、子どもたちにとってどうか、という意味で聞いています」
岡本は、念を押すように言った。
「……私は、いい先生だと思います」
今度は、迷いなく答えた。
それは、取り繕いのない本音だった。
「それは何より」
岡本は満足げに微笑むと、再び資料へ視線を落とした。
会話は、それで終わった。
職員室のざわめきが戻る中で、美織はふと別の光景を思い出していた。
あのとき、炎と瓦礫の中で、謎のジェット機に乗り込んでいった遥斗の姿。
(あの人は……)
何者なのか。
疑念は消えない。
だが同時に――
もっと知りたい、という感情が、わずかに芽を出していた。
■■■
一見すると、遥斗は中学校という環境にすっかり馴染んでいるように見える。
だが実際のところ、内心は落ち着かないままだった。
何より怖いのは――正体が露見すること。
自分が宇宙人であると知れれば、教師としての立場はまず保てない。
それだけではない。地球での活動そのものにも支障が出る。ジーグリードたちとの戦いにも、影響は避けられないだろう。
この国には、SNSという情報網があるらしい。
個人が発信した断片的な情報が、瞬く間に拡散する。
ほんの些細な目撃談でも、積み重なれば無視できない。
それが“何かおかしい”という形で繋がったとき――取り返しがつかなくなる。
(油断はできないな……)
その中でも、特に気にかかる存在がいた。
高梨美織。
同じ学校という閉じた環境で、担任と副担任という関係にある以上、接触の頻度は避けられない。
先日の事件でも、途中まで行動を共にしている。
それ以前にも、買い物の際に顔を合わせ、何気ない会話を交わしていた。
偶然が重なりすぎている。
(あの人は……)
どこまで気づいているのか。
確かめる術はない。
だが、警戒を解くには、まだ早すぎた。
「なんじゃ、考えごとか?」
黒幕博士の声に、遥斗はふと顔を上げた。
食卓を挟んで、二人は遅い夕食をとっているところだった。
帰宅してから調理に取りかかったため、時間はすでに夜も更けている。
博士は研究に没頭していたらしく、料理が出来上がったのを機に、ようやく手を止めたのだ。
「食わんのなら、ワシがいただくぞ」
言うや否や、博士の箸が遥斗の皿へ伸びる。狙いは、大ぶりの唐揚げ。
「そうはいきません」
ガシッ、と音がしそうな勢いで、遥斗がそれを挟み止めた。
二人の箸が、空中でぶつかり合う。
「器用な奴め」
感心したように博士が言う。
地球に来てまだ日も浅いというのに、遥斗はすでに箸の扱いを覚えていた。
もっとも――今のは、いわゆる拾い箸にあたる行為であり、マナーとしては褒められたものではないのだが。
「これは俺がいただきます。唐揚げは、母星にいるときに覚えた地球料理ですから」
言い切るその声音には、妙な自信があった。
既製品ではない。手作りだ。
鶏肉は腿と胸の二種類を使い分け、酒、醤油、みりん風調味料に、ニンニクと生姜。さらに豆板醤で下味をつける。
片栗粉をまぶし、油で二度揚げ。
工程の一つひとつに手間をかけた、遥斗なりのこだわりの一品だった。遥斗の唐揚げは、博士にも好評だった。
「おかわり! おかわりを要求する!」
空になった皿を差し出し、子どものようにせがむ。
だが――
「却下です」
遥斗はきっぱりと言い切った。
「なんじゃと!? この料理の価値が分からんのか!」
「分かっているからこそです。博士、最近ちょっと食べ過ぎです」
反論を封じるように、別の皿を差し出す。
「代わりに、これをどうぞ」
「……なんじゃ、これは」
「梅水晶です。ササミ肉を使った、あっさりしたつまみですよ」
片栗粉をまぶしたササミを低温で湯通しし、梅肉と和えた一品。
見た目は地味だが、酒の肴としては申し分ない。
博士は訝しげにそれをつまみ、口に運ぶ。
もぐもぐと咀嚼し――
「……悪くないのう」
しぶしぶ、といった様子で頷いた。遥斗は、黒幕博士に今の悩みを打ち明けることにした。
「なにぃー!! 赴任初日から学園ラブコメじゃとー!!」
――相談する相手を間違えた。
即座に後悔した。
「その同僚の女教師はどうなんじゃ? 可愛いのか? 顔はいいのか?」
「顔立ちは整っていると思いますが……」
「連れてこい! 今すぐこの研究所に連れて来るんじゃ!」
身を乗り出し、机を叩く勢いだ。
「いや、無理ですって。色々バレますから」
「構わん! ワシは一向に構わん!」
「俺が困るんです」
即答だった。
「ワシはなぁ……もう十数年、まともに異性との出会いがないんじゃ……! カサカサに乾いとるんじゃ! 潤いが欲しいんじゃあ!!」
切実なのか、ただの欲望なのか判別しづらい叫びだった。
(いや、その体型で言われてもな……)
遥斗は内心でだけ、冷静にツッコミを入れた。
欲望を垂れ流すような今の博士に、建設的な意見は期待できない。
遥斗はそう判断しつつ、ふと別の疑問を口にした。
ずっと引っかかっていたことだ。
「先日、建設現場にロボットの化け物が出たでしょう?」
「そうじゃな。出所はまだ特定できておらん」
世間では反社会的組織の関与も疑われているらしい。
だが遥斗の中では、ジーグリードの関与はほぼ確信に近かった。
「ローカルニュースが流れたのは、いつ頃ですか?」
「ん? 一番早い地方局で午後五時ごろじゃな」
遥斗はそこで、時間を頭の中で組み直した。
面談開始は午後四時。
体感としても、美織が現場に乱入してきたのは、それから三十分も経っていない。
仮に博士の言う通り、報道が五時前後だとすれば――時系列は逆転する。
(あの人は……)
怪物の出現を、
では、どうやって知ったのか。
偶然か、それとも――遥斗は無意識のうちに、結論を一つだけ引き寄せていた。
(美織先生には、少し注意しておいた方がいいかもしれないな)