「おい、助手2号。お前さんのためにいいもんを発明してやったぞ」
ある日の研究所。昼の弁当を作っていた遥斗の前に、黒幕博士が現れた。
気温がやや高いこともあり、上半身は当然のように裸だった。
遥斗はもはや、いちいち指摘することすら面倒になっていた。下半身に最低限の衣類があるだけ、まだマシと言うべきかもしれない。
「博士。危ないですよ」
言った直後だった。
フライパンから油が跳ねる。
「あっちぃぃぃぃ!!」
素肌に直撃した博士が、情けない悲鳴を上げた。
「だから言ったじゃないですか」
遥斗は淡々と返す。
「俺、警告しましたからね」
遥斗は博士の悲鳴など意に介さず、卵焼き器で出汁巻きを作り続けていた。
「ワシ、甘めのやつがいいのぅ」
「いや、もう焼きに入ってるので、今から味は変えられません」
「じゃあ、もう一個作ってくれ」
「……はあ」
自然と、ため息がこぼれた。
「ところで、“いいもの”ってなんですか?」
「聞いて驚け。自在に声色を変えられる装置じゃ。いわゆる変声器というやつだ」
「ボイスチェンジャーですか?」
技術としては、特段目新しいものではない。
「ま、端的に言えばそれじゃな」
「俺が使う必要はないと思いますが」
「使うのはお前ではない。ワシじゃよ」
遥斗は一瞬、言葉を失った。
「……どういうことですか?」
「まだまだお前は、日本の文化や習慣に疎い」
それは事実なので、否定できない。
「学校という場所ではな、予想外の質問が飛んでくる。そこでじゃ」
博士は得意げに胸を張った。
「お前の声を使って、ワシが代わりに受け答えをする。つまり、ワシがお前の“代弁者”になるということじゃ」
ボイスチェンジャーを用いた、いわば遠隔の腹話術のような発想だった。
だが当の遥斗には、「腹話術」という概念がそもそもない。
「……余計にややこしくなる気がしますが」
理解は追いつかないまま、嫌な予感だけが残った。
遥斗は博士に言われるままに、ネクタイの裏に変声器を取り付け、さらに携帯には黒幕博士の開発したアプリケーションソフトをインストールしていた。
それを身につけたまま、学校へ向かう。
まさか、この変声器を使う場面が、こんなにも早く訪れるとは思ってもいなかった。
■■■
「遥斗先生、話があるの。放課後、屋上に来てもらえる?」
学校に着いて早々、美織からそう告げられた。
遥斗は一瞬、言葉を失った。
嫌な予感がする。
念のため博士に事情を伝え、その日の放課後、例のアプリを起動しながら、冷や汗を浮かべて屋上へ向かうことになった。
――そして今に至る。
「放課後に屋上じゃと!?それはつまり告白イベントではないか!学校の一大イベントじゃぞ!」
なお、その間ずっと黒幕博士は携帯越しに騒ぎ続けていた。
「悔しいのう……悔しいのう……」
怨念めいた声を一方的に浴びせられたところで、遥斗は通話を切った。
そして今、屋上に立っている。
そこには、美織がいた。
目元をきゅっと吊り上げ、いつになく真剣な表情をしている。
「率直に聞きます!」
「は、はい!」
思わず遥斗の声に力が入る。
「遥斗先生。あなたは、何者なんですか?」
単刀直入な問いだった。
美織の視線は逃げ場を与えず、まっすぐに遥斗を射抜いている。
■■■
この二人は気づいていなかった。
屋上の片隅に、一組の人影があることに。
山田カケルだった。
たまたま――本当に偶然――美織が遥斗を呼び出す場面を目撃してしまったのである。
そして彼は、即座に確信した。
「……これ、告白だろ」
興奮したカケルは、例の二人の悪友を呼び寄せていた。
「屋上で放課後って、絶対そういうやつだって!」
「おい、マジでキスすんじゃねえの?」
「声デケェって!バレるだろ!」
三人は死角に身を潜め、息を殺しながら耳をそばだてていた。
「キス?チュー?告白?なにそれ?」
三人の背後から、不意に声がした。
ビクッ、とカケルたちの肩が跳ねる。
まさか、覗き見していることがバレたのか――そう思ったが、遥斗も美織も動いた様子はない。
恐る恐る振り返ると、そこにいたのは海野藻絵だった。
「あんたたち、掃除当番でしょ?さっさと教室抜け出して、何してるのよ」
腕を組み、呆れたように言う。
どうやら、カケルたちの動きを不審に思い、後をつけてきたらしい。
(年貢の納め時か……)
カケルの脳裏に、祖父母と見ていた時代劇の一節がよぎる。
「で、どうなの?」
藻絵は身を乗り出す。
「告白、したの?」
「いや、まだだけど」
「……よかった」
小さく息を吐き、胸をなでおろす。
その反応を見て、カケルがニヤリと笑った。
「でもさ、今からするかもよ?」
火に油を注ぐ一言だった。
藻絵の表情がすっと冷える。
「あの、魔性……」
一瞬だけ言葉を区切り、
「遥斗さんに手を出すなんて」
低く言い切った。
「いや、まだ何も起きてないって」
「そうそう、落ち着けって」
「ていうか、“魔性”ってなんだよ……」
■■■
まずいな。引きつった笑みを浮かべながら、遥斗は答えた。
「や、やだなあ……俺は、ただの変哲のない教師ですよ」
だが、美織の視線は一切揺るがない。疑いは、むしろ深まっているようだった。
――まずい。
そのときだった。
『ワシは海外の大学院におってな。日本語は、まだ少し不慣れなんじゃ』
不意に、遥斗の口から“別人の声音”が発せられた。
黒幕博士による変声器越しの発言だった。
(余計なことを……!)
遥斗の内心の焦りとは裏腹に、音声自体は完璧だった。声質だけなら、違和感はない。
だが――問題は中身だ。
「ワシ」という一人称。どこか年寄りじみた口調。
普段の遥斗とは、明らかに噛み合っていない。
美織の眉が、わずかにひそめられる。
さきほどまでの“素直そうな青年”の印象が、音を立てて崩れていくのを、遥斗は肌で感じていた。
(むしろ悪化してる……!)
取り繕おうとするほど、綻びが広がっていく。
そして――
「私、見たんです」
美織が、静かに口を開いた。
「な、何をですか?」
喉が乾く。声がわずかに上ずった。
「あの日。あの建設現場で」
確信を帯びた声音だった。
逃げ場はない。
「あなたが、ジェット機に乗り込むのを」
背筋に、氷を流し込まれたような感覚が走る。
(……終わったか?)
遥斗の脳裏に、ひとつの言葉が浮かぶ。
――年貢の納め時。
つい最近、辞書で調べたばかりの言葉が、妙に現実味を帯びていた。