大空の戦士ウィンディアス   作:hirosnow

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Much Ado About Chaos――屋上でのから騒ぎ

 とある中学校の放課後の屋上では、静かな緊張が張り詰めていた。

 

 二人の大人の男女。

 それを物陰から見守る三人の少年。

 そして、鬼のような形相で凝視する一人の少女。

 誰もが息を潜め、成り行きを見守っている。

 

「遥斗先生。あのジェット機は、なんですか? あなたとの関係は?」

 

 美織の問いは鋭かった。もはや探りではなく、核心に踏み込んでいる。

 遥斗の首筋から背中へ、じわりと汗が流れる。体温が奪われていくような感覚だった。

 

 どう答えるべきか。

 言い訳は通じるのか。

 それとも、どこまで話すべきか。

 

 思考がまとまらないまま、時間だけが過ぎていく。

(なんと、言い訳をするべきか……)

 視線を逸らすこともできず、遥斗はただ言葉を探していた。

 

 そのときだった。

『……それは見間違いじゃないか?』

 遥斗の声だった。

 だが、わずかに遅れて、遥斗の唇が動く。

 

 ほんの一瞬――注意していなければ気づかない程度のズレだ。

 美織の眉が、かすかに寄る。

 

『そんなジェット機が、街中を飛び回るなんて、現実的じゃないだろ』

 落ち着いた口調。先ほどまで言葉に詰まっていた人物とは思えない滑らかさだった。

 遥斗は、その声に合わせるように息を整え、視線を逸らさない。

 美織は一歩も引かない。

「でも、見ました。建設現場から飛び立つところを」

 間髪入れずに言い返す。

『仮にそれが事実だとしても、それは俺じゃない。別の誰かだ』

 即座に返る否定。その自然さが、逆に引っかかる。

 先ほどまでの動揺が、嘘のように消えているからだ。

 

 美織は、じっと遥斗を見つめた。

「……でも、確かに見たんです。ジェット機も、それに――遥斗先生の姿も」

 

 沈黙が落ちる。

 風が吹き抜け、金網がかすかに鳴った。

 

『……俺とよく似た人、じゃないかな』

 少しだけ間を置いて、柔らかく濁すような返答があった。先ほどよりも、さらに自然な声音だった。

 

 違和感は薄れている。だが――消えてはいない。

 美織の中で、確信と疑念がせめぎ合う。

 

 一方で遥斗は、内心で息を殺していた。

(……助かった)

 自分が口を開けば、どこかで綻びが出る。

 ならば、この“声”に委ねるしかない。

 

 屋上に流れる空気は、依然として張り詰めたままだった。遥斗は、唇を結んだまま、次の言葉を飲み込んでいた。

 正体を明かしてはならない――その一点だけは、揺るがない。

 だが同時に、嘘を重ねることへの抵抗が、胸の奥で鈍く軋んでいる。

 

 いっそ、すべてを打ち明けてしまえたなら。

 そんな衝動が、喉元までせり上がる。

 受け入れられる保証など、どこにもない。

 それでも――目の前の彼女になら、と。

 

 だが、踏み越えられない一線がある。

 だからこそ、遥斗は沈黙を選び、代わりに“声”へと委ねていた。

 理屈も、言い逃れも、すべてを。

 良心の痛みを伴わずに、それを口にできる存在に。

 

 一方で、美織は視線を外さなかった。

 責めているわけではない。問い詰めたいわけでもない。

 ただ、知りたかった。

 目の前にいるこの青年が、何者なのかを。

 あの日見た光景と、今ここにいる彼とが、どう繋がるのかを。

 その思いは、言葉を重ねるごとに、むしろ強くなっていく。

 どれだけ整った理屈を並べられても。

 どれだけ自然な声音で否定されても。

 どこかが、引っかかる。

 決定的な確信には至らない。

 だが同時に、完全に否定することもできない。

 真偽は、曖昧なまま揺れていた。

 それでもなお、美織の中から、疑念が消えることはなかった。

 

 

■■■

 

 物陰に身を潜めながら、カケルたちは顔を寄せ合っていた。屋上の空気は張り詰めている。

 だが、その緊張は、彼らにはいまひとつ伝わっていない。

 

「……なんか、難しい話してね?」

 カケルが小声で呟く。耳をそばだててはいるが、内容まではよく分からない。

 大人同士の会話。踏み込むには、少し距離がある。

 

「フッ……素人にはそう見えるか」

 得意げに鼻を鳴らしたのは、生井コウジだった。

 どっしりとした体を揺らしながら、腕を組む。

「俺にはわかるぜ」

「なにがだよ」

「遥斗先生――やっちまったな」

「は?」

 カケルの眉がひそまる。

「美織先生に手、出したんだよ」

 さらりと言い切るコウジ。

 その自信はどこから来るのか。

「そんなわけあるかって」

 カケルは即座に否定する。

 あの遥斗が、そんなことをするとは思えない。

「いや……コウジの線、あり得るな」

 今度は白州ダイチが腕を組んで頷いた。

「で、今はアレだ。修羅場ってやつ」

「修羅場?」

「別れ話だよ。ほら、さっきから空気ピリついてんじゃん」

 言われてみれば、確かに雰囲気は重い。

 だが、それが“そういう意味”かどうかは別問題だ。

 

 カケルは納得しかけて、首を振った。

「いやいやいや、飛躍しすぎだろ……」

 しかし、コウジとダイチはすでに結論に達していた。

 ちらりと互いに目をやり――

 にやり、と口元を歪める。

「やることはやってる、ってわけか」

「ああ、間違いねえな」

 次の瞬間。

「「ヒューッ!」」

 息を合わせた冷やかしが、小さく弾けた。

 緊迫した空気とは裏腹に、場違いなほど軽い音だった。

 

「藻絵、こいつらにお前から言ってやってくれよ……」

 カケルは早々に匙を投げ、背後の藻絵に助けを求める。自分ひとりでは収拾がつかないと判断したのだ。

 振り返った、その先で――

 

「白々しいわね。あの、メギツネ……」

 藻絵は目尻を吊り上げ、低くつぶやいていた。

「メ、メギツネ!?」

 カケルが思わず声を漏らす。

 どこでそんな言葉を覚えてくるのか。同年代とは思えない語彙に、内心で舌を巻く。

 

「メギツネ……もとい、美織先生こそ、遥斗先生を嵌めたのよ」

「嵌めるって、どういうことだよ!?」

 カケルは思わず身を乗り出す。

「何をどう嵌めたんだよ!」

 十四歳の理解力では、さすがに処理しきれない領域だった。

「私の遥斗先生を……よくも……」

「いや、お前の所有物じゃねえからな!?」

 カケルは即座にツッコミを入れた。

 

 二人の関係がどうこうという以前に、少なくともこの場にいる連中の認識が大きくズレていることだけは、はっきりとわかった。

 

■■■

 

 そのころ、遥斗たちのいる学校の屋上が、妙な緊張に包まれているとは露知らず――黒幕博士は拠点である建物のリビングで、のんびりとくつろいでいた。

 

 この建物は、生活空間と研究設備が一体化した、いわば“住居兼研究所”である。

 

 博士はソファに深く腰を沈め、煎餅をバリボリと齧っては、湯気の立つ番茶で流し込んだ。

「これは、黒ゴマ入りか。なかなかイケるのう」

 満足げに頷きながら、手元の袋を覗き込む。

「今晩、ヤツに買って帰らせるか」

 実に呑気なものだった。

 

 もっとも、完全に状況を放置しているわけではない。

 リビングの一角に置かれたモニターには、遥斗のネクタイ裏に仕込んだマイクから拾われた音声が、波形となって表示されている。

 断片的ではあるが、会話の内容も把握できた。

 屋上でのやり取り。詰問。沈黙。言葉を探す気配。

 それらを耳にしながらも、博士は眉ひとつ動かさない。

「ふむ……まあ、なんとかなるじゃろ」

 楽観的というよりは、確信に近い声音だった。

 

 遥斗が追い詰められているのは理解している。だが、それを深刻な危機だとは捉えていない。

 煎餅をもう一枚手に取り、軽く振ってから口に放り込む。

 バリッ、と乾いた音が、静かなリビングに響いた。そのときだった。

 何気なくテレビのチャンネルを切り替えた瞬間、速報のテロップが画面を横切った。

 

 映し出されたのは、見慣れぬ砂地の風景――そして、騒然とする現場の映像だった。

 

 鳥取砂丘で、正体不明の怪物が出現。

 たまたま現地に居合わせた警察官が対応にあたり、民間人の避難を優先している――そんな内容が、アナウンサーの緊迫した声で伝えられていた。

 

「またしても、怪物……か」

 博士の顔から、先ほどまでの緩みが消える。

 

 脳裏に浮かんだのは、ただ一つの可能性だった。

 ――ジーグリード。

「あやつの仕業と見て、まず間違いあるまいな」

 

 短く吐き捨てると同時に、博士はソファから立ち上がった。菓子袋を放り出し、足早にリビングを抜ける。

 

 向かう先は、奥にある研究スペース。

 扉を開け放ち、制御卓の前に立つと、即座に装置を起動させた。

 

 モニター群が一斉に点灯し、室内に青白い光が広がる。

 同時に、遥斗が携帯している端末――地球製スマートフォンを偽装した、宇宙由来の通信機器へとアクセスをかける。

 

 短く、要点だけを打ち込んだ。

 

 ――怪物出現。

 ――場所は鳥取県。

 ――ジェットウインドをそちらへ向かわせる。

 ――直ちに融合し、現地へ急行せよ。

 無駄のない、命令文。

 

「さて……間に合うかのう」

 送信を終えた博士は、腕を組み、モニターに映る砂丘の映像を睨みつけた。

 

 黒幕博士は研究スペースへ飛び込むなり、即座にメインシステムを起動させた。

 

 複数のモニターが立ち上がり、座標データと地形情報が次々と表示されていく。

 指先が迷いなくコンソールを叩く。

 転送先――照準は、遥斗のいる中学校の屋上。

 

「前回よりは、楽じゃな……」

 小さく呟きながら、博士は微調整を重ねる。

 

 建物への接触、あるいは地面への衝突を避けるため、侵入角度と減速タイミングを慎重に設定していく。

 

 わずかな誤差が致命的な結果を招く。

 だが、そのリスクさえも計算に織り込んでいるかのような手際だった。

 

「……よし」

 最終確認を終え、博士は口元を歪める。

「ジェットウインド、発進じゃ!」

 

 コントロールパネルを叩いた瞬間、遠隔地にある秘密基地が反応した。

 海上の孤島。その岩肌に隠されたハッチが、重々しい駆動音とともに開く。

 内部に格納されていた機体――航空機《ジェットウインド》が、ゆっくりと姿を現した。

 

 次の瞬間、爆発的な推力で、機体は一直線に空へと駆け上がり、白い軌跡を残して、目標地点――遥斗のもとへ向かうのだった。

 

 

■■■

 

 遥斗は、自身の精神を肉体から切り離し、対象物と“融合”する能力を持っている。だが、その力は万能ではない。

 

 あらかじめ自らのエネルギーを注いだ対象であること。

 そして、その対象が半径五十メートル以内に存在すること。

 この二つの条件を満たして、初めて成立する。

 

 いま、その依り代となるのは、黒幕博士が開発した航空機“ジェットウインド”だった。

 

 博士から送られてきたチャットによって、鳥取で異変が発生したことは把握している。

 一刻の猶予もない。

 融合し、現地へ向かう――それが最優先だ。

 

 しかし同時に、別の懸念が頭をよぎる。

 この場で異変を見せれば、美織の疑念を決定的なものにしてしまうのではないか。

 だが、迷っている時間はなかった。

 頭上で、ジェットウインドはすでに校舎上空を通過しようとしている。

 

(……ええい、ままよ!)

 覚悟を決めた。

 意識を深く沈め、肉体との結びつきを断ち切る。

 

 次の瞬間、解き放たれた精神が、一直線に機体へと引き寄せられていった。

 

 ――融合。

 

 その場に残された遥斗の肉体は、支えを失ったかのように崩れ落ちる。

 まるで糸を断たれた操り人形のように、力なく、屋上の床へと倒れ込んだ。

 

「は、遥斗先生!?」

 目の前で力を失ったように崩れ落ちる遥斗を見て、美織の瞳が大きく見開かれた。

 慌てて駆け寄り、その肩に触れる。

 

「遥斗先生……?」

 呼びかけても反応はない。

 頬に手を当てる。熱はある。だが、意識が戻る気配はなかった。

 貧血――いや、それにしては様子がおかしい。

 

「だ、誰か……!」

 声を上げた、そのときだった。

 物陰から飛び出してくる影がある。

 

「ヤダッ……遥斗先生……!」

「しっかりしろよ、遥斗先生!」

 カケルと藻絵だった。

 

 二人は顔色を変えて駆け寄り、必死に呼びかける。

 屋上の空気が一気に張り詰める。

 

 その騒ぎの中で、ふと、美織の視線が空へと引き上げられた。

 校舎の上空。

 そこを横切っていく、一機の飛行体。

 見覚えがある。

(また……あの飛行機……)

 胸の奥がざわつく。

 理由はわからない。

 だが、あれが現れるとき、必ず何かが起きている。

 そんな確信にも似た予感が、静かに、しかし確実に広がっていった。

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