静穏だったはずの砂の大地は、一瞬にして混乱の渦に呑み込まれていた。
人々が蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う。
自分の足で必死に駆け出す者。
観光用のラクダにしがみつき、その背に揺られながら離脱しようとする者。
だが、ここは砂の海だ。
一歩踏み出すたびに足が沈み、力が逃げる。
踏ん張ろうとしても地面は応えず、反動は削がれ、思うように前へ進めない。
転ぶ者、叫ぶ者。
振り返り、迫る脅威に絶望する者。
その光景をグラドは操縦席から、見下ろしていた。
自分が引き起こした混乱を、じっくりと味わうように。
口元が、ゆっくりと歪む。
「はっ……いい眺めじゃねえか」
愉悦が、隠そうともせず滲み出ていた。
グラドは操縦席のパネルを乱暴に叩いた。
その動きに呼応するように、サンドキャタピラーが再び大きく跳ねた。
砂丘が波打ち、地形が崩れる。なだらかな斜面が一気に沈み込み、中央へと砂が流れ込んでいき、そして、巨大な窪地が生まれた。
それはまるで、蟻地獄だった。
逃げ惑う人々の足場が崩れ、次々と斜面へ滑り落ちていく。
必死に踏ん張ろうとしても、砂は抵抗を許さず、身体を呑み込むように引きずり込んでいく。
「ははっ……いいねえ」
逃げ場を奪われ、もがく人間たち。その様子を見下ろしながら、グラドはさらに操縦桿を弄ぶ。
破壊というより、遊びに近い感覚だった。
「クソ、こうしちゃいられねえ」
その光景を見て、犬養の顔つきが変わる。
「楢原、柴崎!動くぞ!」
二人の部下が即座に応じ、駆け出した。
彼らが乗り込んだのは、観光地に配備されていた二足歩行型のロボットだった。
警備や監視、救護を目的とした機体だが、警察の正式装備と比べれば性能は見劣りする型落ち品だ。
それでも、今は頼るしかない。
「楢原。お前は陽動だ。ヤツの注意を引きつけろ!」
「了解ッス!」
楢原の機体が砂を蹴って前へ出る。
「柴崎は俺と来い。逃げ遅れた連中を回収する」
「はい!」
犬養は柴崎の機体に飛び乗り、すぐさま指示を飛ばす。
「積んでるセグウェイ、全部使え。動けるやつには配れ。歩かせるよりマシだ」
「了解!」
簡易な移動手段でも、この地形では命を繋ぐ手段になる。
崩れゆく砂丘へ、二機のロボットが突入していく。
沈み込む砂。
呑まれていく人影。
そして、それを見下ろす鋼の怪物。
遊び半分の破壊に対し、即席の救出作戦が動き出した。
■■■
陽動を任されたものの、楢原は操縦席で頭を抱えていた。
(いや、無理だろ……これ)
乗っているのは観光用の旧式機体。
機動力は鈍く、装甲も心許ない。
おまけに――
(武装ゼロって、どういうことだよ……)
楢原の大好きな銃もなければ、弾丸もない。
まともに戦えと言う方がどうかしている。
だが、そのときだった。ふと、一つの考えが頭に浮かぶ。
(……装備がないなら、別のやり方でいい)
にやり、と口元が歪む。
(レスバでいいじゃん)
結論はシンプルだった。
楢原はスピーカーの出力を最大まで引き上げた。
「おーい! そこのイモムシ野郎!」
砂丘に響き渡る大音量。
サンドキャタピラーの動きが、ぴたりと止まった。
「あ?」
「お前のことだよ、イモムシ」
「なんだとォ!?」
相手が即座に反応する。見事なまでの食いつきだった。
(チョロ……)
楢原は内心でほくそ笑む。
「そのダッセェ見た目、よく平気で乗り回せるな」
「この……口を慎めよ。地球人ごときが!」
「地球人? なんだよ、お前、余所の星から来たのか?」
「ああ、そうだ。この星を支配しに来てやったんだ!」
グラドは胸を張るように言い切った。
「へえ……」
楢原はわざと間を置く。
「で? その割には、こんな田舎でイモムシごっこ?」
「……」
一瞬の沈黙。
「どうせならさ、大都会でやれよ。そっちの方が“支配”っぽいだろ?」
核心を突く一言だった。
グラドの眉がぴくりと動く。
「……俺が決めたんじゃねえ」
ぼそりと吐き捨てる。
「ダチの一人に、ここを任されたんだ」
「プッ」
楢原は露骨に吹き出した。
「なに笑ってやがる」
「いやいや。結局それかよ。人任せで、人のせい」
間髪入れずに畳みかける。
「完全に他力本願じゃねえか」
「違ぇわ!!」
グラドは苛立ち、操縦を荒くした。
挑発は、確実に効いていた。
■■■
グラドの意識は、完全に楢原の機体へと向いていた。
その隙をつくように、犬養たちは救助を続けていた。
柴崎の操縦する機体からロープが垂らされ、砂に足を取られて動けなくなった観光客を、一人ずつ引き上げていく。
「そのまま掴め! 離すなよ!」
引き上げた人間を安全な場所へ降ろし、代わりにセグウェイを手渡す。
「それに乗れ。いいか、止まるな。そのまま離れろ!」
砂地では足よりも機動力が出る。場当たり的な対応ではあったが、取り残されていた人の数は、確実に減っていった。
その間も、楢原の挑発は止まらなかった。
「おいイモムシ! その見た目、マジで正気か?」
「あぁ!?」
サンドキャタピラーの脚部が大きくうねり、砂を弾き飛ばす。機体全体がわずかに前のめりになる。
「いやほんとさ、よくそれで外出られるよな。勇気あるわ」
「黙れって言ってんだろ!」
「そのデザイン、自分で考えたのか?」
「違ぇ!」
「じゃあ誰だよ」
「ジジイだよ! 居候してるとこのな!」
間髪入れず、楢原が肩をすくめる。
「……あー、なるほど。子供部屋おじさんってやつか」
「違ぇわ!!」
即座に怒号が返る。
「ぶっ殺すぞテメェ!!」
砂が爆ぜる。サンドキャタピラーが大きく身をくねらせ、楢原の機体へと体勢を向け直した。
その様子を確認しながら、犬養はロープを引き上げる。
「……よし、いいぞ。そのまま引きつけてろ」
陽動は想像以上に成功していた。
「……あいつ、あんなに喋れたのか」
ロープを手繰りながら、犬養がぼそりと呟く。
「普段の仕事でも、あれくらい熱心ならいいんだがな」
さらに視線を細める。
「……てか、裏で俺のこともああやって言ってんじゃねえだろうな」
疑念は、わりと本気だった。
■■■
クソ、なんだ、あの地球人の虫ケラめ。
グラドはサンドキャタピラーの中で、毒づいた。
変なロボットに乗って、自分の前に立ち塞がったと思えば、罵詈雑言の嵐を浴びせてきた。
その言葉の一句一句が妙に鋭く、グラドの精神を逆撫でしてくる。
要するに――不愉快だった。
だが、少し頭を冷やすと、まともに舌戦をやり合う必要はないことに気付く。
相手のペースに乗せられたことに、わずかな苛立ちを覚えながらも、思考を切り替えた。
素の機体性能の差。こちらに分があることは明らかだ。
ならば、楢原がさっきから連呼している「イモムシ野郎」という言葉通りに、サンドキャタピラーの関節部をうねらせ、絡みつく。
「ウワッ!」
相手にとって予想外の行動だったのだろう。対応が遅れる。
鋼鉄の胴体が巻き付き、多脚の関節が食い込む。
機体がメキメキと軋みを立て、徐々に押し潰されていく。
その感触が、確かな手応えとしてグラドに伝わってきた。グラドは、楢原から流れてくる負の感情を察知した。
恐怖、絶望、無力感。
人間が抱くそうした負の感情は、グラドにとっての“糧”だった。
同時に――「呆気ねえな」と、どこか空虚な気分にもなる。
機体はすでに押し潰され、まともに動ける状態ではない。もはや抵抗の余地はなかった。
もう少し遊んでいてもよかったが、潮時だと判断する。
「俺がイモムシ野郎なら、テメエは捕食される羽虫だな」
今までの鬱憤を吐き出すように、言葉を叩きつける。
「あばよ。口うるさい虫ケラ」
サンドキャタピラーの脚がうねる。
前方の二本のアームが伸び、楢原の機体を左右から挟み込むようにして持ち上げた。
宙に浮く機体。
次の瞬間、残る多数の前肢が、槍のように突き出される。
鋼鉄の機体は空中で固定され、そのまま何本もの脚に突き刺されていく。
まるで獲物を掲げるかのように、サンドキャタピラーはその姿を晒した。
■■■
数刻後、砂丘の上空に、一機の航空機が到達した。
遥斗の精神を宿したジェットウインドである。
その視界が最初に捉えたのは、二本のアームに持ち上げられたまま、無数の脚に貫かれた楢原機の姿だった。