「……ったく、なんでこんなことになってやがるんだ?」
犬養は眉間に深いシワを刻み、こめかみを押さえた。
出動要請を受けて駆けつけた先は、住宅街の外れ。
――よりにもよって、
案の定、
最近になって新しく建てたらしい納屋が、景気よく炎を上げている。
犬養は、この一帯を管轄する刑事だ。
だが。
現場に立つ三人の顔ぶれを見た瞬間、その理解は一気に崩れた。
しれっとした顔の黒幕博士。
どこか飄々とした優男の助手。
そして――明らかにサイズの合っていない、ダボダボのジャケットを羽織った若い女。
状況が状況だけに、違和感が渋滞している。
犬養は一歩踏み出すと、遠慮なく切り込んだ。
「今度は何をやらかした?黒幕のおっさんよ」
「ワシは何もしとらんぞ」
即答だった。
しかも悪びれた様子は一切なし。
――この顔。
犬養の神経を逆なでするには、十分すぎるほど完成されていた。
「何もしなくて、納屋が燃えるか!!」
犬養の怒号が飛ぶ。
「何もしなくても燃えたんじゃ。しゃーない。ほれ、“風が吹けば桶屋が儲かる”じゃ。あれと同じじゃよ」
黒幕博士は、どこ吹く風とばかりに受け流す。
話が噛み合わない。
というより――はぐらかしている。
(こいつ……保険金目当てじゃないのか?)
疑い始めるとキリがない。
犬養は小さく舌打ちをして、視線を横にずらした。
(……なら、助手の方から攻めるか)
そう考えた、その矢先。
「この角煮、めっちゃ旨いっすね。おかわりいいすか?」
「味、染みてますねぇ。調味料の比率、教えてもらえません?」
楢原と柴崎。
自分の部下たちは、なぜか現場の片隅で飯を食っていた。
しかも、がっつり。
遥斗が振る舞っているらしい料理に、完全に心を奪われている。
「お前ら!!今は職務中だろうが!!」
怒鳴る。
だが、二人はまるで意に介さない。
「まあまあ、警部さんもどうです?ちょっと作り過ぎちゃって」
遥斗が、悪びれもなく皿を差し出してくる。
その瞬間。
犬養の腹が、ぐぅ、と正直に鳴った。
――最悪のタイミングだ。
「……いらん」
短く言い捨てる。
未練を断ち切るように、顔を背けた。
残るひとり。
犬養は、尋問の相手として狙いを定めた。
二十代半ばほどか。
若い。そして――整った顔立ち。
(……やりづらいタイプだな)
こういう相手は、警察官として接するのが苦手だった。言葉ひとつで、話が妙な方向に転がることもある。
「あー、君。ちょっといいかな?」
「はい?私ですか?」
犬養は一瞬だけ間を置き、言葉を選ぶ。
「俺は……いや、私は、こういうものだ」
一人称を言い直し、警察手帳を提示した。
「なんですか、それ?」
「いや、だから、これだ」
手帳を指で軽く叩いて示す。
「不細工な写真ですね」
即答だった。
しかも、遠慮がない。
「そういう話じゃない」
こめかみがぴくりと動く。
「まさか……」
(ようやく通じたか)
一瞬だけ希望が差す。
「私のサインが欲しいのですか?」
――違った。
犬養は言葉を失った。
(なんだここは……)
黒幕博士に始まり、助手、部下。
そしてこの女。
常識というものが、ことごとく通用しない。
「違う!私は警察だ!事情を伺いたい!」
声を張り上げる。
「ああ。そういうことでしたか」
ようやく理解した様子で、少女は小さく頷いた。
犬養の顔に浮かぶのは、苛立ちではなく、疲労だった。
(異星人と会話している気分だ……)
心の底から、そう思った。
犬養は、彼女の受け答え以上に、その服装が気になっていた。
女物ではない。
明らかにサイズの合っていない男物のパーカーを羽織っている。
「君は、あの科学者の知り合いか?」
「いいえ。今日、初めてお会いしました」
「ほう。じゃあ、どんな経緯でここにいる?」
「経緯と言われても……気が付いたら、ここにいたので」
「……ヤツの第一印象は?」
「変態だと思いました」
ピクリ。
犬養の眉が跳ね上がる。
「なんでそう思った?」
「いきなり、抱きつこうとしてきたんですよ」
ピク、ピク。
眉間が今度は小刻みに震える。
「しかも、そのとき私……お恥ずかしながら、服を着ていなくて」
ギロリ。
犬養の視線が鋭く跳ねた。
向かう先は――黒幕博士。
「……なるほど。それで、変なことはされなかったのか?」
少女は少しだけ考えてから、
「なんか、体をいじられた気がします」
あっさりと言った。
――スッ。
犬養は無言で立ち上がる。
がに股で、一直線に黒幕博士へ向かった。
「変態科学者」
「ワシは変態ではないぞ。天才科学者の間違いじゃろ?」
「逮捕だ」
「なんでじゃ!?今日は全裸ではないぞ!」
「いつもは全裸で徘徊してるのか」
「揚げ足を取るなと言っとるじゃろ!」
「とりあえず、女子拉致監禁。現行犯だ」
「ハァ!?ふざけるな!!」
「しょっぴけ!!」
犬養の号令が飛ぶ。
「「合点!!」」
即座に柴崎と楢原が動いた。
左右から腕を固め、黒幕博士の自由を奪う。
「拘置所でカツ丼でも食ってけや」
「罪状が増えるよ、やったね」
「誰が嬉しいんじゃ!!」
黒幕博士は、そのままパトカーへと押し込まれていった。
――なお。
数時間後、証拠不十分であっさり釈放されたという。
■■■
黒幕博士宅の前には、火事見物の野次馬が群がっていた。
「また、あの怪しい博士のとこかよ」
「毎回、燃えてないか?どっかの炎上配信じゃあるまいし」
好き勝手なことを言い合う群衆。
その中に、高梨美織の姿もあった。
ここに来たのは、まったくの偶然だ。
酒屋で缶ビールやサワーをまとめ買いしていたところ、サイレンの音が耳に入った。
なんとなく気になって、音のする方へ歩いてきたら――この騒ぎである。
美織は早速、プルトップを開けた。
プシュッ、と軽快な音。
一口、ぐいっと喉を鳴らす。
目の前では、消防隊員たちが慌ただしく動き回り、燃え盛っていた納屋は、徐々に勢いを弱めていくところだった。
(うわ……本当に燃えてる)
どこか他人事のように眺めながら、もう一口。
そのとき。
消火活動の脇で、二人の男が言い争っているのが目に入った。
一人は刑事。
もう一人は――でっぷりとした初老の男。腹がつかえているのか、白衣のボタンがはち切れそうになっている。
(あの人が「黒幕博士」か……)
一目で、胡散臭いと感じた。
ふと、美織の視線が別の人物を捉える。
――遥斗だ。
救急隊員や消防隊員と話している。
差し入れなのか、ペットボトルの飲料を手渡しているようにも見えた。
(まずい)
反射的に、美織は身を引いた。
仕事場以外で同僚と顔を合わせるのは、妙に気まずい。
それに――
(飲んでるところ、見られたくないし……)
缶ビールを持った手を、そっと背中に隠した。
そのときだった。
美織は、背後にひやりとした気配を感じた。
「お・ね・え・ちゃ・ん……」
聞き慣れた声。
ゆっくりと振り向くと――そこには、妹の真由が立っていた。
「何をやっているのかしら?こんなところで」
「そ、そ、そ、それはね……ほら、こういう消火活動にあたる人たちって立派だなぁって……生徒に話す題材としても、申し分ないでしょ?」
咄嗟に出た言い訳だった。
我ながら苦しい。
「手に持っているのはなあに?ビール?」
「これは……その……火事と喧嘩は江戸の華っていうし?」
「江戸時代はとっくに終わってるの。ここも江戸じゃないし」
真由は穏やかな口調のまま、にっこりと微笑む。
――目だけが、まったく笑っていない。
圧がすごい。
酒屋で缶ビールを箱買いし、その足で昼飲み。
その現場を妹に押さえられる。
かつて“才女”と呼ばれ、一流大学の外語科に進んだ姉の面影はどこへやら。
真由は、深く――本当に深くため息をついた。
「帰るよ、お姉ちゃん。あと、そのお酒は没収」
「そ、そんな……」
抗議の一言をひねり出す前に、真由が畳みかける。
「休日だからって飲み過ぎ。だらけすぎ。薄給のどれだけを酒代に注ぎ込んでるの?ゴミ出しの日、缶だらけで恥ずかしいのはこっちなんだからね。掃除だって山ほどあるんだから」
間髪入れないマシンガントーク。
一発一発が的確に急所へ入る。
「う……」
美織は言葉を失った。
反論の余地が、見当たらない。
そのまま、妹に促される形で帰路につく。
――と、そのとき。
何気なく振り返った視界に、ひとつの光景が映り込んだ。
遥斗に駆け寄る、ひとりの女性。
年の頃は、自分とそう変わらない。
迷いのない足取り。
距離の近さが、はっきりと伝わってくる。
(……あんなに、近いんだ)
胸の奥が、わずかにざわついた。
理由は、うまく言葉にならないまま。
美織はその感覚だけを抱え、歩き出した。
■■■
「説明せい!!」
警察署での取り調べを終え、ようやく帰宅した黒幕博士の第一声がそれだった。
あわや拘置所送り――その寸前までいったらしい。
「説明と言われても……」
遥斗は、隣に立つ美女へと視線を向ける。
「うーん。どこから説明しましょうか。銀河の成り立ちから――」
「遡りすぎじゃ!!」
珍しく、黒幕博士が即座にツッコミを入れた。
呼吸が荒い。
さっきまでの拘束の余韻か、それとも別の怒りか。
「いいか。かわいこちゃん――いや、お嬢ちゃんの素性。助手2号との関係。アンドロイドが動いた理由。それから――」
一拍置く。
拳がわなわなと震える。
「ワシの納屋が燃えた経緯。これだけでいい」
要求はシンプルだが、どれも重い。
無理もない。
当人からすれば、寝耳に水どころの話ではないのだ。
気づけば納屋ごと秘蔵のコレクションは灰。
あげく、警察に連行。
踏んだり蹴ったりである。
だからこそ――この場で説明を求めるのは、極めて正当だった。
「あ、そうか。そういえば、紹介がまだでしたね」
遥斗が思い出したように口を開く。
「彼女は“モルフォ”。俺と同じ、宇宙保安機構の職員です」
以前、司令官フリットが「援軍を送る」と言っていた。その“援軍”が、彼女というわけだ。
もっとも、黒幕博士の中では、その話はきれいさっぱり記憶の彼方へ消えていたが。
「はい。“ウィンディ”の許嫁です」
モルフォが、さらりと言った。
「なんじゃと!?」
即座に博士が食いつく。
「あ。間違えました。内縁の妻と言った方が正しいでしょうか」
「な、な、な……内縁?妻ァ!?」
顎が外れそうなほど口を開け、金魚のようにぱくぱくとさせる。
「助手2号!お前……この……裏切り者……まさか、やることは既にやっていたとは……」
肩がわなわなと震え出す。
もはや怒りなのかショックなのか判別不能だ。
「モルフォ、嘘はよせ」
遥斗が即座に訂正する。
「士官学校時代からの知り合いだ。それ以上でもそれ以下でもない」
きっぱりとした口調だった。
「あらあら、つれないですねぇ」
モルフォは肩をすくめてみせる。
「概要はウィンディの説明どおりです。フリット司令官の命を受け、地球防衛任務に就くことになりました」
ビシッ、と小気味よく敬礼する。
別任務で太陽系外に出ていたが、自ら志願して今回の任務に回ったという。
合流が遅れたのは、後任への引き継ぎに時間がかかったため――そう補足した。
「いざ地球に来てみたら、想定より重力が強くてですね。宇宙船の操縦が難しくて……結果、博士の納屋に不時着、というわけです」
コツン、と自分の頭を軽く叩き、ぺろっと舌を出す。
反省しているのかしていないのか、よく分からない仕草。
だが――
「可愛いから許す」
黒幕博士は即答だった。
間髪入れない。
迷いもない。
むしろ清々しい。
結果として――
(この人だから許されてるな……)
と、遥斗は内心で結論づけた。
「アンドロイドの体については、もともとの機体が旧式で損傷も激しかったので、博士の発明品をお借りしました。地球の技術とは思えないほど高性能で、驚きました」
「おい、聞いたか?助手2号よ」
「はい。聞きました」
「ワシの発明品は銀河系一じゃと」
「そこまでは言ってませんが、褒められたのは事実ですね」
「モルフォちゃん。ワシと結婚したいんじゃな?」
「あー、それは幻聴ですね。耳鼻科をおすすめします」
博士のうざ絡みを、遥斗は淡々と切り捨てる。
「ちょいと気になることがあるんじゃが」
「何ですか?」
「なんで、ふたりともワシの研究所に不時着するんじゃ?」
黒幕博士は、もっともな疑問を口にした。
ここまで炎上が続けば、偶然で済ませるには無理がある。
「「それは――」」
二人の声がぴたりと揃う。
「フリット司令官の指示です」
「機体にトラブルがあったら、とりあえず黒幕博士のところへ行け、と」
「あそこなら、どれだけ被害を出しても大丈夫だからって」
――沈黙。
黒幕博士の口が、ぽかんと開いたまま止まる。
「え?ワシの命って、そんなに軽いの?」
誰にともなく漏れた一言。
数秒の間のあと、肩ががくりと落ちた。
その日を境に――
黒幕博士の家に、同居人がひとり増えた。