「なあ、今度の土曜、山へ行こうぜ」
コウジが机に身を乗り出しながら言った。
「山?」
カケルがオウム返しに聞き返す。
「
ダイチが補足した。
「藤乃山かぁ……」
カケルは微妙そうな顔になる。
市が観光名所として大々的にPRしている山だ。
ご当地ゆるキャラの「フェニッ君」まで作られている。
――もっとも。
その町おこしは、成功しているとは言い難かった。
まず、「ふじのやま」という名前。
富士山に響きが似ている一方で、「不治の病」を連想すると一部で不評だった。
さらに、マスコットのフェニッ君。
不死鳥がモチーフらしいのだが、どう見ても丸々としたニワトリ寄りで、背中の炎も相まって、
『焼き鳥じゃん』
と、市民から散々な言われようだった。
極めつけは、市長自ら着ぐるみに入り、
「そうです。私が
とダジャレを披露し、会場の空気を氷点下にした事件である。
「あー、思い出した。あれニュースで見たわ」
カケルは遠い目をした。
「俺はパス。せっかくの休みに山とか、疲れるだけじゃん」
「女子も来るぞ」
その一言で、カケルの動きがぴたりと止まった。
「……だから何だよ。別に興味ねぇし」
いかにも思春期男子らしい強がりだった。
「ていうか、誰が来るんだよ?どうせ、藻絵とかだろ?」
「正解!」
ダイチが勢いよく立ち上がる。
「山田カケル君には、ピタリ賞を進呈しまーす!」
クイズ番組の司会者じみたオーバーリアクションで両手を広げた。
「じゃあ、やっぱ行かなくていいや」
即答だった。
コウジとダイチは、そろって肩を落とす。
「お前、変わってるよなぁ」
「藻絵ちゃん、男子人気めちゃくちゃ高いのに」
「いや、そう言われてもさ」
カケルは机に頬杖をついた。
「アイツ、小学校からずっとクラス一緒だぜ?今さらドキドキとかねぇって。性格もキツいし」
一拍置いて、ぼそりと付け加える。
「ときめくもんも、ときめかねぇよ」
休日に山登り。
しかも、男女合同。
こういうイベントに積極的なのは、運動部系の活発な女子か、陽キャ寄りの社交的なタイプ――カケルの中では、そんなイメージだった。
正直、あまり気が進まない。
コウジとダイチが参加メンバーの一覧を見ながら盛り上がっている理由も、いまひとつ理解できなかった。
「……ん?
その名前を見た瞬間、カケルの声色が変わる。
「え、鏑木来んの?」
鏑木彩芽。
黒髪のおさげに眼鏡。
一目でインドア派と分かる、おとなしい女子だった。
「おっ、食いついた」
「ヒヒッ、爆釣だな」
コウジとダイチがニヤニヤする。
(俺は魚かよ……)
カケルは内心で毒づく。
だが、彩芽に気があるのは事実だった。
整った顔立ち。
雪みたいに白い肌。
制服の上からだと分かりづらいが、同級生の中では胸元もかなり目立つ方だ。
加えて、物静かな雰囲気。
カケルの好みど真ん中だった。
「……やっぱ、俺も行くわ」
さっきまでの拒否反応が嘘みたいに、あっさり前言を撤回した。
■■■
少年たちが企画した、ささやかなハイキング計画。
その話は、担任の高梨美織の耳にも入っていた。
「へえ。今度の土曜日に?」
「そうそう。まあ、十人くらいの小規模なやつだけどさ。ハイキングって感じ」
昼休みの清掃時間。
ほうきを片手に、カケルはどこか得意げに話していた。
まるで、自分が発案者であるかのように。
「調子いいよな、コイツ」
「ホントホント」
コウジとダイチが苦笑混じりに囁く。
「でも、健康的でいいんじゃない?」
美織は軽く微笑んだ。
「で、行き先はどこなの?」
「藤乃山」
「……え?」
その瞬間だった。
美織の表情が、わずかに強張った。
カケルは、その変化に小さな違和感を覚えた。
驚き――とは少し違う。
困惑。
あるいは、警戒。
中学生のカケルには、うまく言葉にできない。
だが少なくとも、“好意的な反応ではない”ことだけは、はっきり分かった。
「うーん……そこは、止めた方がいいんじゃないかな」
美織は、やんわりと否定的な態度を見せた。
「山なんて、他にもいっぱいあるんだし。ほら、それこそ――
言った直後、美織は後悔した。
(うわぁ……)
自分で自分にダメージが入る。
穴があったら入りたい。
「アルピニストが聞いたら怒ると思うよ、その発言」
カケルの冷静なツッコミが刺さった。
ぐうの音も出ない。
「べ、別に藤乃山じゃなくてもいいじゃない?富士山とか……エベレストとか……」
「休日のハイキングだよ?」
カケルが呆れた顔をする。
「俺たち、登山家じゃないんだからさ」
「そうそう」
ダイチも同調した。
「中学生がエベレスト行けるわけないし。交通費だけで破産だよ」
「で、でも……」
美織はなおも食い下がる。
「あそこ、お化けが出るって噂あるし……」
「いや、俺たち、お化け信じる歳じゃないし」
「うっ……」
一度崩れた流れを立て直せない。
「そ、そうだ!変質者!」
美織が勢いよく顔を上げた。
「あそこ、変質者が出るのよ!」
「今、思いついたでしょ?」
コウジのツッコミが鋭い。
「変質者って、あれよ。黒幕博士」
その名を出した瞬間、男子たちの反応は意外なものだった。
「あー、会ったことある」
「俺もあるわ。研究所探検した時、水浴びしてた」
「全裸でな」
「ええっ?」
美織は絶句した。
噂どころではない。
想像以上にヤバい人物だった。
「まあ、黒幕博士なら、今さら驚かないよな」
「う、うぅ……でも、あの人のことだから、レオタードとか着て……」
そこまで言いかけて、美織は口を閉ざした。
想像してしまったのだ。
黒幕博士のレオタード姿を。
(ダメ……)
二日酔いに似た吐き気が込み上げる。
自分の想像力を、本気で呪った。
「……それなら、私も行くわ」
結局。
カケルたちの行き先を変えさせるのは難しいと判断した美織は、自ら引率役を買って出た。
「えー……」
案の定、男子たちから露骨に嫌そうな声が漏れる。
「まあ、子ども同士の方が気楽なのは分かるけどね」
本音を言えば、美織だって休日は家でだらだらしていたい。
昼まで寝て、昼間から酒を飲んで、気付いたら夕方――そんな過ごし方が理想だった。
「でもね。山って、ほんとに危ないの」
美織は少し真面目な口調になる。
「急な事故もあるし、天候も変わりやすいし、遭難だって普通にあるの。あと、お化けとか妖怪とか変質者とか……」
後半はだいぶ怪しくなった。
だが、“山は危険”という部分については、カケルたちも否定できない。
遭難事故のニュースくらい、彼らだって何度も見ている。
「まあ……美織先生なら別にいいんじゃね?」
最初に折れたのはコウジだった。
「うん。変な大人が来るよりマシ」
ダイチも頷く。
理屈半分。
押しの強さに負けたのが半分。
そんな感じで、少年たちは美織の同行を受け入れることになった。
そうなると、ハイキングの誘いが遥斗にも向かうのは、自然な流れだった。
カケルたちのクラスの副担任。年齢も若く、どこか天然というか、少しズレたところもある。
だが、カケルにとっては、「先生」というより、「兄ちゃん」と呼んだ方がしっくり来るような存在だった。
特に、藻絵が積極的に遥斗の参加を推していた。
「遥斗先生にも来て欲しいの。いざって時、頼れる大人がいた方が安心じゃない?山って、何があるかわからないし」
もちろん、その半分は口実だった。
だが、大人の引率者がいた方が望ましいのは事実である。
カケルは、藻絵が遥斗に対して、教師以上の感情を抱いていることに薄々気づいていたが、あえて口にはしなかった。
一方で、遥斗自身も、本音を言えば快諾したい気持ちはあった。
しかし、返事は保留にする。
黒幕博士から、開発の手伝いを頼まれていたからだ。
ところで、ふと、遥斗は疑問を美織に投げかける。
「美織先生は、登山に反対なんですか?」
「ええ……まあ……」
どこか歯切れの悪い返事だった。遥斗は、その様子が少し気に掛かる。
「山には、色々な動物が出るでしょう?熊とか、猪とか……それに、狼とか」
「あー、それは怖いですね」
「あと……夜な夜な怪物が徘徊して、人を襲うことがあるとか、ないとか……」
後半になるにつれ、美織の声は少しずつ弱くなっていく。
生徒たちを心配している気持ちに嘘はないのだろう。
ただ――山へ行かせたくない理由を、無理に探している。
遥斗には、そんな風に思えた。