海底深く、外界の探知を逃れるように設けられた、Dr.エンビーのラボ。
静寂に包まれているはずのその空間に――
「ギャアアアア!ウオオオ!!」
場違いな絶叫が響き渡っていた。
グラドである。
鳥取砂丘での戦闘を終え、辛くも離脱した彼は、現在、修復処置を受けている最中だった。
サンドキャタピラーから脱出する際、接続していたケーブルを無理やり引き千切った。その反動で、機械の身体各所に損傷が生じていたのだ。
「うるさいな。もう少し静かにできないか?」
作業を行うエンビーが、露骨に顔をしかめる。
グラドの声量は、作業環境としては最悪だった。
「痛えんだよ!お前こそ、もっと優しくできねえのかよ!」
やり取りは、まるで歯医者で暴れる子どもと医者そのものだ。
エンビーは小さくため息をつく。
グラドの感覚からすれば、麻酔なしで分解と修復を同時にやられているようなものだ。
もっとも――
エンビー自身は、彼の体に直接触れてはいない。
人工知能を組み込んだ機械群を遠隔操作し、淡々と処置を進めているだけだ。
「なら、その機械の体を一時的に停止させればいいだろう」
うんざりした口調で提案する。
いわばスリープモード。
理屈の上では、痛覚も遮断されるはずだった。
「どうやるんだ?やり方、わかんねえよ」
ハァ――。
エンビーは、これ見よがしに大きなため息をついた。
(どこまで単細胞なんだ……)
頭痛すら覚える。
だが、今さらグラドに細かな操作を期待するだけ無駄だった。
「仕方ない」
エンビーは端末へ指を走らせる。
彼の開発したアンドロイドには、暴走時に備えた安全装置が組み込まれている。
管理者権限――すなわち、Dr.エンビー自身の命令によって、強制停止を行えるようにしてあるのだ。
最悪、敵に鹵獲された場合も想定しての措置だった。
「少し眠っていろ」
次の瞬間。
グラドの目から、ふっと光が消えた。
これで、ひとまずは静かになった。
エンビーは小さく息を吐く。
グラドの修復作業をオートモードへ移行させ、自身は再び研究へ戻ろうとした。
「なるほどね。そんな機能があるんだ」
不意に、背後から女の声がした。
振り返る。
そこに立っていたのは、一人の美女だった。
「……ラスティナか」
気配を悟らせず、いつの間にか背後を取られていた。
ラスティナは、妖艶な笑みを浮かべる。
大抵の男なら、その微笑みだけで警戒心を解くだろう。
だが、エンビーは違う。
彼女の本性を知っている。
ゆえに湧き上がるのは欲情ではなく、得体の知れなさへの警戒心だけだった。
「身を守るための機能だ。別に珍しくもない」
「フフ……そうかもね」
ラスティナは、意味深に目を細める。
「でも、それで私たちより優位に立ったつもりにならないことね」
それだけ言い残し、踵を返す。
長い髪を揺らしながら、ラスティナはラボの奥へ消えていった。
■■■
夜――人々が寝静まった時間帯。黒幕博士の研究所も静寂に包まれていた。
基本的にメインコンピューターは電源を落とし、最低限の電力消費で済むよう、一基のサブコンピューターだけが稼働している。研究データのバックアップを取り続けるためだ。
あとは、黒幕博士自作のセキュリティシステムくらいだろうか。外部からの侵入、不正アクセス、クラッキングから、身の安全と機密データを守る砦とも言うべき存在だった。
そんな暗闇の中、蠢く影があった。
一歩。また一歩。
歩みを進めるたび、床がわずかに軋む。
その影は扉の前でピタリと足を止めた。
ポケットから携帯電話より一回り大きな機器を取り出し、電子錠へとかざす。
機器がデータを読み取り、それに呼応するように電子錠が反応した。
カチリ。
小さな解錠音が響く。
不審者は慎重な手つきで、静かに扉を開いた。
そこは、モルフォ――遥斗の同僚の寝室だった。
広い敷地に建つ研究所兼住居。研究スペースを差し引いても、一人暮らしの黒幕博士には広すぎる。空き部屋はいくつもあり、その一室を遥斗やモルフォが使っていた。
不審者は、窓から差し込む月明かりを頼りに室内を進む。
ベッドに横たわるのは、一人の美女。
アンドロイドの体を持つモルフォは、スリープモードへ移行することで、人間でいう睡眠状態に入っていた。
「ククク……よく眠っている。この様子なら、少々のことでは起きまい」
毛布をそっとめくる。
そこには、パジャマ姿のモルフォがいた。服の上からでも分かるほど、胸元にはふくらみがある。
その影は、ゆっくりと、しかし迷いなく、彼女へ手を伸ばした。
――そのときだった。
夜の静寂を打ち破るように、警報音がけたたましく鳴り響いた。
「何事だ? 無事か?」
警報音を聞きつけ、部屋へ飛び込んできたのは遥斗だった。ジャージ姿に、胸元からインナーのTシャツが覗くラフな格好だ。
「ウィンディ!」
モルフォが遥斗の胸へ飛び込む。
「怪我はないか?」
「ええ。この通りです」
モルフォの言葉通り、目立った異変は見当たらない。
遥斗は張り詰めていた表情を、少しだけ緩めた。
「何があった?」
「侵入者です」
「逃げたのか?」
「いえ、あそこに」
モルフォは部屋の奥へ歩き、壁際のスイッチを押した。
パチリ、と照明が点く。
遥斗は目を見開いた。
侵入者はベッドの上。
ハンモックのような網に吊り上げられ、身動きも取れず、ジタバタともがいている。
「黒幕博士!?」
侵入者の正体は、黒幕博士だった。
「おい、助手二号! 助けてくれ!」
「何やってるんですか……」
遥斗は呆れ混じりにため息をつく。
「痴漢ですよ」
モルフォが横から口を挟んだ。
頬を膨らませ、博士への抗議の意思を隠そうともしない。
「痴漢!? 人聞きの悪いことを言うな!」
黒幕博士がまくし立てた。
「ひとつ屋根の下。美女が無防備に寝ていたら、男なら興味を持たずにはいられん。そうは思わんか、助手二号」
「それは犯罪者の戯れ言です」
遥斗はジト目で切り返した。
「それに、モルフォは俺と同じ宇宙保安機構所属ですから。こういうトラップを仕込むのは得意なんですよ。寝込みを襲うのはやめた方がいいです」
「そうですよ。それにね……」
モルフォの顔つきが変わった。
か弱そうな雰囲気は消え、瞳に嗜虐的な色が宿る。
「ん?」
黒幕博士が首を傾げた、その瞬間。
「あ、あば、あばばばばばばば!」
突然、博士の身体がバイブレータのように激しく震えだした。
「しばらくすると、電流が流れる仕組みになってますから。もちろん、命に別状がない範囲で」
エグ……。
遥斗の背中を冷や汗が伝った。
「あばばばばばばばばば!」
電流の奔流にのたうち回る博士。
「ウフフフフフフ……」
愉悦たっぷりの笑みを浮かべるモルフォ。
遥斗の頭の中では、情報の整理がまったく追いついていなかった。
「さて、まだ真夜中ですし、しばし眠るとしましょうか」
と、モルフォが言った。
「いや、でも、博士をこのまま宙吊りにするわけには……」
「その博士は、こういうプレイがお好きではないかしら?」
モルフォが侮蔑と軽蔑をたっぷり込めた目で、黒幕博士を見下ろす。
最初こそ手足をバタつかせていた博士だったが、徐々に息が荒くなり、苦悶の表情はいつしか妙な恍惚へと変わっていった。
「き、気持ちいい……」
苦痛すら快楽に変換し、黒幕博士は全力で悶絶していた。
「さ、では就寝しましょう」
「あ、ああ……」
二人はそう言って、部屋を後にする。
「おい、待てい! ワシを放置する気か!?」
博士が慌てて抗議する。
「放置プレイか……。だが、これはこれで……くぅーっ、堪らんのゥ……」
深夜。
黒幕博士の苦悶とも歓喜ともつかない声が、屋敷中に響き渡った。
――その結果。
遥斗はなかなか寝付けず、寝不足のまま朝を迎えることになった。