大空の戦士ウィンディアス   作:hirosnow

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Sunrise ―― 朝日とパンケーキと博士

 ちょっとした騒動を経て、黒幕博士の研究所はいつも通りの朝を迎えていた。

 

 薄力粉に牛乳、鶏卵、ベーキングパウダー、重曹、それにバターミルクを加え、溶かしバターを少量落としてザックリと混ぜる。

 

 遥斗は朝食を作っていた。

 挑戦しているのは、アメリカンダイナーのクラシック寄りのパンケーキだ。

 これにベーコン、サニーサイドアップの目玉焼き、それから簡単なサラダを添えれば、満足度の高いワンプレートモーニングの完成である。

 

 ――とはいえ。

 昨日からの寝不足が身に染みる。

 遥斗は一晩中、黒幕博士の声に悩まされていた。

 男のもだえる声ほど気色の悪いものはない。幽霊と一夜を過ごす方が、まだマシかもしれない。

 

 モルフォがアンドロイドだから、こうした騒音の影響を受けないのは理解できる。

 だが、問題は黒幕博士本人だ。

 一晩中、網に吊るされ、電流まで浴び続けていたというのに――

「なんか知らんが、肩こりと腰痛が吹き飛んだわい」

 と、平然と朝を迎えていた。

 

 解せぬ。

 なぜ自分だけが睡眠不足なのか。

 遥斗は心の底から納得できなかった。

 

「おはようございます」

 モルフォが起床してきた。

 時刻は午前七時。

 スリープモードから通常モードへ切り替わったのだ。

 

 遥斗は今さらながら思う。

 睡眠不足に悩まされないアンドロイドとして地球に来ればよかった、と。

 

 パンケーキは、思いのほか好評だった。

「これが、地球のパンケーキですか」

 モルフォはメープルシロップを少し多めにかけ、食事を楽しんでいる。

 

 黒幕博士は食べ始める前こそ、

「なんじゃ、これは? 甘いもんとしょっぱいもんのごちゃ混ぜか?」

 などと文句を垂れていたが――

「案外いけるの。ベーコンの塩っ気と、甘いパンケーキがマッチしとる」

 そう言って、パンケーキ二枚をあっという間に平らげた。

「ところで、気になったんじゃが……」

 

 黒幕博士は、パンケーキの甘い余韻を砂糖なしのコーヒーで流し込みながら、モルフォへ視線を向けた。

 

「アンドロイドの体で、食べ物の味を感じられるのか?」

 

 機械の体。素体は博士が開発したものだ。

 だが、博士はこの体に味覚機能も、消化機構も組み込んだ覚えがない。

 

 だからこそ、不思議だった。

 

「ええ。元の肉体ほど鋭敏ではありませんが」

 

 モルフォが答える。

 

「俺たちは精神体を融合させると、依り代にも感覚が宿るんです。俺が巨大ロボットに融合してる時、視覚や聴覚が機能するのと同じ原理ですよ」

 

 遥斗が補足する。

 

「もっとも、アンドロイドは食事をしなくても生存に影響はありません。食事は、嗜好品を楽しむ感覚に近いですね」

 

 モルフォはパンケーキを一口頬張った。

 

「巨大ロボットの方は別です。あっちは戦闘目的ですから、味覚なんてインプットされてませんよ」

 

 今度は遥斗が答える。

 

「ほう。つまり、依り代ごとに得られる感覚が違うわけじゃな」

 

 博士が興味深そうに頷いた。

 

「ところで、モルフォちゃん」

「なんでしょう?」

「地球で暮らすにあたって、名前がないと不便じゃないかの?」

 と、黒幕博士。

 

「確かに」

 遥斗も相槌を打つ。

 

「街で飲食店に入る時とか、病院で診てもらう時とか。それに職質された時とか、日本人の名前がないと困るぞ」

 

 職質――職務質問を例に挙げるのはどうかと思う。

 黒幕博士は、職務質問の常習犯なのか。

 いや、普段の奇行を考えれば、遥斗の推理もあながち間違っていない気がした。

 

「ワシがモルフォちゃんに相応しい名前を授けてやろう」

 

 博士が自ら名付け親を買って出る。

 遥斗は嫌な予感しかしなかった。

 

 以前、自分に「ナポリ炭治郎」などという、キラキラネームですら生易しい名前を提案してきた男だ。

 

「ボロネーズ子とか、どうじゃ?」

「あ、却下で」

 モルフォの返答は冷淡だった。

 

「私、もう決めましたから」

「なんじゃと!?」

 博士が眉を吊り上げ、大げさに反応する。

「ワシのお嫁さんに……」

「誰もそんなこと言ってませんよ。このウスラハゲメタボ星人」

 モルフォは、にこやかに笑っていた。

 ただし、言葉にはたっぷり毒が込められている。

 

「アゲハ。私の地球(ここ)での名は、垣花アゲハです!」

 

 遥斗は、その名前を否定しなかった。

 むしろ、自分と同じように、自分の意思で決めた名前だ。

 ならば尊重されるべきだと思った。

 

「アゲハちゃんか……」

 黒幕博士はというと、

「夜の世界を彷彿とさせるの」

 遥斗とは別ベクトルの感想を口にした。

 

「助手2号よ。それはさておき、モルフォ……いや、アゲハちゃんな。ちょいと言葉がキツすぎんか?」

 

 それは遥斗も感じていた。

 博士の変態性を差し引いても、アゲハの言葉には少々棘がある。

 

「それは同意しますよ。俺からアゲハに、一言釘を刺しておきますか?」

「いや。それには及ばん」

 

 博士は、遥斗の提案をきっぱり断った。

 

「いいんですか?」

「ああ。美女からキツい言葉で責められるというのも、なかなか快感じゃからな」

 

 遥斗は言葉を失った。

 諦め――いや、呆れの方が大きかった。

 

 

■■■

 

 三人は、慌ただしい朝食を終えた。

 

「空いた皿は、台所のシンクに置いてください。俺は学校へ向かいますから、博士、洗い物お願いしますよ」

 

「イヤじゃ」

 黒幕博士は即答した。

 

「博士、一日中、家にいるでしょ」

「帰ってから、お前がやればええ。助手二号」

 

 遥斗は、主婦の気持ちが少し分かった気がした。

 家事を手伝わない旦那を持つと、こんな心境になるのかと。

 

「私、やっておきますよ」

 アゲハが名乗り出る。

 

「そうか。頼むよ」

「アゲハちゃん。健気じゃのう」

 

 まるで他人事のような物言いだった。

 ふてぶてしいにもほどがある。

 

「あ、そうだ、博士」

「なんじゃ、助手2号」

 

「今度の土曜日、学校の生徒たちと山へ行ってもいいですか?」

 

 スーツの上着を羽織りながら、遥斗はクラスの面々から受けた誘いを思い出した。

 

「山? 何しに行くんじゃ?」

 

 カケルや萌絵から、ハイキングへ誘われていることを伝える。

 

「ちょっとしたレクリエーションですよ。問題ないですよね?」

 

 許可を求めたものの、返事がない。

 なぜか、博士は眉間に皺を寄せ、険しい顔をしていた。

 

「お前さんの教え子は中学生じゃな?」

「そうですよ」

 

 今さら何を聞くのだろう。

 遥斗は首を傾げた。

 

「参加者は男女混合なんじゃな?」

「らしいですね」

 誰が来るのか、男女比までは聞いていない。

 

「助手2号よ。よく聞け」

 

 博士の口調は、いつもと違っていた。

 低い声色に、妙な真剣味が宿る。

 

「なんでしょうか」

 遥斗も自然と姿勢を正す。

 

「これは、合コンじゃな。男と女の戦場とも言える」

 

「合コン?」

 遥斗には、初めて聞く言葉だった。

 

「アゲハ。知ってるか?」

 そう言って、話題を同僚へ振る。

 

「ちょっと待ってくださいね」

 アゲハは、遥斗と同型の携帯端末を操作し、検索を始めた。すでに地球のインターネット網には接続済みだ。

 

「ふむふむ。合同で行われる親睦会(コンパ)とのことです」

「へえ。素敵な催しじゃないか。なんで、それが戦場なんですか?」

 

 視線を再び博士へ向ける。

 

「にわかじゃのう。地球に来て日が浅いから、無理もないか」

 

 黒幕博士は熱弁した。

 中学生を子どもと侮るな。

 異性を意識し始める多感な時期であること。

 意中の相手を射止めるため、知略の限りを尽くす頭脳戦であること。

 

「分かったか? 助手二号」

「分かったような、分からないような……」

 

 遥斗には、いまひとつピンと来ない。

 どうにも解像度の低い話だった。

 

「で、結局、俺は参加してもいいですか?」

「ダメじゃ」

 清々しいほどの即答だった。

 

「なんでですか?」

 遥斗は不満げな顔を隠そうともせず、博士を見た。

 

 気まぐれで天邪鬼。

 そんな博士のことだ。どうせ適当な理由だろうと思ったからだ。

 

「ワシの発明を手伝ってもらう」

 

 黒幕博士曰く、災害救助用の機体を開発するつもりらしい。

 

 地中を掘り進むドリル機。

 山岳地帯での活動を想定した車両。

 水陸両用車両。

 

 例を挙げればキリがない。

 強度や安全性といったハード面だけでなく、システム面も重視した設計だという。

 

「これは、お前さんにも都合がいいぞ。ジーグリードとかいう悪党と戦う時、お前の肉体は抜け殻になるからな。それを安置する場所としても絶好じゃろ?」

 

 その説明には、確かに理があった。

 それに、自分が機械の怪物を相手にしている間、救護活動をこれらへ任せれば、自身は戦闘に専念できる。

 

「平日は教職の仕事があるからの。せめて土日くらいは、助手らしくワシの研究を手伝え」

 

 黒幕博士は、もっともらしい理屈を並べた。

 

 せめて家事の半分でも負担してくれたらな。

 遥斗は胸の内で愚痴をこぼす。

 

 平日だって、研究を手伝う時間くらいはあるのだから。それでも、口にはしなかった。

 

 博士が素直に聞き入れる姿が、どうしても想像できなかったし――何より、これ以上ここで時間を使う余裕もない。学校へ遅刻してしまう。

 

 カケルや萌絵には悪いが、ハイキングの件は断ろう。

 生徒たちの引率は、美織先生に任せるしかない。

 

 そんなことを考えながら、遥斗は鞄を片手に研究所を後にした。

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