――そして、地上。
日本時間、20時頃。黒幕博士は窓を開け放ち、バスタブに浸かっていた。
片手にはワイングラス。入浴中の飲酒が健康に悪いなど、博士にとっては些事に過ぎない。
窓の向こうには、夜の海が広がっている。
博士の不満はただ一つ。
――自らの裸体を若い女性に見せ、その反応を楽しめないこと。極めて下卑た願望である。
そのときだった。
夜空の彼方から、異様な光と轟音が迫る。
制御を失った輸送機が、火の尾を引いて落下してきたのだ。
軌道は一直線。
博士の家――その庭先へ。
轟音と振動が建物を揺らす。
博士はワイングラスを持つ手を止めた。
「何事じゃ!?」
全裸のまま、窓から上半身を乗り出す。
次の瞬間、輸送機のコックピットが開いた。
一人の青年が、屋根へと飛び降りる。
見慣れぬ服装。しかし動きは軽やかで、危なげなく着地した。
――直後。
制御を失った機体が、敷地内へと墜落した。
納屋に激突し、木材や工具を巻き込みながら粉砕する。
そして――
博士が秘蔵していたコレクション。18歳未満お断りの書籍や映像媒体が、無残にも砕け散り、夜の空気に舞った。
静寂。
黒幕博士は、全裸のまま立ち尽くす。
「……なんじゃと」
震える声。
「ワシの……心の支えが……!」
絶叫が夜に響いた。
怒りと衝撃で顔を真っ赤に染めながら、どこか異様に高揚した目をしている。
煙の中から、一人の青年が姿を現す。
ウィンディアスだった。
「……すまない。ここは……地球か?」
「地球どころか、わしの人生の墓場じゃぁぁぁ!!」
全裸で半狂乱の中年男と、異星の青年。
あまりにも噛み合わない光景だった。
「大丈夫か? おっさん。怪我ないか?」
「毛がないか、じゃと!? わしはハゲとらん!」
黒幕博士は、嘘をついた。
「いや、怪我の方だよ!」
「怪我じゃと? わしはな――心に大きな怪我を負ったワイ!」
「実は、俺――地球の外の星から来たんだ。輸送機の着陸地点が、ここに設定されていて……」
ウィンディアスは説明を試みる。
だが、黒幕博士はまるで聞いていない。
焼け跡を見つめたまま、肩を震わせている。
「……ワシのコレクション……」
そのときだった。
遠くからサイレンの音が響く。
次第に大きく、鋭くなっていく。
「なんだ、この音は?」
「消防車じゃな……それに、パトカーも来とるの」
「消防車?」
「火事を消すための車じゃ。近くで火でも――」
一瞬の間。
「「あ!!」」
二人は同時に振り返った。
納屋はすでに炎に包まれている。
黒煙が夜空へと立ち上っていた。
「ワシの家が火元じゃぁぁぁ!!」
ほどなくして、消防車が到着する。
ホースが展開され、勢いよく放水が始まった。
さらに、パトカーも滑り込むように停車する。
「おい! 動くなよ!」
制止の声とともに、一人の男が敷地内へ踏み込んできた。
犬養――この地域を担当する刑事だ。
鋭い目つきで現場を一瞥すると、その視線は真っ直ぐ黒幕博士へと向けられる。
「……あんたか。黒幕博士」
低く、刺すような声。
「ずいぶん派手にやってくれたな。爆発だの火事だの……今度は何を企んでる?」
問い詰めるというより、すでに決めつけている口調だった。
その背後から、救急隊員が慌ただしく駆け寄る。
「怪我人はいませんか!?」
場の空気が一瞬だけ現実に引き戻される。
だが、犬養の視線は逸れない。
「で? そっちのガキは誰だ」
顎でウィンディアスを指す。
「見ねえ顔だな。共犯か?」
ウィンディアスと黒幕博士は、一瞬だけ顔を見合わせた。
――どう説明する?
「俺……いや、僕は、先日まで海外の大学院に留学していまして」
ウィンディアスは一拍置き、言葉を選ぶ。
「短い期間ですが、こちらの博士のもとで研究補助をすることになりました」
視線を逸らさず、続ける。
「火事は、その作業中に起きたものです。突然、上空から物体が落下してきて……機材に引火しました」
間を置く。
「おそらく、隕石か、人工衛星の破片かと」
犬養は眉間に皺を寄せた。
消火に当たっていた隊員の一人が口を挟む。
「上からの落下痕は確認できています。残骸も……航空機に近い構造が一部」
犬養は舌打ちした。
「……チッ。話は合ってやがるな」
だが、その目はまだ疑いを捨てていない。
「で?」
一歩、距離を詰める。
「名前は?」
ウィンディアスは、わずかに言葉に詰まった。
――地球での名を、まだ持っていない。
「そいつの名は――たんじろうじゃ」
黒幕博士が、間髪入れずに口を挟んだ。
「たんじろう?」
「ナポリ炭治郎。それがそいつの名前じゃ」
「そんな名前の日本人がいるかよ!」
犬養の即答。
ウィンディアスは内心で整理する。
――どうやら、自分の外見は“日本人”に近いらしい。
「ジョン万次郎がおるじゃろうが」
博士は平然と言い返す。
「それとこれとは話が違ぇだろ……」
犬養はこめかみを押さえた。
本気なのか、ふざけているのか――判別がつかない。
「どちらにしてもじゃ」
博士はワイングラスを傾けながら、投げるように言った。
「事件性がないなら、お前さんの出番は終わりじゃろ。ぶぶ漬けでも食って帰れ」
要するに、“帰れ”ということだ。
現場では消火が進み、怪我人もいない。
火災原因も、落下物による事故と見て間違いない――消防はそう判断している。
警察としても、犯罪の疑いがなければ長居はできない。
だが――
犬養は動かなかった。
「お前……なんで服を着てねぇんだ?」
犬養の視線が、ようやく“そこ”に向いた。
黒幕博士は終始――全裸だった。
墜落、火災、事情聴取。その間、一切動じていない。
「何を今さら。ワシの自由じゃろうが」
「自由にも限度があるだろうが!」
犬養は吐き捨てるように言った。
「通報も入ってる。“全裸の男が騒いでる”ってな」
カチャリ、と乾いた音。
「軽犯罪法違反――みだりな露出ってやつだ。署まで来てもらうぞ、黒幕博士」
手首に手錠がかけられる。
「なんじゃと!? ふざけるな! ここはワシの敷地内じゃぞ!」
「外から丸見えで騒いでりゃ同じだ」
犬養は取り合わない。
「話は署で聞く。ついでに、さっきの妙な話もな」
強引に腕を引かれる博士。
「ワシは被害者じゃぞ! コレクションも家も――」
「はいはい、そっちもまとめて聞いてやるよ」
ずるずると引きずられていく。
パトカーのドアが閉まる音が、夜に響いた。
ウィンディアスは、その一部始終を呆然と見送るしかなかった。
――地球とは、実に理不尽な場所らしい。
なお、数時間後。黒幕博士は釈放された。
自宅敷地内での行為であり、悪質性に乏しいと判断されたためである。
そして犬養刑事は、上司からこっぴどく叱責された。