空は、あの日も静かだった。
ただ――
世界は静かではなかった。
瓦礫が崩れる音が響く。
ガラスが割れ、遠くで何かが倒れる。
そして。
それは、そこにいた。
形は定まっていない。
黒い霧のようでもあり、
溶けた影のようでもあり、
時折、人の腕のようなものが伸びる。
魔物。
人の理解の外にある存在。
少女は走っていた。
息が苦しい。
足がもつれそうになる。
後ろを見る。
魔物はゆっくりと近づいてくる。
急いでいる様子はない。
逃げ場はないと分かっているように。
少女は角を曲がった。
崩れた建物の陰に入り、壁に背中をつける。
胸が激しく上下している。
「はぁ……はぁ……」
手が震える。
さっきまであったはずの通りは、もうない。
瓦礫で塞がれている。
少女は震える声で言う。
「……誰か」
返事はない。
風だけが通り過ぎる。
少女は目を閉じた。
遠くで、何かが壊れる音がする。
魔物が近づいている。
そのとき。
声がした。
「確認」
少女は目を開けた。
そこに――
丸いものが立っていた。
少女は固まる。
着ぐるみのような姿。
丸い耳。
丸い体。
小さな手足。
まるで遊園地のマスコットのような存在。
少女は呟く。
「……え?」
丸い存在は少女を見ていた。
じっと。
そして言う。
「個体確認」
「生命反応、安定」
少女は呆然としている。
「……え?」
丸い存在は続けた。
「適性確認」
「魔法少女適性、検出」
少女は瞬きをする。
「……何?」
そのとき。
影が動いた。
魔物が角を曲がる。
黒い霧が広がる。
少女は息を呑む。
「……!」
丸い存在はそちらを見る。
「魔物個体」
「確認」
少女は言う。
「逃げないと――」
丸い存在は首をかしげた。
「逃走」
「推奨」
少女は思わず叫ぶ。
「じゃあ早く!」
丸い存在は少女を見る。
「質問」
少女は戸惑う。
「え?」
丸い存在は言う。
「魔法少女契約」
「希望しますか」
少女は言葉を失う。
後ろでは魔物が近づいている。
影が壁を這う。
少女は言う。
「……何それ」
丸い存在は答える。
「魔物と戦う存在」
「高い生存率」
少女は呆然とする。
「今言うことそれ?」
丸い存在は答える。
「はい」
少女は振り返る。
魔物がもうすぐそこにいる。
黒い霧がゆっくり広がる。
少女は言う。
「……戦えるの?」
丸い存在は答える。
「はい」
少女はもう一度聞く。
「助かる?」
丸い存在は少し考える。
「確率」
「上昇」
少女はため息をつく。
「……曖昧」
丸い存在は答える。
「はい」
少女は笑ってしまった。
こんな状況なのに。
なぜか少し可笑しい。
少女は言う。
「名前は?」
丸い存在は答える。
「管理個体」
「識別名」
「りすくまる」
少女は小さく笑う。
「……変な名前」
りすくまるは答える。
「確認」
「よく言われます」
魔物がさらに近づく。
黒い霧が地面を覆う。
少女は深く息を吸う。
そして言う。
「じゃあ」
少し間を置く。
「やります」
りすくまるは言う。
「契約確認」
「了承」
少女は言う。
「でも」
「ひとつだけ」
りすくまるは首を傾ける。
「質問」
少女は言う。
「あとで説明してください」
りすくまるは答える。
「了解」
その瞬間。
光が生まれた。
少女の体を包む光。
魔物が止まる。
影が揺れる。
少女は目を見開く。
「……!」
りすくまるは言う。
「契約成立」
光が収束する。
少女は立っていた。
さっきまでと同じ場所に。
ただ。
体の中に何かがある。
力。
少女は前を見る。
魔物がいる。
少女は言う。
「りすくまる」
「はい」
少女は少し笑う。
「これ」
「どう使うの?」
りすくまるは答える。
「戦闘開始」
少女はため息をつく。
「説明短い」
りすくまるは言う。
「戦闘後」
「詳細説明」
少女は言う。
「……先に言って」
魔物が動く。
影が広がる。
少女は前を見る。
深く息を吸う。
そして。
一歩踏み出した。
それが――
長い時間の始まりだった。