Re:壁内から始める異世界生活   作:stein0630

1 / 36
第1話 壁のある街

 

 瞬きをした、その次の瞬間には、もう世界が変わっていた。

 

「……は?」

 

 ナツキ・スバルの口から漏れたのは、間抜けにもほどがある一音だった。

 

 右手には、ついさっきコンビニで買ったばかりのビニール袋。中には炭酸飲料とスナック菓子と、値引きシールの貼られたカップ焼きそば。左のポケットにはスマホ。見慣れた夜の街灯も、車のヘッドライトも、信号機も、自販機も、全部ない。

 

 代わりにあったのは、石畳の道と、赤茶けた屋根の群れと、鼻につく土と家畜の臭いだった。

 

 そして。

 

「……いや、待て待て待て待て」

 

 スバルは顔を上げた。上げたまま、固まった。

 

 空を切り取るようにそびえ立つ、巨大な壁。

 

 高いとか、でかいとか、そういう段階じゃない。視界そのものが、途中で終わっている。街の向こうにあるはずの地平線が、白っぽい石の断崖に丸ごと呑み込まれている。

 

「なにこれ。映画のセット? え、城壁都市? テーマパーク? つーか規模感どうなってんだよ……」

 

 笑いが込み上げた。乾いた、引きつった笑いだった。

 

 異世界召喚。そんな単語が、頭の中で点滅した。

 

 いやいや、ないない、あるわけ――あるのか?

 

 足元がふわつく。心臓がやけに早い。けれど恐怖より先に、何か別のものが浮かび上がる。熱だ。現実感のなさが、逆に体の奥を煽ってくる。

 

「……おいおいおいおい、マジかよ」

 

 口元が勝手につり上がった。

 

「来た? 来ちゃった? そういうやつ? ついに俺にも人生逆転イベント到来ってやつ?」

 

 誰に聞かせるでもなく呟いて、すぐに周囲を見回す。

 

 往来には人がいた。荷車を引く男。水桶を抱えた女。パンを売る露店。子どもの泣き声。鍛冶場みたいな音。皆、服装が妙に古い。ヨーロッパ風、というには生活臭が強すぎて、コスプレの類には見えない。

 

 何人かが、スバルを見た。

 

 黒いジャージ。白黒のスニーカー。片手にビニール袋。見知らぬ土地で、見知らぬ格好。注目されないほうがおかしい。

 

「……ッス。あ、どうもどうも、怪しい者じゃ――」

 

 笑って手を振った瞬間、通りがかった老婆が露骨に眉をひそめ、足早に去っていった。

 

「だよね!」

 

 即座にセルフツッコミを入れたが、虚しいだけだった。

 

 とりあえず情報だ。異世界だろうがなんだろうが、まずは状況確認。スバルはそんな当然のことを考えながら、実際にはかなり浮ついた足取りで街を歩き出した。

 

 壁の圧迫感はどこまでもついてくる。見上げれば吐きそうになるほど高い。街はその壁に守られるように、いや、押し込められるように広がっていた。

 

 守られる。そう思った瞬間、妙な違和感が引っかかった。

 

 壁がある街、というのは分かる。だが、どうしてここまでの高さが必要なんだ。

 

 盗賊か。戦争か。砲撃か。

 

 そこまで考えて、スバルは肩をすくめた。

 

「いやいや、第一村人に聞けば終わる話だろ。こういうのはさ、親切な美少女かやたら意味深なおっさんが案内して――」

 

「おい」

 

 低い声で呼び止められた。

 

 スバルが振り向くと、三人の子どもがいた。

 

 一人は、鋭い目つきの少年。短い焦げ茶の髪で、妙に睨むのが板についている。年は自分より少し下か、同じくらいか。いや、もう少し幼いかもしれないが、そんな印象を吹き飛ばすくらい目に力があった。

 

 その隣に、黒髪の少女。肩につく程度の髪を真っ直ぐ切りそろえ、赤い巻物を首に巻いている。表情は薄い。だが、薄いままで、こちらをじっと見ている。

 

 もう一人は、金髪の少年。体つきは華奢で、目元も気弱そうに見えるが、そのぶん観察するような視線が落ち着いていた。

 

 三人ともパンやら何やらを抱えている。買い物帰りらしい。

 

「その服、どこのもんだ」

 

 最初に口を開いたのは、目つきの悪い少年だった。

 

 いきなりそこ?

 

 とは思ったが、当然か。スバルだって逆の立場ならそう聞く。

 

「えーっと、ジャパン製です」

 

「ジャパン?」

 

「えー……遠い国」

 

「壁内か?」

 

「……かべうち?」

 

 聞き返した瞬間、三人の目が変わった。

 

 少年の眉が跳ね上がり、金髪の少年がわずかに身を引き、黒髪の少女の視線がさらに細くなる。

 

 やばい。なんか踏んだ。

 

「待って待って、俺が悪い。いまのは知らない単語が出てテンパっただけで――」

 

「壁内って言葉も知らないの?」

 

 金髪の少年が、恐る恐る口を開いた。

 

「いや、はい。知らないです」

 

「どこから来たの?」

 

「それが俺にもさっぱりでな。気づいたらここにいて――」

 

「嘘だな」

 

 少年が即断した。

 

 早い。判決が早い。

 

「いや、ちょ、早計! 裁判ならもうちょい証拠とか集めよう!? 俺だって好きで不審者やってるわけじゃ――」

 

「そんな格好のやつ見たことねぇ。訛りも変だし、壁のことも知らない。なのに武器も持ってない。商人にも見えない」

 

「最後の一言、ちょっとカッコよく分析したっぽく言ってるけど、要するに怪しいって言いたいだけだろ!?」

 

「実際、怪しい」

 

 少女が言った。

 

 ひどい。正論が鋭利すぎる。

 

 しかし、スバルはめげない。こういう場面で引いたら終わりだ、と、よく分からない確信がある。押してダメならもっと押せ。コミュ力こそ現代人の武器。たぶん。

 

「オーケー、分かった。じゃあ自己紹介からいこう。俺はナツキ・スバル。十七歳。職業は……まあいまは無職寄りだけど、やる時はやる男。そちらのお名前は?」

 

「なんで名乗らなきゃならない」

 

「会話の基本だからだよ! 知らない人同士が仲良くなる第一歩! 人類共通のルール!」

 

「そんなルールない」

 

「あるんだよ、俺の中には!」

 

 少年が舌打ちした。

 

「エレン」

 

 ぽつり、と少女が言った。

 

 少年が睨む。

 

「ミカサ」

 

 少女は続けた。

 

「……アルミン」

 

 金髪の少年が、困ったように苦笑して名乗る。

 

「ほら見ろ! できる子たちじゃねぇか! じゃああらためまして、スバルくんです! よろしく!」

 

 手を差し出した。

 

 エレンと名乗った少年は、その手を見て、スバルの顔を見て、鼻で笑った。

 

「ふざけてるのか?」

 

「真面目だよ!?」

 

「こんな時に?」

 

「こんな時って、まだ状況説明されてないんですけど!?」

 

 エレンは露骨に苛立った顔をした。スバルもムッとする。

 

 なんだこいつ。初対面のくせに棘がありすぎる。いや、怪しいのはこっちだとしても、もう少しこう、段階ってものがあるだろう。せめて警戒と敵意の比率を調整してほしい。

 

「エレン、落ち着いて」

 

 アルミンが間に入るように言った。

 

「落ち着いてるよ。ただ、こいつの話が変すぎるだけだ」

 

「でも、本当に知らないことが多すぎる。演技にしては不自然だよ」

 

「だからって信用できるか?」

 

「それは……」

 

 アルミンが言葉を濁す。

 

 ミカサは無言のまま、スバルの両手を見ていた。手のひら、指先、爪。武器や訓練の痕跡でも見ているのかもしれない。目が静かなぶん、余計に居心地が悪い。

 

 スバルは咳払いした。

 

「えー、じゃあこっちから質問。ここ、どこ?」

 

「シガンシナ区」

 

 アルミンが答えた。

 

「しがん……?」

 

「ウォール・マリア南端の突出区画」

 

 続く単語は、ほとんど意味が分からなかった。

 

「待ってくれ。ひとつも頭に入ってこねぇ」

 

「じゃあ、本当に壁の中のことを知らないんだね」

 

「だから言ってるだろ。俺、気づいたらここに――」

 

 そこで、地鳴りのような音がした。

 

 いや、音ではない。振動だ。地面の下から響いてくる、重い重い唸り。四人とも一斉に足を止めた。

 

 通りを歩いていた人々も、ざわついて空を見上げる。

 

「なんだ?」

 

 スバルもつられて見上げたが、空は青い。雲が流れているだけだ。

 

 しかし次の瞬間、遠くで、鐘が鳴った。

 

 ひとつ。ふたつ。いや、何度も何度も。叩きつけるように、街じゅうへ。

 

 雰囲気が変わるのが分かった。さっきまでの生活の音が、一斉に裏返った。荷を捨てる者。子どもを抱き上げる母親。叫び声。兵士が走る。誰かが「門だ!」と怒鳴った。

 

「な、なに? 避難訓練?」

 

 スバルの問いに、誰も答えない。

 

 エレンが走り出したからだ。

 

「おい、エレン!」

 

 アルミンが追う。ミカサも当然のように続く。

 

「は!? ちょ、おい! 説明!」

 

 スバルも慌てて駆け出した。

 

 石畳を蹴る靴音。前方に人の流れがある。皆が同じ方向へ、あるいは逆方向へ走っているせいで、街は一瞬で混乱の渦になった。

 

 エレンは速い。子どものくせにやたら速い。

 

「おい、待てって! 迷子の異世界人を置いてくな!」

 

「うるさい!」

 

「うるさくなるだろ説明なしなら!」

 

「黙って走れ!」

 

 逆ギレされた。

 

 くそ、なんなんだこいつ――と思いながらも、スバルは全力でついていった。息が切れる。肺が焼ける。ビニール袋が邪魔だ。思わず放り捨てそうになって、なぜかぎりぎりで踏みとどまる。焼きそばに罪はない。

 

 道を曲がるたび、人が増えた。兵士らしき連中が怒鳴り、煙が上がり、壁へ向かう視線が集まっていく。

 

 そして開けた場所に出た瞬間、スバルは足を止めた。

 

「――――っ」

 

 言葉が、消えた。

 

 壁の向こうから、顔が覗いていた。

 

 人間の顔。いや、人間の形をした何か。皮膚の薄い顔面に、むき出しの筋肉。眼球は異様に生々しく、蒸気を噴くような熱気の中で、あり得ない高さからこちらを見下ろしている。

 

 壁と同じ高さ――いや、壁を越えていた。

 

 世界の前提が、その一瞬で壊れた。

 

 あり得ない、では足りない。脳が理解を拒んで、なのに視界だけは克明にそれを焼きつける。

 

「あ……」

 

 喉が鳴った。かすれた。息が吸えない。

 

 周囲の悲鳴が遅れて耳に入る。

 

「超大型巨人……!」

 

 誰かが叫んだ。

 

 巨人。

 

 その単語が、現実として頭に突き刺さる。

 

 壁が必要な理由を、理解したくもない形で理解してしまった。

 

「おい……なんだよ……」

 

 スバルの足が震える。

 

「なんだよ、あれ……!」

 

 エレンは顔を強張らせたまま、壁の上を睨んでいた。アルミンは真っ青で、ミカサはエレンの腕を掴んでいる。

 

「下がって、エレン」

 

「まだだ!」

 

「危ない」

 

「見りゃ分かる!」

 

 怒鳴り返す声すら震えている。それでも、エレンの目は逸れていなかった。

 

 スバルには無理だった。見るだけで全身が逃げろと叫んでいる。膝が抜ける。胃がひっくり返る。頭の芯が冷たくなる。

 

 なのに、その巨人が、動いた。

 

 足を上げた。

 

「え」

 

 その一音のあとで、世界が砕けた。

 

 轟音。

 

 耳を引き裂くような破壊音とともに、城門が吹き飛ぶ。木片、石片、鉄片、煙、土、熱、悲鳴。全部が一緒くたになってこちらへ襲ってきた。

 

 衝撃波で体が浮く。スバルは何かに弾き飛ばされ、背中から石畳へ叩きつけられた。

 

「がッ――!」

 

 息が詰まった。視界が白くなる。

 

 何が起きたのか分からない。だが、周囲で人が倒れている。血が飛んでいる。瓦礫が降ってくる。

 

「逃げろ! 内門へ走れ!!」

 

「母さん! 母さん!!」

 

「子どもを連れて――」

 

「巨人が入るぞ!!」

 

 入る。

 

 その言葉が、スバルの脳を直撃した。

 

 壁の内側に。街の中に。あれが。あの化け物が。

 

 熱い。熱い。腕が焼けるように痛い。見ると、飛んできた破片で切れていた。血が出ている。痛い。なのにそれ以上に、怖い。

 

 怖い。

 

 怖い怖い怖い怖い怖い。

 

「立って、スバル!」

 

 アルミンの声だった。いつの間にか近くにいて、こちらへ手を伸ばしている。顔が泣きそうに歪んでいるくせに、必死に声を張っていた。

 

「早く!」

 

「お、俺……」

 

 立てない。腰が抜けたみたいに力が入らない。

 

 エレンが舌打ちして、スバルの襟首を掴んだ。

 

「ちっ、動け!」

 

「い、痛っ、引っ張んな首が!」

 

「じゃあ自分で走れ!」

 

「無理だってあんなん見たあとで走れとか――」

 

 言い終わる前に、影が差した。

 

 全員が、動きを止める。

 

 ゆっくりと、振り向く。

 

 そこにいた。

 

 壁の破壊口から入り込んだ、異形。

 

 五メートルほど。さっきの怪物に比べればずっと小さい。なのに、恐怖は少しも薄れない。裸の、歪んだ人型。異様に大きい目。だらしなく開いた口。よだれ。歩き方は緩慢なのに、一歩ごとの圧が重い。

 

 巨人。

 

 それがこちらを見た。

 

 見た、気がした。

 

「ッ……!」

 

 アルミンが息を呑む。エレンが前に出る。ミカサがその肩を掴む。

 

「下がって」

 

「でも!」

 

「死ぬ」

 

「分かってる!」

 

 分かっていて、前に出る。

 

 その姿に、スバルは一瞬だけ我を失った。

 

「待て! 行くなって! 死ぬだろ!」

 

「お前もだ!」

 

「俺はいいんだよ!」

 

 言ってから、自分で何を言ったのか分からなくなった。

 

 よくない。全然よくない。死にたくない。死ぬのは嫌だ。嫌に決まってる。

 

 なのに口は勝手に動く。手も。体も。

 

 逃げたいのに、目の前で年下の連中が死ぬかもしれないと思った瞬間、足が前に出た。

 

「こっちだ、バケモン!」

 

 地面の石を掴んで、巨人へ投げつける。

 

 当たるわけがない軌道だった。だが、石は巨人の肩にかすったらしい。巨人の顔が、ゆっくりとスバルへ向く。

 

「は、はは」

 

 笑え。笑え。笑っとけ。

 

「どうした、ノロマ。食うなら俺だろ」

 

 喉は震え、声は裏返り、膝は今にも折れそうだった。

 

 巨人が近づく。

 

 一歩。

 

 二歩。

 

 三歩。

 

 逃げろ。

 

 体の中の全部が叫んでいる。けれど、その叫びより速く、エレンが怒鳴った。

 

「スバル、走れ!!」

 

「うるせぇ、分かって――」

 

 巨人の腕が振り下ろされた。

 

 視界が、真横に回る。

 

 何が起きたのか理解するより先に、激痛が来た。肩から先が消えたみたいな痛み。骨が砕ける音が、自分の中から聞こえた。

 

 地面を転がる。息ができない。血の味。耳鳴り。空が回る。

 

「スバル!!」

 

 誰の声だったか、もう判別できない。

 

 巨人の顔が近づく。大きな口が開く。腐臭。熱。唾液。

 

 嫌だ。

 

 嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。

 

 こんなの。

 

 こんな死に方。

 

「やめ――」

 

 噛み砕かれた。

 

 世界が、赤と黒に潰れた。

 

 ――そして。

 

「……は?」

 

 スバルは、石畳の上で立ち尽くしていた。

 

 右手には、コンビニのビニール袋。

 

 目の前には、赤茶けた屋根の群れ。

 

 鼻につく土と家畜の臭い。

 

 空を切り取る、巨大な壁。

 

 さっきと同じ場所。さっきと同じ時間。何ひとつ変わっていない街の音だけが、耳に刺さるように鮮明だった。

 

 喉の奥から、ひゅ、と獣みたいな呼吸が漏れる。

 

「……なん、で」

 

 肩を掴む。ある。腕がある。指もある。砕かれていない。血も出ていない。

 

 なのに、痛みだけが残っていた。噛み千切られた感触。潰された骨。飲み込まれる直前の、あの湿った熱。

 

「――ッ、う、あ、あああ、あ……!」

 

 膝から崩れ落ちた。

 

 石畳に手をついて、胃液を吐く。焼きそばも炭酸もまだ開けてないのに、酸っぱいものだけが喉を逆流した。

 

 通行人が怪訝そうに見る。誰も助けない。誰も事情を知らない。

 

 当然だ。何も起きていないのだから。

 

 でもスバルには、起きた。

 

 確かに死んだ。

 

 確かに食われた。

 

 手が震える。歯が鳴る。涙が勝手に滲む。

 

「ふざ……けんなよ……」

 

 掠れた声が、石畳に落ちる。

 

「なんだよ、これ……!」

 

 空は青く、壁は高く、街は何も知らずに息をしていた。さっきまでの地獄を、まるで夢だったみたいに、世界は平然と無視している。

 

 スバルだけが、その中で、たった一人取り残されたみたいに震えていた。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。