Re:壁内から始める異世界生活   作:stein0630

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第12話 お前らは家畜以下だ

 

 

「整列!!」

 

 怒号が、空気そのものを叩いた。

 

 反射で背筋が伸びる。伸びた、つもりになる。だが実際には列のあちこちで肩幅も足幅も狂っていて、スバルは開始一秒で“全員いい感じに緊張してるな……”とどうでもいい感想を抱いた。

 

 目の前には、教官。

 

 年配。禿げ上がった額。鋭すぎる目。理不尽を理不尽のままぶつけることに何のためらいもなさそうな面構え。声の太さだけで人を萎縮させる類の人間だと、一目で分かる。

 

 そして、その第一印象はすぐに裏切られなかった。

 

「貴様らは何だ!!」

 

 いきなり来た。

 

 スバルの喉の奥で、昔の部活の顧問みたいだな、という感想が浮かぶ。だが比べるのも失礼かもしれない。こっちは文字通り、人を巨人に食わせないための訓練をする側だ。

 

 教官は列の端から端まで睨み回した。

 

「ここに立つ資格があると思っているのか!? 違う!! 貴様らはただの新兵候補生ですらない!! 戦場に立つ前に死ぬかもしれん、半端者の集まりだ!!」

 

 新兵たちの喉が一斉に鳴る音が、静かなざわめきみたいに広がった。

 

 スバルも息を呑む。

 

 いやまあ、そうなんだけど。そうなんだけど、開幕から全否定が強い。

 

「私はキース・シャーディス! 教官だ! 以後、貴様らの甘えも、泣き言も、矜持も、骨ごと叩き直す!!」

 

 うわ、本物だ。

 

 スバルは一瞬そう思った。原作知識で知っているから、ではない。この世界の空気に対して、この人だけが“完全にその側の人間”すぎる。飢えも、壁も、巨人も、全部を当然として呑み込み、その中で人を兵士へ作り替えるための道具になっている顔だ。

 

 周囲の同期たちも圧されていた。

 

 明らかに威勢のいい顔をしていた連中まで、目が泳いでいる。そりゃそうだ。入団したら格好いい軍人ライフが始まる、みたいな空想を抱えていたとしても、この声一発で大半は砕ける。

 

 スバルの隣で、エレンだけは逆に目を強くしていた。

 

 あ、これダメなやつだ、とスバルは思う。

 

 エレンはこういう“圧”にへこむタイプではない。むしろ燃える。正面からぶつかりにいく。つまり面倒くさい。

 

 そして案の定、キース教官は端から順に一人ずつ潰しにかかり始めた。

 

「貴様! 名は!」

 

「ト、トーマス・ワグナーです!」

 

「声が小さい!! 巨人に名乗る気か!!」

 

「トーマス・ワグナーです!!」

 

「何故ここに来た!!」

 

「人類の役に立ちたくてあります!!」

 

「曖昧だ!! やり直せ!!」

 

 地獄である。

 

 スバルは顔を引きつらせた。面接というより尋問だ。しかも答えの内容より、声量と覚悟の圧を見ている感じがある。

 

 数人が潰されたあと、当然のようにエレンの番が来た。

 

「貴様! 名は!!」

 

「エレン・イェーガーです!!」

 

 エレンの声は通った。いい意味でも悪い意味でも、喉の芯に火が入っている。

 

「何故ここに来た!!」

 

「巨人を、一匹残らず駆逐するためです!!」

 

 列の空気が、ぴしりと張った。

 

 スバルは目を閉じたくなった。いや、お前ほんとそう言うよな。そう言うけど、初日からその温度で出すのか。

 

 案の定、キース教官の目が細くなる。

 

「ほう」

 

 低い声。

 

「貴様は巨人を駆逐するのか」

 

「はい!」

 

「一人で?」

 

「……仲間と共にです!」

 

「最初からそう言え!!」

 

「失礼しました!!」

 

 怒号が飛ぶ。エレンは微動だにしない。反省しているのかしていないのか分からないが、少なくとも萎縮はしていない。

 

 スバルはその横顔を見て、半分呆れ、半分感心した。こいつ、こういうとこだけ妙にブレない。

 

 そして、その次にミカサが来る。

 

「貴様! 名は!!」

 

「ミカサ・アッカーマン」

 

「何故ここに来た!!」

 

「エレンと共にいるためです」

 

 即答。

 

 スバルは吹き出しかけた。やめろ、お前も初手から本音フルスロットルか。だがキース教官は眉一つ動かさない。

 

「それは兵士になる理由ではない」

 

「ですが、私の理由です」

 

 ひゅ、と周囲の空気が鳴った気がした。

 

 強い。方向性はだいぶおかしいが、強い。

 

 キース教官はしばしミカサを見て、それから鼻を鳴らした。

 

「……よろしい。少なくとも、貴様は自分の言葉を持っている」

 

 え、それは通るのかよ、とスバルは内心で突っ込む。だが基準は教官の中にしかない。外から見れば理不尽でも、たぶん何かは見ている。

 

 アルミンの番は、別の意味で胃が痛かった。

 

「貴様! 名は!!」

 

「ア、アルミン・アルレルトです!」

 

「何故ここに来た!!」

 

 アルミンは一瞬だけ詰まった。

 

 その間に、キース教官の空気が鋭くなる。

 

「答えろ!!」

 

「外の世界を……知るためです!」

 

 言った。

 

 スバルはわずかに目を見開く。

 

 アルミンの声は震えていた。だが嘘ではなかった。アルミンの理由はずっとそこにある。恐怖より先に、知りたいがある。それがこの世界では時に危険で、時に武器になる。

 

「外の世界だと?」

 

 キース教官が低く返す。

 

「貴様は壁外調査ごっこでもしに来たのか?」

 

「違います!!」

 

「では何だ!!」

 

「知らないまま、奪われるのが嫌だからです!!」

 

 アルミンは叫んだ。

 

 その一瞬だけ、震えが消えた。

 

 キース教官は黙る。

 

 数拍の沈黙。

 

 それから、怒鳴る。

 

「……その細い体で、どこまで嫌がれるか見ものだな!!」

 

「はいっ!!」

 

 なんとか通った。いや、通ったという表現が合ってるかは知らないが、とにかく潰れはしなかった。スバルは少しだけ息を吐く。

 

 そして。

 

 当然、自分の番が来る。

 

 来るのだが。

 

 キース教官の視線がこちらへ止まった瞬間、明らかに空気が変わった。

 

「……貴様」

 

 やばい。

 

 スバルは直感した。理由は簡単だ。制服を着てはいる。着てはいるが、下の着こなしが微妙に他と違うし、何よりあの出身不明の記録が生きている可能性が高い。

 

「名は!!」

 

「ナツキ・スバルです!!」

 

「声量は悪くない」

 

「ありがとうございます!!」

 

「礼を言えとは言っていない!!」

 

「失礼しました!!」

 

 ダメだ。テンポが悪い。

 

 列のどこかで誰かが息を殺したのが分かった。笑いを堪えているのか、ただ気まずいのかは知らない。少なくとも、目立っている。

 

「貴様が出身不明の候補生か!!」

 

 来た。

 

「はい!!」

 

「何故ここにいる!!」

 

 この問いは、他の連中と意味が違う。

 

 何故兵士になりたい、ではない。何故お前みたいな異物がここにいる、と聞かれている。

 

 スバルは一瞬だけ、喉の奥がひりついた。

 

 だが、もう逃げる場所はない。

 

「死にたくないからです!!」

 

 言ってしまった瞬間、列の空気が凍った。

 

 しまった、と思った。いや、本音ではある。本音ではあるけど、訓練兵団の初日に叫ぶ動機としてそれはどうなんだ。

 

 キース教官の眼光が鋭くなる。

 

「それだけか!!」

 

「……違います!!」

 

 違う。

 

 違うだろ、自分。

 

 それだけじゃない。

 

 スバルは一気に息を吸った。

 

「死にたくない!! でも、何もできないまま誰かが死ぬのを見るのも、もう嫌だからです!!」

 

 声が、喉の痛みごと裂けた。

 

「怖いです!! 巨人も、訓練も、死ぬのも怖い!! でも、それでもここから逃げたら、自分がもっと嫌になると思ったからです!!」

 

 静かになった。

 

 風の音だけが、訓練場の隅をかすめた気がした。

 

 キース教官は、数秒こちらを見ていた。

 

 その沈黙が、怒鳴られるよりきつい。

 

「……貴様」

 

 低い声。

 

「ひどく未熟だな」

 

「はい!!」

 

「覚悟も足りん」

 

「はい!!」

 

「恐怖も捨てていない」

 

「はい!!」

 

「だが」

 

 そこで一拍。

 

「自分が恐れていることを理解している兵士候補は、恐怖を格好で誤魔化す愚か者よりは使い道がある」

 

 スバルは一瞬、理解が遅れた。

 

 使い道。

 

 褒められてはいない。まったく。だが、切り捨てられてもいない。

 

「ならば見せてみろ!! その情けない理由で、どこまで食らいつけるかをな!!」

 

「はいっ!!」

 

 叫び返した時、ようやく肺へ空気が戻った。

 

 終わった。いや、終わってない。始まったのだが、とりあえずこの場は終わった。

 

 キース教官は次の候補生へ移る。

 

 スバルは前を向いたまま、今さらどっと汗が出るのを感じた。

 

「……おい」

 

 小声で、エレン。

 

「なんだよ」

 

「お前、ほんと変だな」

 

「知ってるよ!」

 

「でも、さっきのは悪くなかった」

 

 スバルは目を瞬いた。

 

 隣を見たかったが、見ない。教官の前でそんな余裕はない。

 

「褒めてんのか?」

 

「別に」

 

「今の流れで別にって言われると逆に腹立つな!」

 

 前方からキース教官の怒号が飛ぶ。

 

「私語を慎めぇぇぇ!!」

 

「はい!!」

 

 エレンとスバルの声が揃った。

 

 列のあちこちで肩がわずかに揺れた。笑いを堪えているのか、恐怖で震えているのか、その両方かもしれない。

 

 その日の午前は、徹底的に潰された。

 

 姿勢。返答。立ち方。視線。全てが矯正される。気がつけば肩はさらに痛み、足は棒になり、喉は朝よりも死んでいた。

 

 昼の休憩に近い時間になって、ようやく一息つけると思った瞬間。

 

「次、立体機動装置の適性確認を行う!!」

 

 キース教官の声が響いた。

 

 ざわめきが走る。

 

 立体機動装置。

 

 訓練兵団に入ったら避けて通れないやつだ。巨人相手に空を飛ぶあの狂った装備。

 

 スバルの胃がまた重くなった。

 

「初日からかよ……」

 

 思わず漏らすと、アルミンが青い顔で言う。

 

「僕もそう思う」

 

「お前、顔色終わってるぞ」

 

「たぶん君も」

 

 その横で、ミカサは平然としていた。エレンは燃えている。だめだこの二人、怖がるという工程をどこかへ落としてきてる。

 

 装置を付けた新兵から順に、吊り具の前へ立たされる。

 

 不安定な姿勢で、身体の重心と装置の制御を合わせる初歩中の初歩。だが、初歩だから簡単というわけではない。むしろ逆だ。体が対応していなければ、見事なほど無様に回転し、落ちる。

 

 最初の数人がそうだった。

 

「ぎゃっ!?」

「うおおお!?」

「止めて! 止めてください!?」

 

 悲鳴とともにぐるぐる回る。地獄みたいな絵面だった。

 

 スバルは半笑いになりかけて、すぐ青ざめた。

 

「いや笑えねぇわ、次あれ俺だろ」

 

「そう」

 

 ミカサが言う。

 

「そう、じゃねぇよ!」

 

 エレンは前を見たまま言う。

 

「落ちなきゃいい」

 

「理屈が雑すぎる!」

 

「雑じゃない。単純だ」

 

「それを雑って言うんだよ!」

 

 そして、ミカサは当然のように成功した。

 

 ぶれない。

 

 吊られた瞬間にぴたりと姿勢を保ち、微動だにしない。教官たちの空気が明らかに変わる。

 

「アッカーマン!」

「はっ」

「貴様、経験があるのか」

「ありません」

「……そうか」

 

 それだけ言って、キース教官は次へ移った。

 

 エレンは合格点ぎりぎり、だが立った。意地で持ちこたえている感じが強い。アルミンはかなり危なかったが、何とか崩れずに済んだ。顔面蒼白だった。

 

「つ、次……スバル!」

 

 呼ばれる。

 

「うわー来たよ」

 

「うるさい、行け」

 

 エレンの声に背中を押されるように前へ出た。

 

 装置をつける。重い。違和感がひどい。腰回りと脚に、知らない重量がまとわりついている感じ。現代日本の自分の体には、あまりにも馴染みがない。

 

 吊り具に立つ。

 

 深呼吸。

 

 するが、深呼吸したところで楽にはならない。

 

「始め!!」

 

 浮いた。

 

「うおっ!?」

 

 まずそこで声が出た。情けない。

 

 だが次の瞬間、体が一気に傾いた。左へ。やばい。戻せ。戻せ。どこで戻す。腹か。腰か。足か。わからん!

 

「っ、あ、ちょ、待っ――」

 

 ぐらり、と世界が傾く。

 

 終わった、と思った瞬間。

 

「右足だ、バカ!!」

 

 エレンの怒鳴り声が飛んだ。

 

 反射で右に力を入れる。すると少しだけ戻る。今度は前に倒れそうになる。

 

「腰!」

 

 アルミン。

 

「呼吸」

 

 ミカサ。

 

 情報量が多い!

 

 だが、必死で合わせる。腰。足。呼吸。震える。揺れる。まだ傾く。だが、落ちない。ぎりぎりで止まる。

 

 数秒。

 

 たった数秒が、永遠みたいに長かった。

 

「――やめ!!」

 

 号令と同時に、地面へ戻された。

 

 膝が抜ける。スバルはその場でへたり込みかけて、何とか踏みとどまった。

 

「はっ、は……」

 

 ダサい。めちゃくちゃダサい。だが、落ちてはいない。

 

 キース教官が近づく。

 

「ナツキ・スバル」

 

「は、はい!」

 

「姿勢は劣悪、安定性は低い、見苦しさは群を抜いている」

 

「言い方!」

 

 思わず漏れた瞬間、周囲の空気が凍った。自分でも凍った。

 

 キース教官は無表情のまま続ける。

 

「だが、声を出す余裕があるなら死にはせん」

 

「それ褒めてます!?」

 

「褒めてはいない!!」

 

「ですよね!!」

 

 怒鳴り返される。

 

 だが、その瞬間、列のどこかで笑いがこぼれた。ほんの少しだけ。緊張で張り詰めていた空気に、針で穴が開いたみたいな笑いだった。

 

 キース教官はそちらを一瞥し、さらに怒鳴る。

 

「笑う暇があるなら自分の順番を心配しろ!! 次!!」

 

 訓練は続く。

 

 だが、スバルは自分の場所へ戻りながら、妙な感覚を覚えていた。

 

 できた。

 

 上手くはない。全然。だが、ゼロじゃない。落ちなかった。みっともなくても、食らいつけた。

 

 その事実だけが、少しだけ胸を軽くする。

 

「見苦しかったな」

 

 エレンが言う。

 

「うるせぇよ!」

 

「でも落ちなかった」

 

 アルミンが続ける。

 

「ぎりぎりだったけど」

 

「補足がいちいち刺さる!」

 

 ミカサがぽつりと言う。

 

「でも、思ったよりよかった」

 

 スバルは目を見開く。

 

「お前にそれ言われると逆に怖ぇよ」

 

「どうして」

 

「基準が化け物側だからだよ!」

 

 エレンがふっと息を漏らした。笑った、とまでは言わないが、それに近い。

 

 キース教官の怒号がまた飛ぶ。

 

 新兵たちの悲鳴も飛ぶ。

 

 太陽はまだ高い。

 

 初日は、まだ半分も終わっていなかった。

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