Re:壁内から始める異世界生活   作:stein0630

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第13話 落ちこぼれにも席はある

 

 

 初日は、終わった瞬間に終わった気がしなかった。

 

 夕刻。空が赤く焼け、訓練場の土が昼間の熱を少しずつ失っていくころ、新兵たちはようやく解散を許された。許された、というより“これ以上やっても使い物にならなくなるから切り上げた”に近い。

 

 スバルはその場で膝に手をつき、しばらく呼吸を整えた。

 

 全身が痛い。

 

 肩はまだ死んでるし、足は棒だし、腰回りは立体機動装置の締め付けで変な筋肉が生まれそうだった。喉に至ってはもう、自分のものじゃない。

 

「……無理だろ、これ」

 

 掠れた声で呟く。

 

「一日目だから」

 

 アルミンが言った。こっちも疲れ切っているくせに、こういう時の口調だけは妙に落ち着いている。

 

「二日目以降はもっと無理になる可能性あるだろ」

 

「あるね」

 

「否定しろよ!」

 

「嘘になるから」

 

 正しい。腹立つくらい正しい。

 

 エレンは息を整えながら、まだ訓練場の中央を見ていた。見ているのは教官か、装置か、それとも自分ができなかった部分か。たぶん全部だ。

 

 ミカサは汗を拭うでもなく、平然と立っているように見えた。見えるだけで、さすがに多少は疲れているのだろうが、少なくとも表には出ない。

 

 周囲の同期たちも、それぞれに初日の洗礼を受けていた。

 

 吐いているやつ。座り込んで立てないやつ。無言で空を見てるやつ。虚勢で笑っているやつ。キース教官の一言一句を呪詛みたいに繰り返しているやつまでいる。

 

 その中で、一人だけ妙にうるさい声が響いた。

 

「なんなんだよ、あの教官! 初日から人を家畜以下みてぇに!」

 

 金髪の、背の高い少年だった。眉が太く、顔立ちは悪くないが、今は不機嫌を隠す気ゼロという表情をしている。

 

「馬鹿か、聞こえるぞ」

 

 隣の少年が肘でつつく。こっちは黒髪の丸顔で、気の弱そうな顔立ちだ。

 

「聞こえたら何だよ!」

 

「死ぬほど怒鳴られる」

 

「もう怒鳴られたあとだろうが!」

 

 スバルは思わずそちらを見た。

 

 エレンも見た。ミカサは一瞬だけ。アルミンは観察するように。

 

 ああ、こいつらだ、とスバルはなんとなく思った。この先、同じ訓練場で何度も顔を合わせることになる連中だ。まだ名前も知らないが、そういう気配がある。

 

 で、その金髪は案の定こちらの視線に気づいた。

 

「なんだよ」

 

 尖った声。

 

 スバルは疲れた体で肩をすくめる。

 

「いや、元気あるなって」

 

「元気じゃねぇよ!」

 

「声量は元気だろ」

 

「喧嘩売ってんのか?」

 

「売ってねぇよ、初日から同業者増やす気はねぇ」

 

 そこで黒髪の方が慌てて割って入る。

 

「悪い、こいつ今ちょっと機嫌が」

 

「“ちょっと”で済んでるかこれ?」

 

 スバルが言うと、黒髪は困ったように笑った。

 

「僕はマルコ。こっちはジャン」

 

「誰が“こっち”だ」

 

「自己紹介してくれたんだからいいだろ」

 

 ジャン、と呼ばれた少年は舌打ちしたが、否定はしなかった。

 

 スバルは少しだけ目を細める。

 

 マルコ。ジャン。名前が入るだけで、急に“ただの背景”じゃなくなる。こわい。こういうのは大体、後で痛くなる。

 

「スバルだ」

 

「変な名前だな」

 

 ジャンが即答した。

 

「本日三回目くらいだぞそれ!」

 

「変な服よりマシだろ」

 

「それは否定できねぇ!」

 

 ジャンの口元がわずかに動く。笑ったのか、ただ鼻で笑っただけか微妙なところだ。

 

 エレンが横から低く言う。

 

「お前、やたら絡むな」

 

「は?」

 

 ジャンが目つきを険しくする。

 

「何だよ、黒髪」

 

「エレンだ」

 

「知らねぇよ」

 

「今言っただろ」

 

「名前だけ言われても分からねぇだろ!」

 

 うわ、めんどくせぇ、とスバルは思った。しかも種類の違う面倒くささがぶつかってる。ジャンは自意識が高いタイプ、エレンは真正面から突き抜けるタイプ。相性最悪だ。

 

 マルコがすぐに空気を読む。

 

「まあまあ、同じ班になるかもしれないんだし」

 

「ならなおさら最初が肝心だろ」

 

 ジャン。

 

「何の」

 

 エレン。

 

「全部だよ」

 

「意味分からん」

 

「お前、ほんと喧嘩売る才能あるな!?」

 

 スバルが反射で割り込むと、ジャンの視線が今度はこちらへ向く。

 

「何だよ」

 

「いや、お前らこのテンポでやったら日が暮れるぞ」

 

「もう暮れてる」

 

 アルミンの補足が静かに刺さる。

 

「分かってんだよ!」

 

 スバルは叫び返した。

 

 そのやりとりで、ジャンの苛立ちが少しだけ逸れたらしい。鼻を鳴らして背を向ける。

 

「……くだらねぇ」

 

「初日からみんな余裕ないだけだよ」

 

 マルコは苦笑した。

 

「たぶん、明日にはもっとひどいけど」

 

「希望がねぇな」

 

 スバルが言うと、マルコは肩をすくめた。

 

「でも、少しは慣れると思う」

 

 その“少し”が怖い。

 

 解散後、寝所へ戻るまでの足取りは重かった。

 

 訓練兵団の宿舎は、当然ながら快適とは程遠い。広い部屋に粗末な寝台が並び、男女は棟が分かれている。荷物らしい荷物も少なく、皆まだ“ここが自分の居場所になる”実感を持てていない顔でうろうろしていた。

 

 スバルは割り当てられた寝台に腰を下ろし、そこで初めて、何も支えずに背中を預けた。

 

「……死ぬ」

 

「まだ死なない」

 

 向かいの寝台でアルミンが言う。

 

「お前その返し便利すぎるだろ」

 

「事実だから」

 

 その横でエレンは無言で靴を脱ぎ、足の感覚を確かめるように軽く動かしている。ミカサはいない。女子棟だ。当たり前だが、いないと少しだけ調子が狂う。あいつ、会話のテンポを壊す役として意外と重要だったのかもしれない。

 

「なあ」

 

 スバルが天井を見たまま言う。

 

「今日の立体機動、どうだった?」

 

「どうって?」

 

 アルミンが聞き返す。

 

「いや、率直なやつ」

 

 少し間があった。

 

 正直な評価が来るな、とスバルは察する。

 

「ミカサは別格」

 

「それは知ってる」

 

「エレンは粗いけど、体幹が強い。たぶん伸びる」

 

「だろうな」

 

「僕は、ギリギリ。今のままだと危ない」

 

「お前、自分に辛ぇな」

 

「分析だから」

 

「分析って言えば何でも冷たくしていいと思うなよ」

 

「じゃあ、言い方を変える」

 

 アルミンは少しだけ考えた。

 

「……君は、思ったより良かった」

 

 スバルは天井を見たまま顔をしかめる。

 

「その言い回し、今日ミカサにも言われた」

 

「うん。たぶん同じ意味」

 

「怖ぇよ」

 

 アルミンが少し笑った。

 

「でも本当にそうだよ。最初は絶対落ちると思ってた」

 

「率直さに殺意湧くな!」

 

「でも落ちなかった」

 

「……まあな」

 

 そこだけは、事実だ。

 

 ぎりぎり。みっともなく。怒鳴られ、助言され、情けない格好で。それでも落ちなかった。

 

 その“落ちなかった”が、妙に胸に残っている。

 

 エレンがようやく口を開いた。

 

「お前、怖がりのくせに身体は動くんだよな」

 

「悪口か褒め言葉かどっちかにしろ」

 

「両方だ」

 

「最悪だな」

 

「でも、お前が本当にダメなのは別だろ」

 

 スバルは視線だけ向ける。

 

「……別?」

 

「覚悟決めるのが遅い」

 

 エレンは平然と言った。

 

「動くまでが長ぇ」

 

「ぐっ」

 

 図星だった。

 

 怖い。迷う。無理かもと思う。そこからやっと行く。だから毎回半拍遅れる。それをエレンは見ている。ずっと。

 

「お前は早すぎるんだよ」

 

 スバルは言い返す。

 

「考えろよ少しは」

 

「考えてる」

 

「考えた結果があれなら怖ぇんだって」

 

「何が」

 

「全部だよ!」

 

 寝台の何人かがこちらを見る。やばい、声がでかい。スバルは慌ててトーンを落とした。

 

「……とにかく、極端なんだよお前らは」

 

「お前も十分極端」

 

 アルミン。

 

「何で俺だけそんな共通認識みたいになってんの」

 

「事実だから」

 

「双方向から刺すな!」

 

 だが、少し騒いだおかげで呼吸が楽になる。

 

 疲れているのに、こうして喋っていないと逆に落ち着かない。静かになると、初日の怒号や、装置で浮いた瞬間の不安定さや、もっと前のシガンシナの匂いまで戻ってきそうだからだ。

 

 そのとき、寝所の入口で誰かが声を張った。

 

「おい、新入りども。夜の点検だ、整列しろ」

 

 年上の訓練兵か、補助役の兵士らしい。容赦がない。休息時間という概念がまだ存在していない。

 

「……もう寝かせろよ」

 

 スバルが呻くと、エレンが立ち上がる。

 

「ほら行くぞ」

 

「お前、こういう時だけ早いな」

 

「遅れて怒鳴られたいのか」

 

「それは嫌だ」

 

 嫌なのですぐ立つ。立った瞬間に足が悲鳴を上げる。ああもう無理だ、と思いながら、それでも整列へ向かう。

 

 廊下にはすでに他の新兵たちも並び始めていた。

 

 ジャンが眠そうな顔で悪態をついている。

 

「くそ……何なんだよこの生活……」

 

「まだ始まったばかりだよ」

 

 マルコが言う。

 

「始まりだから余計嫌なんだろ!」

 

 妙に元気だな、とスバルは思う。元気というより、疲れてるから抑えが利いてないだけかもしれない。

 

 整列が済むと、今度は短い規律説明が始まった。就寝時間、起床時間、私語の制限、装備点検、遅刻の扱い、違反への懲罰。

 

 全部が厳しい。

 

 甘えの余地を削ぎ落としていく感じが、壁外より先に人の内側を訓練しているみたいだった。

 

「……家畜以下って言い方、案外間違ってねぇのかもな」

 

 スバルが小さく漏らすと、前列のジャンが振り返りかけてやめた。聞こえていたらしい。

 

 説明が終わり、ようやく就寝が許される。

 

 寝台へ倒れ込んだ瞬間、スバルはもう動きたくなかった。だが意識だけは妙に冴えている。疲れきってるくせに眠れない。体と頭が噛み合っていない。

 

 暗い天井を見ながら、スバルは思う。

 

 これが日常になるのか。

 

 今日みたいな一日が、これから何百日も続くのか。

 

 気が遠くなりかけた、その時。

 

「スバル」

 

 アルミンの声が闇の中からした。

 

「何」

 

「今日さ」

 

「うん」

 

「君が“死にたくない”って教官に言ったの、僕は結構すごいと思った」

 

 スバルは少し黙った。

 

「……何だよ急に」

 

「別に」

 

「お前までその返し使うのやめろよ」

 

 アルミンが小さく笑う気配がした。

 

「普通、ああいう場だと格好つけたくなるから」

 

「格好つけられる余裕がねぇんだよ、こっちは」

 

「だからだよ」

 

 その意味は、すぐには分からなかった。

 

 いや、分かりたくなかったのかもしれない。格好つけられないのを長所みたいに言われると、何か負けた気がするから。

 

 だが、闇の中でエレンがぽつりと言う。

 

「でも、あれは嘘じゃなかった」

 

 短い一言。

 

 それで十分だった。

 

 スバルは目を閉じた。眠気が来たわけじゃない。ただ、何かを受け取りきれなくて、目を閉じるしかなかった。

 

 初日からこんなこと言われるの、だいぶずるい。

 

 疲れている時に、変なところで人の心を引っかくな。

 

 そう思いながら、スバルはようやく浅い眠りへ落ちていった。

 

 そして。

 

 翌朝の号令は、昨日より容赦なかった。

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