Re:壁内から始める異世界生活   作:stein0630

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第14話 才能のあるやつ、ないやつ

 

 

「起きろォォォ!!」

 

 朝の号令は、もはや人語というより砲撃だった。

 

 スバルは飛び起きた。飛び起きたつもりで、実際には寝台から半分ずり落ちた。背中を木枠にぶつけ、痛みで完全に目が覚める。

 

「いっっっ……!」

 

「遅い」

 

 すでに起き上がっていたエレンが言う。

 

「起こせよ!」

 

「自分で起きろ」

 

「昨日の友情返せ!」

 

「知らねぇよそんなの」

 

 アルミンはすでに服を整えながら、半笑いとも困り顔ともつかない表情をしている。

 

「朝から元気だね」

 

「元気じゃねぇよ! 痛みによる反射だよ!」

 

 喉は昨日よりましだが、代わりに全身が重かった。肩は鈍く痛み、太腿は張り、腹筋の奥までじんわりときしんでいる。昨日まで意識したこともない筋肉が、まとめて反乱を起こしていた。

 

 それでも外へ出る。

 

 出なければ怒鳴られるからだ。

 

 朝靄の残る訓練場には、すでに新兵たちが集まり始めていた。顔色はみんな似たようなものだ。眠い。痛い。帰りたい。そういう本音を飲み込んで、無理やり前を向いている顔。

 

 キース教官は今日もキース教官だった。

 

「貴様らの肉体は、昨日より壊れている!! よろしい!! 壊れたまま動かしてこそ意味がある!!」

 

 よくない。

 

 スバルは心の中で即答した。よくないだろ。だが周囲の誰も口には出さない。出したら死ぬほど怒鳴られるからだ。精神的に。

 

 午前は基礎体力訓練から始まった。

 

 走る。腕立て。腹筋。スクワット。走る。姿勢訓練。走る。止まれない。止まったら怒鳴られる。怒鳴られても動けないと、さらに怒鳴られる。

 

 スバルは二周目の時点で、自分の呼吸音が誰のものか分からなくなっていた。

 

「はっ、は、っ……!」

 

 前を走るエレンの背中が近いようで遠い。アルミンは後ろで必死に食らいついている。ミカサは女子の列の向こう側で、当然みたいな顔で崩れていない。こわい。

 

 そして、周囲の差が見え始める。

 

 速いやつは最初から速い。

 

 遅いやつは、初日よりさらに遅れる。

 

 体格、筋力、姿勢、慣れ、根性。全部が一斉に可視化される。訓練ってのは残酷だな、とスバルは思った。努力すれば誰でも同じだけ褒められる場所じゃない。できるやつは目立つし、できないやつも目立つ。

 

 自分はどっちか。

 

 たぶん、真ん中より少し下だ。

 

 最悪だ。

 

「遅いぞ、ナツキ!」

 

 教官補佐の怒声が飛ぶ。

 

「はいぃっ!」

 

 返事の語尾が情けない。だが声を出すだけでも肺が削れる。

 

 休憩で膝に手をついていると、昨日見たひげ面の同期が横に来た。

 

「お前、意外と残るな」

 

「褒めてるなら言い方考えてくれ……」

 

「褒めてねぇよ」

 

「知ってた!」

 

 そいつは鼻を鳴らした。

 

「だが、もっとひどいのはいくらでもいる」

 

 視線の先で、何人かがすでにへたり込んでいた。介助されて運ばれる者もいる。中には泣いているのか、呼吸が乱れているだけなのか判別しづらい顔もあった。

 

「……夢見て来たやつにはきついだろうな」

 

 スバルが言うと、ひげ面は短く答える。

 

「夢見てなくてもきつい」

 

 それもそうだった。

 

 午前後半は、装備の扱いと座学じみた説明が入った。座学といっても、穏やかにノートを取るようなものではない。立体機動装置の構造、ガスの消費、刃の交換、落下時の危険、死亡例。

 

 死亡例。

 

 その単語がさらっと出た時、スバルは本気で耳を疑った。

 

「今、死亡例って言った?」

 

 小声でアルミンに聞くと、アルミンは青い顔で頷いた。

 

「言ったね」

 

「そういうの最初に出す?」

 

「最初に出すべきなのかも」

 

「正論が嫌だ!」

 

 だがキース教官の説明は容赦がなかった。

 

「立体機動装置は兵士の足だ! 足を誤れば死ぬ! 理解できん者から順に地面へ叩きつけられるだけだ!!」

 

 ごもっともすぎる。

 

 スバルは胃が痛くなった。

 

 昼の配給は、予想通り味気なかった。

 

 硬いパン。薄いスープ。量も多くない。だが昨日までの避難民生活を思えば、“決まった時間に食べ物が来る”という事実だけで少し救われるのが嫌だった。

 

 食事中、同期たちの会話も少しずつ聞こえ始める。

 

「ミカサってやつ、やばくね?」

「昨日の装置、全然ブレてなかった」

「エレンも結構いけてたよな」

「いや、あの黒髪は危なっかしい」

「でも根性はある」

「根性で巨人に勝てんのかよ」

「勝てねぇだろ」

 

 その雑談に、スバルはパンを噛みながら眉をひそめた。

 

 見られている。

 

 当たり前だ。同じ訓練兵同士、誰ができて誰ができないかは、こういう場所だとすぐに話題になる。

 

「噂されてんな」

 

 スバルが言うと、エレンは顔も上げずに答えた。

 

「どうでもいい」

 

「お前はな」

 

「気になるの?」

 

 アルミンが聞く。

 

「いや、気になるっていうか……」

 

 スバルはスープの中身を見た。ほぼお湯だった。

 

「才能あるやつとないやつの差、初日二日目で見せられるの、ちょっとしんどいなって」

 

 アルミンは少し黙った。

 

 エレンも、そこでようやく顔を上げる。

 

「ミカサ見てると余計にな」

 

 スバルが続けると、ミカサ本人は当然のように言った。

 

「比較する意味がない」

 

「あるだろ。周り全部比較してくるんだから」

 

「それは周りの問題」

 

「お前なあ……」

 

 アルミンが静かに言う。

 

「でも、君が言いたいことは分かる」

 

 スバルは視線を向ける。

 

「この訓練、努力だけじゃ埋まらない差が最初から見えちゃうんだよね」

 

「そう、それ」

 

「体格とか、感覚とか、覚える速さとか」

 

 アルミンはスプーンでスープをかき混ぜながら続けた。

 

「ただ、そこで終わるかどうかは別だと思う」

 

「……お前、こういう時ほんとそれっぽいこと言うよな」

 

「それっぽくなくて、そう思ってる」

 

 その横でエレンがパンをちぎる。

 

「才能あるやつが強いのは当たり前だろ」

 

「雑な真理来たな」

 

「でも、才能ないから終わりって言ってるやつは、そこで終わる」

 

 エレンの言葉は乱暴だ。だが、あまりにエレンらしくて、スバルは変に納得してしまう。

 

「お前、たまに正論を雑に出してくるよな」

 

「たまにじゃない」

 

「自覚あるのかよ!」

 

 ミカサは平然としている。

 

「スバルは、才能がないというより、無駄が多い」

 

「言い方!!」

 

「でもそれ、改善できるところだよ」

 

 アルミンが補足する。

 

「体の使い方とか、迷い方とか」

 

「迷い方って改善項目なのか……」

 

 だがその瞬間、自分の中で何かが引っかかった。

 

 そうか。

 

 自分は才能がない、と一言で片づけようとしていたが、実際には“怖がって遅れる”“考えすぎて半拍遅れる”“勢いで取り返そうとして無駄が増える”みたいな、自分の性格がそのまま動きに出ている部分が大きいのかもしれない。

 

 それは才能の問題というより、癖だ。

 

 厄介な癖。

 

 でも、癖なら直せる余地はある。

 

「……ちょっと希望持たせるのやめろよ」

 

 スバルが言うと、アルミンは首を傾げた。

 

「どうして」

 

「期待して裏切られると痛ぇだろ」

 

「すでに痛いじゃん」

 

「それは筋肉の話!」

 

 エレンが息を漏らした。笑いか、ただの呼吸か微妙なところだった。

 

 午後、班分けが発表された。

 

 まだ固定ではないらしいが、当面の行動単位として数人ごとの組に分けられる。名前が読み上げられていく。

 

「エレン・イェーガー、アルミン・アルレルト、トーマス・ワグナー、ジャン・キルシュタイン……」

「は?」

「なんで俺がその黒髪と」

 

 ジャンが即座に不満を漏らし、教官補佐に怒鳴られる。

 

「黙れ!」

 

「はい!」

 

 早い。

 

 スバルはその流れを見て少しだけ口元を緩めた。だが次の瞬間、自分の名前も呼ばれる。

 

「ナツキ・スバル、マルコ・ボット、コニー・スプリンガー、サシャ・ブラウス……」

 

「おいおい」

 

 思わず声が漏れた。

 

 隣にいたマルコが苦笑する。

 

「よろしく」

 

「こっちこそ……いや、濃そうだなこの班」

 

「お前が言う?」

 

 マルコの返しが的確すぎる。

 

 コニー・スプリンガーと呼ばれたのは、頭を丸く刈った小柄な少年だった。目が大きく、落ち着きがない。サシャ・ブラウスは、茶髪の少女で、なぜか発表の最中からパンの残りを隠れて食べようとして教官補佐に見つかっていた。

 

「貴様! 何をしている!!」

「た、食べてません!」

「口を見ろ!!」

「噛んでただけです!」

 

 スバルは頭を抱えた。

 

「……うわ、絶対面白いやつじゃん」

 

「面白いで済むといいね」

 

 マルコが言う。声に少しだけ同情が混じっている。

 

 班ごとの簡単な顔合わせが始まる。

 

 コニーは開口一番で言った。

 

「俺、こういうの苦手なんだよな」

 

「初対面の挨拶?」

 

 スバルが聞く。

 

「違う、全部」

 

「範囲が広すぎる!」

 

 サシャは真顔で言った。

 

「私は空腹が苦手です」

 

「それは知ってる気がする」

 

「知ってるんですか?」

 

「さっき見たからな!」

 

 マルコが苦笑しながらまとめに入る。

 

「まあ、とにかくしばらく一緒に動くことになるし、足引っ張り合わないようにしよう」

 

「その言い方、不穏だな」

 

 スバルが言うと、マルコは肩をすくめた。

 

「この場所で楽観だけ言っても仕方ないからね」

 

 その冷静さはありがたかった。

 

 そして同時に、マルコというやつが人と人の間をつなぐ役を自然にやるタイプだと、スバルはすぐに理解した。こういうやつが班に一人いるだけで、だいぶ空気が違う。

 

 午後後半は、班ごとの基本動作と連携確認だった。

 

 ここでスバルは、自分の“個人でぎりぎり食らいつく”感じと、“他人とテンポを合わせる”のがまた別問題だと知る。

 

「遅い!」

「今行こうとしてた!」

「行こうとしてる時点で遅い!」

 

 コニーは速いが雑。サシャは一見ぼんやりしているくせに身体の動きは悪くない。ただし集中が変なところで切れる。マルコは全体を見て位置を修正するのがうまい。

 

 そして自分は。

 

「ナツキ! そこ左じゃない!」

「うわっ、悪い!」

「悪いで済ませない!」

 

 マルコに何度も軌道修正される。

 

 やばい。足を引っ張っている。はっきり分かる。

 

 焦る。

 

 焦って取り返そうとすると、今度は前に出すぎる。

 

「スバル、下がって!」

「お、おう!」

「今度は下がりすぎ!」

 

「どうしろってんだよ!」

 

 思わず叫ぶと、班の何人かが吹き出しかけた。コニーが腹を抱えて笑いそうになり、サシャが「今のはわかります」と妙な共感を見せる。

 

 そこへ教官補佐の声が飛ぶ。

 

「笑うな!!」

 

「はい!!」

 

 班全員の声が揃った。

 

 その訓練の途中、少し離れた場所でエレンとジャンが本格的に衝突しかけているのが見えた。

 

「だからそうじゃねぇって言ってんだろ!」

「お前が勝手に突っ込むからだろ!」

「突っ込まなきゃ間に合わねぇ!」

「合わせろって言ってんだ!」

 

 あーあ。

 

 スバルは思わず遠い目になった。予想通りすぎる。というか、予想より早い。

 

 マルコもそちらを見て、深く息を吐いた。

 

「……ジャン、まただ」

 

「“また”ってほどまだ時間経ってねぇだろ」

 

「でも、たぶんこれからもある」

 

「未来予知か?」

 

「性格を見れば分かるよ」

 

 その返しに、スバルは少しだけ笑う。

 

 そうだな、と思った。未来予知じゃなくても、ぶつかる性格ってのは見ていれば分かる。

 

 ただ、その瞬間に、自分の胸の奥がわずかに冷えた。

 

 未来予知。

 

 違う。自分はそんな大層なものを持っているわけじゃない。死んで戻るだけだ。けれど、そのせいで“嫌な流れ”に敏感になりすぎている気がする。誰かと誰かがぶつかると、この先の破綻まで勝手に想像しそうになる。

 

 やめろ。

 

 ここはまだ訓練場だ。

 

 まだ誰も死んでいない。

 

 ……まだ。

 

 夕方、ようやく一日の訓練が終わり、班ごとに軽い反省を言わされる時間になった。

 

 マルコが言う。

 

「全体としては、連携以前に自分の動きで手いっぱいって感じだったね」

 

「それ言う必要ある?」

 

 コニー。

 

「あるでしょ」

 

「ですよね……」

 

 スバルが先に折れた。

 

 サシャが真顔で手を挙げる。

 

「私は、お腹が空くと判断が鈍ることが分かりました」

 

「それ訓練前から知ってた情報じゃない?」

 

 スバル。

 

「改めて確認できました」

 

「前向きで助かるわ……」

 

 マルコが苦笑してから、スバルを見る。

 

「君は、動けてないわけじゃない。むしろ動こうとしすぎるんだと思う」

 

 スバルは眉をひそめる。

 

「それ今日、エレンにも似たこと言われた」

 

「だろうね」

 

「腹立つな、その“だろうね”」

 

「でも本当だよ。自分の失敗を取り返そうとして、次の動きで前に出すぎる。結果、全体のタイミングが崩れる」

 

 言われて、思い当たる。

 

 焦る。失敗する。取り返したくなる。無茶に前へ出る。さらにズレる。

 

 スバルの悪い癖が、見事にそのまま出ていた。

 

「……きっつ」

 

「でも、そこが分かれば直せる」

 

「今日みんなどんだけ希望持たせてくるんだよ」

 

「持たせてないよ。課題を言ってるだけ」

 

 それが希望なんだよ、と思ったが口には出さなかった。

 

 夜、寝所へ戻ると、さすがに皆、口数が減っていた。

 

 ただしエレンだけは別だった。別というより、別の意味で静かだった。

 

 スバルは寝台に腰を下ろしながら聞く。

 

「お前、ジャンとまたやり合ったろ」

 

「向こうが絡んできた」

 

「昨日と同じこと言ってんな」

 

「事実だ」

 

「お前、その事実の作り方に問題あるんだよ」

 

 エレンは不機嫌そうに鼻を鳴らす。

 

 アルミンが小さく言った。

 

「でも、ジャンの言ってることも少し分かるよ」

 

「は?」

 

 エレンの視線が鋭くなる。

 

 アルミンは一瞬たじろぎかけて、それでも続けた。

 

「エレンは前に行く力が強い。でも、班で動くときはそれだけじゃだめだから」

 

 沈黙。

 

 スバルは、うわ、そこ今言うのか、と思った。だがアルミンは逃げない。

 

「だからって、あいつの言い方は気に食わねぇ」

 

 エレンが低く言う。

 

「それは僕も分かる」

 

「じゃあ何だよ」

 

「でも、気に食わない相手が正しいことを言う場合もある」

 

 重い正論だった。

 

 エレンは返事をしない。だが、否定もできていない顔をしている。

 

 スバルは天井を見上げて、ぼそっと言った。

 

「訓練って、筋肉だけじゃなくて性格まで殴ってくるんだな」

 

「昨日も似たこと言ってた」

 

 アルミン。

 

「覚えてんなよそういうのは!」

 

 だが本当にそうだった。

 

 才能の差はある。

 

 あるが、それだけじゃない。

 

 性格の癖。怒り方。怖がり方。焦り方。人との合わせ方。全部がここでは露骨に出る。そして、出たものを叩き直される。

 

 それは、たぶん痛い。

 

 たぶん今後もっと、痛い。

 

 でも。

 

 スバルは目を閉じた。

 

 落ちこぼれでも、席はある。

 

 少なくとも、いまのところは。

 

 問題は、その席にしがみつけるかどうかだ。

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