Re:壁内から始める異世界生活   作:stein0630

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第16話 落ちるやつ、残るやつ

 

 

 翌朝、空気は最初から悪かった。

 

 誰も昨日のことを忘れていない。寝所から訓練場へ向かう足音の中にまで、それが混じっていた。イェーガーは本当に駄目になったのか。装置の故障か。ただの実力か。できる側から落ちる瞬間を、人は見たがる。

 

 スバルはその視線の流れが気に食わなかった。

 

 だが、気に食わないで済むほど、この場所は甘くない。

 

「整列!!」

 

 号令。

 

 朝一番の点呼。

 

 キース教官の目が列を舐めるように動き、当然のようにエレンのところで一瞬止まる。

 

「本日も立体機動適性を確認する!! 昨日できた者が今日もできる保証はない!! 昨日できなかった者が今日も無能とは限らん!! だが、できん者は死ぬ!!」

 

 訓練場の空気が凍る。

 

 エレンの肩が強張るのが、少し離れた位置からでも分かった。

 

 基礎訓練は最低限だった。走る。姿勢。短い号令確認。そしてすぐ、装置の前へ並ばされる。

 

 早い。

 

 昨日よりずっと早い。

 

 問題を引き延ばさないつもりだ、とスバルは思った。キース教官はこういう時、変に情けをかけない。痛いなら痛いうちにえぐる。

 

 数人が先に試す。

 

 ミカサは当然のように安定。

 

 ジャンも問題ない。

 

 ライナーも、ベルトルトも。

 

 アルミンは危なげなくはないが、昨日より少しマシだった。

 

 スバルの番も来る。

 

「ナツキ・スバル!」

 

「はい!」

 

 装置をつける。吊られる。浮く。怖い。だが昨日よりは少しだけ分かる。腰。足。呼吸。ぶれる。修正。まだぶれる。でも落ちない。

 

「――やめ!」

 

 地面に戻る。

 

 悪くない。いや、良くもない。だが、昨日よりはましだ。

 

 キース教官は一言だけ言った。

 

「見苦しさが減った」

 

「褒めてます?」

 

「次!!」

 

 褒めてはいないが、完全な罵倒でもない。スバルはそれだけで少し息を吐いた。今日は、自分のことを考えている余裕がない。問題は次だ。

 

「エレン・イェーガー!」

 

 来た。

 

 訓練場の空気がまた張る。昨日見た連中は全員、無意識に注目していた。見ていないふりをしていても分かる。

 

 エレンが前へ出る。

 

 顔色は悪くない。むしろ静かすぎる。昨日みたいな剥き出しの苛立ちはない。そのぶん危うい。

 

 装置をつける。

 

 吊られる。

 

 浮く。

 

 そして――。

 

 崩れた。

 

「……っ」

 

 スバルの喉が鳴る。

 

 昨日と同じだ。片側へ大きく傾く。エレンは食いしばって戻そうとするが、戻らない。ぐらつきが増す。

 

 キース教官は叫ばない。

 

 ただ見ている。

 

 それが逆に重い。

 

「やめ」

 

 降ろされる。

 

 ざわめき。

 

 ほんの少しだが、たしかに起きた。誰かが息を呑み、誰かが顔をしかめ、誰かが“やっぱり”みたいな顔をした。

 

 ジャンが睨むように見ている。アルミンは真っ青だ。ミカサは前へ出かけて止まっている。

 

 エレンは何も言わない。

 

 その沈黙を、キース教官が切った。

 

「ベルトを外せ」

 

 教官補佐が近づき、装置を外す。

 

「別の装置を持ってこい」

 

 周囲の空気が変わる。

 

 故障確認。

 

 つまり、少なくとも教官は“エレン自身の問題と決めつけてはいない”ということだ。

 

 エレンがわずかに顔を上げる。

 

 新しい装置が運ばれてくる。装着。再度、吊り具へ。

 

 スバルは自分でも気づかないうちに、拳を握っていた。

 

 頼む。

 

 何でもいいから、立て。

 

 立てよ。

 

「始め!!」

 

 浮く。

 

 一瞬、揺れる。

 

 だが。

 

 今度は止まった。

 

 ぴたりと、ではない。エレンらしく少し力んでいる。だが、明らかに昨日までの“崩れ”とは違う。持っている。保っている。

 

 訓練場の空気が一斉に変わった。

 

「……やめ」

 

 降ろされる。

 

 沈黙。

 

 そしてキース教官が、壊れた前の装置を一瞥して言った。

 

「不具合だ」

 

 短い。

 

 だが十分だった。

 

 ざわめきが広がる。昨日からエレンを値踏みしていた連中の顔が変わる。ジャンは眉をひそめたまま、だが何も言わない。アルミンは分かりやすく肩の力を抜いた。ミカサはようやく一歩を戻す。

 

 スバルは息を吐き、同時に変な笑いがこみ上げた。

 

「よかったぁ……」

 

 声に出ていた。

 

 エレンが戻ってくる。顔はまだ強張っているが、昨日の沈み込みとは違う。悔しさが、今度は外向きに戻ってきている顔だ。

 

「……故障だったな」

 

 スバルが言うと、エレンは低く答える。

 

「そうみたいだな」

 

「よかったな」

 

「別に」

 

「この流れで別には無理あるだろ」

 

「うるせぇ」

 

 だが、声にいつもの棘が戻っていた。それだけで十分だった。

 

 午前の訓練はそこから一気に進んだ。

 

 キース教官は無駄に余韻を残さない。エレンの装置不具合が判明しようが、その場で納得して終わりではない。すぐ次の号令。すぐ次の動き。すぐ次の失敗。

 

 班訓練。

 

 連携。

 

 姿勢変更。

 

 スバルはその速さを、今日はありがたく感じた。変な空気を長引かせる暇がない。昨日の“落ちるかもしれないエレン”の余韻を、訓練そのものが踏み潰していく。

 

 その代わり、今度は別の問題が表に出た。

 

 班単位の突進・停止の訓練で、コニーが早すぎ、サシャが一瞬遅れ、スバルがそれを見て慌てて合わせようとして前に出すぎ、見事に全体が崩れた。

 

「止まれと言っただろうが!!」

 

 教官補佐の怒声。

 

「すみません!」

 

 班の声が一応揃う。

 

 揃ったところで許されない。

 

「貴様ら四人、動きがバラバラだ!! コニーは突出しすぎ、ブラウスは反応が遅い、ナツキは焦って余計なことをする、マルコだけが全体を見ている!!」

 

 マルコが困ったように瞬きする。褒められても嬉しくないだろうな、この文脈だと。

 

 スバルは歯を食いしばった。

 

 図星すぎる。

 

 コニーが小声で言う。

 

「俺だけ名指し早くないか」

 

「私も言われました」

 

 サシャ。

 

「俺だけ“突出しすぎ”って、なんか悪役っぽくない?」

 

「今そこ気にするなよ!」

 

 スバルが思わず返すと、教官補佐がこちらを向いた。

 

「ナツキ!」

 

「はい!」

 

「貴様は口と身体のどちらか一つに集中しろ!!」

 

「選べないです!!」

 

「なら身体にしろ!!」

 

「はい!!」

 

 笑う余裕すらない。

 

 だが、一度崩れたあと、マルコがすぐ班を寄せた。

 

「次はスバル、合図が出るまで動かなくていい。コニーはその半歩手前で止まるつもりで。サシャは逆に一拍早く意識して」

 

「お前さ」

 

 スバルが言う。

 

「そういうの、どうやってそんなすぐ整理できんの」

 

「見てるだけだよ」

 

「それを見てるって言うんだろ、普通は」

 

 マルコは笑った。

 

「じゃあ、見るのが役目なのかも」

 

 その一言に、スバルは少しだけ気を持ち直した。

 

 午後。

 

 今度は対人訓練が始まった。

 

 殴り合いではない。まだ。組み付き、崩し、体勢の作り方、相手に押された時にどう足を残すか。基礎中の基礎。だが、“人とぶつかる”という意味では、これが初めて一番分かりやすく人間性が出る。

 

 スバルの相手は、まさかのジャンだった。

 

「なんでだよ」

 

 ジャンが露骨に嫌そうな顔をする。

 

「こっちの台詞だよ」

 

 スバルも眉をひそめる。

 

「お前とだと練習っていうか口喧嘩の前座になりそうなんだよ」

 

「お前が黙ってればならねぇよ」

 

「その言葉そのまま返すわ!」

 

 教官補佐が怒鳴る。

 

「始め!」

 

 ジャンは、うまかった。

 

 力任せじゃない。重心の移し方がうまい。相手を正面から押し切るんじゃなく、崩してから持っていく。スバルは初手でそれを食らい、見事に尻もちをついた。

 

「いって!」

 

 ジャンが鼻で笑う。

 

「弱ぇ」

 

「うるせぇ!」

 

「事実だろ」

 

「言い方ァ!」

 

 だが二本目、三本目とやるうちに、スバルはジャンの動きが見えてくる。“正しくやろうとする”動きだ。だから綺麗だし強い。だが、逆に言えば少し読める。

 

 四本目、スバルはわざと半歩遅れて、ジャンの引きに体を預けすぎるように見せた。

 

 ジャンが崩しに来る。

 

 その瞬間、逆に手首を掴んで引く。

 

「っ!?」

 

 ジャンの重心がずれた。

 

 完璧ではない。だが、互いに膝をつく程度には崩した。

 

「……は」

 

 ジャンが目を細める。

 

「今のは悪くねぇ」

 

「褒めた?」

 

「別に」

 

「お前もその返しするのかよ!」

 

 そのやりとりを、少し離れたところでエレンが見ていた。

 

 エレンの相手はライナーだ。あっちはあっちで、正面衝突の迫力がすごい。ライナーは体が強い。エレンは負けじと前へ出る。見てるだけで圧がある。

 

 アルミンはベルトルトと組んでいた。苦戦している。だが、崩れながらも目は動いていた。あいつはたぶん、こういう訓練中でも“相手の崩し方”を頭に入れている。

 

 ミカサは、もう何かが違った。

 

 相手が誰でも大きく崩れない。力だけじゃない。反応も姿勢もいい。教官補佐の目があきらかに変わっている。

 

 結局、この日の終わりには、順位の空気がさらに濃くなっていた。

 

 ミカサ、上位。

 

 ライナー、ジャン、ベルトルト、エレンあたりも有望。

 

 アルミンは下位寄りだが頭で補うタイプ。

 

 スバルは――中の下から中くらいをうろついている感じだ。

 

 落ちこぼれではない。だが、秀でてもいない。

 

 その微妙さが、妙に自分らしい気がして少し腹が立つ。

 

 夜。

 

 寝所でパンを齧りながら、スバルはぼそっと言った。

 

「なあ、俺たちってさ」

 

「何」

 

 アルミン。

 

「このままいくと、訓練兵団の中でどういう立ち位置になるんだろうな」

 

 エレンは即答した。

 

「上に行く」

 

「お前に聞いた俺が悪かった」

 

「何でだよ」

 

「お前はそう答えるに決まってんだろ」

 

 アルミンは少し考えてから言った。

 

「エレンとミカサは上位に行けると思う」

 

「アルミン」

 

 エレンが眉をひそめる。

 

「僕は本当のことを言ってるだけだよ」

 

「私はどうでもいい」

 

 ミカサ。

 

「エレンがいれば」

 

「そういう言い方をやめろって言ってるんだよ!」

 

 スバルが思わず割って入る。

 

「お前も十分すごいんだっての!」

 

 ミカサは少しだけ目を瞬いた。

 

「そう」

 

「そこ疑問形じゃないんだよ!」

 

 アルミンが苦笑する。

 

「スバルは、たぶん真ん中あたりから上がれる」

 

「え」

 

「今のままだと真ん中。でも、自分の焦り方を制御できればもう少し上に行けると思う」

 

 スバルはパンを持ったまま止まった。

 

「……今日みんなどうした? 急に俺の人事評価始めた?」

 

「嫌?」

 

「嫌じゃねぇけど、落差で風邪ひきそう」

 

 エレンが言う。

 

「お前は、できねぇくせに諦めは悪いからな」

 

「褒めてる?」

 

「半分」

 

「半分って言い方が一番困る」

 

 だが、その夜の空気は悪くなかった。

 

 昨日の“エレンが落ちるかもしれない”重さが抜けたぶん、今日は皆、自分の課題に集中できている。しんどい。痛い。死にたいくらい疲れている。だが、訓練兵団の生活が“ただ怖い場所”から、“戦い方を覚える場所”へ少しだけ変わり始めていた。

 

 その変化は、たぶん大きい。

 

 大きいからこそ、ここから先はもっと残酷になる。

 

 できるやつは伸びる。

 

 できないやつは落ちる。

 

 その差が、もっとはっきりしていく。

 

 そして、その中で人間関係まで絡んでくる。

 

 スバルは寝台へ倒れ込みながら思った。

 

 次は、たぶんもっと面倒だ。

 

 ただ走って、怒鳴られて、装置にぶら下がるだけじゃ済まなくなる。こいつとこいつはぶつかる。あいつはたぶん目立つ。こいつは見てる。あいつは抱え込む。そういう流れが、もう見え始めている。

 

 見え始めているのに、それをうまく止められる未来は、まだひとつも思い浮かばなかった。

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