Re:壁内から始める異世界生活   作:stein0630

18 / 36
第18話 早いやつから、先に人になる

 

 訓練兵団の時間は、ある日から急に早くなる。

 

 最初の一週間までは、一日が長い。怒鳴られたこと、転んだこと、できなかったこと、できたこと、その全部がやけに重い。朝から晩まで、ひとつひとつが胸に引っかかる。

 

 だが、二週目を越えたあたりから、時間の流れ方が変わった。

 

 訓練は続く。走る。吊られる。落ちる。食う。寝る。起きる。怒鳴られる。やり直す。

 

 その繰り返しの中で、昨日の失敗は今日の前提になり、今日の成功は明日の最低条件になる。いちいち立ち止まっていられない。そうしないと置いていかれるからだ。

 

 そして、置いていかれまいとするうちに、人間関係まで加速する。

 

 ジャンとエレンは、もはや正面衝突が様式美になりつつあった。

 

「だから、そこで突っ込むなって言ってんだろ!」

 

「突っ込まなきゃ開かねぇだろ!」

 

「開くかどうかの話じゃねぇ、班全体の形の話だ!」

 

「だったらお前がついて来い!」

 

「命令すんな!」

 

 最初の頃は、周囲もそのたびに空気を張らせていた。今は違う。ああまた始まった、という顔になる。面倒だが、もう珍しくない。

 

 珍しくないからといって、軽くなったわけではない。

 

 ジャンは、ただ感じが悪いわけじゃなかった。全体を見る目がある。班の乱れや無駄な動きを嫌う。だからエレンの一直線さが許せない。

 

 エレンは、ただ短気なわけじゃなかった。前へ行く。止まらない。危険でも踏み込む。だからジャンの“全体を見ろ”が臆病に見える。

 

 互いに、相手の一番嫌なところが、一番必要な部分でもある。

 

 それがまた厄介だった。

 

「お前ら、いっそ殴り合ってスッキリしたほうが早くねぇ?」

 

 ある日、スバルがそう言った時。

 

「するか」

「やるか」

 

 二人が同時に返してきて、スバルは即座に手を引いた。

 

「ごめん俺が悪かった」

 

「止めないの?」

 

 アルミンが困った顔で言う。

 

「止めるに決まってんだろ、こっから本気でやられたら寝所が修羅場だわ!」

 

 マルコが深いため息をつく。

 

「本気でやる前に解散の号令が来ることを祈ろう」

 

「他力本願が過ぎる」

 

「でも現実的だろ?」

 

 それがマルコだった。

 

 マルコは、時間が経つほど訓練兵団の中で妙な位置を占め始めた。

 

 目立ちすぎない。だが見えている。

 

 強すぎない。だが安定している。

 

 誰かを押しのける感じはない。だが、誰と組んでも“その場を成立させる”のがうまい。

 

 スバルはそういう人間を、前の世界ではあまりちゃんと見ていなかった気がする。派手なやつ、強いやつ、口がうまいやつ、そういうほうに目が行く。だが、この場所では違う。こういうやつがいるだけで、場が崩れにくくなる。

 

「お前ってさ」

 

 ある夕方、整備場の脇で立体機動装置の手入れをしながら、スバルはマルコに言った。

 

「なんでそんなに人の間を縫うのうまいの」

 

「縫う?」

 

「エレンとジャンの間とか、コニーと教官補佐の間とか、サシャと食料庫の間とか」

 

「最後は物理的な事件だね」

 

「でも止めてるだろ、お前」

 

 マルコは少し笑った。

 

「止めないと、無駄に壊れるから」

 

「それだけ?」

 

「それだけで十分じゃない?」

 

 十分だった。

 

 十分すぎるくらいだった。

 

 訓練は、最初の一か月を越えたあたりから、明らかに“ふるい”の色を強めた。

 

 単純な体力差は、少しずつ努力で埋まる部分もある。だが、それで埋まりきらないものもある。立体機動装置の感覚。とっさの反応。高所への耐性。恐怖の飲み込み方。班行動での視野。

 

 優れているやつは伸びる。

 

 苦手なやつは、同じところで何度も引っかかる。

 

 スバルは、自分の位置がだんだん見えてきて嫌だった。

 

 下位ではない。

 

 だが上位でもない。

 

 中の中から、少し上がれるかどうか、そのあたりをずっと行ったり来たりしている。

 

 ミカサは最初から別枠。

 

 エレンは粗いが前へ出る力が強い。

 

 ジャンは安定している。

 

 ライナーは体も心も“兵士っぽい”。

 

 ベルトルトは目立たないくせに、できることはしっかりできる。

 

 アニという金髪の少女は、最初は無気力そうに見えたのに、近接格闘になると空気が変わる。

 

 サシャは妙な集中力の切れ方をするが、身体能力は高い。

 

 コニーは雑だが反応が速い。

 

 アルミンは下位寄りをうろつきながら、それでも座学と判断でしぶとく残る。

 

 そして自分は。

 

「なんつーか、すげぇ現実的な位置にいるよな俺……」

 

 月が変わるころ、スバルがそう呟くと、エレンは訓練用の木剣を肩に担いだまま言った。

 

「贅沢だな」

 

「何がだよ」

 

「残れてるだけで十分だろ」

 

「それは、まあそうなんだけど」

 

「なのに上が気になる」

 

「人間そういうもんだろ!」

 

 エレンは鼻を鳴らす。

 

「面倒くせぇ」

 

「お前の一直線も大概面倒だからな!?」

 

 だが、エレンの言うことも分かる。

 

 自分は残れている。

 

 何度か危ないところはあった。装置で大崩れした日もある。班訓練で足を引っ張って、終わったあと胃が痛くなる日もある。それでも“落ちる側”にはまだ入っていない。

 

 それだけで、十分にでかい。

 

 なのに、人間は慣れる。

 

 残れることに慣れると、次は“どこまで上に行けるか”が気になり始める。

 

 欲が出る。

 

 それを恥じるべきなのか、前へ進むために必要なものなのか、スバルにはまだ分からなかった。

 

 ある日、近接格闘訓練でアニと組まされた。

 

「いや待て」

 

 開始前、スバルは本気で抗議しかけた。

 

「相手のチョイスおかしくね?」

 

 アニ・レオンハートは、眠そうな目をした小柄な少女だった。細い。華奢。ぱっと見ならミカサのほうがよほど圧がある。

 

 だが、訓練兵団の中で、アニに近接で不用意に手を出すなという空気は、もうできつつあった。

 

「文句あるなら教官にどうぞ」

 

 アニは無感動に言った。

 

「いや、お前その顔で絶対強い側のやつじゃん」

 

「そう思うなら気をつけなよ」

 

 始まった。

 

 スバルは一歩踏み込む。様子を見るつもりだった。つもりだったのだが、次の瞬間には視界が回っていた。

 

「え」

 

 足が払われた。重心が浮いた。気づいた時には地面に背中を打ちつけている。

 

「いっった!」

 

「遅い」

 

 アニが言う。

 

「見すぎ」

 

 二本目。

 

 今度は掴みにいかない。距離を見る。フェイントだけ入れる。だがその迷いを読まれて、逆に前へ詰められる。肩を制される。膝が折れる。

 

 三本目。

 

 今度こそと思ったところで、足が止まる。

 

 止まった瞬間に、またやられた。

 

 訓練終了後、スバルは地面に座り込んだ。

 

「……何だこれ」

 

 アニは汗もほとんどかいていない顔で言う。

 

「考えてから動いてる」

 

「悪いか」

 

「悪くはない。でも、遅い」

 

 その一言が痛かった。

 

 遅い。

 

 今まで何度も言われてきたことだ。焦って飛び出す、の前に、そもそも初動が遅れる。考えて、怖がって、様子を見て、そのぶん半拍遅い。

 

 アニは続ける。

 

「格闘で半拍遅いと、相手のリズムになる」

 

「……教官みてぇなこと言うな」

 

「見りゃ分かることだから」

 

 それだけ言って去っていく。

 

 スバルはしばらく動けなかった。

 

 自分の欠点を、違う角度からはっきり言われると、妙に効く。

 

 その夜。

 

 寝所でスバルが天井を見ながら「俺、近接弱すぎんだろ……」と本気で落ち込んでいると、上の寝台からライナーの声が降ってきた。

 

「弱いというより、踏み込みを恐れている」

 

 スバルは顔を上げた。

 

「お前、起きてたのか」

 

「さっきから聞こえてた」

 

「最悪だ」

 

 ライナー・ブラウンは、いつ見ても体がでかい。声も低い。訓練兵団の制服が妙に似合う。こういうやつを見ると、“兵士”という役割に向いている人間が本当にいるのだと嫌でも分かる。

 

「恐れるのは悪くない」

 

 ライナーが言う。

 

「だが、恐れて止まると押し返される。なら、最初の一歩だけは考える前に出す癖をつけろ」

 

「それができりゃ苦労しねぇよ」

 

「だから癖にする」

 

 単純だ。

 

 だが、単純だから腹が立つ。

 

「お前ら、なんでそんなに“できないなら慣れろ”を雑に言うんだよ」

 

 スバルが言うと、別の方向からコニーの声がした。

 

「だって、そうするしかねぇだろ」

 

 さらにサシャ。

 

「食べるのも最初は遅いと取られます」

 

「お前の例えだけは別枠なんだよ!」

 

 寝所のあちこちで小さな笑いが起きた。

 

 ほんのわずかな笑いだった。だが、その笑いの中で、スバルは気づく。

 

 時間が飛んでいた。

 

 朝から夜までの苦しさとは別の意味で、いつの間にか“こいつらと過ごす時間”が積もっていた。

 

 ライナーが上から助言を飛ばし、コニーが雑にまとめ、サシャが意味不明な方向から会話を壊し、アルミンが補足し、エレンが鼻を鳴らし、ジャンが遠くから「うるせぇ」と言う。

 

 このやかましさが、もう日常になり始めている。

 

 だからこそ、スバルは少しだけ焦った。

 

 日常になると、人は忘れる。

 

 ここが“ただの学校”ではないことを。

 

 訓練の先に、巨人がいることを。

 

 だが、その現実を思い出させる日は、案外すぐに来た。

 

 初めての野外機動訓練。

 

 壁内ではあるが、宿舎と訓練場から離れた場所で、班単位で装置を使いながら地形対応を学ぶ日だと説明された時、訓練兵たちの空気は明らかに変わった。

 

 外。

 

 といっても壁外ではない。だが、それでも“訓練場の中だけではない場所”へ出る。

 

 実地。

 

 応用。

 

 事故の匂いがする。

 

「……嫌な予感しかしねぇ」

 

 出発前、スバルが装置のベルトを確かめながら言うと、マルコは隣で頷いた。

 

「僕も」

 

「そこは“でも大丈夫”って言えよ」

 

「大丈夫じゃない可能性もあるから」

 

「お前ほんと誠実すぎて逆に怖ぇわ」

 

 班で馬車に揺られながら移動する間も、訓練兵たちの空気は落ち着かない。コニーは妙にそわそわしている。サシャは景色より干し肉の残りを気にしている。マルコは地図を眺めていた。

 

「そこまでしなくても、場所の把握いる?」

 

 スバルが聞くと、マルコは当たり前のように言う。

 

「地形を知らないと、いざという時に困る」

 

「いざって何だよ」

 

「転んだ時とか、見失った時とか、指示が飛んだ時とか」

 

「……お前の“いざ”はいつも現実的だな」

 

「希望がいる?」

 

「いや、いらないけど!」

 

 いらない。いらないが、少しは欲しくもある。

 

 そのとき、別の馬車から怒鳴り声が飛んできた。

 

「だからお前は余計なことを言うんだよ!」

「お前がいちいち引っかかるからだろ!」

 

 ジャンとエレンである。

 

 スバルは額を押さえた。

 

「うるせぇな、あいつらは……」

 

 コニーが笑う。

 

「元気でいいじゃねぇか」

 

「元気の使い道考えろって話なんだよ」

 

 だが、そう言っている自分も少し笑っていた。

 

 そして。

 

 野外機動訓練の開始地点に着いた時、笑いは消えた。

 

 訓練場とは違う。

 

 地面の不規則さ。木々の位置。高低差。視界の悪さ。風の流れ。全部が“整っていない”。それだけで、立体機動装置の怖さが一段上がる。

 

 キース教官の声が響く。

 

「本日の訓練は班単位の移動と集合だ!! 地形を使え!! 単独で浮くな!! 見失うな!! そして何より――」

 

 一拍。

 

「死ぬな」

 

 訓練兵たちの喉が鳴る。

 

 スバルは、腰のベルトをもう一度きつく締めた。

 

 物語が、また一段階進む音がした。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。