Re:壁内から始める異世界生活   作:stein0630

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第19話 訓練場の外は、全部少しだけ本番に近い

 

 

 最初の号令で散った瞬間、訓練場との違いはすぐ分かった。

 

 地面が悪い。

 

 それだけで、立体機動装置の怖さが一段上がる。訓練場なら、足を取られても次が読める。ここは違う。土の硬さも、傾斜も、木の位置も、視界の抜けも、全部がばらばらだ。

 

「班ごとに第一集合地点へ向かえ!! 時間内に到達できなかった班は全員減点だ!!」

 

 教官補佐の声が飛ぶ。

 

 班単位。

 

 時間制限。

 

 つまり、“誰か一人だけできても意味がない”。

 

 スバルはその言葉が聞こえた瞬間に、嫌な予感を確信へ変えた。

 

 これ、絶対揉める。

 

「行くよ」

 

 マルコが短く言う。

 

 スバル、コニー、サシャが頷く。

 

 装置のアンカーを打つ。木へ食い込む音。ガスの噴射。体が浮く。

 

「っ――!」

 

 来た。

 

 訓練場で何度も味わった浮遊感なのに、景色が違うだけで怖さが別物になる。木々の間を抜ける。次の足場を探す。視界の端で枝が流れる。高度感覚が狂う。

 

 マルコが先頭だった。

 

 だが先頭だからといって単独で飛ばない。少し先へ出て、振り返り、位置を確認し、次のアンカーを取る。速すぎず、遅すぎず。うまい。

 

「コニー、右寄りすぎ!」

「わっ、悪い!」

「サシャ、次は低く!」

「はい!」

 

 声が飛ぶ。

 

 スバルはそれに続こうとして、危うく目の前の枝に顔面から突っ込みかけた。

 

「うおっ!」

 

 回避。だがその回避で姿勢が崩れる。次のアンカーが遅れる。

 

「スバル、焦らない!」

 

 マルコの声。

 

 焦るなと言われて焦らないなら苦労しない。だが、無理やり息を吐く。視界を絞る。次の木。次の位置。次の一歩。

 

 コニーが前で笑うように叫ぶ。

 

「ちょっと楽しくなってきた!」

 

「それ死亡フラグっぽいからやめろ!」

 

 スバルが返した瞬間。

 

 サシャが木の幹に肩をぶつけた。

 

「いたっ!」

 

「サシャ!」

「大丈夫です!」

 

 本人は言う。だが、その一拍の遅れが班全体の流れを少し崩す。マルコが速度を落とす。コニーが振り返る。スバルがその間を埋めようとして前に出そうになり――。

 

「出すぎ!」

 

 マルコに止められる。

 

「うっ」

 

「今は揃えるほうが先!」

 

「分かってる!」

 

 分かってる。分かってるのに、体が“取り返さなきゃ”へ寄る。

 

 そこを矯正されながら飛ぶ。木から木へ。枝をかすめ、風を切る。訓練場では一直線だった景色が、ここではいちいち揺れる。

 

 第一集合地点へ着いた時、班全員の呼吸は荒かった。

 

「はっ、は……!」

 

 スバルは木陰の地面へ着地して、膝に手をつく。

 

「まだ一つ目だぞ」

 

 マルコが言う。こっちも余裕はない。だが、全員いることを確認している目だ。

 

「分かってる……分かってるけど言う……きつい!」

 

「今さらだなぁ!」

 

 コニーが笑う。

 

「笑ってる場合かよ」

 

「でも落ちてねぇし!」

 

「基準が低ぇ!」

 

 サシャが肩を押さえながら真顔で言う。

 

「ちょっと痛いです」

 

「“ちょっと”で済んでるうちに言え!」

 

 そこへ、別班も次々と到着し始める。

 

 ライナー班。ジャン班。エレン班。

 

 エレンは着地した瞬間に周囲を見た。まず人数確認。ジャンも同じだった。そして互いに目が合った瞬間、また何か言いそうになる。

 

 うわ、やめろ、とスバルが思う前に、ジャンが先に口を開いた。

 

「遅かったな」

 

 エレンが即座に返す。

 

「お前らが早いだけだろ」

 

「言い訳にしか聞こえねぇな」

 

「してねぇよ」

 

 ライナーが間に入る。

 

「今はやめろ。次の指示が来る」

 

 さすがだな、とスバルは思う。ライナーはこういう時に“その場で一番兵士っぽい声”が出る。実際に正しいことを言っているし、言い方も強い。

 

 キース教官補佐が到着し、次の課題が告げられた。

 

「次は高低差を利用した移動訓練だ! 上るだけではない、下る時に恐怖へ負けるな!! 班ごとに第二地点へ向かえ!」

 

 高低差。

 

 嫌な単語である。

 

「……下るのって、たぶん上るより怖いよな」

 

 スバルが言うと、アルミンが少し離れた場所で頷いた。

 

「怖いと思う」

 

「他人事だな!」

 

「別班だからね!」

 

 その通りだった。

 

 班ごとに散る。

 

 今度の地形は、斜面だった。森の中に小高い丘があり、その斜面を横に使いながら移動していく。足場の角度が変わるだけで感覚が狂う。上へ飛ぶ時と、下へ抜ける時で視界の圧が違いすぎる。

 

「低く! 低く行って!」

 

 マルコの指示。

 

「高く取ると下りで振られる!」

 

「そういうの早く言えって!」

 

 言いながらアンカーを打つ。少し低め。木の中腹。ガス。飛ぶ。

 

 今度は、下りの時に胃が浮いた。

 

「うわっ……!」

 

 視界が一気に開く。落下に近い感覚。だがそこで腰が遅れると本当に落ちる。必死で体を前へ持っていく。次の木。次の枝。次のアンカー。

 

 コニーが前で叫ぶ。

 

「おもしれぇ!」

 

「お前たぶん感覚のどっか壊れてる!」

 

「褒めてる?」

 

「褒めてねぇ!」

 

 その時だった。

 

 サシャの悲鳴が響いた。

 

「っ、きゃ!」

 

 振り返る。

 

 サシャのアンカーが浅かった。木の表面を削って抜け、体が一瞬大きく流れる。完全な落下ではない。だが、このままだと斜面へ叩きつけられる。

 

「サシャ!」

 

 マルコが叫ぶ。

 

 スバルは反射でそっちへ体を向けかけて、止まる。

 

 行くか?

 

 行けるか?

 

 今自分が飛び込めば、二人まとめて崩れるかもしれない。

 

 その一拍の迷いの間に、コニーが動いた。

 

「サシャ! 右!」

 

 叫ぶだけ。

 

 だが、その声でサシャが反応した。体をひねり、次の木へ無理やりアンカーを打つ。今度は食い込む。揺れる。止まる。

 

 助かった。

 

 全員が少し遅れて息を吐いた。

 

「っ……」

 サシャ本人が、一番遅れて震え始めた。

 

「ご、ごめんなさい……!」

 

「謝るな、止まったならいい!」

 

 マルコが即座に言う。

 

「次からもっと深く打って!」

 

「はい!」

 

 スバルはその一連を見て、遅れて自分の手のひらに爪が食い込んでいたことに気づく。

 

 怖い。

 

 自分が落ちるより先に、誰かが落ちかけるのを見るのがこんなに怖いとは思わなかった。

 

 第二地点に着いた時、サシャは明らかに呼吸が乱れていた。

 

「大丈夫か」

 

 スバルが聞くと、サシャは頷いた。

 

「大丈夫……では、ないですが」

 

「正直でよろしい」

 

「でもやれます」

 

 その顔が妙に真面目で、スバルは少しだけ目を細めた。

 

 食い意地の張った妙なやつ、という印象が強かった。だが、今の一件で少し変わる。こいつも怖いのだ。当たり前だ。でも怖いまま次へ行く。

 

 それは誰でも同じなのかもしれない。

 

 第二地点から第三地点への移動は、班ごとではなく、途中から他班とのすれ違いが混ざるルートだった。

 

 そこで当然のように混乱が起きた。

 

 狭い木間で、ジャン班とエレン班の進路が一瞬かぶる。

 

「どけ!」

「そっちが寄れ!」

「今言うな!」

 

 空中で喧嘩するな。

 

 スバルは本気でそう思った。思ったのだが、次の瞬間にはその“口喧嘩”が現実の危険へ変わる。

 

 エレンが無理に角度を変えた。

 

 ジャンも譲らない。

 

 そのせいで、エレン班の一人――トーマスの進路がずれた。木を取る位置が半歩狂う。

 

「っ!」

 

 トーマスの体が大きく揺れた。

 

 今度は本当にまずい。

 

 エレンが即座に叫ぶ。

 

「トーマス、切るな! 左!」

 

 ジャンも同時に怒鳴る。

 

「下見ろ、下!」

 

 言ってることが違う!

 

 トーマスが迷う。

 

 その一瞬に、体がさらに流れる。

 

 スバルは別班の斜面側からその光景を見て、反射で叫んでいた。

 

「幹! 近い木に打て!」

 

 自分の声が通ったのかどうかは分からない。

 

 だが、トーマスはほとんど本能で目の前の幹へアンカーを打ち込んだ。深くはない。けれど止まるには足りた。ギリギリで。

 

 全員の動きが一瞬止まる。

 

 トーマスは木へしがみついたまま、荒い呼吸を繰り返している。

 

 ジャンが顔をしかめる。

 

「……チッ」

 

 エレンは何も言わない。言えないのかもしれない。

 

 教官補佐の怒号が森に響いた。

 

「止まるな!! 続けろ!!」

 

 その一言で、皆また動き出す。

 

 だが第三地点に着いたとき、空気は明らかに変わっていた。

 

 さっきまでの“訓練で怖い”ではない。“いま本当に一人落ちかけた”という現実が、全班の顔に出ていた。

 

 キース教官補佐は全体を一瞥し、そこで初めて短く言った。

 

「今のが訓練の価値だ」

 

 静かな声だった。

 

「訓練場の中でできると思うな。外では、他人の癖も、地形も、恐怖も、一度に来る。自分だけ見ている者から死ぬ」

 

 言いながら、その視線はエレンとジャンのあたりを通った。

 

 名指しではない。

 

 だが十分すぎた。

 

 エレンは口を引き結ぶ。ジャンも目を逸らさない。互いに相手のせいだと言いたいだろうし、自分にも原因があったと分かってもいる顔だった。

 

 そのまま訓練終了。

 

 帰りの馬車は、行きよりずっと静かだった。

 

 スバルたちの班も、さっきのサシャの件で少し疲れていた。サシャ本人は妙に静かだし、コニーもさっきほどはしゃいでいない。マルコは外を見ている。

 

「……なあ」

 

 スバルがぽつりと言う。

 

「今日、だいぶ本番感あったな」

 

「うん」

 

 マルコが頷く。

 

「まだ訓練だけどね」

 

「まだ、でこれかよ」

 

「だから訓練なんでしょ」

 

 それはそうなのだ。

 

 ここで失敗して、ここで怖がって、ここで人とぶつかって、ここで少しずつ直さないと、本番では死ぬ。

 

 訓練は、そのための前借りだ。

 

 痛みの前借り。

 

 失敗の前借り。

 

 恐怖の前借り。

 

 その夜、寝所ではいつもの騒がしさが少しだけ減っていた。

 

 エレンとジャンも、さすがに今日は大声でやり合わない。無言というほどではないが、互いに見ないふりをしている。たぶん頭の中でさっきの瞬間が何度も再生されているのだろう。

 

 スバルは寝台へ腰を下ろし、木剣を足元へ置いた。

 

 少し離れたところで、ライナーがエレンに何か低く言っている。ベルトルトは静かに聞いている。アルミンはトーマスの顔を気にしている。ミカサはエレンの近くで黙っている。

 

 それぞれに、それぞれの今日を持ち帰っている。

 

 スバルは天井を見上げた。

 

 物語は進んでいる。

 

 ただ日数が過ぎるんじゃない。

 

 人の見え方が変わるたびに、少しずつ先へ進んでいる。

 

 ジャンは嫌味なやつから、“全体を見ているからこそエレンとぶつかるやつ”になった。

 

 エレンは一直線なやつから、“その一直線さで他人を危険にしかけるやつ”として見え始めた。

 

 サシャは食い意地の張った変人から、“怖くても手を離さないやつ”になった。

 

 コニーは軽いやつに見えて、危ない瞬間に声が出るやつだった。

 

 マルコは、ますます厄介なくらい“人の間に立てるやつ”になっていく。

 

 そうやって、一人ずつ、ただの同期から人物になっていく。

 

 それが面白い。

 

 そして、嫌な予感もする。

 

 人物になればなるほど、失う時はきつい。そういう物語の組み方を、この世界はしている気がしてならなかった。

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