吐いたばかりの喉が焼ける。
膝をついたまま、ナツキ・スバルは何度も息を吸おうとして、そのたびに空気の薄さにむせた。吸えているはずなのに足りない。肺が、まだあの巨人の口の中にあるみたいだった。
「おい、大丈夫か?」
男の声に、肩が跳ねた。
反射で振り向く。そこにいたのは、槍のようなものを担いだ荷運びの男で、ただ眉をひそめてこちらを見ているだけだった。巨人じゃない。血まみれでもない。口も、人間のものだ。
「……っ、さ、触んな!」
自分でも驚くほど鋭い声が出た。
男が目を見開き、露骨に嫌そうな顔をして離れていく。
「なんだ、気味の悪い……」
捨て台詞まで、さっきと同じだ。
スバルは石畳に爪を立てた。
同じ。街の音も、人の流れも、あの男の顔も、言葉も。全部、同じだ。
「マジで……戻ってる……?」
誰に問うでもない。問う先もない。
死んだら、戻る。
そんな馬鹿げた結論に、理屈が一切追いつかない。だが、理屈が納得するかどうかと、現実がそうであるかは別問題だった。肩はある。腕もある。だが、あの瞬間の恐怖と痛みだけは、記憶じゃなくて“残骸”みたいに体にこびりついている。
笑えなかった。
異世界だの、人生逆転だの、そんな浮ついた言葉はもう出てこない。
ここは、死ぬ場所だ。
しかも、いったん死んでも終わらない。
その事実が、救いなのか地獄なのか、スバルにはまだ判断がつかなかった。
「……いや、待て」
震える手で自分の頬を叩く。ぱちん、と情けない音が鳴る。
「落ち着け、俺。パニック映画のモブになるな。整理しろ。整理」
指を一本立てる。
「まず、俺はたぶん一回死んだ」
二本目。
「で、同じ場所に戻った」
三本目。
「このあと、なんかやばいことが起きる」
四本目を立てかけて、止まる。
「……以上!」
整理が雑だった。だが、脳みそはもうそれ以上の整頓を拒否していた。
とにかく、何もしなければまた同じことになる。いや、同じで済む保証もない。もっとひどい死に方だってある。考えた瞬間に胃が縮んだ。
あの三人。
エレン。ミカサ。アルミン。
さっきはたまたま会って、たまたま一緒に走って、たまたま自分は死んだ。だが、あのままならきっとまた会う。たぶん同じように。いや、ほんの少し違うだけで、全部ずれるかもしれない。
どうする。
逃げるか。
街の外? 論外だ。壁の外なんてもっと死ぬだろう。じゃあ家の中にでも隠れるか? 巨人が入ってくるのを知っているのに? 無理だ。無理に決まってる。
「……なら、先に動くしかねぇ」
口に出した瞬間、それが唯一の答えに思えた。
知ってる。こっちは少なくとも、何かが起きると知っている。あの馬鹿みたいにでかい巨人が現れて、門が壊れて、街が地獄になる。その前に何かできるなら、するしかない。
できるかどうかは別として。
スバルは立ち上がった。膝がまだ笑っている。だが立つ。
まずはあの三人を見つける。エレンたちだ。少なくとも、話を聞いてくれる可能性がゼロではない。ゼロ寄りでも、通りすがりの大人よりはマシだ。
さっきの会話を思い出す。路地を一つ曲がって、露店の並ぶ通りを抜けた先――。
足を踏み出しかけて、止まる。
「……いや、待てよ」
もし同じ順番で動けば、同じ場所で、同じように会えるかもしれない。だが、そのあと自分がまた一緒に走って、また同じ末路を辿る可能性も高い。
なら、会った瞬間に全部話すか?
俺は未来から来た、お前らはこのあと巨人を見て、門が壊れて、俺は食われる――。
「通報されるわ」
即答だった。
せいぜい頭がおかしい奴扱いだ。悪ければ、敵国の間者だの宗教だの、訳の分からない疑いまでかかるかもしれない。この世界はどう見ても呑気じゃない。あの三人ですら、初対面の時点であそこまで警戒したんだ。
未来予知ごっこで信用なんか得られない。
なら、信用ではなく、行動で押すしかない。
スバルは唇を噛んだ。
「……やれることからやる」
そして走り出す。
今度はさっきよりも周囲を見た。街の構造。人の流れ。兵士の位置。露店の並び。路地の幅。足が震えているせいで格好は悪いが、目だけは必死で働かせる。
いた。
三人は、やはり同じ通りにいた。パンと野菜の包みを抱えて、こちらへ歩いてくる。まだスバルには気づいていない。
胸が、嫌なふうに鳴る。
また会う。さっきと同じ相手に、さっきと同じ顔で。
違うのは自分だけだ。向こうは一度目の彼らで、こちらだけが二度目。
妙な孤独が喉を詰まらせた。
「……おい」
先に気づいたのは、やはりエレンだった。目つきが一瞬で険しくなる。
「またお前か」
「“また”って言ってくれるの、俺の中ではすげぇ意味深なんだけどな……」
「何言ってるの?」
アルミンが怪訝そうに首を傾げる。
そうだ。当然だ。彼らにとっては初対面だ。
スバルは無理やり口角を上げた。
「どうもどうも! 偶然ってこわいね! さっきぶり――じゃなくて、初めまして! 俺、ナツキ・スバルっていいます!」
「知ってるみたいな言い方したな」
エレンの目が細くなる。鋭い。嫌になるほど鋭い。
「気のせい!」
「怪しい」
ミカサが言う。容赦がない。
「それは否定できない!」
半泣きで返すと、アルミンが少しだけ困ったように笑った。ほんのわずかだが、それだけで救われた気がした自分に、スバルは内心で腹が立つ。安い。安すぎる。だが、いまはその安さでもありがたい。
「ねえ、さっきから言おうと思ってたんだけど、その服、本当にどこの……」
「それ後で! いや、後もないかもしれないんだけど、とにかく今は聞いてくれ!」
スバルは声を潜めようとして、失敗して、やや大きめの声で言った。
「このあと、なんか、やばいこと起きる」
三人の表情が固まる。
「……は?」
エレンが言う。
「だから、やばいこと。すっげぇやばいこと。鐘が鳴って、みんな走って、門のほうが――」
「なんで知ってる」
言葉を遮ったのはミカサだった。
平坦な声なのに、刃物みたいだった。
「え」
「何が起きるか、どうして知ってるの」
「いや、それは、その……」
スバルの舌がもつれる。
しまった。順番を間違えた。曖昧に警告すればいいと思ったのに、具体的に知りすぎていた。知っている理由が説明できない以上、怪しさだけが増す。
「壁の上で何か見たの?」
アルミンが言った。
「違う、見たわけじゃなくて――」
「じゃあ、兵団の誰かに聞いたのか」
「違うって」
「じゃあなんだよ」
エレンが一歩詰めた。
近い。目が怖い。さっきよりずっと早く、疑いの芯に届いてくる。
「お前、何者だ」
「……だから、何者でもねぇよ。ただの――」
「ただの奴が、こんな格好で、壁内のことも知らなくて、それで門のことだけ知ってるわけないだろ」
正しい。全部正しい。痛いほど正しい。
スバルは一瞬、言い返せなかった。
自分が逆の立場でもそう思う。むしろもっとひどく疑う。いまの自分は、怪しいどころか、状況によっては拘束されても文句が言えない類の不審者だ。
なのに、ここで引いたら意味がない。
「俺は……!」
声を張る。喉が震える。
「俺は、別にお前らをどうこうしたいわけじゃなくて! ただ、逃げたほうがいいって言ってんだよ!」
「理由は」
「言えねぇ!」
「じゃあ信用できない」
「だからって突っぱねてる場合じゃ――」
鐘が鳴った。
スバルの背筋が、氷の棒を差し込まれたみたいに強張る。
来た。
一回目と同じ、街をひっくり返す警鐘。人々がざわめき、誰かが叫び、兵士たちが駆ける。さっき聞いたのと一拍も違わない混乱の始まり。
三人も一斉に顔を上げた。
エレンの眉が跳ねる。アルミンの血の気が引く。ミカサの目が、わずかにスバルへ向く。
「……本当に?」
アルミンが呟いた。
「だから言っただろ!」
スバルは叫んだ。
「理由とか後! 今は逃げるぞ!」
そう言って自分から走り出す。今度は三人の返事を待たない。待てば疑いが勝つ。先に体を動かすしかない。
背後で足音が続いた。来た。三人とも来た。
それだけで、少しだけ胸が軽くなる。だが、軽くなったぶん余計に怖くなる。この先を知っているからだ。ここからもっと地獄になる。
「どこへ行くの!」
アルミンが後ろから叫ぶ。
「知らん! とにかく人が少ないとこ! 門から離れる!」
「それじゃ家に――」
「ダメだ!」
即答した。叫びに近かった。
三人が一瞬ひるむ。
スバルは歯を食いしばる。言いすぎた。だが引っ込める余裕はない。
「家は、ダメだ。人が集まるとこもダメ。開けたとこも、ダメ。たぶん……たぶん、なんでもダメなんだけど……!」
「なんだそれ」
「うるせぇ、こっちだって初見なんだよ!」
半ば叫び返したところで、自分でも意味不明だった。初見ではない。だが初見みたいなものだ。一回死んだ程度で、この街を攻略できるわけがない。
道を曲がる。
人波が増える。
兵士の怒鳴り声が聞こえる。
そして、開けた場所へ出る。
見たくない。
けれど見なければならない。
スバルは自分で自分の首根っこを掴むような気持ちで、顔を上げた。
やはり、いた。
壁の向こうから覗く、あの異形の顔。
「――ッ」
喉の奥で悲鳴が潰れた。
さっきよりも“知っている”ぶんだけ、怖い。初見の衝撃ではなく、体験済みの絶望としてそれが迫ってくる。あれがこのあと門を蹴る。街が壊れる。人が死ぬ。自分も死ぬかもしれない。
「超大型巨人……」
アルミンの声が震える。
「なんだよ……あれ……!」
エレンが睨みつける。恐怖と怒りが一緒くたになった目だ。ミカサはエレンの袖を掴んでいた。
来る。
「伏せろ!!」
スバルはほとんど反射で怒鳴った。
次の瞬間、巨人の足が門へ叩き込まれる。
爆音。
衝撃波。
だが、今度は違った。四人とも地面に身を伏せていたため、真正面から吹き飛ばされるのは免れた。瓦礫が頭上を飛び、砂塵が背中に叩きつけられ、耳が一瞬死ぬ。それでも、さっきみたいに無防備ではない。
スバルは歯を食いしばったまま耐えた。熱風。土煙。悲鳴。
「立て! 走るぞ!」
自分で叫んで、自分で驚く。
エレンがスバルを見る。さっきより明らかに目の色が違う。疑いは消えていない。だが、無視もできなくなっている。
「お前……」
「説明は生きてたらな! 走れ!」
四人で駆ける。
今度は門の正面からやや外れた脇道へ。人混みを避ける。避けきれない。泣き叫ぶ子ども、転ぶ老人、荷を捨てる商人、兵士に怒鳴られ逆走する女。混乱の密度が、さっきより鮮明に見える。
この街は、もう壊れ始めている。
「母さんが!」
エレンが急に進路を変えた。
「家にいる!」
「待て、エレン!」
アルミンが叫ぶ。ミカサは一瞬で追従した。
スバルも足を止めかけて、舌打ちする。最悪だ。そうだ、こいつらには家族がいる。避難だの安全地帯だの、そんな一般論で動くわけがない。
「くそっ!」
追うしかない。
エレンの家は川沿いの奥だった。角を曲がり、坂を下り、煙の匂いが強くなる。鐘の音に混じって、遠くから建物の崩れるような音まで聞こえる。
間に合え。
スバルは知らずそう願っていた。
だが、その願いが届かないことを、体のどこかがもう知っている。
「母さん!!」
エレンの絶叫が響く。
たどり着いた先で、家は半壊していた。
屋根と二階部分が崩れ、木材が斜めに食い込み、玄関先を押し潰している。その下で、女性が片足を挟まれていた。栗色の髪。青ざめた顔。それでも子どもたちを見て、無理やり笑おうとする目。
「エレン……ミカサ……」
「今助ける!」
エレンが瓦礫に飛びつく。ミカサも無言で肩を入れる。アルミンが周囲を見回して、兵士を探すように顔を上げた。
スバルは、一歩遅れてその場に立ち尽くした。
知っている。
この光景も、たしかに見た。細部までは違う。自分がここへ来る順番も、呼吸の荒さも、土煙の濃さも違う。だが、同じだ。この先の嫌な予感だけが、あまりにも同じだ。
「何してる、スバル! 手伝って!」
アルミンに怒鳴られて、我に返る。
「あ、ああ!」
スバルも瓦礫に手をかけた。重い。びくともしない。爪が割れそうになる。腕の筋が悲鳴を上げる。
「くっ……そ、動けよ!」
「もっと下を持って!」
ミカサが言う。短い指示。スバルは従う。エレンは歯を食いしばりすぎて声も出していない。
女性――カルラ、とさっき誰かが呼んでいたか。彼女は必死に微笑んでいた。
「大丈夫……大したことないから……」
「嘘つくなよ!」
エレンが怒鳴る。
「今、助けるから! 待ってろよ!」
その必死さが、見ていられなかった。
スバルは瓦礫を持ち上げながら、頭の中で時計の針が音を立てるのを感じていた。早く。早く。早く。
嫌な気配が、もう近い。
足音ではない。もっと湿った、本能に触る何か。
アルミンが先に気づいた。顔色が変わる。
「……来る」
誰も返事をしない。だが全員が分かった。
ゆっくりと、路地の向こうから、巨人が現れる。
今度は一体だけじゃなかった。二体。こちらへ向かってくる。笑っているみたいな顔で。のたのたと。けれど、逃げ場を踏み潰すには十分な速度で。
スバルの手から力が抜けた。
「うそ、だろ……」
「エレン」
カルラの声が、急に母親のものになった。さっきまでの“安心させようとする声”じゃない。命令する声だ。
「走りなさい」
「いやだ!」
「走れ!」
エレンが首を振る。ミカサも動かない。アルミンは泣きそうな顔で立ち尽くしている。
その光景に、スバルの胸の奥で、何かがぶち切れた。
「行けよ!!」
自分でも驚くほど大きな声だった。
四人が一斉にこちらを見る。
「行けって言ってんだろ! ここで全員死んだら意味ねぇだろうが!」
「でも母さんが!」
「分かってるよ!」
分かっている。分かっているから、余計に言いたくなかった。置いていけなんて。母親を見捨てろなんて。そんなことを言う資格が自分にあるわけがない。
それでも。
「分かってるけど……だからって、お前まで食われていい理由になんねぇだろ!!」
声が裂ける。
エレンの顔が、怒りと絶望でぐしゃぐしゃに歪む。正しいのはどっちだ。そんな問い自体が間違っている。この場に“正しい”なんてない。あるのは、より少なく失う選択だけだ。
だが、その選択を人に強いる痛みは、正しさじゃ消えない。
巨人が近づく。
もう、時間がない。
そのとき、兵士が来た。
立体機動装置を背負った男。蒸気を引きながら降り立ち、状況を一瞬で把握する。
「おい、子どもを連れて下がれ!」
逞しい声だった。乱れた金髪。剣。酒の匂いさえしそうな、けれどいまは頼もしすぎる大人の姿。
「ハンネスさん!」
エレンが叫ぶ。
ハンネス、と呼ばれた兵士は、カルラと巨人と崩れた家を見て、わずかに顔を強張らせた。判断の時間は一瞬。彼は剣へ手をかけた。
――やめろ。
スバルの中で、警鐘が鳴る。
知らないはずなのに、知っている気がした。この人は、戦えない。戦えば死ぬ。あるいは、戦おうとして止まる。その迷いが、この場の全部を壊す。
「待っ――」
言うより早く、ハンネスは巨人へ向かった。
だが数歩で止まった。
巨人の顔を見上げ、握った剣が震える。
その一瞬の停滞が、すべてだった。
「くそっ……!」
ハンネスは反転し、エレンとミカサの襟首を掴んだ。空いた腕でアルミンを引っ張る。
「逃げるぞ!」
「離せ!! 母さんが!!」
「うるせぇ、死にたいのか!」
「スバル!」
アルミンが叫ぶ。
その声で、自分が置いていかれる側だと気づいた。
遅い。
スバルは一歩、後れた。瓦礫のそばに立ったまま、足が動かなかった。カルラと目が合ったからだ。
その目は、もう全部分かっていた。
子どもたちは助かる。自分は助からない。だから、せめて行け、と。
「あなたも!」
カルラが叫ぶ。
「早く!!」
その声に、ようやく体が動いた。
スバルは踵を返す。走る。肺が裂けるほど。だが背中に、視線が焼きついたままだ。
振り返るな。
振り返ったら終わる。
なのに、泣き叫ぶエレンの声が耳を引き裂く。
「母さああああああん!!」
振り返ってしまった。
巨人が、カルラを掴み上げるところだった。
手足がばたつく。叫び。血。噛みつく口。屋根の残骸越しに、赤が飛ぶ。
スバルの視界が真っ白になった。
「……あ」
足がもつれる。転ぶ。石畳に頬を打つ。
ハンネスが怒鳴る声。エレンが暴れる音。ミカサの息。アルミンの嗚咽。
何もかもが、遠くて近い。
これが、この世界だ。
救えないものがある、じゃない。
救えないもののほうが多い世界だ。
死に戻れば何とかなる、なんて甘い幻想を、さっきの一回でどこかまだ捨てきれていなかった。だが、いま目の前でその希望の骨が折れた音がした。
戻ったからって、間に合わないものがある。
知っていたって、手が届かない死がある。
ハンネスに引きずられるようにして路地を抜けながら、スバルは涙も出ない顔で、それだけを何度も何度も噛みしめていた。
やがて、人の流れに紛れて少し安全そうな広場まで来たところで、ハンネスは子どもたちを下ろした。
エレンは即座に兵士へ殴りかかった。
「なんで戦わなかった!!」
拳は頬に届かなかった。途中でハンネスの腕に掴まれ、逆にねじ伏せられる。
「放せ! 放せよ!!」
「無茶言うな!」
「母さんを見捨てた!!」
「……っ」
ハンネスの顔が歪む。言い返せない顔だ。
その横で、ミカサは黙ったまま立っていた。目が死んでいるわけじゃない。死んでいたらまだ楽だったかもしれない。理解しきれない現実をそのまま抱え込んで、壊れずに立っている目だ。
アルミンは唇を噛みすぎて血を滲ませていた。
そしてスバルは、少し離れた場所で立ち尽くしたまま、自分の手を見ていた。
さっき瓦礫を持ち上げようとして擦りむいた掌。血がにじんでいる。
自分は生きている。
カルラは死んだ。
それだけだ。
「……なんで」
ぽつりと、エレンが言った。
誰に向けたのでもない。あるいは、この場の全員に向けていたのかもしれない。
「なんで、こんな……」
その問いに答えられる人間は、誰もいなかった。
しばらくして、エレンがふいに顔を上げた。
視線の先にあるのは、スバルだった。
「お前」
掠れた声。
「お前、知ってたよな」
広場の空気が、わずかに変わる。
アルミンも、ミカサも、ハンネスも、こちらを見る。
スバルの喉が詰まる。
「鐘が鳴る前から……門のこと、巨人のこと、知ってた」
エレンが一歩近づく。拳を握っている。泣き顔のまま、目だけが刺すように鋭い。
「なんでだ」
「……」
「なんで知ってたのに!」
声が裏返る。
「知ってたのに、助けられなかったんだよ!!」
その言葉は、刃より深く刺さった。
スバル自身が、いちばん自分に言いたかったことだったからだ。
知っていた。
なのに救えなかった。
未来を知ることと、未来を変えることは違う。その残酷な当たり前を、こんな形で突きつけられるなんて思わなかった。
エレンが胸ぐらを掴む。
「答えろよ!」
「エレン!」
アルミンが止めようとするが、遅い。
「お前、何なんだよ!」
何なんだろう。
スバルにも分からない。
英雄でもない。預言者でもない。たった一度死んで、たった一度戻っただけの、何もできなかったガキだ。
なのに。
それでも。
胸の奥に、逃げたくない熱がまだ残っていることだけは分かった。
カルラは救えなかった。
でも、だから終わりにしたくなかった。
スバルは震える唇を噛みしめて、エレンの目を正面から見返した。
「……知らねぇよ」
声は掠れていた。
「俺が何なのかなんて、俺が知りてぇよ」
「ふざけるな!」
「ふざけてねぇ!」
掴まれた胸ぐらを、逆に握り返す。
自分でも驚くほど、手に力が入った。
「助けられなかったのは……分かってるよ! そんなの、分かってる!!」
涙が勝手に滲む。怒鳴り声なのか泣き声なのか、自分でも分からない。
「でも、まだ終わってねぇだろ……!」
エレンの呼吸が止まる。
スバルも、自分が何を言っているのか半分分かっていなかった。
それでも、口は止まらない。
「まだ、街の中にいっぱいいるんだろ。死ぬやつが。助けられるかもしれないやつが。だったら……!」
喉が裂ける。
「だったら、次は間に合わせるしかねぇだろ!!」
広場に、重い沈黙が落ちた。
エレンの手が、わずかに緩む。
ハンネスが怪訝そうに眉をひそめる。アルミンは呆然とし、ミカサだけが静かにスバルを見ていた。観察するように。確かめるように。
次。
いま、自分はなんと言った。
戻ることを知っているみたいに。
やり直せることを前提にしているみたいに。
ぞっとした。
だが、口にしてしまったものは戻らない。
ハンネスが低く問う。
「お前……今、“次”って言ったな」
その一言で、スバルの背中に冷たい汗が流れた。