Re:壁内から始める異世界生活   作:stein0630

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第20話 季節が一つ終わるころには

 

 

 訓練兵団の時間は、出来事ではなく、癖の変化で進む。

 

 最初は毎日が長かった。怒鳴られ、転び、落ちかけ、走り、食って、寝る。そこに一つ一つ意味がありすぎて、一日終わるたびに「今日はここまで生き延びた」と思っていた。

 

 だが、季節が一つ動くころには、その感じが消える。

 

 朝の号令で起きるのが当たり前になり、筋肉痛が引く前に次の筋肉痛が来るのが当たり前になり、怒鳴られても心臓がいちいち跳ねなくなる。

 

 そして、その代わりに別のものがはっきりしてくる。

 

 誰がどう伸びるか。

 

 誰がどう崩れるか。

 

 誰と誰が噛み合って、誰と誰がどこまでも噛み合わないか。

 

 訓練兵団に入って最初の季節が終わる頃、スバルは自分の順位より先に、その“人間の癖”のほうをよく見るようになっていた。

 

 エレンは、相変わらず前に出る。

 

 ただ、前みたいに全部を力でこじ開けようとはしなくなった。しなくなった、というより、“前に出ることで班ごと壊れる”瞬間を実地で覚えたのだ。野外訓練のあの日以来、ジャンに噛みつく頻度は減っていないくせに、少なくとも“言われたことの意味をまるごと無視する”ことは減った。

 

 そのぶん、内側に苛立ちを溜める。

 

 それはそれで危ない。

 

 ジャンは、やはり全体を見る。

 

 そして、見るからこそイラつく。エレンの一直線も、コニーの雑さも、サシャの妙な間も、全部見えてしまう。見えてしまうから、つい口を出す。口を出すから、またぶつかる。

 

 でも、ジャンはもう“ただ感じの悪い奴”ではなかった。

 

 教官の指示が曖昧な時、誰より先に形を理解するのはジャンだった。班の立て直しも速い。嫌味で口は悪いくせに、必要な修正はちゃんと飛ばす。そういうところを見てしまうと、単純に嫌うのも難しくなる。

 

 マルコが前に言っていた。

 

 ――互いに、相手の嫌なところが、一番必要な部分でもある。

 

 今なら分かる気がする。

 

 ライナーは、時間が経つほど“頼れる兄貴分”の顔を強くした。

 

 体格がいい。声も通る。班をまとめる力がある。誰かがへばっていたら一番先に気づき、さりげなく声をかける。教官の目があるところでは過剰に庇わないが、見えないところでは自然に支える。

 

 兵士に向いてる。たぶん誰が見てもそう思う。

 

 その“向いてる”感じが強すぎて、スバルはたまに逆に怖くなることがあった。人間って、こんなにぴたりと役割へ嵌まるのか、と。

 

 ベルトルトは目立たない。

 

 だが、目立たないこと自体があいつの強さの一部だと、スバルは早い段階で気づいた。長身で、ぼんやりして見えて、喋る声も強くない。なのに訓練になると変なミスが少ない。誰かの後ろにいて、でも遅れてはいない。前へ出ないのに、置いてもいかれない。

 

 そういうやつは、気づくと上の方にいる。

 

 アニは、近づくほど分からなくなる。

 

 最初はただ冷たい奴だと思った。今もそれは間違っていない。だが、あいつの冷たさは“他人に興味がない”だけでは足りない何かを含んでいた。近接格闘では抜群に強い。体の使い方が違う。なのに、勝ってもまるで嬉しそうじゃない。

 

 訓練が終わると、いつも一番早く気配を消す。

 

 誰とも深くつながろうとしない。

 

 そのくせ、エレンが突っかかった時だけは妙に反応がある。

 

 面倒な相性だな、とスバルは思う。

 

 コニーは、雑なまま伸びた。

 

 器用ではない。考えるタイプでもない。だが、反応が速い。怖さより先に体が動くことがある。よく怒鳴られ、よく笑われ、よく自分でも笑う。そういう軽さがあるから、班の空気が沈みすぎる時には妙に助かる。

 

 サシャは、結局ずっとサシャだった。

 

 食い物の匂いには異常に敏い。ぼんやりしているようで、大事なところでは変に集中する。森や地形への勘が良い。本人は平然としているが、感覚の鋭さで拾っている情報がある。教官たちも、それには気づいているらしかった。

 

 アルミンは、最初の頃より明らかに立ち位置を変えた。

 

 順位そのものは、そこまで高くない。体力でも装置の操作でも、最上位とは言えない。だが、“何が起きているかを早く言葉にできる”という点で、少しずつ存在感が増していった。

 

 野外訓練の振り返りでも、班の移動ルートの修正でも、教官の説明の意図を掴むのでも、アルミンは一歩早い。しかも、前みたいにただ考えて終わるのではなく、口に出すようになった。

 

 それはたぶん、大きな変化だった。

 

 エレンやジャンみたいな“前に出るやつ”とは違う。

 

 ミカサみたいな“できてしまうやつ”とも違う。

 

 でも、確実に必要なタイプだと、皆が少しずつ理解し始めている。

 

 そしてミカサは――。

 

 もう途中から、比較対象ではなくなっていた。

 

 強い。

 

 それだけでは足りない。強いのに、ぶれない。体力があり、反応があり、装置の制御もいい。近接も悪くない。教官の指示も外さない。

 

 欠点が見えにくい。

 

 その代わり、欠点が見えるのはエレン絡みの時だけだ。

 

「ミカサ、そこは前に出すぎだ」

 とジャンが言ったことがある。

 

 いつもの嫌味じゃない。本当に班の動きとしての指摘だった。

 

 ミカサは一拍だけ黙って、それから言った。

 

「エレンが危なかったから」

 

「だからってお前まで崩れたら意味ねぇだろ」

 

「……」

 

 その時だけ、ミカサは反論しなかった。

 

 スバルは、その沈黙を覚えている。

 

 ああ、ここだ、と。

 

 完璧に見えるやつにも、綻ぶ場所はある。

 

 その綻びが“誰に向くか”で、人の形は決まるのかもしれない。

 

 では自分はどうか。

 

 ナツキ・スバルは、劇的には伸びなかった。

 

 そこが、一番リアルで、一番嫌だった。

 

 明日になったら急に才能が開花することもない。ある日突然、上位へ跳ね上がることもない。そんな都合のいい展開は、この訓練兵団にはなかった。

 

 その代わり、じわじわと変わる。

 

 焦りすぎて前に出る癖は、少し減った。

 

 待つべきところで待てるようになった。

 

 近接では“最初の一歩だけは考える前に出す”を、何度も何度も意識した。全部はできない。それでも、前よりはましになる。

 

 立体機動装置は、相変わらず綺麗じゃない。

 

 だが、落ちない。

 

 崩れても戻せる。

 

 その“なんとか立て直せる”感じが、逆にスバルらしいと周囲に認識され始めていた。

 

「お前ってさ」

 

 秋に入る少し前、訓練の合間にコニーが言った。

 

「何だかんだでしぶといよな」

 

「褒め方がゴキブリなんだよ」

 

「でも分かる」

 

 サシャが真顔で頷く。

 

「最初はすぐ死にそうでした」

 

「本人に言うなそれ!」

 

 マルコが少し笑った。

 

「今は、“すぐ死にそう”から“死にそうでも戻ってくる”に変わったかな」

 

「お前それ、言葉選びが怖ぇわ」

 

 だが、意味は分かる。

 

 自分は強くない。怖がる。ミスもする。動揺も顔に出る。

 

 それでも、一度崩れたあとで戻る。

 

 戻ろうとする。

 

 その癖が、少しずつ“弱さ”とは別の形で見られ始めていた。

 

 そして季節がもう一つ動くころ、明確な“順位”が訓練兵たちの間で意識されるようになる。

 

 正式な発表ではない。だが、みんな何となく分かっている。

 

 誰が上位に行きそうか。

 

 憲兵団へ届きそうなやつが誰か。

 

 自分はその圏内にいるのか、いないのか。

 

 その話題は、夜になると自然に出た。

 

「どうせミカサだろ」

「ライナーも強い」

「ジャンも結構いくんじゃねぇか」

「アニもだろ」

「エレンは?」

「粗いけど、あの感じは上がる」

「アルミンは……」

「座学込みなら伸びるかも」

 

 そんな声が、寝所でも食堂でも、風呂場の手前でも、そこかしこで交わされる。

 

 スバルはそういう話題が嫌だった。

 

 嫌だが、無視できない。

 

 自分は上位に入れない。

 

 たぶん。

 

 その現実はもう分かっている。分かっているのに、“じゃあどのあたりにいるのか”が気になるのが人間の情けないところだった。

 

 ある夜、寝所でスバルが天井を見ながら言った。

 

「なあ」

 

「何」

 

 アルミン。

 

「こういうのってさ、はっきり数字で出されたほうが楽なのか、出されないまま察する方がマシなのか、どっちなんだろうな」

 

 エレンが鼻を鳴らした。

 

「出されりゃいいだろ」

 

「お前はな」

 

「何でだよ」

 

「上に行く前提で話してるやつは気楽でいいよなって意味だよ」

 

 エレンが少しだけ顔をしかめる。

 

「気楽じゃねぇよ」

 

「だろうな。言い方が悪かった」

 

 スバルは素直に訂正した。

 

 エレンにとって“上に行く”は楽観ではない。行かなきゃならないものだ。巨人へ届くために。

 

「でもまあ、俺は気になる」

 

 スバルが言う。

 

「自分がどこにいるか」

 

「それは皆そうだと思う」

 

 アルミン。

 

 少し間があって、マルコが上の寝台から身を乗り出した。

 

「でも、今の順位って、そこまで絶対じゃないよ」

 

「慰めか?」

 

「違うよ」

 

 マルコは穏やかに言う。

 

「順位は、完成度の話だから。今の時点で“兵士としてどれくらい形になってるか”であって、最後まで同じとは限らない」

 

「……それ、お前みたいなやつが言うと効くな」

 

「どういう意味?」

 

「お前、最初からそこそこできてて、でも今もっとできるようになってる側だろ」

 

 マルコは少しだけ笑った。

 

「君だってそうだよ」

 

「俺?」

 

「うん。最初の君、ひどかったよ」

 

「知ってる!」

 

 寝所の何人かが吹き出した。ひどい。

 

「でも今は、ひどいなりに残る方法を覚えてる」

 

 その言い方に、スバルは少しだけ黙る。

 

 褒められているのか分からない。だが、雑に持ち上げているわけではないことは分かる。

 

「残る方法、か」

 

「兵士って、たぶんそれが一番大事なんじゃないかな」

 

 マルコは言った。

 

「立派に勝つことより、まず残ること」

 

 その言葉を、スバルはしばらく反芻した。

 

 勝つ、ではない。

 

 残る。

 

 それはあまりにこの世界らしくて、嫌になるくらい正しかった。

 

 冬が近づくころ、訓練はまた段階を変える。

 

 より長い距離を、より少ない指示で、班ごとに判断して動く訓練へ移る。教官が答えを全部与えず、途中の選択を班へ委ねる場面が増えた。

 

 そこで露骨に差が出た。

 

 強いやつが一人いるだけでは足りない。

 

 言うやつ、見るやつ、止めるやつ、ついていくやつ、その全部が揃わないと、班は変な方向へ崩れる。

 

 スバルの班は、最初の頃よりましになっていた。

 

 マルコが見る。

 

 コニーが勢いを出す。

 

 サシャが妙な勘で補う。

 

 スバルが、以前よりは慌てずに隙間を埋める。

 

 完成度は高くない。だが、壊れにくくはなっていた。

 

 ある課題で、教官補佐が珍しく言った。

 

「この班は、派手さはないが崩れにくい」

 

 スバルはそれを聞いた瞬間、妙に胸が熱くなった。

 

 派手じゃない。

 

 でも崩れにくい。

 

 それは、たぶん今の自分たちに一番合う褒め言葉だった。

 

 同じ日の夕方、エレンとジャンの班は別の意味で目立った。

 

 速い。強い。だが、また途中で衝突しかけた。

 

 そこをマルコが横からまとめて救った。

 

 訓練が終わったあと、ジャンが珍しくマルコにだけは素直に言った。

 

「……さっきは助かった」

 

 マルコは笑って答える。

 

「次は、助けなくても済むといいね」

 

 そのやりとりを見て、スバルはまた少し嫌な予感を覚えた。

 

 マルコは、人と人の間に立つのがうますぎる。

 

 うますぎるやつは、たまに全部の歪みを引き受けてしまう。

 

 そういう役回りは、物語の中であまり長生きしない。

 

 やめろ、とスバルは自分に言い聞かせた。

 

 先を読んだ気になるな。

 

 ここはまだ訓練兵団だ。

 

 まだ何も決まっていない。

 

 だが同時に、もう何も“ただの訓練”ではなくなっていた。

 

 季節は進んでいる。

 

 人も変わっている。

 

 そして、変わった人間関係は、もう元には戻らない。

 

 訓練兵団に入ったあの日、ただの同期だった連中が、少しずつ“物語を動かす側”の顔をし始めていた。

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