Re:壁内から始める異世界生活   作:stein0630

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第21話 雪が降るころには、もう後戻りの話をしなくなる

 

 冬は、訓練兵団に平等ではなかった。

 

 寒さそのものは全員に来る。朝、布団から出る瞬間の理不尽さも、息が白くなる訓練場の冷たさも、凍える指で装備を締める面倒さも、誰にでも同じだ。

 

 だが、その寒さの中でどれだけ動けるかは平等じゃない。

 

 体が強いやつは残る。

 

 気持ちで押せるやつも、ある程度は残る。

 

 問題はそのどちらでもないやつだ。

 

 冬が本格化するころ、訓練兵団の中で静かに人数が減っていった。

 

 正式に脱落と告げられた者もいれば、怪我で後退する者もいる。訓練についていけず、補助要員へ回される者もいた。いなくなった寝台は、最初の数日は気になる。だが、数が増えると、人はそれにも慣れる。

 

 慣れるのが嫌で、スバルは時々わざとその空いた寝台を見た。

 

 見て、嫌な気持ちになって、それでも翌朝には起きて走る。

 

 それを繰り返しているうちに、冬はさらに深くなった。

 

 訓練内容も変わる。

 

 体力を削るだけの段階は過ぎた。いや、削ること自体は相変わらずやる。やるが、その上に“考えろ”が乗る。班の中で誰が前へ出るのか。どこで止まるのか。どの地形を使うのか。全部を一瞬で選ばされる。

 

 そこで、アルミンが伸びた。

 

 体の強さではない。

 

 判断の速さだ。

 

「右はぬかるんでる、左へ寄って!」

「このまま高く行くと戻りがきつい、低く回った方が早い!」

「今は追うな、集合優先!」

 

 最初は、そういう声を出しても周囲が半拍遅れることが多かった。

 

 だが、冬に入るころには違った。少なくともエレン班の中では、アルミンの声が“ただの細いやつの意見”ではなく、ひとつの判断材料として扱われ始めている。

 

 それはかなり大きな変化だった。

 

 エレンがそれを認めた瞬間を、スバルはたまたま見ていた。

 

 野外訓練から戻ったあとだ。訓練場脇で装置の点検をしながら、エレンがぶっきらぼうに言った。

 

「……さっきの、助かった」

 

 アルミンが顔を上げる。

 

「え?」

 

「分岐のとこだよ。お前が言わなきゃ、たぶん遠回りしてた」

 

 短い。雑。だがエレンなりの最大級に近い。

 

 アルミンは少し黙ってから、ふっと息を吐いた。

 

「……そっか」

 

 それだけだった。

 

 だが、その一往復だけで十分だった。

 

 役割が定まる。

 

 そういう瞬間は、見ていて分かる。

 

 ライナーはますます“兵士”になっていく。

 

 ベルトルトはますます“目立たないくせに外さないやつ”になる。

 

 アニは、たまに訓練を流しているように見えるくせに、要点だけは絶対に外さない。あのやる気のなさそうな顔で、それをやるのが一番腹立たしい。

 

 ミカサはずっと強い。

 

 ただ、最近は“強いだけの一人”ではなく、“強すぎるからこそ周囲の速度を乱しうる一人”として見られる瞬間も出てきた。本人に悪気はない。だが、ミカサ基準で動ける人間は少ない。

 

「お前、もうちょい遅くできねぇの」

 

 スバルが一度、本気で聞いたことがある。

 

 ミカサは少し考えてから言った。

 

「できる」

 

「できるのかよ」

 

「でも、遅くするのは難しい」

 

「それもう才能の暴力なんだよな……」

 

 その横でジャンが小さく言った。

 

「分かる」

 

 珍しく、心の底から一致した瞬間だった。

 

 そして、スバル自身は。

 

 冬の終わりが見え始めるころ、自分の立ち位置をようやく受け入れ始めていた。

 

 上位ではない。

 

 でも、下位でもない。

 

 たぶん十傑には入らない。

 

 だが、落ちる側でもない。

 

 その“半端さ”を、以前の自分ならひどく嫌っただろう。何かしら目立ちたい。上に行きたい。特別でありたい。そういう自意識は、もともと消えていない。

 

 消えていないのに、それでも今はこう思う。

 

 残っているだけで十分きつい。

 

 この訓練兵団で、冬を越えて、まだここにいる。それ自体がかなりのことだ。

 

 それを一番実感したのは、久しぶりに順位の話が表へ出た時だった。

 

 雪が薄く残る朝、教官補佐が実地成績の中間評価を口にした。正式な順位発表ではない。だが、誰が上位圏にいるかくらいは、ぼかしながらでも伝わる。

 

 ミカサ、ライナー、ベルトルト、アニ、ジャン、エレン。

 

 名前がそのあたりで出るのは、もう皆も分かっている。

 

 その中で、自分の名が出ないことに、スバルは思ったより傷つかなかった。

 

 少しだけ驚いた。

 

「……あれ」

 

 食堂でスープをすすりながら、スバルは呟いた。

 

「何」

 

 アルミンが聞く。

 

「いや、もっと悔しいかと思ってた」

 

「順位のこと?」

 

「うん」

 

 スバルはパンをちぎる。

 

「たぶん俺、自分が十傑に入らねぇって、もう分かってるんだな」

 

 エレンが顔を上げる。

 

「入ればいいだろ」

 

「いや、お前それ簡単に言うけどな」

 

「簡単じゃねぇよ」

 

「だろうな。でも俺は、そこまで届く絵がまだ見えねぇ」

 

 言いながら、不思議と惨めではなかった。

 

 むしろ、やっと地面に足が着いた感じがする。

 

 ミカサが言う。

 

「スバルは、途中で無駄が多い」

 

「お前、その言い方好きだな」

 

「でも残る」

 

 スバルは少しだけ黙った。

 

「……それ、褒めてる?」

 

「半分」

 

 今度はエレンが笑いそうになった。

 

「お前までその返しを覚えるな」

 

 アルミンが言う。

 

「でも、順位だけで全部決まるわけじゃないよ」

 

「その慰め、今の俺には逆に効かねぇかも」

 

「慰めじゃない。役割の話」

 

 アルミンはスープの表面を見ながら言う。

 

「上位は上位で必要。でも、班で崩れた時に戻れるやつ、周りを見ながら食らいつけるやつも必要だよ」

 

 スバルはその言葉を、そのまま飲み込むことはできなかった。

 

 だが、否定もしなかった。

 

 たぶん少しずつ、そういう自分の価値を考えてもいい段階に来ていた。

 

 春先。

 

 訓練兵団の空気は、また一段階変わる。

 

 今度は“慣れ”が出る。

 

 初期の恐怖は薄れ、冬のふるいを越えた自負が芽生え、皆の中にそれぞれの“自分はこのくらいやれる”ができる。そこから先は危ない。気の緩みが出る。逆に焦りが増すやつもいる。

 

 その時期に、ジャンとエレンが初めて本当に殴り合った。

 

 いや、正確には“殴り合いになりかけた”ではない。

 

 本当に殴った。

 

 理由はたいしたことではなかった。訓練後の整備で、エレンがまた独断で動いた。ジャンがそれを嫌味込みで指摘した。エレンが噛みついた。ジャンが返した。気づけば胸ぐらを掴み、次の瞬間には拳が出ていた。

 

「お前はいつもそうだ!」

「そっちこそ何様だ!」

「班で動くってことが分かってねぇんだよ!」

「黙ってついてくだけの腰抜けが偉そうに!」

 

 周囲が止める。

 

 ライナーが抑え、マルコが間に入り、コニーが面白がりかけてサシャにどつかれ、アルミンが青ざめ、ミカサが一歩出たところでエレンが余計に荒れる。

 

 地獄だった。

 

 結局、教官補佐に見つかって全員まとめて罰走になった。

 

 走りながら、スバルは本気で思った。

 

「なんで俺まで!」

 

「近くにいたからだろ!」

 

 コニーが笑いながら返す。

 

「笑うな! お前も走ってんだろうが!」

 

「でも面白ぇし!」

 

「最低だなお前!」

 

 その横でジャンとエレンはまだ睨み合っている。息切れしてるくせに元気だな、とスバルは半ば呆れた。

 

 だが、罰走が終わった後に、妙なことが起きた。

 

 その翌日から、ジャンとエレンのやり合いが少し変わったのだ。

 

 なくなりはしない。

 

 相変わらず嫌味を言うし、噛みつくし、視線の温度も低い。だが、以前みたいに“ただの反発”ではなくなる。

 

 言い方は悪い。

 

 だが中身は、少しずつ相手の長所を踏まえた噛みつき方になっていた。

 

「だからお前は前に出すぎだって言ってんだろ」

「お前は逆に見すぎなんだよ」

「見なきゃ班が壊れる」

「見てるだけじゃ開かねぇ」

「開く前に死ぬって話だ!」

 

 そこまで来ると、もはや喧嘩の体裁をした戦術議論だった。

 

 マルコが苦笑しながら言った。

 

「殴り合って、ようやく会話になってきたかもね」

 

「それ順番おかしいだろ」

 

 スバルが返すと、マルコは肩をすくめた。

 

「でも、あの二人ならそんなものかも」

 

 春も深くなり、訓練兵団に入ってから一年が見え始める頃には、もう“ただの同期”だった頃の空気は消えていた。

 

 誰がどういう時に怒るか。

 

 誰が何を怖がるか。

 

 誰がどこで折れそうになるか。

 

 誰に何を言えば届いて、何を言えば余計にこじれるか。

 

 その程度のことは、皆なんとなく分かっている。

 

 そして、その“なんとなく分かる”が一番危ないのだと、スバルは思う。

 

 近づけば近づくほど、雑に扱いやすくなる。

 

 いつものこいつだ、と決めつける。

 

 でも人間は、決めつけたところから急に壊れる。

 

 それを、スバルはずっと恐れていた。

 

 だからだろうか。

 

 春の終わり、王都遠征の話が出たとき、胸の奥で何かがざわついたのは。

 

「王都?」

 

 訓練兵たちの間にざわめきが走る。

 

 実戦ではない。見学に近い。だが、壁内の中でも違う空気を持つ場所だ。将来の配置や仕組みを意識させるための一環らしい、と噂が飛ぶ。

 

 憲兵団。駐屯兵団。調査兵団。

 

 その単語が、また一段はっきりした輪郭で皆の前に現れる。

 

 未来の分岐だ。

 

 そこへ向かう目の色が、訓練兵たちの間で少しずつ変わり始める。

 

 十傑に入りたい者。

 

 内地へ行きたい者。

 

 とにかく生き残りたい者。

 

 巨人に挑みたい者。

 

 どこにも行きたくないのに流されている者。

 

 その全部が、今までより露骨に表へ出てくる。

 

 物語が進む、というのはこういうことなのだとスバルは思った。

 

 日付が一枚進むことじゃない。

 

 選択肢が現れることだ。

 

 その選択肢の前で、皆の顔が変わることだ。

 

 そして、その王都遠征の前夜。

 

 寝所でスバルはぼそりと言った。

 

「……なんか、嫌な予感すんだよな」

 

「何が」

 

 エレンが聞く。

 

「知らん。でも、こういう“ちょっと外の空気吸わせます”みたいなイベントって、大抵ろくなこと起きねぇ気がする」

 

「お前の嫌な予感は当たる時と外れる時の差が極端すぎる」

 

 ジャンだった。

 

 最近はもう、こういう会話に自然に混ざる。

 

「文句あるなら俺の予感フィルター買い取れよ」

 

「いらねぇよ」

 

「だよな!」

 

 だが、笑い声のあとでも、胸のざわつきは消えなかった。

 

 時系列は進んでいる。

 

 人も変わっている。

 

 そして、変わった人間たちが次の段階へ進む準備をしている。

 

 それはつまり、“ただの訓練”の外に、また一歩出るということだった。

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