Re:壁内から始める異世界生活   作:stein0630

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第22話 流れるように

 

 

 そこから先の訓練兵団生活は、要点だけを残して雪崩みたいに進んだ。

 

 王都遠征で、訓練兵たちは初めて“壁の内側にも階層がある”ことを、空気で理解した。

 

 道の広さ。建物の高さ。人の服。兵士を見る目。

 

 同じ壁内でも、外縁で巨人に怯えて生きる者と、もっと内側でそれを遠い話として消費する者がいる。口で説明されるより先に、視界がそれを叩き込んできた。

 

「……胸くそ悪ぃな」

 

 スバルが小さく言うと、ジャンが珍しくすぐには噛みつかなかった。

 

「今さら気づいたのかよ」

 

「気づいてはいたけど、見せられると別だろ」

 

 エレンは終始機嫌が悪かった。悪いというより、静かすぎた。

 

 王都の整った街並みを見て、こいつの中で何かが余計に固まったのだと、スバルには分かった。ああいう場所があるなら、なおさらシガンシナで失われたものが許せなくなる。

 

 アルミンは逆に、ずっと観察していた。

 

 人の流れ。兵士の配置。商人の動き。憲兵団の態度。見えるもの全部を頭に入れている目だった。

 

 ミカサは、エレンが余計なことをしないように見ていた。

 

 そして訓練へ戻る。

 

 戻ってからは、もう早かった。

 

 春が深くなり、夏が近づき、訓練兵団の空気は“候補生”から“兵士未満”へ変わっていく。教官たちの怒鳴り方も変わる。最初の頃みたいな、ただ恐怖を叩き込む怒号ではなくなる。

 

 できる前提で怒鳴るようになる。

 

 つまり、できなければより容赦なく置いていかれる段階へ入ったのだ。

 

 そこで、順位がはっきりした。

 

 ミカサは頭一つ抜けた。

 

 アニ、ライナー、ベルトルト、ジャン、エレン、そのあたりが上位を固める。

 

 サシャもコニーも思ったより食らいつく。

 

 アルミンは下位寄りを抜けきらないが、それでも脱落しない。

 

 そしてスバルは、やはり真ん中だった。

 

「お前、ほんとにちょうど真ん中だな」

 

 コニーにそう言われた時、スバルは本気で木剣を投げつけかけた。

 

「一番言われたくねぇ評価!」

 

「でも分かりやすいじゃねぇか!」

 

「分かりやすいのが嫌なんだよ!」

 

 マルコが笑う。

 

「でも、それってかなりすごいことだよ」

 

「慰めはもういい」

 

「慰めじゃない。本当に」

 

 マルコはいつもの穏やかな顔で続ける。

 

「真ん中って、落ちないと取れない位置だろ」

 

 その言葉に、スバルは少し黙った。

 

 たしかにそうだった。

 

 この訓練兵団で、真ん中にいるのは案外難しい。上位ほど突出した才能はない。だが、下位へ落ちる弱さも見せない。毎日毎日、みっともなくても食らいついて、崩れても戻って、それでようやく取れる場所だ。

 

 派手じゃない。

 

 でも、ゼロじゃない。

 

 そのことを受け入れられるようになった時、スバルは初めて訓練兵団の時間が“ただ耐えるだけのもの”ではなくなっていたことに気づいた。

 

 近接格闘では、最初の一歩を怖がらなくなった。

 

 立体機動では、崩れたあと戻すのが少し速くなった。

 

 班行動では、焦って全部を埋めようとしなくなった。

 

 劇的ではない。全部じわじわだ。

 

 だが、じわじわ変わったものは、派手な成長よりむしろ消えにくい。

 

 そうやって訓練兵団の時間は進み、最後の季節が来る。

 

 卒業が視界に入った頃、空気はまた変わった。

 

 今度は“誰がどこへ行くのか”だ。

 

 憲兵団を狙う者。駐屯兵団を選ぶ者。調査兵団へ行くと言い切る者。

 

 その話題が表へ出ると、人の本音は急に生々しくなる。

 

「俺は内地に行く」

「当たり前だろ、死にたくねぇ」

「家族がいるから駐屯兵団だ」

「調査兵団? 正気かよ」

 

 そういう会話が、食堂でも寝所でも、もう隠されなくなった。

 

 エレンは最初から変わらない。

 

「調査兵団だ」

 

 ぶれない。

 

 ミカサも変わらない。

 

「エレンが行くなら、私も」

 

 アルミンは少しだけ迷って、それでも決める。

 

「僕も行く」

 

 その時、スバルは思った。

 

 ああ、訓練兵編はここで終わるんだな、と。

 

 人がどれだけできるようになったかではない。

 

 どこへ向かうかを自分で選ぶところまで来たら、もう訓練兵編は終わりだ。

 

「お前は」

 

 エレンに聞かれた時、スバルは前みたいに長く迷わなかった。

 

「……調査兵団は、まだ無理だ」

 

 正直に言った。

 

 エレンが眉をひそめる。

 

「まだ?」

 

「うるせぇよ。今の俺がそっち行ったら、たぶん理想で死ぬ」

 

 スバルは肩をすくめる。

 

「俺は、まず生き残る側で経験積む。だから駐屯兵団だ」

 

 エレンは少し黙った。

 

 ジャンが横から鼻を鳴らす。

 

「現実的で助かるな」

 

「お前は?」

 

「憲兵団に決まってんだろ」

 

 そう言うくせに、その目の奥には少しだけ迷いが見えた。だが今はまだ、そこを突っつく段階じゃない。

 

 マルコは穏やかに言った。

 

「僕も駐屯兵団かな」

 

「だろうな」

 

 スバルが返すと、マルコは笑った。

 

「理由も聞かずに?」

 

「お前は、いきなり一番危ねぇとこ行くタイプじゃねぇ。でも、安全圏にこもるだけでもない」

 

「よく見てる」

 

「見てるやつのことは、見とかないとな」

 

 その言葉を言った時、スバルは少しだけ嫌な感じがした。

 

 嫌な感じがしたが、言葉にはならなかった。

 

 そして、卒業。

 

 第104期訓練兵団、成績上位十名が発表される。

 

 ミカサ・アッカーマン。

 

 ライナー・ブラウン。

 

 ベルトルト・フーバー。

 

 アニ・レオンハート。

 

 エレン・イェーガー。

 

 ジャン・キルシュタイン。

 

 サシャ・ブラウス。

 

 コニー・スプリンガー。

 

 ……そして、他数名。

 

 アルミンの名はない。スバルの名もない。

 

 だが、スバルはもう、それに過剰には傷つかなかった。

 

 悔しくないわけじゃない。だが、“自分がそこではない”ことは、もう訓練の途中で受け入れていた。

 

 問題はそこではない。

 

 終わったのだ。

 

 訓練兵編が。

 

 あのシガンシナから始まって、怒鳴られ、落ちかけ、殴り合い、食らいついてきた“準備期間”が、ここで終わる。

 

 配属希望の最終確認が行われる。

 

 何人かが迷う。

 

 何人かが怖がる。

 

 何人かは、それでも調査兵団を選ぶ。

 

 エレン、ミカサ、アルミンは、結局その列へ向かった。

 

 スバルは少し離れて、その背中を見る。

 

「……行くんだな」

 

 アルミンが振り向いて、少し笑った。

 

「うん」

 

 エレンは振り向かない。

 

「最初から言ってる」

 

「そうだったな」

 

 ミカサはエレンの少し後ろで、当然のようにそこにいた。

 

 スバルは息を吐く。

 

「俺は駐屯兵団だ」

 

 エレンがそこで初めて振り向く。

 

「知ってる」

 

「何だよ、その“お前ならそうだろ”みたいな顔」

 

「そうだろ」

 

「腹立つな!」

 

 でも、それでいいとも思った。

 

 訓練兵団は終わった。

 

 これで四人がずっと同じ場所にいる理由も、少し薄くなる。道が分かれる。役割も分かれる。

 

 それでも、完全には切れない気がした。

 

 シガンシナの日からここまでの時間が、それを許さない。

 

 卒業式めいたものが終わり、配属が決まり、最後の自由時間みたいな夕方が来る。

 

 訓練場を見下ろす高台で、数人が風に当たっていた。

 

 ジャン、マルコ、ライナー、ベルトルト、コニー、サシャ、エレン、アルミン、ミカサ、そしてスバル。

 

「終わったな」

 

 コニーが言う。

 

「終わったのか?」

 

 サシャが首を傾げる。

 

「始まる、のほうが近くね?」

 

 ジャンが言った。

 

 その通りだった。

 

 終わったのは訓練兵編であって、人生ではない。むしろこっからだ。

 

「……嫌な言い方するなぁ」

 

 スバルが言うと、ジャンは鼻で笑う。

 

「現実だろ」

 

「お前最近、現実担当キャラが板についてきたな」

 

「元からだ」

 

「それはそうかも」

 

 マルコが笑った。

 

 風が吹く。

 

 壁の内側の空は、相変わらず広いようで狭い。

 

 その時だった。

 

 遠くで、鐘が鳴った。

 

 一回。

 

 二回。

 

 三回。

 

 全員の顔が変わる。

 

 スバルの背筋に、ぞわりと冷たいものが走る。

 

 この音を、自分は知っている。

 

 シガンシナ。

 

 あの日の警鐘。

 

「……まさか」

 

 アルミンが呟く。

 

 兵士たちが走る。下で怒号が飛ぶ。空気が一瞬で裏返る。

 

 壁の方角。

 

 その一点へ、全員の視線が吸い寄せられる。

 

 スバルの心臓が、嫌な形で速くなる。

 

 

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