Re:壁内から始める異世界生活   作:stein0630

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第23話 鐘が鳴ったら、訓練は全部ただの前置きになる

 

 

 鐘の音は、訓練場の空気を一瞬で殺した。

 

 さっきまで卒業の余韻みたいなものがあった。終わったな、これからだな、そういう曖昧な感慨が、鐘三つで全部吹き飛ぶ。

 

 スバルの喉がひゅっと鳴った。

 

 知っている音だ。

 

 知っているからこそ、体が先に怯える。

 

「壁だ!」

 

 下から兵士の怒声が飛ぶ。

 

「南だ! 全兵、配置につけ!!」

 

 南。

 

 その一言で、エレンの顔が変わった。

 

 さっきまでの“卒業した訓練兵”の顔じゃない。もっと剥き出しの、シガンシナの日と同じ目だ。

 

「トロスト区……!」

 

 アルミンが息を呑む。

 

 スバルの背中に冷たい汗が流れる。

 

 トロスト区。

 

 ここで来るのか。

 

 知っている。いや、細部まで知っているわけではない。だが、大枠は嫌になるほど分かる。超大型巨人。壁の破壊。訓練兵たちの実戦投入。街の地獄。エレンたちが“ただの訓練兵”でいられなくなる日。

 

 訓練兵編、終われよ、なんてさっきまで思っていた。

 

 終わったら、こうなる。

 

 自分で望んだ速度で、地獄は来る。

 

「行くぞ!」

 

 エレンが駆け出す。

 

「待て、エレン!」

 

 アルミンが叫ぶが遅い。ミカサは当然のように追う。ライナーとベルトルトも顔を見合わせ、すぐ走り出す。ジャンは舌打ちしてから続き、コニーとサシャも一瞬遅れて動いた。

 

 スバルも反射で走り出しかけて、足を止めた。

 

 駐屯兵団。

 

 自分の配属先。

 

 いま自分は“調査兵団へ行く三人と同じ流れにいる”わけではない。配属が決まったばかりとはいえ、立場は分かれている。

 

 なのに、体はそっちへ行こうとする。

 

「スバル!」

 

 振り返る。マルコだった。

 

 少し後ろから、こちらを見ている。走るべきか止まるべきか、一瞬だけ迷った顔だ。

 

 スバルは歯を食いしばる。

 

「行くぞ!」

 

 答えは、それしかなかった。

 

 高台を駆け下りる。訓練場はもう蜂の巣をつついたみたいな騒ぎになっている。教官補佐が怒鳴り、配属先ごとに整列させようとしているが、卒業直後の訓練兵たちは完全に“兵士”として統制されているわけじゃない。混乱と興奮がそのまま露出していた。

 

 その混乱の中心で、キース教官が一度だけ全員を怒鳴りつける。

 

「静まれぇぇぇ!!」

 

 声が、全部を圧し潰した。

 

 訓練場の空気が止まる。

 

「現時点より、訓練兵ではなく予備戦力として扱う! 各自、所属先の指示に従え!! 勝手な判断をするな!! 怯えるなとは言わん!! だが混乱するな!!」

 

 その言葉に、スバルは胸の奥が重くなるのを感じた。

 

 予備戦力。

 

 つまり、もう訓練ではない。

 

 自分たちは“いざという時の数”に組み込まれたのだ。

 

 卒業して、配属が決まり、次の段階へ進む。その最初の日に、いきなり実戦の入口へ突き落とされる。

 

 ひどい。

 

 でも、この世界はそういうひどさでできている。

 

 兵が走り回る中、駐屯兵団所属予定の者たちは別列へ、調査兵団希望者はまた別へ、憲兵団希望者たちはさらに別へ振り分けられ始める。

 

 だが、その場にいる誰も、もう“希望先の未来”だけを見てはいられなかった。

 

「エレン!」

 

 アルミンがやっと追いつき、エレンの腕を掴む。

 

「落ち着いて!」

 

「落ち着いてられるか!」

 

「落ち着かないと死ぬ!」

 

「それはいつもだろ!」

 

 いつもの言い合いだ。だが熱量が違う。

 

 ミカサが割って入る。

 

「エレン、今は命令を聞いて」

 

「巨人が出たんだぞ!」

 

「だからこそ」

 

 短い言葉。だが鋭い。

 

 ジャンが少し離れた位置から睨みながら言う。

 

「ここで勝手に動いたらただの馬鹿だ」

 

「何だと」

 

「図星だから噛みつくな!」

 

 言い方は最悪だが、中身はその通りだった。

 

 スバルは全員の間へ半歩だけ出る。

 

「……とりあえず、話は後!」

 

 喉がひりつくが構わず叫ぶ。

 

「配属前だろうが何だろうが、今ここでバラけたら終わる!」

 

 ライナーが頷いた。

 

「そうだ。いまは指示を聞く」

 

 その“兵士の声”が効いた。ライナーが言うと、本当にそうすべきに聞こえる。ベルトルトも静かに頷き、マルコがその流れを補強する。

 

「各所属ごとに集まるのが先だ。情報が混ざる」

 

 混ざる。

 

 そうだ。いま怖いのは、巨人そのものと同じくらい、“情報と命令の混乱”だ。シガンシナでスバルが嫌というほど味わったやつだ。

 

 全員が一拍だけ沈黙し、その間に教官補佐がさらに怒鳴る。

 

「駐屯兵団所属予定者は東列へ! 調査兵団志望者は南列へ! 走れ!!」

 

 動くしかない。

 

 エレンがアルミンを睨み、ジャンが舌打ちし、ミカサがエレンの少し後ろへつく。

 

 スバルは一瞬だけその背中を見た。

 

 分かれる。

 

 さっき決まった配属が、もう現実になる。

 

「スバル!」

 

 マルコの声。

 

 そうだ。自分は駐屯兵団側だ。

 

 歯を食いしばって、駐屯兵団の列へ走る。マルコが隣に来る。ジャンも少し前にいる。ライナーとベルトルトも同じ列へ合流した。

 

 調査兵団志望の列の方では、エレン、ミカサ、アルミンの三人が流れていくのが見えた。

 

 視線が一瞬だけ合う。

 

 それだけだった。

 

 だが、その一瞬に嫌な確信があった。

 

 ここから先、もう“いつもの四人”ではいられない。

 

 同じ戦場にいたとしても、立つ列が違う。

 

 その事実が、胸に鈍く刺さる。

 

 列の先頭で、駐屯兵団の隊員が叫ぶ。

 

「トロスト区南門付近に超大型巨人出現! 壁面破壊の可能性あり! 駐屯兵団所属予定者は補給と避難誘導の補助に回る!」

 

 超大型巨人。

 

 やっぱり来た。

 

 スバルの胃が冷たくなる。

 

 知っていたはずなのに、言葉として現実へ叩きつけられると違う。あの顔。あの蒸気。あの蹴り。シガンシナの記憶が一瞬で喉まで競り上がる。

 

「顔色悪いぞ」

 

 マルコが低く言った。

 

「元からだよ」

 

 反射で返したが、声が掠れていた。

 

 マルコはそれ以上は言わない。だが目は少しだけ鋭い。見ている。いつも通り、人の崩れ方を。

 

 駐屯兵団側へ組み込まれた新兵たちは、正式な兵士に混ざって即席の役割を与えられていく。水、予備刃、ガス補充、避難誘導、負傷者搬送、連絡伝達。

 

 スバルは“補給補助班”へ回された。

 

「お前、声が通るか」

 

 隊員に聞かれる。

 

「たぶん!」

 

「なら命令の伝達もやれ! 荷も運べ!」

 

「雑な人材活用だな!」

 

「今は全部雑だ!!」

 

 ごもっともだった。

 

 マルコも同じ班に入れられた。ジャンとライナーは別の誘導補助へ。ベルトルトは補給列の後方整理。

 

 細かくバラける。

 

 物語が進む時ってのは、たぶんこういう感じなんだろうなとスバルは場違いに思った。

 

 さっきまで固まっていた主要人物たちが、一気に配置につく。

 

 誰がどこに行くかで、次の展開が変わる。

 

 そしてその分かれ方は、本人の感情とは無関係に、立場と役割で決まる。

 

 トロスト区の内側へ入る道は、すでに避難民と兵士で溢れ始めていた。鐘は鳴り続け、蒸気の匂いが遠くから風に混じってくる。

 

 嫌な匂いだ。

 

 熱い鉄と、生っぽい湿気が混ざったような。

 

 シガンシナの時と同じだった。

 

「う、わ……」

 

 思わず漏れる。

 

 まだ巨人を見ていない。見ていないのに、記憶だけで足が少し止まりかける。

 

「スバル!」

 

 マルコが呼ぶ。

 

 はっとして前を向く。荷車を押す。補給箱を運ぶ。声を飛ばす。

 

「道空けろ! 兵通すぞ!」

「そこの列、詰めろ!」

「走るな! 押すな!」

 

 やることはある。

 

 やることがあるうちは、まだ保てる。

 

 トロスト区外縁の仮補給所に着いたとき、ようやく最初の被害兵が運び込まれてきた。

 

 足をやられている。血が多い。顔は青いが、まだ生きている。

 

「ガス! 予備ガス!!」

「医療班呼べ!!」

「次だ、次を運べ!!」

 

 スバルは箱を運びながら、やけに冷静な自分に気づいた。

 

 シガンシナよりは、冷静だ。

 

 理由は分かる。

 

 一度死んだからじゃない。

 

 訓練兵団を経たからだ。

 

 怒鳴られ、走り、装置を扱い、恐怖の中で止まらないことを少しだけ覚えた。その積み重ねが、いまギリギリで自分を保たせている。

 

 訓練兵編は、無駄じゃなかった。

 

 その事実が、こんな最悪の形で証明されるのは皮肉だった。

 

 そこへ、一人の駐屯兵が駆け込んでくる。

 

「南壁に穴は空いていない! だが超大型出現後、蒸気と混乱で視認不能! 前衛班の一部が孤立!」

 

 スバルの心臓が跳ねる。

 

 穴は空いていない。

 

 そこは違うのか。

 

 いや、まだ分からない。トロスト区の展開は細部が曖昧だ。知識の断片だけで未来を断定するのは危険だと、シガンシナで学んだはずだ。

 

 だが、“前衛班が孤立”という一言に別の意味で背筋が冷える。

 

 エレンたちだ。

 

 調査兵団志望の新兵たちは、たぶん前線寄りに回される。

 

 アルミンも、ミカサも、エレンも。

 

「顔、また死んでるぞ」

 

 マルコが横で言った。

 

「仕様だよ」

 

「便利な言葉だね」

 

「便利じゃない、現実だ」

 

 返しながらも、スバルは荷を持つ手に力を入れる。

 

 いま自分が行くべき場所は前線じゃない。

 

 分かっている。

 

 分かっているからこそ、余計に嫌だった。

 

 自分だけが一歩後ろにいる感じがする。訓練兵編では並んでいたはずなのに、本番が始まった瞬間、立つ位置の違いが露骨になる。

 

 それが正しい。

 

 だが、正しいことと、納得できることは違う。

 

 補給所の外で、また鐘が鳴る。

 

 兵の怒号。遠くの爆音。蒸気。負傷兵の増加。

 

 時間が流れる。

 

 一分が長いのに、気づけば次の箱を運び、次の命令を伝えている。

 

 その繰り返しの中で、ふいに見知った顔が飛び込んできた。

 

「ジャン!」

 

 スバルが叫ぶ。

 

 ジャンは息を切らし、顔に煤をつけたまま走ってくる。

 

「ガスだ! 予備二本!」

 

「今出す!」

 

 いつもの嫌味を言う暇もない。スバルは即座に箱を開け、予備ガスを引っ張り出す。マルコが別の補給兵へ声を飛ばし、ジャンが受け取る。

 

 その一瞬、ジャンが低く言った。

 

「エレン班が前に出てる」

 

 心臓が嫌な形で跳ねる。

 

「は?」

 

「南側だ。散開してる。ミカサは見た。アルミンもたぶん生きてる」

 

「たぶんって何だよ」

 

「ごちゃついてんだよ!」

 

 ジャンが噛みつくように返す。

 

「全部見えるか!」

 

 正論だった。

 

 だがその“たぶん”が、スバルの胃を掴む。

 

「っ……」

 

「おい」

 

 ジャンが眉をひそめる。

 

「そこで顔変えんな。こっちまで気持ち悪くなる」

 

「言い方が最悪だなお前!」

 

「余裕ないんだよ!」

 

「知ってる!」

 

 そのままジャンは駆け戻る。

 

 補給所の空気はさらに騒がしくなる。誰がどこにいるのか、断片的な情報だけが飛び交う。巨人の位置、補給の不足、孤立、避難民の流れ。

 

 全部が曖昧で、だからこそ一番怖い。

 

 スバルは拳を握る。

 

 前線じゃない。

 

 でも、完全に蚊帳の外でもない。

 

 ここにいるから届く情報がある。ここにいるから動かせるものがある。訓練兵編で自分が得たのは、たぶん“最前線の英雄力”ではない。こういう混乱の中で、立場に応じて噛みついていくしぶとさだ。

 

 だったら。

 

 だったら、ここでやるしかない。

 

 スバルは顔を上げた。

 

「マルコ」

 

「うん」

 

「前線への補給経路、今どこが一番詰まってる」

 

 マルコが一瞬こちらを見る。

 

 それから少しだけ笑う。

 

「ようやくその顔になった」

 

「何だよそれ」

 

「いつもの、食らいつく時の顔」

 

 そう言いながら、マルコは地図代わりの簡易板を指した。

 

「南側の主路は混雑。東脇道はまだ使える。でも人手が足りない」

 

 スバルは頷く。

 

「じゃあそこだ」

 

 訓練兵編は終わった。

 

 終わったあとの自分が何をやるか。

 

 その答えを、トロスト区の混乱がもう要求し始めていた。

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