Re:壁内から始める異世界生活   作:stein0630

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第24話 前に行けないやつの戦い方

 

 

 東脇道は、まだ崩れていなかった。

 

 だからこそ危ない、とスバルは思った。

 

 主路が詰まれば、人は必ず「空いてる方」へ流れる。今はまだ使える。だが、使えると気づかれた瞬間に、そこも潰れる。補給路というのは、空いている間しか価値がない。

 

「三箱持つ! 残りは後ろから回せ!」

 

 スバルが怒鳴る。

 

 自分でも、少し前までの訓練兵の声じゃないなと思った。訓練場で怒鳴られ続けたせいか、叫ぶべき時の喉の使い方だけは覚えてしまったらしい。

 

「持てるのか」

 マルコが聞く。

 

「持てなかったら途中で恥かくだけだ!」

 

「それ前向きかな」

 

「前向きじゃなくても行くんだよ!」

 

 結局、三箱は無理だった。二箱で限界だ。重い。ガスの容器と予備刃を詰めた木箱は、腕に食い込むような重さで、走るたびに肩へ痛みが響く。

 

 だが止まらない。

 

 東脇道は狭い。建物の影が多く、視界も悪い。避難民の流れはまだ薄いが、兵や補給係が行き交い始めている。

 

「道空けろ! 補給通す!」

 スバルが叫ぶ。

 

 後ろでマルコも声を張る。

 

「南前線向け! 詰まる前に抜ける!」

 

 この男、こういう時に“言葉を必要な長さにする”のがうまい。スバルみたいに勢いだけで叫ばない。ちゃんと相手に意味が届く。

 

 途中、路地の角で負傷兵を運ぶ担架隊とぶつかりかけた。

 

「待て!」

「そっち下げろ!」

「いやこっち補給――」

 

 一瞬の混線。

 

 スバルの背中に冷たいものが走る。こういう一瞬が、一番怖い。誰も間違っていないのに、道が一つしかない。

 

「担架が先!」

 マルコが即断した。

 

 スバルは舌打ちを飲み込み、壁際へ身を寄せる。担架が通る。足を失った兵の顔が、白い布の上で蝋みたいに青い。

 

「……っ」

 

 目を逸らしかけて、逸らさない。

 

 ここで逸らしたら、次に自分が何を運んでいるのかまで曖昧になる気がした。

 

 担架が過ぎる。

 

「行くぞ」

 マルコ。

 

「ああ」

 

 さらに進む。

 

 角を二つ曲がったあたりで、ようやく補給待機の駐屯兵が見えた。数人。顔色は悪い。ガス切れ寸前らしく、立体機動装置の音も減っている。

 

「持ってきた!」

 スバルが叫ぶ。

 

「遅ぇ!」

 兵の一人が怒鳴り返す。

 

「知るか、こっちだって最短で来てんだよ!」

 

 本気で言い返してから、いま相手が誰か気づいた。兵だ。だが兵もそこを気にしている余裕はない。箱をひったくるように開ける。

 

「次はもっと持ってこい! 南路が死んでる!」

 

「どのあたりだ!」

 マルコが聞く。

 

「第三補給点の手前! 避難民が流れ込んでる! あと新兵が散ってる、統制が効いてねぇ!」

 

 スバルの胸が嫌な音を立てる。

 

 新兵が散ってる。

 

 つまり、エレンたちのような連中が“班”の形を失い始めているということだ。

 

 まずい。

 

 それは知っている流れに近い。

 

 断片だけだ。だが、断片で十分に嫌な予感がする。

 

「マルコ」

「うん」

「第三補給点まで行けるか」

「補給係の持ち場を越える」

「知ってる。でも」

「でも、行きたいんだろ」

 

 スバルは息を呑む。

 

 マルコは一瞬だけ、困ったように笑った。

 

「君って、そういう時は分かりやすい」

 

「便利に使うなよその評価」

 

「使ってない。確認してるだけ」

 

 だが、マルコも迷っている顔ではなかった。よくないな、とスバルは思う。こいつは自分よりずっと“間に立つ側”の人間だ。そういうやつが、危ない場所へ自然に足を向けるのは、すごくよくない。

 

「行くぞ」

 スバルが言う。

 

「うん」

 

 二人でまた箱を抱え直す。

 

 来た道を戻るのではない。さらに南へ、より前線に近い脇道へ入る。補給係の持ち場を越えるのは本来違反に近いだろう。だが、ここで正規のルートだけ守っていても間に合わないものがある。

 

 そういう判断を、スバルはもう一度してしまった。

 

 脇道の先では、空気そのものが違っていた。

 

 熱い。

 

 蒸気が流れてきている。遠くで巨人の声とも風ともつかない響きがある。建物の影が不自然に壊れ、瓦礫が散っている。ここから先は、訓練でも補助でもない。実戦の端だ。

 

「……やばいな」

 スバルが言う。

 

「うん」

 マルコも短く返す。

 

 だが引き返さない。

 

 第三補給点は、半ば崩れていた。仮置きの木箱が散乱し、兵が二人、怒鳴りながら不足分を数えている。

 

「補給だ!」

 マルコが叫ぶ。

 

 兵たちが振り向く。驚きと安堵が一緒になった顔だ。

 

「どっから来た!」

「東脇道!」

「使えたのか!?」

「今はまだ!」

 

 箱を渡す。兵が開ける。予備ガス、刃、最低限の備品。足りないが、ゼロよりましだ。

 

「前線は?」

 スバルが聞く。

 

 兵は一瞬だけ迷い、それから吐き捨てた。

 

「南の補給班が食われた。新兵が散った。ガス切れで戻れないやつも出てる」

 

 食われた。

 

 その単語が、喉に鉄みたいに引っかかる。

 

「班名は?」

 マルコが聞く。

 

「知らん! ごちゃついてんだよ!」

 

 当然だ。こんな状況で全員の名前なんか把握しきれるはずがない。

 

 だが、その“知らん”が一番きつい。

 

 誰が無事で、誰が死んだのか分からない。分からないから、最悪の想像がいくらでもできる。

 

 そこへ、別の兵が斜面の向こうから滑り込むように戻ってきた。顔が血だらけだ。自分の血かどうかも怪しい。

 

「ガス! 予備ガス!」

「ここだ!」

「南東屋根上、新兵三人孤立! 一人はアッカーマンだ!」

 

 ミカサ。

 

 スバルの心臓が跳ねる。

 

 兵は続ける。

 

「もう二人は……一人はアルレルト、もう一人は――」

 一瞬、言葉が詰まる。

「イェーガーか?」

 

 スバルがほとんど叫ぶように聞く。

 

「違う! トーマスだ!」

 

 少しだけ、ほんの少しだけ、肺に空気が入る。

 

 違う。

 

 だが同時に、トーマスは孤立している。アルミンとミカサもだ。全然よくない。

 

「イェーガーは?」

 スバル。

「知らん! 別班が前に出てる!」

 

 またそれだ。

 

 知らない。

 

 分からない。

 

 この“分からない”が一番人を削る。

 

 マルコがすぐに判断する。

 

「南東屋根上の位置、分かる?」

「鐘楼の陰だ! だが巨人が二体回ってる!」

「前衛に伝える!」

 マルコが言う。

 

 兵が頷き、別の隊員へ情報を飛ばす。

 

 スバルはそこで、自分が一歩前へ出ていることに気づいた。

 

 行くか。

 

 行けるか。

 

 ミカサとアルミンがいる。トーマスも。もしかしたら、その先にエレンだっている。

 

 でも自分は補給係だ。ここで勝手に前へ出れば、ただの新兵の暴走だ。しかもマルコまで巻き込む。

 

「……くそ」

 喉の奥で言う。

 

 前に行けるやつと、行けないやつがいる。

 

 前に行けないやつの戦い方を、自分は今やっている。

 

 それを訓練兵編で散々覚えたはずなのに、いざ“大事なやつら”の名が出ると、全部が揺らぐ。

 

 マルコが低く言った。

 

「スバル」

 

「分かってる」

 

「本当に?」

 

「分かってるって言ってんだろ」

 

 声が少し荒くなる。

 

 マルコはそれでも冷静だった。

 

「今ここで君が飛び出すと、届けられる補給が減る」

 

「分かってる」

 

「それでミカサたちが助かる保証はない」

 

「分かってる!」

 

「でも、ここで回した補給が別の兵を動かす可能性はある」

 

 正しい。正しすぎて腹が立つ。

 

 スバルは拳を握った。

 

 行きたい。けど行けない。

 

 この“行けない”を選ぶのが、自分の今の役割だ。

 

 理屈では分かる。

 

 感情が追いつかないだけだ。

 

「……次、どこだ」

 スバルが聞いた。

 

 兵が即答する。

 

「北寄りの路地! まだ詰まってない! そこから迂回で第四補給点へ繋げる!」

 

「行くぞ」

 スバルが言う。

 

 マルコは短く頷いた。

 

 その時、遠くの屋根の向こうで、蒸気が噴き上がった。

 

 超大型巨人の位置か、あるいは別の爆発か。分からない。だが、その蒸気の向こうに、誰かの叫び声が一瞬だけ混じった気がした。

 

 気のせいかもしれない。

 

 でも、気のせいにしたくない声だった。

 

 スバルは歯を食いしばり、箱を抱え直した。

 

 訓練兵編は終わった。

 

 その先で自分が選んだ“駐屯兵団として残る”という道は、こういう形で試される。

 

 英雄にはなれない。

 

 前線で巨人を斬り倒すわけでもない。

 

 でも、ここで補給を途切れさせないことが、誰かの生存に繋がる。

 

 たぶんそれが、自分のいまの戦い方だ。

 

 北寄りの路地へ向かって走り出した時、スバルはようやく少しだけ、訓練兵時代の積み重ねが“過去”になった感覚を持った。

 

 あれは前置きだった。

 

 ここから先は、前置きで覚えたことを、全部使い切るしかない。

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