Re:壁内から始める異世界生活   作:stein0630

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第26話 道を作るだけでも、人は生き残れる

 

 

「こっちだ! 屋根の段差、二つ目は飛ばすな!」

 

 スバルの声が、南東の屋根伝いに裂ける。

 

 ミカサが先頭で動く。アルミンが続く。トーマスは半拍遅れるが、今回は止まらない。止まれないのかもしれない。恐怖で顔は死んでいるのに、足だけは訓練の形を守ろうとしていた。

 

 下では巨人が二体、別方向へ引っ張られている。

 

 ライナーが一体の注意を引き、ベルトルトが高所から角度を変えて時間を稼ぐ。長くはもたない。稼げるのは、せいぜい数秒単位だ。

 

「アルミン、次の棟の裏側!」

「分かった!」

「トーマス、下見るな! 木箱だけ見ろ!」

 

 スバルは自分でも驚くほど喉が回っていた。

 

 目の前の道を言葉にして渡す。

 

 それしかできない。だが、それで繋がる命がある。

 

 トーマスが最後の段差で足を滑らせかけた瞬間、ミカサが振り返りざまに腕を掴んだ。掴んで、そのまま引きずるように前へ持っていく。人間を荷物みたいに扱える腕力が、こういう時はただひたすらありがたい。

 

「西へ抜ける!」

 アルミンが叫ぶ。

「この先、細い路地に降りれば補給路へ戻れる!」

 

 さすがだ、とスバルは一瞬思う。こういう極限で、まだ地形を見てる。

 

「行け!」

 スバルが怒鳴る。

 

 三人が屋根の陰へ消える。

 

 少なくとも、ひとまず生存圏へ向かった。

 

 そこでようやく、自分がまだ屋根の端に立っていることを思い出す。

 

 終わってない。

 

 下の通りでは、ライナーが巨人の腕をぎりぎりで避けながら別の屋根へ飛び、ベルトルトが逆方向から牽制している。二人ともまだ生きている。だが、このままではいつか掴まれる。

 

「スバル!」

 ライナーが叫ぶ。

「下がれ!」

 

「お前らは!?」

「あとで合流する!」

 

 その“あと”が信用できるほど、スバルはこの世界に甘くなれない。

 

 だが、ここで自分が残っても何もできないのも事実だ。

 

 歯を食いしばり、スバルは最後にもう一度だけ通りを見た。巨人の位置。路地の抜け。西方向の屋根の低さ。全部を無理やり頭へ入れる。

 

 戻る道を持て。

 

 前線に来たなら、それくらいは掴め。

 

 そう自分へ言い聞かせて、スバルは西へ飛んだ。

 

 屋根の角を二つ越え、低い棟へ降りる。足が痺れる。だが止まらない。細い路地へ飛び込み、そのまま駆ける。

 

 そこにいた。

 

 ミカサ、アルミン、トーマス。

 

 トーマスは壁にもたれて座り込み、呼吸が壊れかけている。アルミンも顔色は最悪だ。ミカサだけが、まだ前を向いている。

 

「ライナーたちは」

 アルミンが聞く。

 

「生きてる」

 スバルが即答する。

「たぶん」

 

「たぶんって何だよ……」

 トーマスが掠れた声を漏らす。

 

「今の状況で断言できるほうが怖ぇだろ!」

 

 言い返しながらも、スバルの視線は路地の先を見ていた。

 

 補給路まで戻るには、あと二つ角を曲がる必要がある。そこが問題だ。問題なのに、立ち止まる時間はない。

 

「動けるか」

 ミカサがトーマスに聞く。

 

 トーマスは震えながら頷こうとして、失敗したみたいに首を半端に揺らした。

 

「……無理、かも」

 

 スバルの胃が冷える。

 

 ここで“無理かも”は最悪だ。だが責められない。さっきまで食われる寸前だった人間に、即立ては酷だ。

 

「立って」

 ミカサが言う。

 

「無理なら引っ張る」

 

 相変わらず雑で強い。

 

 トーマスはそれでも動かなかった。動けない。目が揺れている。呼吸が浅い。完全に恐慌の縁だ。

 

 スバルはそこで、ふとダズの顔を思い出した。

 

 折れるやつは、音がしない。

 

 いま、トーマスはその一歩手前にいる。

 

「トーマス」

 アルミンがしゃがみ込む。

「聞いて。ここで止まると、本当に終わる」

 

 優しい言い方じゃない。優しくしてどうにかなる段階を越えているからだ。

 

「次の角まででいい。そこまで行ったら、また止まっていい。だからまず一回だけ立って」

 

 アルミンの声は震えていた。だが、ちゃんと相手の耳に届く声だった。

 

 トーマスの喉が動く。

 

 そこでスバルも割り込む。

 

「一回でいい。立て。次の角まで行ったら、俺が文句言いながらでも引っ張ってやる」

 

「文句、言うのかよ……」

 トーマスがかすかに返す。

 

「言うよ。お前めちゃくちゃ手間かかるし」

 

 ほんの少しだけ、トーマスの目に人間っぽさが戻る。

 

 よし。

 

 ミカサが腕を掴み、アルミンが肩を支える。スバルが先に立って角を確認する。

 

「今だ。来い!」

 

 動く。

 

 よろける。だが動く。

 

 角を一つ曲がる。

 

 その瞬間、向こうから兵が二人駆け込んできた。駐屯兵だ。血まみれだが立っている。

 

「新兵!? 生きてたのか!」

「補給路へ戻る!」

 スバルが叫ぶ。

「南東屋根上はまだ巨人いる! ライナーとベルトルトが引いてる!」

 

 兵の顔色が変わる。

 

「本当か!?」

「本当だよ!」

 

 駐屯兵の一人がすぐに相方へ言う。

「伝令! 南東、回収班要請!」

「お前らは?」

「第四補給点へ戻れ! そこがまだ生きてる!」

 

 生きてる。

 

 補給点に対して使う言葉じゃないのに、妙にしっくりくる。

 

「行くぞ!」

 スバルが言う。

 

 今度は二人の駐屯兵が前後についた。これで少しだけ空気が違う。少なくとも、“ただの散った新兵”ではなくなった。

 

 補給点へ戻るまでの道のりは短かった。

 

 短かったのに、やけに長く感じた。途中で何度も蒸気が見え、屋根の向こうで何かが壊れる音がした。巨人の気配は姿がなくてもわかる。街そのものが、そいつらに合わせて軋む。

 

 第四補給点へ戻った時、マルコが真っ先にこちらを見つけた。

 

「スバル!」

 

「ああ、戻った!」

 

「ライナーとベルトルトは!?」

 

「まだ向こう! でも生きてた!」

 

 その返答を聞いた瞬間、マルコの肩が一度だけ落ちた。

 

 ほんの一瞬だった。だが確かに、安堵した。

 

 その顔を見て、スバルはまた嫌な感じがした。

 

 こいつは人の無事に安堵しすぎる。

 

 そういうやつは危ない。

 

 だが、その嫌な予感を言語化する暇はない。

 

 第四補給点の状況はさらに悪化していた。負傷兵が増え、補給は減り、兵の顔から余裕が消えている。

 

「こいつらを医療へ!」

 マルコがトーマスたちを指す。

「アルミンも顔色やばい!」

「俺は大丈夫……!」

 アルミンが言い返しかけて、すぐ咳き込む。

 

「大丈夫じゃないやつのテンプレ反応だな」

 スバルが言うと、アルミンは睨み返す元気もない顔で息を整えた。

 

 そこへ、また別の伝令が滑り込む。

 

「南前線一時後退! 補給班も位置を下げろ!」

「何だと!?」

「ガス切れが多い! 新兵の損耗も出てる!」

 

 損耗。

 

 その言葉で、補給点の空気が一段冷えた。

 

 死傷者、とはまだ言わない。だがほとんど同じ意味だ。

 

 スバルは歯を噛む。

 

 まだ始まったばかりだろ。

 

 なのに、もうそんな言葉が飛ぶ。

 

 マルコが地図板を見て、兵に食い下がる。

 

「下げるならどこまで!? 第四点を潰すと東側の戻りが切れる!」

「知るか、上の命令だ! 南の新兵を回収しろって話も出てる!」

「新兵?」

 スバルが反射で聞く。

 

「第34班、第208班、散開後に行方不明!」

 

 班番号で言われても、一瞬では分からない。

 

 だが次の一言で、血が冷えた。

 

「イェーガーのいた班だ!」

 

 世界の音が、一瞬だけ遠くなった。

 

 スバルの頭の中で、訓練兵団の寝所、喧嘩、補給、装置、エレンの顔、アルミンの声、ミカサの赤い巻物、全部がばらばらに弾ける。

 

「……は?」

 

 声が出たかどうか分からない。

 

 兵は続ける。

 

「確定じゃない! だが位置が被ってる! 南側の崩壊で班が千切れた!」

 

 マルコが何か言った。ライナーたちの件がどうとか、回収班がどうとか。だがスバルには半分しか入ってこない。

 

 行方不明。

 

 それは、この世界では死と限りなく近い言葉だ。

 

 ミカサとアルミンは戻った。だがエレンは。

 

 エレンはまだ、そっちにいたのか。

 

 スバルは足を一歩出した。

 

「どこだ」

 自分でも驚くほど低い声が出る。

「最後に見た位置、詳しく言え」

 

 兵がこちらを見る。新兵が何を、という顔だ。

 

 だが、マルコが横から言った。

 

「言って。こいつ、補給路を知ってる」

 

 兵は舌打ちしたが、急いで地図板を叩く。

 

「南壁寄り、第七街区から内側へ折れたあたりだ。ガス切れが多く、回収班も接敵中」

 

 第七街区。

 

 スバルの中で、何かがはっきり切り替わる。

 

 前に行けないやつの戦い方。

 

 それをさっき見つけたばかりだった。

 

 だが今は、前に行くしかない場所がある。

 

「マルコ」

 スバルが言う。

「止めるなら今のうちだ」

 

 マルコは一瞬だけ沈黙し、それから、疲れたのに妙に澄んだ顔で言った。

 

「止めない」

 

「……いいのかよ」

「よくない。でも、君はもう行く顔してる」

 

 スバルは苦く笑った。

 

 そうかもしれない。

 

「ただし、一人では行かせない」

 マルコが続ける。

「僕も行く」

 

 やっぱり最悪だ、と思った。

 

 こいつはそういうやつだ。

 

 でも、その最悪さに救われる自分もいる。

 

 第四補給点の喧騒の中、スバルとマルコは互いの装置を確認し、予備ガスを最低限だけ背負い直した。

 

 補給係から、回収側へ。

 

 駐屯兵団の役割から、ほとんど調査兵団じみた危険地帯へ。

 

 物語はもう、完全に次の段階へ進んでいた。

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