Re:壁内から始める異世界生活   作:stein0630

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第28話 スバルの覚悟

 

 

 五人を補給路へ戻した時点で、スバルの中の何かはもう決まっていた。

 

 第四補給点の手前で、新兵たちは駐屯兵に引き渡される。顔を青くしたまま礼を言う者、言葉も出ない者、泣き出す者。それを確認した瞬間、スバルは反転した。

 

「行くぞ」

 短く言う。

 

 マルコは一拍だけスバルを見て、それから頷いた。

 

「うん」

 

 もう止めない。

 

 止めても無駄だと分かっている顔だった。

 

 南だ。

 

 イェーガー班の行方不明地点。第七街区よりさらに奥。巨人が散開し、新兵が千切れ、補給が届いていない場所。

 

 そこへ向かう。

 

 街の空気が、さらに熱くなっていた。

 

 蒸気。血。崩れた瓦。遠くの怒号。近くの呻き。巨人の気配が濃い。目に見えなくても分かる。人間の世界のリズムじゃないものが、すぐそばを歩いている。

 

「スバル」

 マルコが低く呼ぶ。

「次の角、止まる」

 

「分かってる」

 

 二人で角へ張りつく。

 

 先を覗く。

 

 通りの中ほどに巨人が一体。七メートル級か、それ以上か。大きさなんてもう誤差だ。でかい。気持ち悪い。笑っているような顔で、建物の影をのぞき込むように歩いている。

 

「南へは」

 スバルが聞く。

 

「正面は無理」

 マルコ。

「裏から回る」

 

 そう言って、マルコは左脇の細道を指した。

 

 狭い。暗い。瓦礫が多い。だが巨人の目線は通りに向いている。行けるならそこしかない。

 

 入る。

 

 足場が悪い。ワイヤーを打つほどの開けもない。半ば走るしかない。巨人に追われる速度ではない。じわじわ削られる速度だ。

 

 そして、細道の先で、声が聞こえた。

 

「……誰か」

 か細い声。

 

 二人とも止まる。

 

 右手の壊れた民家の陰。そこに、新兵が一人倒れていた。女だ。顔に煤がつき、脚を瓦礫に挟まれている。装置は無事ではない。ワイヤーが絡まり、ガスもほとんど残っていなさそうだ。

 

「助けて……」

 

 スバルの喉が詰まる。

 

 助けたい。だが、時間はない。イェーガー班を探している途中だ。ここで立ち止まえば、また別の誰かが死ぬかもしれない。

 

 最低だ。

 

 でも、それが現実だ。

 

 マルコが迷わずしゃがみ込んだ。

 

「名前は」

「……ナック」

「分かった。静かに。抜く」

 

 そういうところだよ、お前は、とスバルは思う。

 

 そして、そういうところだから一緒に来てほしくなかった、とも思う。

 

「スバル、見張って」

「……ああ」

 

 通りの方を警戒する。

 

 巨人の足音はまだ遠い。だが遠いだけだ。すぐ近くまで来る。

 

「いけるか」

 マルコが言う。

「っ、あ……!」

 

 ナックの脚が抜ける。悲鳴を噛み殺す。マルコが肩を貸し、無理やり立たせる。

 

「補給路まで戻れそうか」

「む、無理……」

「じゃあ次の角まで。そこに兵を回す」

 

 マルコはそう言う。嘘かもしれない。いや、嘘にする気はないのだろう。次の角まで生かせば、本当に何とかしようとする。

 

 スバルは顔をしかめる。

 

「マルコ」

「分かってる」

「ほんとかよ」

「君が何を言いたいかも分かってる」

 

 そのやり取りの途中で、通りの巨人の足音が変わった。

 

 近い。

 

「やばい、来る」

 スバルが言う。

 

 マルコがナックを支えたまま立ち上がる。

 

「動ける?」

「……っ」

「動いて。いま死にたくないなら」

 

 きつい言い方だ。だが、今はそれしかない。

 

 三人で動く。

 

 細道を戻る。遅い。ナックがいるぶん遅い。当たり前だ。スバルの焦りが喉まで上がる。

 

 その時、頭上の屋根で瓦が鳴った。

 

 反射で見上げる。

 

 巨人じゃない。

 

 人だ。

 

 立体機動装置。

 

 その瞬間にはもう、顔が見えた。

 

「アルミン!」

 

 金髪。息が荒い。顔が青い。だが生きている。

 

「スバル!?」

 アルミンも叫ぶ。

「マルコまで、なんで――」

 

「話は後だ! エレンは!?」

 スバルが叫ぶ。

 

 アルミンの顔から、色が消えた。

 

 嫌な沈黙。

 

 その一拍で、スバルの背骨に氷みたいなものが走る。

 

「……食われた」

 

 アルミンが言った。

 

 世界が、そこで少し止まった。

 

「は?」

 

「エレンが、トーマスを助けて……そのあと、巨人に」

 

 理解が遅れる。

 

 いや、意味は分かる。言葉の意味は。

 

 でも、それを現実として受け取る回路が、ほんの数秒、壊れた。

 

「……嘘だろ」

 

 スバルの声は、自分でも知らないくらい掠れていた。

 

 アルミンの顔が、見たこともないほど崩れる。

 

「嘘じゃ、ない……!」

 

 喉を潰したみたいな声。

 

「僕の目の前で……!」

 

 マルコが息を呑む気配。

 

 ナックが何か言ったが、耳に入らない。

 

 食われた。

 

 エレンが。

 

 死んだ。

 

 死んだ?

 

 その瞬間、スバルの脳内で何か別の音が鳴る。

 

 自分だけが知っている音だ。

 

 死んだら、戻る。

 

 なら――。

 

 いや、待て。

 

 自分が死んだ時だけだ。

 

 エレンが死んでも、自分は戻らない。

 

 それが、今の一言で初めて、骨の髄まで分かった。

 

 死に戻りは万能じゃない。

 

 自分が見たくない死を、勝手に巻き戻してはくれない。

 

「スバル!」

 マルコの声で我に返る。

 

 通りの巨人が細道の入口へ顔を寄せていた。

 

 近い。

 

 近すぎる。

 

 今の沈黙で、完全に足が止まっていた。

 

「走れ!!」

 アルミンが叫ぶ。

 

 スバルは反射で動こうとして、逆に一歩遅れた。

 

 エレンが死んだ。

 

 その現実が、足首に鉛みたいに絡みついている。

 

 マルコがナックを突き飛ばすように角へ送る。アルミンが屋根からワイヤーを打ち、進路を作る。スバルだけが、半拍遅れる。

 

「スバル!!」

 マルコが本気で怒鳴った。

 

 その声で体が動く。

 

 遅い。

 

 でも動く。

 

 巨人の手が細道へ突っ込んでくる。壁が砕ける。木片が飛ぶ。熱い。熱い。瓦が顔をかすめる。

 

 スバルはアンカーを打った。浅い。くそ。足場も悪い。だが飛ぶ。

 

 その瞬間、別の巨人が路地の出口を塞いだ。

 

「は」

 

 終わった、と思った。

 

 前も後ろも巨人。

 

 細道の上と下で、挟まれた。

 

 アルミンが屋根上で顔を真っ白にしている。マルコがナックを庇っている。スバルの体だけが、空中で半端な位置に浮いている。

 

 どうする。

 

 何ができる。

 

 何もできない。

 

 その一瞬に、シガンシナの時と同じ恐怖が、今度はもっと鮮明に戻ってきた。

 

 死ぬ。

 

 自分が。

 

 ここで。

 

「スバル、右に――!」

 アルミンの叫び。

 

 右へ体をひねる。

 

 だが遅い。

 

 前の巨人の腕が横薙ぎに来る。

 

 衝撃。

 

 肋骨が折れる音が、自分の中から聞こえた。

 

「が、ッ――!」

 

 視界が回る。

 

 空と瓦と血と蒸気。全部が混ざる。息ができない。屋根へ叩きつけられ、そこからさらに落ちる。

 

 落下。

 

 短い。

 

 なのに永遠みたいに長い。

 

 地面に背中から落ちた瞬間、意識が飛びかける。だが飛ばない。飛ばないのが最悪だった。痛みが全部来るからだ。

 

 動けない。

 

 腕も脚も、自分のものじゃない。

 

 巨人の影が覆いかぶさる。

 

 口が開く。

 

 腐臭。熱。あの日と同じ。

 

 でも違う。

 

 今度は、エレンが死んだあとだ。

 

 助けられなかったあとだ。

 

 死に戻りを活かすなら、ここからしかない。

 

 その思考だけが、最期の一瞬で、妙に冷たく澄んだ。

 

 ――なら、戻れ。

 

 巨人の歯が、スバルの頭を噛み砕いた。

 

 世界が赤く弾けた。

 

 そして。

 

「ガス! 予備ガス!!」

「ここだ!」

「次だ、次を運べ!!」

 

 喧騒。

 

 喉に熱い空気。

 

 第四補給点。

 

 スバルは箱を持ったまま立ち尽くしていた。

 

 目の前にはマルコ。補給兵。開かれた木箱。南東屋根上の情報が飛んでくる、あの瞬間の少し前。

 

 手は無傷。

 

 肋骨も折れていない。

 

 頭も残っている。

 

「……は」

 

 マルコが眉をひそめる。

 

「スバル?」

 

 戻った。

 

 死んで、戻った。

 

 今度は自分の死で。

 

 エレンが食われたあとに。

 

 そこまで確定した未来を、抱えたまま。

 

 スバルの呼吸が一気に荒くなる。吐き気。眩暈。だが倒れている暇はない。

 

 やっとだ。

 

 やっとこの地獄で、死に戻りが“意味を持って使える段階”に来た。

 

 そして同時に分かる。

 

 この先は、もっときつい。

 

 知ってしまったからだ。

 

 エレンが死ぬことを。

 

 それを変えなきゃならないことを。

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