Re:壁内から始める異世界生活   作:stein0630

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第29話 知ってしまった死は、もう見ていられない

 

 

「スバル?」

 

 マルコの声が、やけに遠く聞こえた。

 

 第四補給点。

 

 木箱。

 

 補給兵の怒号。

 

 全部がさっきと同じだ。いや、“さっき”ではない。自分だけが二回目の今だ。

 

 スバルは喉を押さえた。

 

 ある。

 

 頭もある。肋骨も折れていない。だが、噛み砕かれた感触だけが生々しく残っていた。痛みの残像が、脳の奥でまだ暴れている。

 

「おい、大丈夫か」

 マルコが一歩近づく。

 

 スバルはその顔を見た瞬間、反射で肩を掴んでいた。

 

「マルコ」

 

「な、何」

 

「聞け」

 

 声がひどく低い。自分でも驚くほど。

 

 マルコの表情が変わる。冗談じゃないと一瞬で察した顔だ。

 

「いまから言うこと、意味が分からなくてもいい。とにかく、俺の言う通り動いてくれ」

 

「……スバル」

 

「エレンが死ぬ」

 

 マルコの目が止まる。

 

 補給点の喧騒だけが、二人の周りを通り過ぎる。

 

「は?」

 

「アルミンは生きてる。ミカサも生きてる。南東屋根上から戻せる。問題はそのあとだ」

 

 息を吸う。吐く。速くなるな。整理しろ。

 

「イェーガー班が行方不明って情報が来る。そのあと、俺たちは南へ行く。途中でナックって新兵を拾う。アルミンと屋根で合流する。そこでエレンが食われたって聞く」

 

 マルコは一言も挟まない。

 

 顔色だけが少しずつ変わる。普通なら頭がおかしいと思うはずだ。だが、マルコはまず“否定するかどうか”より、“何を根拠にそんな顔で言っているのか”を見る。

 

「……どうして」

 やっと出た言葉はそれだった。

 

「説明してる暇がねぇ」

 

 スバルは噛みつくように言う。

 

「信じろとは言わない。でも、試す価値はある」

 

「その内容が、全部本当に起きるって?」

「起きる」

「確信?」

「死ぬほどある」

 

 その言い方で、マルコの目が一瞬だけ揺れた。

 

 死ぬほど。

 

 そこに引っかかったのだろう。だが今はそれでいい。

 

「……何をすればいい」

 マルコが言った。

 

 スバルは息を吐く。

 

 通った。

 

 全部じゃない。だが、少なくとも“付き合う”ところまでは来た。

 

「まず、南東屋根上の回収までは同じでいい」

「同じ?」

「ライナーとベルトルトが援護に入る。ミカサ、アルミン、トーマスは戻せる。そこまでは大きく崩れない」

 

 自分の記憶を、一つずつ並べる。

 

 死に戻りを使うなら、最初に必要なのは“どこが固定で、どこが変えられるか”の仕分けだ。シガンシナではそこがなかった。今はある。

 

「問題はその先。イェーガー班の行方不明情報が入ったあと、俺とお前は第七街区の南広場へ行く」

「そこが分岐?」

「そうだ。あそこでナックを助けるか、助けないかじゃない」

「違うのか」

「違う。エレンが食われるのは、その時点でもう起きてる」

 

 言いながら、自分の喉が冷える。

 

 そうだ。死に戻りを得ても、万能じゃない。戻った地点より前に起きたことは、そのままだ。

 

 つまり、今この時点でエレンはもう前線のどこかで、死に向かって進んでいる可能性が高い。

 

 それでも。

 

 まだ変えられる余地はある。たぶん。

 

「じゃあ何を変える」

 マルコ。

 

「アルミンの位置だ」

 

 スバルは答えた。

 

 そこだけははっきりしていた。

 

「アルミンと合流した時、エレンはもう食われたあとだった。つまり、アルミンがそこにいる限り未来はその流れに乗ってる」

 

「アルミンを別ルートで回収する?」

「そう」

 

 マルコが思考する顔になる。

 

「南東屋根上のあと、アルミンを補給点まで戻しきれば?」

「イェーガー班の残存捜索にアルミンが入らない」

「エレンと合流しない可能性が出る」

「そうだ」

 

 そこまで言って、スバルは自分の言葉の乱暴さに気づく。

 

 エレンとアルミンが合流しない未来。

 

 それでエレンが助かる保証はない。だが、少なくとも“アルミンを庇って食われる”あの流れは切れる。

 

「……でも」

 マルコが言う。

「アルミンが戻れば、別の誰かが前に残る」

「知ってる」

「そっちが死ぬかもしれない」

「知ってる!」

 

 声が少し荒くなる。

 

 補給兵がこちらを見る。スバルは歯を食いしばって声量を落とした。

 

「知ってる。でも、いま俺が持ってるのは“エレンが食われる流れ”だけなんだよ。他の全部まで救う算段は、まだない」

 

 正直だった。

 

 嫌になるくらい。

 

 マルコは数秒だけ黙って、それから頷いた。

 

「……分かった」

「まだある」

 スバルは続ける。

「南広場へ行く前に、回収班の駐屯兵に“アルレルトはガス切れで混乱してるから優先的に補給点へ戻せ”って伝える」

「根拠は?」

「ない。俺が言う」

「それで通る?」

「通らせる」

 

 マルコは少しだけ笑った。

 

「その顔の時の君、たしかに通しそうだ」

「褒めてんのか」

「半分」

 

 ミカサの癖が移っている。

 

 だが、それで少しだけ息がしやすくなった。

 

 その時だった。

 

 別の兵が駆け込んでくる。

 

「南東屋根上、新兵孤立! 一人はアッカーマン!」

 

 来た。

 

 スバルとマルコが視線を合わせる。

 

 ここからだ。

 

「行くぞ」

 スバル。

「うん」

 マルコ。

 

 前回と同じように、第四補給点を出る。

 

 前回と違うのは、スバルの中に地図があることだ。路地。角。巨人の位置。ナックのいる崩れた民家。アルミンが現れる屋根。全部が、死の記憶ごと焼きついている。

 

 南東屋根上までの流れは、驚くほど前回と似ていた。

 

 ライナーとベルトルトが合流する。

 

 ミカサたちを見つける。

 

 広場の巨人を散らす。

 

 屋根上の新兵を東棟へ動かす。

 

 そこまでは、前回の記憶をなぞるように進んだ。

 

 違いを入れるのは、その直後。

 

 ミカサ、アルミン、トーマスを路地へ落とし、東棟の五人を救う前の一瞬。

 

「アルミン!」

 スバルが叫ぶ。

 

 アルミンが振り向く。前回と同じ顔。真っ青で、でも生きている顔。

 

「お前は補給点に戻れ!」

 スバルは怒鳴った。

「は!?」

「戻れって言ってんだよ! ガス切れてんだろ!」

「でも、エレンが――」

「だからだ!!」

 

 その一言で、アルミンが止まる。

 

 ミカサも見る。トーマスは状況を飲み込めていない。ライナーとベルトルトはまだ巨人を引いている。

 

「アルミン」

 スバルは屋根越しに叫ぶ。

「お前、今その顔で前行ったら、また何もできずに巻き込まれる!」

 

 アルミンの顔が揺れる。

 

 図星だ。前回のアルミンは、完全にその状態だった。エレンの死を目の前にして、壊れかけたまま、まだ前線にいた。

 

「でもエレンが!」

「探すのは俺がやる! お前は戻れ! ミカサ、お前が連れてけ!」

 

 ミカサの目が細くなる。

 

「スバル」

「反対すんな! いまのアルミンは前に出すな!」

 

 命令口調だった。自分でも分かる。だが、ここで曖昧にしたら通らない。

 

 ミカサは数拍だけ沈黙した。

 

 その間に、下の巨人の位置が変わる。

 

 時間がない。

 

「……分かった」

 ミカサが言った。

「アルミン、行く」

「でも――」

「行く」

 

 ミカサがアルミンの腕を掴む。

 

 アルミンは抵抗しかけて、止まる。止まらざるを得なかった。自分の顔が、どれだけ死んでいるかをスバルに言い当てられたからだ。

 

「トーマスも連れて補給点へ!」

 スバル。

「スバル、お前は!?」

 アルミンが叫ぶ。

「エレン探すに決まってんだろ!」

 

 それだけ言って、スバルは東棟の五人をまた前回通りに落としにかかる。

 

 だが今回は、一つ速い。

 

 ミカサがアルミンとトーマスを連れて先に戻る流れができた。そのぶん、スバルとマルコは五人を下ろしたあと、前回より早く南広場へ切り返せる。

 

 そこが勝負だ。

 

 五人を路地に落とし終えた瞬間、スバルは叫ぶ。

 

「マルコ! こいつら補給路へ流せ!」

「君は?」

「南広場!」

「一人で!?」

「一人じゃない! ライナーたちがまだ前にいる!」

 

 マルコが迷う顔をする。

 

 だが一瞬後、頷いた。

 

「……絶対戻れ」

「お前もな!」

 

 二人が分かれる。

 

 ここが前回と決定的に違う分岐だった。

 

 スバルは一人で南へ切り返す。

 

 細道を抜け、壊れた民家の陰を飛ぶ。

 

 そこで前回と同じように、ナックの声が聞こえた。

 

「……誰か」

 

 止まる。

 

 胸がきしむ。

 

 前回はここで助けた。助けて、時間を使い、そのあとアルミンと合流して、エレンの死を知らされた。

 

 今回は違う。

 

 止まれない。

 

 でも、見捨てるのか。

 

「助けて……」

 

 スバルの歯が鳴る。

 

 前に行け。

 

 エレンを変えるなら、ここで止まるな。

 

 でも。

 

 でも、こいつも人間だ。

 

「くそっ……!」

 

 スバルは瓦礫に飛び込んだ。

 

「静かにしろ!」

 ナックが目を見開く。

「え……」

「一回しか言わない。次の角までなら動かせる。そこに兵がいる。立てるか」

 

 ナックは震える。

 

 スバルは自分でもひどいと思うくらい冷たい声で続けた。

 

「立てないなら死ぬ。立てるなら生きる。選べ」

 

 ナックの目に、恐怖と怒りと生の執着が一瞬だけ戻る。

 

「……立つ」

 

 それでいい。

 

 スバルは瓦礫をどかし、無理やり脚を抜く。悲鳴を無視して肩を貸し、細道の次角まで引きずるように進む。

 

 前回より短い。

 

 兵はいない。

 

 だが角を曲がったところで、駐屯兵の一人が滑り込んできた。偶然か、運か、もう分からない。

 

「そこの負傷兵、頼む! 南へ行く!」

 スバルが言う。

 

 兵は怪訝な顔をしたが、ナックの脚を見て舌打ちし、引き受けた。

 

「お前はどこの班だ!」

「駐屯補給補助! あとで怒鳴れ!」

 

 返事も待たずに、スバルはもう南へ飛んでいた。

 

 速い。

 

 前回より、確実に速い。

 

 細道を抜ける。広場前の棟へ上がる。蒸気。血。瓦礫。

 

 そして、見えた。

 

 南広場。

 

 その中央寄りの崩れた屋根の上に、エレンがいた。

 

 生きている。

 

 まだ。

 

 トーマスではない。別の新兵を庇うように前へ出ている。前回、自分が知らなかった“食われる直前の位置”だ。

 

「エレン!!」

 

 スバルが全力で叫ぶ。

 

 エレンが振り向く。

 

 その一瞬、目が合う。

 

 驚いている。そりゃそうだ。お前なんでそんなとこにいるんだ、という顔だ。

 

 だが、その一瞬で十分だった。

 

 エレンの前へ出る動きが、半拍だけ遅れた。

 

 その半拍に、別方向からミカサではない誰かのワイヤーが飛び込んだ。ライナーだ。巨人の腕を逸らす。

 

 間に合った。

 

 いや、まだ終わっていない。

 

 だが、前回の“アルミンを庇って食われる”流れは、たしかに切れた。

 

 スバルの心臓が、今度は違う意味で跳ねる。

 

 変えた。

 

 未来を、ほんの少しだけ。

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