エレンの手は、たしかにフランツへ届いた。
届いた瞬間に、巨人の腕が二人まとめて薙ぎ払った。
「エレン!!」
「フランツ!!」
ミーナの声が裂ける。ジャンの悪態が重なる。ライナーが無理やり角度を変え、ベルトルトが上からワイヤーを撃ち込む。
スバルは跳びながら、その一瞬を見た。
前回とは違う。
だが、違うだけで楽にはなっていない。
エレンはフランツの上体を引っ張った。巨人の口から半身を引き抜く。だが代償に、自分が大きく体勢を崩した。腕の一撃をまともに受け、回転しながら隣棟の縁へ叩きつけられる。
「がっ……!」
血が飛ぶ。
フランツは足を失ったまま、屋根へ転がる。生きている。だが顔色は一瞬で土気色になった。
スバルはその二人の中間へ落ちるように着地した。膝が痺れる。だが止まる暇はない。
「エレン!」
叫ぶ。
エレンは返事をしない。息はある。だが左腕の角度がおかしい。肩か、肘か、どちらにせよまともじゃない。
巨人はまだ下にいる。
しかも、さっきの一撃で完全にこちらを捉えた。
「動け! 全員、東の棟へ落とす!」
ライナーが怒鳴る。
兵士の声だった。訓練兵団のライナーではない。もう一段階先の、他人を前提で動かす声だ。
「ミーナ、フランツ支えろ!」
「で、でも……!」
「やれ! いま泣くな!」
ミーナは歯を食いしばり、フランツへ這い寄る。手が震えている。それでも止まらない。
ジャンがスバルへ怒鳴る。
「イェーガー立つか!?」
「……立つ!」
返事がしたのはエレンではなくスバルだった。エレン本人は歯を食いしばって、起き上がろうとしている。片腕が使えない。だが目は死んでいない。逆にそれが怖い。
「俺は立つ!」
エレンが怒鳴り返した。
「うるせぇ、聞いてねぇよ!」
ジャンも怒鳴り返す。
「今のお前に聞いてんのは“立てるか”じゃなくて“動けるか”だ!」
そのやり取りが、訓練兵団の延長線上にありすぎて、スバルは逆に寒気がした。
巨人がすぐ下にいるのに、こいつらはまだこうやって噛み合う。
いや、こうやって噛み合えるからまだ死んでいないのかもしれない。
「スバル!」
ベルトルトが叫ぶ。
「東の低屋根、次で最後だ!」
見れば、第四補給点へ抜けるための最後の渡りがある。低い。だが狭い。全員まとめて飛べる幅じゃない。順番が必要だ。
「順番!」
スバルが叫ぶ。
「フランツとミーナ先! ジャン、受けろ!」
「命令すんな!」
「今は受けろって言ってんだよ!」
「……チッ!」
だがジャンは位置につく。
ライナーとベルトルトが巨人の視線を左右へ引く。ミーナがフランツを引っ張る。フランツはもう自力で飛べる状態じゃない。半分ミーナに運ばれている。
「行け!」
スバル。
ミーナが泣きながら跳ぶ。
ジャンが受ける。屋根際で二人まとめて転がり、なんとか止める。
「次!」
スバル。
今度はエレンだ。
左腕が使えない。だが飛ぶしかない。
「お前、一人で行けるか」
スバルが問う。
「行ける」
「ほんとか」
「行くしかねぇだろ!」
その返しが、もう無茶だ。
だがその無茶を今ここで削ぎすぎると、エレンは逆に動けなくなる。
「……なら行け」
スバルが言う。
「落ちるなよ」
「お前に言われたくねぇ」
いつもの返し。
それだけで、まだこいつは折れていないと分かる。
エレンが跳ぶ。
着地は最悪だった。片腕を庇って体勢を崩す。だがジャンが今度は文句ひとつ言わず襟を掴んで引きずり上げた。
その一瞬が、妙に胸に刺さる。
訓練兵団で殴り合っていた時間も、結局こういう時のためにあったのかもしれない。
「次、スバル!」
ライナー。
「お前らは!?」
スバルが返す。
「最後だ!」
「知ってるよ!」
分かってる。いつもそうだ。強いやつほど最後に残る。守る側が後ろに立つ。理屈としては当たり前。でも、それを見る側の胃はずっと重い。
スバルは飛んだ。
東の低屋根。着地。成功。ジャンの横を転がり、すぐに振り返る。
残るはライナーとベルトルト。
巨人二体が完全にそちらへ寄っている。
ライナーが低く叫ぶ。
「ベルトルト、先!」
「でも――」
「いいから行け!」
ベルトルトが一瞬だけ迷い、それから飛ぶ。長身の体が風を切る。危なげなく着地。残るはライナー一人。
その時、下の巨人が跳ねるように腕を上げた。
高くないのに、高く見えた。
ライナーがそれを読み、身をひねる。だが避けきれない。脚を掠める。体勢が狂う。
「ライナー!!」
今度はベルトルトが本気で叫ぶ。
ライナーは無理やりワイヤーを打ち、空中で姿勢をねじ込んだ。人間の動きじゃない。訓練兵団で見てきた中でも、あいつの“身体の使い方”は明らかに一段違う。
着地。
乱れる。
でも立つ。
全員が低屋根へ揃った瞬間、巨人の手がさっきまでの棟を粉砕した。
間一髪、という言葉があまりに軽い。
「っ、は……!」
スバルが息を吐く。
まだ生きている。
全員。
ただし、もうギリギリだ。
エレンは腕が駄目。フランツは脚を喰われている。ミーナは半分壊れかけている。ライナーも脚をやられた。ベルトルトは表面上は持っているが、顔色は悪い。ジャンも息が荒い。
ここから第四補給点までは、もう一度だけ細い路地を抜ければ届く。
だが、その路地が今どうなっているかは分からない。
「行くぞ」
ライナーが言う。
「待て」
ジャンが低く返す。
「全員で一気に動くと詰まる」
ライナーが見る。
「どうする」
「前二人、後ろ二人、負傷者は真ん中。縦に潰した方が細道で崩れない」
「お前」
スバルが思わず言う。
「今、すげぇジャンっぽかったぞ」
「意味わかんねぇよ」
「いや、めっちゃ褒めてる」
「気持ち悪ぃな」
だが、その配置は正しい。
誰も反対しない。
「ミーナ、フランツの左」
ジャンが言う。
「エレン、お前は右で支えろ」
「俺、片腕――」
「知ってる。使える方でやれ」
「……チッ」
でも従う。
「スバル、お前は最後尾」
ジャンが続ける。
「またかよ」
「見えてるんだろ、お前はそういうのが」
短い言葉だった。
「なら後ろ見ろ」
スバルは一瞬だけ口を閉じた。
見えている。
少なくとも、“崩れる前の嫌な流れ”に敏いのは確かだ。訓練兵団で散々そうだった。死に戻りを得てからは、なおさら。
「……分かった」
そう返すしかない。
隊列を作る。
ライナー、ベルトルトが前。
真ん中にフランツ、ミーナ、エレン。
後ろにジャン、スバル。
進む。
低屋根から細路地へ降りる。瓦礫を踏む。痛みに呻く声を押し殺す。巨人の足音がまだ後ろで鳴る。完全には振り切れていない。
それでも進むしかない。
一つ目の角。
問題なし。
二つ目。
路地の先に、第四補給点の兵が見えた。
「戻ったぞ!!」
ライナーが叫ぶ。
兵たちが一斉に振り向く。
「負傷者二名! 回収!」
スバルも怒鳴る。
やっとだ。
やっと戻れる。
その安堵が、一瞬だけ隊列を緩めた。
その瞬間だった。
後ろの壁が、爆ぜた。
「――ッ!?」
巨人の腕が、横の建物をぶち抜いて細路地へ突っ込んできたのだ。完全な死角。誰も想定していない角度。
スバルの視界が一瞬で真っ白になる。
後ろだ。
最後尾だ。
自分とジャンが、一番危ない。
「下がれ!!」
ジャンが怒鳴る。
無理だ。
もう近い。
スバルは反射でワイヤーを打とうとして、手が半拍遅れた。
その半拍の遅れを、ジャンが埋めた。
胸ぐらを掴まれる。
「うおっ!?」
次の瞬間、ジャンがスバルを路地の外へ投げ飛ばした。
代わりに、巨人の指がジャンの背中を掠める。
「ジャン!!」
スバルは地面に転がりながら叫んだ。
ジャンは吹き飛ぶ。壁に叩きつけられる。だが食われてはいない。まだ。まだだ。
兵たちが一斉に動く。ライナーが反転する。ベルトルトも。ミーナが悲鳴を上げる。エレンが前へ出ようとして腕の痛みに顔を歪める。
スバルは地面から這い上がる。
変えた。
また一つ、変わった。
前回にはなかった傷が、今度はジャンに入った。
でも、まだ死んでいない。
ならまだ終わっていない。