Re:壁内から始める異世界生活   作:stein0630

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第33話 死なせないために、順番を捨てる

 

 

「ジャン!!」

 

 スバルが叫んだ瞬間には、もう体が動いていた。

 

 這い上がる。足場は最悪。だが関係ない。細路地の半ば、壁へ叩きつけられたジャンがずり落ちるのが見える。まだ動いている。生きている。だから今なら間に合う。

 

 巨人の腕が、壊した壁の向こうからもう一度伸びてくる。

 

「ライナー!」

 スバルが怒鳴る。

 

 ライナーはすでに反転していた。負傷した脚を引きずるような着地から、無理やり立て直す。ベルトルトもその横を抜ける。

 

 だが距離がある。

 

 間に合うかどうかで言えば、たぶん間に合わない。

 

 だからスバルは、考える前に瓦礫を蹴り上げていた。

 

「こっちだクソがッ!!」

 

 石片が巨人の顔面に当たる。効くはずもない。だが目線は少しだけ動く。その少しのズレが欲しい。

 

 巨人の指先がジャンの襟を掠め、布を裂く。ジャンの体が半回転する。そこでようやく、ライナーが横からワイヤーを打ち込んだ。建物の骨組みに深く食い込み、その反動で身体を振り抜く。

 

 蹴り。

 

 巨人の手首を逸らすには足りない。だが角度を変えるには十分だった。

 

 ベルトルトが滑り込むように着地し、ジャンの肩を掴んで引く。

 

「立て!」

 低い声。

 

「るせぇ……!」

 

 ジャンは血を吐きそうな顔で、それでも悪態を返した。生きてる。

 

 スバルの肺にようやく空気が入る。

 

「全員、補給点へ!」

 ライナーが怒鳴る。

「後ろは見るな!」

 

 だが、その号令の直後。

 

 細路地の先――第四補給点の方角から、別の怒号が重なった。

 

「補給点下がれ! 南路が崩れた!」

「負傷者優先!」

「ガス運べ、ガス!」

 

 空気が変わる。

 

 戻れば安全、ではない。

 

 第四補給点そのものが、もう持たなくなってきている。

 

「くそっ……!」

 スバルは歯を噛む。

 

 ここまで戻したのに、また次の破綻が口を開く。死に戻りを使って一つ潰すと、別の形で歪みが出る。この世界はそういうふうにできている。

 

「どうする」

 ベルトルトが珍しくはっきり聞いた。

 

 ライナーが一瞬で周囲を見る。兵の動線。補給点の崩れ方。巨人の位置。負傷者の状態。

 

 その判断の速さを見て、スバルはまた思う。こいつ、本当に兵士向きすぎる。

 

「第四点はもう終わる」

 ライナーが言う。

「北の仮集積所へ切り替える」

「そんなの聞いてねぇぞ」

 ジャンが吐き捨てる。

「今決めた」

 ライナー。

「勝手にかよ」

「ここで命令待って全滅するよりましだ」

 

 その返しに、誰もすぐ反論できなかった。

 

 正しい。

 

 正しいが、それはもう“新兵の判断”ではない。実戦で現場が上の命令より先に選ばなきゃならなくなる、あの領域の声だ。

 

 エレンが低く言う。

 

「ならフランツはどうする」

 

 全員の視線が、真ん中へ集まる。

 

 フランツ。

 

 脚を食われ、顔色は死人みたいに白い。ミーナが必死に支えているが、もう自力歩行は無理だ。ここから北の集積所まで運ぶには、速度が落ちる。速度が落ちれば、後ろから来る巨人に追いつかれる。

 

 選択を迫られる。

 

 嫌になるほど、はっきりと。

 

 スバルの胃が冷える。

 

 まただ。

 

 また「誰をどう生かすか」じゃない。「誰を連れていけるか」だ。

 

 フランツ自身が、その空気を読んだのか、唇を震わせた。

 

「……ミーナ」

「やめて」

 ミーナが即座に遮る。

「何も言わないで」

 

 だがフランツは止まらない。

 

「僕を置いてけ」

 

 その一言が、細路地の空気を凍らせた。

 

 スバルの頭の奥で、何かが鈍く鳴る。

 

 こういうのだ。

 

 この世界は、あっさりここへ来る。

 

「黙れ」

 エレンが言った。

 それは低く、鋭かった。

 

「置いてくとか、勝手に決めんな」

 

「でもこのままじゃ、みんな」

 フランツの声はかすれている。

「分かってる。でも置いてくなんて言うな」

 

 エレンの顔は血に濡れている。腕もまともじゃない。なのに、その目だけは焼けるみたいに強い。

 

 スバルはその横顔を見て、胸の奥がきしむ。

 

 こいつはやっぱり、こういう時にそう言う。

 

 だから前へ出る。

 

 だから死にかける。

 

 そして、だからこそ物語の中心へ行く。

 

 ミカサがいれば、きっとエレンを無理やりでも動かしただろう。だが今ここにはいない。アルミンもいない。代わりにいるのは、理屈で切るジャンと、現場で判断するライナーと、間に立つベルトルトと、半端者のスバルだ。

 

 誰がこの場の答えを作る。

 

「担げる」

 スバルが言った。

 

 全員が見る。

 

「は?」

 ジャンが言う。

「担いで運ぶ」

 

「誰が」

 ライナー。

 

「俺が」

 

 自分で言ってから、肩が悲鳴を上げそうになる。

 

 無理だ。体格差もある。腕も疲れている。速度も落ちる。まともに考えれば最適解じゃない。

 

 でも、置いてくって言葉を、この場で一回通したら終わる気がした。

 

「お前、馬鹿か」

 ジャンが言う。

「知ってる」

 スバル。

「でもそれで遅れたら全員死ぬぞ」

「だから全員でカバーすんだろ!」

 

 言い返しながら、喉が裂けそうになる。

 

 ライナーは無表情のままフランツを見る。ミーナを見る。スバルを見る。計算している顔だ。間に合うか、崩れるか、どこまで持つか。

 

 ベルトルトが静かに言う。

 

「短距離なら、可能性はある」

 

 ジャンが振り向く。

 

「お前まで」

「北の集積所まで一直線じゃない」

 ベルトルトは続ける。

「三つ先の交差路に、まだ空き家が見えた。そこまで落とせば一度息を作れる」

 

 スバルはその情報を聞いて、少しだけ視界が開ける。

 

 一直線じゃない。

 刻めばいい。

 

 それなら。

 

「そこまでなら持つ」

 スバルが言う。

「持たせる」

 

 ライナーがようやく頷いた。

 

「やる」

 短い一言。

 

 それで全員が動いた。

 

 順番を作る。

 

 エレンとベルトルトが前を切る。ジャンが後ろを見る。ミーナはフランツの上半身を支え、スバルが下を担ぐ。ライナーは巨人の動線を見ながら、時々先回りして路地を空ける。

 

「重っ……!」

 スバルが呻く。

 

「文句言うな!」

 ジャン。

 

「言わせろよ! 重いもんは重いんだよ!」

「元気あるな」

 エレンが振り向かず言う。

「ねぇよ! 気合で喋ってんだよ!」

 

 それでも進む。

 

 角を一つ曲がる。

 

 後ろの巨人はまだ路地で詰まっている。建物を壊しながら追ってくる。まっすぐよりは遅い。だが、遅いだけだ。来る。

 

「次、左!」

 ライナーが叫ぶ。

 

 曲がる。路地が狭まる。人一人がやっと通る幅。ここで詰まったら終わる。

 

「ミーナ、前見ろ!」

 ジャン。

「フランツだけ見るな、足元見ろ!」

「……っ、うん!」

 ミーナの声は泣いていた。だが足は止まらない。

 

 スバルはフランツの重みで肩が砕けそうだった。脚を失った体は、持ってみると嫌になるほど“人間の重さ”がある。軽くなったりしない。痛みも、恐怖も、喪失も、重さはそのままだ。

 

 交差路が見えた。

 

 空き家もある。

 

 そこまであと少し。

 

 だが、その少しのところで、上から瓦が降ってきた。

 

「っ!」

 ベルトルトが飛び退く。

 

 屋根を壊して、別の巨人が顔を出したのだ。

 

 前にも一体。

 後ろにも一体。

 

 挟まれた。

 

 まただ。

 

 死に戻りで未来をずらしても、別の角度で詰ませに来る。

 

「散れ!」

 ライナーが怒鳴る。

「フランツを家に放り込め!」

 

 空き家。

 

 半壊だが、屋根はまだ残っている。ひとまず巨人の視線を切るならそこしかない。

 

 スバルとミーナでフランツを引きずる。エレンとベルトルトが前の巨人の注意を引く。ジャンが後ろの巨人へ瓦礫を投げて遅らせる。ライナーがその中間で位置を支える。

 

 全員が、全員の役割をやっている。

 

 訓練兵編を飛ばしたら、たぶんここは書けない。

 

 そう思うくらい、この瞬間の連携には積み重ねがあった。

 

「入れ!」

 スバルが叫ぶ。

 

 空き家へ、フランツを押し込む。ミーナも転がるように入る。スバルも飛び込む。直後、壁が一部砕ける。巨人の指が中を探るように入ってくるが、奥までは届かない。

 

「エレン! ベルトルト!」

 スバルが叫ぶ。

 

 二人も別窓から滑り込む。ジャンとライナーが最後。全員が入った瞬間、家全体がびり、と鳴った。

 

 息が止まる。

 

 だが、ひとまず飲まれてはいない。

 

 薄暗い室内。

 

 壊れた家具。

 

 土埃。

 

 全員の荒い呼吸。

 

 そして、フランツの浅すぎる息。

 

 ミーナが膝をついて、その顔を両手で挟む。

「フランツ、フランツ……!」

 

 フランツの唇がわずかに動く。

 

 血が止まらない。

 

 スバルは壁にもたれ、肩を押さえた。痛い。腕も痺れている。だが、それよりも胸の奥がきつい。

 

 変えた。

 

 エレンの死は変えた。

 

 でも、その先でまた別の誰かが死にかけている。

 

 死に戻りは、物語を都合よく優しくしてくれない。選ばせるだけだ。何を、どこまで、誰の代わりに、どこで諦めるのか。

 

 その時、外から、別の人間の声が聞こえた。

 

「中にいるのか!?」

 駐屯兵の声だ。

 

 ライナーが顔を上げる。

「こっちだ!」

 

 返す。

 

 助かるかもしれない。

 

 少なくとも、一度は。

 

 だが、その希望が芽生えた直後、スバルは自分の手が震えていることに気づいた。

 

 さっきエレンを死なせなかった。

 

 その成功に、心が追いついていない。

 

 もし、ここからまだ先があるなら。

 

 また別の形で詰むのか。

 

 それとも、少しずつ変えていけるのか。

 

 外の兵の足音が近づく。

 

 家の壁がさらに軋む。

 

 誰もまだ、息を抜いていなかった。

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