Re:壁内から始める異世界生活   作:stein0630

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第5話 叫ぶための場所

 

 

 船着き場へ向かう通りの脇道は、すでに人で溢れていた。

 

 真正面の大通りほどではない。それでも、避難の流れから押し出された人々が行き場を失い、横道へ横道へと滲み出してきている。肩がぶつかり、怒鳴り声が飛び、泣き声が混ざる。誰もが前へ進みたいのに、前そのものが詰まっている。

 

 このまま行けば、潰れる。

 

 スバルは走りながら、それを皮膚で理解していた。さっきから何度も見てきた。人間は恐怖に追われると、周りが見えなくなる。自分だけは違うなんてことはない。自分だって同じだ。だから余計に分かる。

 

「どこだ、兵士!」

 

 スバルが叫ぶ。

 

「右手に一人!」

 

 アルミンが指した。

 

 通りの脇で、若い駐屯兵が必死に両腕を振っていた。

 

「押すな! 押すな! 列を乱すな!」

 

 声が潰れかけている。だが、後方へは届いていない。前の連中には聞こえるかもしれないが、後ろは“前が詰まっている”という事実しか感じていない。押しているつもりもなく押してしまう。後ろから押されるからだ。

 

「スバル!」

 

「分かってる!」

 

 四人は兵士のもとへ駆け寄った。

 

「おい!」

 

 スバルが怒鳴ると、兵士が険しい顔で振り向く。

 

「子どもは下がれ! 邪魔だ!」

 

「邪魔なのは分かってる! でもこのままだと倒れる!」

 

「見れば分かる!」

 

「後ろに止まれって伝わってねぇんだよ!」

 

 兵士の顔が一瞬だけ固まった。

 

 そこへアルミンが割って入る。

 

「前から怒鳴っても後方には届いてません! 横道へ逃がさないと、詰まり続けます!」

 

「誰だお前ら!」

 

「それは今どうでもいいだろ!」

 

 エレンが噛みつくように言った。

 

「人が死ぬ!」

 

 兵士は歯を食いしばったまま群衆を振り返る。

 

 迷っている。信用していいか、命令系統を無視していいか、それとも目の前の子どもを追い払うべきか。どれも一瞬で決めなきゃならない。その迷いが顔に出た。

 

 スバルはそこで待てなかった。

 

「アルミン!」

 

「うん!」

 

「エレン、ミカサ! 横道!」

 

「分かった!」

 

 返事と同時に散る。

 

 スバルは兵士の横をすり抜け、通り脇に停められていた荷車へ飛びついた。木箱が積まれている。高い。ちょうどいい。

 

「お、おい!」

 

 兵士が止めるより先に、スバルは箱を踏み台にしてよじ登った。

 

 足場は不安定だが、立てないほどじゃない。群衆の頭が見える。押し流される人の波が見える。後方ほど状況を分かっていない顔が多い。焦って前を目指すだけの顔だ。

 

 なら、届かせる。

 

 喉が裂けてもいい。

 

「止まれぇぇぇぇぇッ!!」

 

 腹の底から怒鳴った。

 

 群衆の何人かがぎょっとして顔を上げる。

 

「前が詰まってる! 押すな! 横道行け! 横に逃げろ!!」

 

 最初は誰も従わない。

 

 当たり前だ。こんな訳の分からない黒ジャージのガキが木箱の上で叫んでるだけだ。兵士でもない。権威もない。怪しさしかない。

 

 だが、止めない。

 

「押すなって言ってんだろ!! 転んだら終わりだぞ!!」

 

 その言葉に、後ろの何人かの顔が変わった。“転ぶ”という具体が初めて届いた顔だ。

 

 そこへアルミンが脇道から叫ぶ。

 

「こっち空いてます! 子ども連れはこっちへ! 脇に避けて!」

 

 声はスバルほど大きくない。けれどよく通る。聞く側が耳を傾けたくなる声だ。しかも内容が具体的だ。“横へ逃げろ”ではなく、“子ども連れはこっち”と示している。

 

 ミカサは本当に人を動かしていた。泣いて動けなくなった女の子の手を引き、母親ごと脇道へ押し込む。その動きが速い。迷いがない。言葉は少ないが、腕の力と目つきで従わせている。

 

 エレンは転びかけた荷車の車輪を押さえ、通りを塞ぎかけた荷をどかしていた。細い腕で無茶をしている。だが、ああいう奴だ。考える前に体が動く。

 

「そっち行くな、詰まってる!」

 

 エレンが怒鳴る。

 

「こっち空けろ! 横行け、横!」

 

 兵士がそれを見た。

 

 迷いが消えるのが分かった。

 

「おい、お前ら!」

 

 彼は別の駐屯兵へ向かって叫ぶ。

 

「後方へ回れ! 脇道へ流せ! 押し戻すな、横へ割れ!」

 

 ようやく、命令が変わった。

 

 そこからは少しだけ早かった。別の兵士も気づき始める。前へ進ませることだけが避難じゃない。流れを割る。密度を下げる。その発想が広がるだけで、群衆の“圧”がほんの少し変わる。

 

 ほんの少し。

 

 それでも、意味はある。

 

 スバルは喉を焼きながら叫び続けた。

 

「押すな! 横だ! 子どもと怪我人、先に脇行け! 止まれ、止まれぇ!!」

 

 耳鳴りがする。声がすでにかすれている。それでも止めない。

 

 そのとき、後方で悲鳴が上がった。

 

 嫌な種類の、短い悲鳴だった。

 

 スバルの背筋が凍る。

 

「……転んだ」

 

 アルミンの声が風に混じって聞こえた。

 

 群衆の一角が不自然に沈む。何人かがつまずき、押され、折り重なる。

 

「くそっ!」

 

 スバルは荷台から飛び降りた。

 

「スバル!」

 

 アルミンが叫ぶ。

 

 聞こえていた。だが止まれない。あそこで崩れたら、一気に広がる。後ろが止まらない限り、人の重みだけで死ぬ。

 

「止まれぇぇぇ!!」

 

 走りながら叫ぶ。

 

 人の隙間をこじ開けるように進む。肩がぶつかる。肘が当たる。何度も弾き飛ばされそうになる。

 

「どけ! 足元見ろ! 足元!!」

 

 ようやく崩れた場所が見えた。女が一人倒れている。その上に男が半ば乗り、さらに後ろから別の誰かが押されてきていた。悲鳴はもう声になっていない。圧し潰される直前の、息の詰まる音だった。

 

 スバルは迷わず一番上の男の肩を掴んで引いた。

 

「どけッ!」

 

「な、なんだお前――」

 

「いいから起きろ!!」

 

 無茶苦茶な力だった。だが、男が体勢をずらしたことでわずかな隙間ができる。その瞬間、ミカサが横から滑り込んで倒れた女の腕を掴んだ。

 

「引いて」

 

「お、おう!」

 

 二人がかりで引っ張る。重い。圧がかかっている。けれど少しずつ抜ける。

 

 そこへエレンが割って入った。

 

「後ろ下がれって言ってんだろ!!」

 

 少年の声だ。だが、怒りが真っ直ぐすぎて、押していた大人のほうが一瞬たじろぐ。

 

 その瞬間にアルミンが叫ぶ。

 

「怪我人です! 空けてください! ここ塞いだら全員動けなくなる!」

 

 言い方が上手い。善意じゃない。利害で言っている。“助けてやれ”ではなく“お前らも困る”で動かす。そういう賢さだ。

 

 倒れた女を引きずり出した瞬間、スバルは背中から誰かに突き飛ばされた。

 

「がっ!」

 

 前のめりに転ぶ。石畳に手を打ちつける。痛い。

 

 その頭上を、人の足がいくつも通り過ぎる。

 

 まずい。

 

 息が詰まる。

 

 ここで踏まれたら――。

 

「スバル!」

 

 エレンの声。次いで襟首を乱暴に引かれる感覚。首が締まる。だが助かる。

 

「ぐえっ、首!」

 

「黙ってろ!」

 

「助けといて言い方ァ!」

 

 引きずられるように脇へ逃れた。そこへ駐屯兵が二人駆け込み、人の流れを棒で制し始める。

 

「下がれ! ここは止まれ!」

「横道へ回れ!」

 

 命令が、ようやく後方まで通り始めた。

 

 群衆の圧が、少しだけ薄くなる。

 

 少しだけ。

 

 だが崩壊の連鎖を止めるには、それで足りたらしい。折り重なりかけた人々が一人、また一人と起き上がる。泣いている。怒鳴っている。呆然としている。けれど生きている。

 

 スバルは地面に尻をついたまま、大きく息を吐いた。

 

「……っ、は……はぁ……」

 

 喉が完全に死んでいた。声がかすれすぎて、笑うしかない。

 

 ミカサが倒れていた女を支え、その家族らしい男に引き渡す。アルミンは兵士へ何か早口で説明している。エレンはまだ通りの真ん中で怒鳴っていた。あいつ、体力どうなってんだ。

 

 兵士の一人が、ようやくスバルのところへ来た。さっきの若い駐屯兵だった。

 

「お前……」

 

 息を切らし、汗だくで、それでもこっちを見る目はさっきと違っていた。

 

「勝手なことしやがって」

 

「それは……はい……」

 

 怒られる流れだ、とスバルは思った。実際、指揮系統を考えればそうだろう。子どもが荷台に乗って勝手に避難民を誘導するなんて、まともなら止めるべきだ。

 

 兵士は短く息を吐いた。

 

「……助かった」

 

 スバルは目を瞬いた。

 

「は?」

 

「礼を言ってる暇はないが、意味はあった」

 

 言い切って、兵士はすぐ別の方向へ向き直る。

 

「おい! そこの二人、脇道をさらに空けろ! 荷物は捨てさせろ!」

 

 命令を飛ばしながら走っていく背中を、スバルはしばらく見ていた。

 

 認められた、というほどじゃない。ただ、そこに意味があったと判断された。たったそれだけなのに、妙に胸が熱くなる。

 

 だが次の瞬間、その熱は別の感情に塗りつぶされた。

 

 通りの向こうで、また悲鳴が上がったからだ。

 

 今度は人の圧じゃない。

 

 もっと原始的な、はっきりした恐怖の声。

 

 巨人。

 

 その単語が、聞くまでもなく頭に浮かぶ。

 

「エレン!」

 

 ミカサが呼ぶ。エレンも振り向く。アルミンが兵士から飛び退く。

 

 大通りのさらに向こう、家屋の隙間から、巨人の頭が見えた。三体。小型ばかりだが、こんな密集した場所では一体で十分すぎる。

 

 兵士たちの顔色が変わる。

 

「前衛、迎撃! 避難民を下げろ!!」

 

 叫び声。立体機動装置の蒸気音。剣が抜かれる音。

 

 だが、迎撃している間にも群衆は混乱する。せっかく割れかけた流れが、また恐怖で押し戻される。今度は“前に行けない”ではなく“後ろへ逃げたい”がぶつかる。

 

「ちっ……!」

 

 スバルは立ち上がった。

 

 足が震える。怖い。あんなの近くに来られたら終わりだ。さっき食われた時の感触が喉までせり上がる。

 

 それでも、止まれなかった。

 

「アルミン!」

 

「うん!」

 

「ここ、もうもたない!」

 

「分かってる!」

 

 アルミンは通りと脇道と兵士の配置を一瞬で見て、顔を歪めた。

 

「船着き場は近い。でも通りは崩れる。なら――」

 

「裏から行くしかない」

 

 ミカサが言う。

 

 エレンが頷く。

 

「川沿いのさらに裏だな」

 

「行けるのか?」

 

 スバルが問う。

 

「知らない。でもここにいるよりはマシ」

 

 エレンの返答が、またそれだった。

 

 どこにいても危険だ。なら、危険の種類を選ぶしかない。

 

 兵士たちが巨人へ飛びかかるのが見えた。まだ距離はある。今なら動ける。

 

「行くぞ!」

 

 四人は、通りの脇からさらに裏へ伸びる細い道へ走り出した。

 

 さっき助けた女の泣き声が背後で聞こえる。兵士の怒号も、剣が肉を裂くような嫌な音も。

 

 全部、後ろだ。

 

 全部、置いていく。

 

 それが正しいのかは分からない。だが、いま全員を助ける力なんてない。スバルはその事実を噛みしめながら走った。助けたばかりでも、また別の誰かが死ぬ。この世界は、たった一つの成功を簡単に帳消しにしようとする。

 

 なら、帳消しにされる前に、次を掴みに行くしかない。

 

 川沿いの裏道はぬかるんでいた。荷の搬入に使う道なのか、踏み荒らされ、水が溜まり、走りにくい。

 

 それでも人は少ない。道幅もまだある。

 

「この先だ!」

 

 アルミンが指した。

 

 木造の倉庫群の隙間、その向こうに川が見える。船着き場そのものはまだ見えないが、もう近い。

 

 そのとき。

 

 背後ではなく、前方から、女の悲鳴が聞こえた。

 

 四人が足を止める。

 

 倉庫の陰から、小さな女の子が一人、こちらへ駆けてきた。十歳にも満たない。片方の靴が脱げている。泣きながら必死に走っている。

 

 その後ろから、男が追ってくる。

 

「待て、リーナ!」

 

 父親だろう。だが、足を引きずっている。間に合わない。

 

 そして、そのさらに後ろ。

 

 倉庫の角を曲がって、巨人が一体現れた。

 

「……っ!」

 

 スバルの全身が強張る。

 

 近い。近すぎる。逃げるだけで精一杯の距離だ。

 

 女の子はこっちへ来る。父親は遅れる。巨人は二人を見ている。

 

 助けなきゃ、と思うより先に、体が“無理だ”と叫んだ。

 

 間に合わない。

 

 ここで飛び出せば、自分たちまで巻き込まれる。

 

 分かっている。分かっているのに。

 

 エレンが前に出た。

 

「やめろ!」

 

 スバルが腕を掴む。

 

「離せ!」

 

「無理だ!」

 

「無理かどうかは――」

 

「見ろよ!」

 

 叫んでしまった。

 

 エレンが振り返る。怒っている。だがスバルのほうも、それ以上に必死だった。

 

「見て分かるだろ! 飛び込んだらお前まで死ぬ!」

 

「だから見捨てろってのか!」

 

「そうは言ってねぇ!!」

 

 喉が裂ける。

 

 その一瞬の逡巡を、ミカサが埋めた。

 

 彼女はもう走っていた。

 

 エレンよりも早く。アルミンよりも先に。女の子へ向かって一直線に。

 

「ミカサ!」

 

 アルミンが叫ぶ。

 

 ミカサは女の子を抱えるように掴み、そのまま地面を滑るように方向転換した。速い。異様に速い。人間離れして見えるほどの反応だった。

 

 だが、父親までは届かない。

 

 男は転んだ。足を引きずったまま、倉庫の角に手をつく。巨人が腕を伸ばす。

 

 スバルの中で、何かが弾けた。

 

 考えるより先に走っていた。

 

「スバル!?」

 

 アルミンの声。

 

 倉庫脇に転がっていた木箱を蹴る。重い。だが転がる。巨人の足元へ当たる。気を引けるほどじゃない。それでも、ほんの一瞬、視線が下を向いた。

 

「こっちだクソがッ!!」

 

 石を投げる。喉の残り全部で叫ぶ。

 

 巨人の顔が、ゆっくりとこちらへ向く。

 

 しまった、と頭のどこかで思った。

 

 近すぎる。

 

 走れ。

 

 走らなきゃ死ぬ。

 

 なのに足が一拍遅れた。巨人の顔をまた正面から見たからだ。あの時食われたやつとは別だ。別なのに、口の形が、目の空っぽさが、死の記憶を直接こじ開けてくる。

 

 体が凍る。

 

 次の瞬間、エレンがスバルの肩をぶん殴るように押した。

 

「避けろ!!」

 

 スバルの体が横へ転がる。巨人の手が、さっきまで彼のいた場所を掴み損ねて地面を抉った。

 

「っ、あ……!」

 

「走れ、バカ!!」

 

 エレンが怒鳴る。

 

 父親はその隙にアルミンが引っ張り起こしていた。ミカサは女の子を抱えたまま戻ってくる。

 

 全員、生きてる。

 

 今だけは。

 

「行けぇぇぇ!!」

 

 スバルの声か、エレンの声か、自分でも分からなかった。

 

 五人で走る。今度は五人だ。父親は片足を引きずり、女の子は泣きじゃくり、ミカサが半ば抱えている。速度は落ちる。

 

 背後で巨人が追ってくる足音。

 

 やばい。

 

 やばいやばいやばい。

 

 このままじゃ追いつかれる。

 

 そのとき、川の方角から蒸気音が響いた。

 

 一人の兵士が、倉庫の上を越えて飛び込んできた。刃を振るう。巨人の顔面に斬撃。深くはない。だが怯ませるには足りる。

 

「走れ!!」

 

 女の声だった。

 

 兵士は二本の剣を構え、巨人の注意をこちらから引き剥がすように跳んでいく。

 

 スバルたちはその隙に倉庫群のさらに奥へなだれ込んだ。

 

 しばらく走って、ようやく物陰へ滑り込む。全員で息を切らす。

 

 女の子は父親にしがみついて泣いていた。父親は何度も何度も頭を下げるが、声になっていない。

 

 スバルは壁にもたれ、そのままずるずる座り込んだ。

 

 手が震えている。

 

 さっきの“また食われる”感覚が、まだ抜けない。胃が痛い。喉が熱い。頭がくらくらする。

 

 エレンが息を切らしながら言った。

 

「お前……」

 

「……悪い」

 

 スバルは先に言った。

 

「止めたくせに、自分で飛び出した」

 

「そこじゃねぇよ」

 

 エレンは肩で息をしながら、苛立ったように顔をしかめた。

 

「固まっただろ、最後」

 

「……」

 

「怖いなら怖いって言え」

 

 その言葉に、スバルは顔を上げる。

 

 エレンは怒っていた。だが、軽蔑だけじゃない。

 

「無茶して死なれたら意味ねぇんだよ」

 

 短い。乱暴。なのに、妙に真っ直ぐだった。

 

 スバルは何か言い返そうとして、できなかった。

 

 怖い。

 

 そんなの、当然だ。

 

 当然すぎて、逆に言えなかった。言ったら終わる気がしていた。強がって、喋って、走っていないと、自分が本当にただの情けないガキだと突きつけられるから。

 

 でも、さっき自分は固まった。

 

 死の記憶に引っ張られて、足が止まった。

 

 それは事実だった。

 

「……怖ぇよ」

 

 掠れた声で、ようやくそれだけ言えた。

 

 誰に向けてでもない。自分の喉に引っかかった棘を、無理やり引き抜くみたいに。

 

「死ぬの、めちゃくちゃ怖ぇ」

 

 沈黙。

 

 アルミンがゆっくりと息を吐く。ミカサは何も言わない。ただ見ている。エレンは少しだけ眉をひそめて、それから視線を逸らした。

 

「……なら、なおさら勝手に突っ込むな」

 

「正論だな、くそ」

 

「くそは余計」

 

 アルミンが小さく言った。

 

 その声で、ほんの少しだけ場の硬さが緩む。

 

 だが次の瞬間、倉庫の向こうから怒号が聞こえた。

 

「船を出せ! 早くしろ!」

「押すな、順番だ!」

「子どもを先に!」

 

 船着き場だ。

 

 もう目と鼻の先まで来ている。

 

 しかし、その声の響き方だけで分かる。あっちも無事じゃない。まだ次の地獄が待っている。

 

 スバルは壁にもたれたまま、目を閉じた。

 

 泣きたい。吐きたい。座り込みたい。このまま全部投げ出したい。

 

 でも、そんな暇がない。

 

 目の前にいる四人と、助けた親子が、それを許さない。

 

 この世界は残酷だ、なんてもう分かっている。今さら理解を深めたって意味はない。意味があるのは、次にどう動くかだけだ。

 

 スバルは目を開けた。

 

「……行くか」

 

 エレンが頷く。

 

 アルミンが立ち上がる。

 

 ミカサは女の子の頭を一度だけ撫でてから、父親に手を貸した。

 

 五人と二人。

 

 息も絶え絶えのまま、彼らは船着き場の喧騒へ向かって、また足を踏み出した。

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