Re:壁内から始める異世界生活   作:stein0630

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第9話 選ぶしかない朝

 

 

 夜明けは来たが、何も区切ってはくれなかった。

 

 空が白み、広場の輪郭がはっきりしていくほど、そこに詰め込まれた人の数と、足りなさだけが露わになる。毛布がない。水がない。食い物がない。居場所もない。泣く力も尽きて、ただ座り込んでいる人間がいくらでもいた。

 

 スバルは粗末な木箱にもたれたまま、肩の痛みに顔をしかめて目を開けた。

 

 寝たのかどうかも怪しい。意識が落ちていただけだ。喉は潰れたまま、背中は痛く、足は重い。昨日一日で、自分の体が別物になったみたいだった。

 

「起きた」

 

 隣から声がした。

 

 ミカサだった。昨日と同じ赤い巻物。姿勢ひとつ崩れていない。こいつ、絶対まともに寝てないだろ、とスバルは思う。

 

「……お前、寝た?」

 

「少しは」

 

「その“少し”信用できねぇな」

 

 言うと、ミカサは木のコップを差し出した。水だ。

 

「飲んで」

 

「ほんと気が利くようになったな」

 

「弱ってるから」

 

「言い方」

 

 でも受け取る。水はぬるい。それでも、喉を通るだけで少し人間に戻れる気がした。

 

 少し離れた場所で、アルミンが兵士の話を聞いている。エレンは立ったまま、広場の外れを見ていた。夜のあいだに新しく着いた避難民だろうか。まだ列が増えている。

 

 昨日で終わりじゃない。

 

 当たり前のことを、朝の光が改めて突きつけてくる。

 

 アルミンが戻ってきた。

 

「食料配給と振り分けが始まるみたい。年齢とか家族構成とか、働けるかどうかとか」

 

「……働けるかどうか?」

 

 スバルが眉をひそめると、アルミンは頷いた。

 

「避難民の中でも、子どもだけの人、家族がいる人、怪我人、手伝いに回せる人で分けるんだと思う」

 

「まあ、そりゃそうか……」

 

 広場全体が仮の収容所みたいなものだ。人を生かすには、雑でも順番をつけるしかない。

 

 そのとき、別の場所から兵士の声が飛んだ。

 

「十二歳以下の子どもは保護区画へ! 保護者のいない者もこちらへ来い! 勝手に動くな!」

 

 スバルはその声に、妙な引っかかりを覚えた。

 

 子ども。

 

 そうだ。エレンたちは、まだ子どもだ。

 

 昨日の夜、自分の頭の中では“次は訓練兵か”みたいな流れが勝手に走っていた。だが、現実にはまだそこじゃない。こいつらはまだ、あの地獄の入口に立ったばかりの子どもだ。

 

 その事実が、逆に重かった。

 

「エレン」

 

 アルミンが呼ぶ。

 

 エレンは振り向く。

 

「兵士が、子どもの振り分けをしてる」

 

「聞こえてる」

 

「……行くしかないと思う」

 

「分かってる」

 

 短い返事だった。だが、その短さの奥に苛立ちがある。

 

 ミカサが静かに言う。

 

「エレンが行くなら、私も行く」

 

「お前は最初からそうだろ」

 

「そう」

 

 ぶれない。怖いくらいに。

 

 スバルは水を飲み干して、空のコップを見つめた。

 

 自分はどうなる。

 

 この世界での戸籍も、出身も、保護者も、何もない。昨日は「出身不明」で記録されたが、それで終わる話じゃない。今日になれば、もっと面倒になるに決まっている。

 

 保護区画へ行け、と言われるのか。

 

 いや、年齢的には自分は子どもじゃない。少なくとも向こうから見れば、エレンたちより明らかに上だ。

 

 じゃあ働ける者として振り分けられるのか。

 

 でも、何を働く? この世界の仕事なんて知らない。力仕事か、雑用か、避難民の誘導か。やれと言われたらやるしかないのかもしれない。

 

 だが、その先に何がある。

 

 一人で、どこへ流される。

 

「顔が難しい」

 

 ミカサが言った。

 

「お前、ほんとそういうとこだけよく見てんな」

 

「分かりやすい」

 

「やめろ、その評価ちょっと傷つく」

 

 アルミンが少しだけ苦笑した。

 

「でも、たぶん大事なことだよ。今日の振り分けで、これからしばらくの流れが決まるかもしれない」

 

「だよな……」

 

 エレンが低く言う。

 

「なら、バラバラにはならないようにしないと」

 

 スバルは顔を上げた。

 

 エレンがこちらを見ている。

 

「は?」

 

「お前もだ」

 

「俺?」

 

「お前、昨日“出身不明”で通したんだろ」

 

「通したっていうか、通されただけだけど」

 

「なら、余計に一人で兵士に任せるな」

 

 ぶっきらぼうだった。だが、意味ははっきりしている。

 

 一緒に来い。

 

 少なくとも、今ここでは。

 

 スバルは少しだけ言葉に詰まった。

 

 昨日から何度かあったことだ。エレンは不器用な言い方しかできないくせに、肝心なところでは変に真っ直ぐだ。

 

「……お前、それ庇ってる?」

 

「違う」

 

「いや絶対違わねぇだろ」

 

「違うって言ってる」

 

「言い方で損してんなあお前」

 

「うるさい」

 

 エレンがそっぽを向く。その横でアルミンが、小さく息をついた。

 

「でも、そのほうがいいと思う。スバルが一人で説明しても、また話がややこしくなる」

 

「“また”ってなんだよ。事実だけど」

 

「事実なら認めて」

 

「ぐうの音も出ねぇ」

 

 ミカサが立ち上がる。

 

「行こう」

 

 四人で、兵士の列へ向かった。

 

 朝の広場は、夜よりも現実的だった。夜は混乱と疲労が全部をごちゃまぜにしていたが、朝になると、兵士たちは人を分類し始める。子ども。怪我人。家族単位。働ける者。名前のある者。ない者。

 

 その中に、スバルみたいな存在は綺麗に収まらない。

 

 昨日とは別の帳面係の男が、四人を見て眉をひそめた。

 

「名前」

 

 エレン、ミカサ、アルミンが順に名乗る。男は書きつけ、年齢を確認し、簡単に頷く。

 

「保護区画だな。次」

 

 そしてスバルを見た瞬間、手が止まる。

 

「……なんだ、その服は」

 

「来たよ定型文」

 

「答えろ」

 

「遠い国の服です」

 

「ふざけるな」

 

「ふざけてないんですってば!」

 

 男の苛立ちはもっともだった。

 

「名前」

 

「ナツキ・スバル」

 

「年齢」

 

「十七」

 

「出身」

 

「不明」

 

「……は?」

 

「いやだからそこは昨日――」

 

 話がこじれそうになったところで、アルミンが口を挟んだ。

 

「昨日の帳面にあるはずです。シガンシナからの避難民で、特殊事情ありで記録されてる」

 

 男は別の帳面をめくる。確かに見つかったらしい。顔をしかめた。

 

「本当に“出身不明”だな……」

 

「だから言ってるじゃないですか!」

 

「嬉しそうに言うな」

 

「嬉しくはねぇ!」

 

 男はスバルをもう一度上から下まで見た。

 

 怪しい。怪しすぎる。そう顔に書いてある。

 

「保護者は」

 

「いません」

 

「家族は」

 

「この世界には、たぶん」

 

「……なんだその言い方は」

 

「長くなるんで省略で」

 

「省略するな」

 

 男が本気でうんざりした顔をした、その時。

 

 エレンが低く言った。

 

「こいつは俺たちと一緒にいた」

 

 男が見る。

 

「昨日からずっとだ。船着き場まで一緒に逃げた」

 

「それが何だ」

 

「一人にすると余計面倒だ」

 

 あまりにも率直だった。

 

 スバルは思わず吹き出しかけて咳き込む。

 

「フォローの角度がひどい!」

 

「でも間違ってない」

 

 アルミンが言う。

 

「彼を単独で別に回すより、少なくとも今は僕らと同じところで様子を見たほうが管理しやすいと思います」

 

「管理って言うなお前!」

 

「事実だよ」

 

 ミカサも静かに頷いた。

 

「スバルは放っておくと勝手に動く」

 

「お前ら、俺の扱い雑すぎない!?」

 

 だが、帳面係の男は逆にそのやりとりで何か納得したらしい。深くため息をついた。

 

「……子ども三人の付き添い扱いで仮置きする」

 

「付き添い!?」

 

「不服か」

 

「いや、立場としてはかなり不本意だけど、今は助かる!」

 

「うるさい。次だ」

 

 押し出されるように列を離れる。

 

 スバルは肩を落とした。

 

「付き添いってなんだよ……」

 

「似たようなもの」

 

 ミカサ。

 

「似てねぇよ!」

 

「いや、ちょっと似てるかも」

 

 アルミン。

 

「お前まで言うのか!」

 

 エレンは何も言わなかったが、少しだけ口元が動いた。笑ってはいない。だが、完全な無表情でもない。

 

 四人は、子どもたちを集めた区画の一角へ通された。粗い木柵で仕切られ、兵士が見張っている。保護区画とはいっても、安全で快適な場所ではない。ただ、少なくとも大人の避難民の混乱とは分けて管理しようとしているのだろう。

 

 中には、昨日の夜のまま泣いている子もいれば、妙に静かすぎる子もいた。

 

 その光景に、スバルは胸の奥がきつくなる。

 

「……エレン」

 

 アルミンが呼ぶ。

 

 エレンは答えない。だが、その視線の先は子どもたちではなく、さらに向こう、兵士たちのいる一角だった。補給や連絡で忙しく走り回る大人たちの姿。武器。馬。命令。

 

 あっち側だ。

 

 もう心が向いているのが分かる。

 

 スバルは嫌な予感を覚える。

 

「お前、まさか」

 

「まだ何もしてない」

 

「その言い方が一番信用ならねぇんだよ」

 

 エレンがようやくこちらを見た。

 

「……でも、いつまでもここで子ども扱いされる気はない」

 

 その声は静かだった。

 

 静かだから余計に危うい。

 

 ミカサが言う。

 

「エレンはすぐ無茶する」

 

「だから見張るんだろ、お前は」

 

「うん」

 

「即答かよ」

 

 アルミンが小さく息を吐く。

 

「でも、たぶん本当にそうなる。今すぐじゃなくても、いずれ僕らは訓練兵団に入る」

 

 スバルはその言葉に眉をひそめた。

 

「……入れるのか?」

 

「年齢が来れば」

 

 アルミンは頷く。

 

「壁が破られた以上、兵の補充は急ぐはずだよ。元々、十二歳で入団できるようになってるって話も聞いたことがある」

 

 その一言で、スバルの胸の中で昨日の違和感が整理された。

 

 そうか。今すぐじゃない。でも遠くない未来に、こいつらは本当に訓練兵になる。

 

 そして自分は。

 

 十七歳という年齢だけなら、もしかしたらもっと早く別の形で軍属扱いされる可能性すらある。訓練兵なのか、雑用要員なのか、駐屯兵の補助なのか、まだ分からない。

 

 だがいずれにせよ、“この世界の軍と無縁ではいられない”方向へ流れている。

 

「……結局、そっち行くんだな」

 

 スバルが呟くと、エレンが答えた。

 

「行く」

 

 迷いがなかった。

 

「巨人をぶっ殺す」

 

 あまりにも真っ直ぐで、危うい言葉だった。

 

 だが、その危うさを笑える状況じゃない。こいつにとって、それは昨日から始まった生きる理由そのものだ。

 

 アルミンは少しだけ目を伏せる。

 

「僕は、巨人を全部殺せるとは思ってない」

 

「なんだよそれ」

 

「でも、知らないまま殺されるのは嫌だ。どうしてこんなことになってるのか、知りたい」

 

 ミカサは短く言う。

 

「私は、エレンが死なないようにする」

 

 スバルは頭を抱えた。

 

「お前ら全員、動機が重い!」

 

「スバルは?」

 

 アルミンが聞く。

 

「お前は、どうするの」

 

 少し考える。

 

 怖い。死にたくない。できれば平穏に生きたい。巨人なんて見たくない。戦場なんてごめんだ。

 

 全部、本音だ。

 

 でも、その上で。

 

「……まだ分かんねぇ」

 

 正直に言った。

 

「エレンみたいに一直線でもねぇし、アルミンみたいに知りたいも固まってねぇし、ミカサみたいな一択もねぇ」

 

 三人とも黙って聞いている。

 

「でも」

 

 スバルは続けた。

 

「でも、昨日からずっと思ってる。何もできないまま見てるだけで終わるのは、たぶんもう無理だ」

 

 それは確かだった。

 

 最初の死。カルラ。船着き場。置いてきた人たち。伍長。全部が、自分の中の“ただの傍観者”を壊していた。

 

「だから、逃げ道は探す。でも、それだけで終わりたくねぇ」

 

 言ってから、自分でも曖昧だと思う。

 

 けれど今の自分には、それ以上うまく言えなかった。

 

 エレンが鼻を鳴らす。

 

「中途半端だな」

 

「うるせぇ。お前みたいに全部怒り一本で行けるほど単純じゃねぇんだよ」

 

「単純で悪いか」

 

「悪くはねぇけど、見てて危なっかしい!」

 

「お前に言われたくない」

 

「それはそう!」

 

 アルミンが少しだけ笑い、ミカサは「うるさい」とだけ言った。

 

 そのやりとりの最中、区画の外で馬の蹄の音がした。

 

 兵士たちがざわつく。

 

 何事かと思って振り向くと、外から数騎の馬が入ってきていた。壁の内側の別拠点から来た伝令か、それとも避難状況の確認か。いずれにせよ、ただ事ではない空気だ。

 

 兵士たちの会話が断片的に聞こえる。

 

「マリア全域の放棄が決まった」

「ローゼまで後退だ」

「避難民の追加がまだ来る」

「食糧が足りないぞ」

 

 その言葉の一つ一つが重い。

 

 ウォール・マリア全域の放棄。

 

 つまり、昨日のシガンシナだけじゃない。

 

 もっと大きい。

 

 壁一枚ぶん、人類の領域が丸ごと削られたということだ。

 

 スバルは、いまさらながらその規模を飲み込めずにいた。

 

 この世界の“破綻”は、街一つじゃ終わらない。

 

 もっとでかい。

 

 もっと救えない。

 

 そして、その中で自分たちは、まだ入口に立っただけだ。

 

 エレンがその会話を聞いて、拳を握るのが見えた。

 

 アルミンは青ざめている。

 

 ミカサは静かにエレンの袖を掴んだ。

 

 スバルは、その三人を見ながら思う。

 

 ここから先は、昨日よりもっときつい。

 

 でも、昨日と違うことが一つだけある。

 

 自分はもう、この三人をただの“その場で出会った子どもたち”として見ていない。

 

 そしてたぶん、向こうも、自分を完全な部外者のままにはしていない。

 

 それが救いになるのか、傷を深くするのかは、まだ分からなかった。

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