トランプメン 〜異世界で道化師プレイをつづけた結果、大変なことになったその男の末路〜 作:山下敬雄
「貴様は私を睨むのが趣味なのか? なんだ?」
「……風呂」
睨めっこしたカタリナ船長にそう一言告げて、アトラは勝手に戦米丸の甲板を我が物顔で歩いていく。
そして階段を降りていき、船内にあるという浴場を探しにいった。
三分後──。迷いながらも階段を二つ降り辿り着いた、戦米丸内の浴場施設。
『やっ! はぁっ!』
既に濃密に漂う湯煙の中、アトラの耳に気合いの入った謎の掛け声が聞こえてきた。
そして歩き進む白い煙の中──突然、びゅんと貫き飛んできた銀の煌めきと黒い蛇。アトラは咄嗟に反応し片手にそれを掴んだ。
アトラが手にしたそれは黒蛇ではなく長い黒髪。
やがて、湯煙が散り、ぼやけたシルエットが明らかになる。
「おっと! すみません修行に集中するあまり……アレ? あなたは……?」
「……」
見覚えのある顔同士がじっとその目を合わせた。一方は熱のある赤い瞳と中性的な顔立ち、もう一方は冷たい琥珀色の瞳と木石のように動じぬ顔を向けている。どちらも先ほどまで同じ船に乗り、見かけたことのある面だった。
アトラが目撃したのは、銀の飾りをつけた長い黒髪をユラユラと宙に遊ばせた男。風呂場で熱心にもギフトの試運転をしていた、そんな美楚羅の姿であった。
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▽
備え付けのシャワーの音がさっと鳴り響く。
美楚羅は持参していた髪用の石鹸を手のひらの上で念入りに泡立たせて、緑の髪に後ろから手をつけた。
鏡の前でアトラは桶を椅子代わりにして座り、その身をなるように任せていた。
緑の髪に泡が盛られ、頭の上に指が這っていく。小慣れたような手つきで、そんな心地よい洗髪のサービスがしばらく続いていると──。
「お前、何故来た」
アトラがふと、静寂に呟いた。
すると、背中越しに放たれた急な質問に驚いたのか。髪が泡立つ音が止み、美楚羅は一瞬その手を止めた。
「え? あぁ、それはですね。はは、そういえばちょうど先ほどそんな問答をしたばかりです。一言でいえば、彼らの強さの〝底〟を知りたいと思いましてね」
後ろの美楚羅は、またすぐに手を動かし、緑の髪を泡立てながら答えていく。まるで最初から質問の答えを用意していたように、迷いのない受け答えであった。
「底……」
〝底〟その意味はなんとなくアトラにも伝わったようだ。静かにぼそりと呟いたまま、また彼は黙りはじめた。
「あなたはなぜこの七曜血選に?」
すると、今度は美楚羅が逆にアトラへ向けて似たような質問をする。
だが、アトラは答えない。
返事はなく、髪を擦る泡の音だけが互いの耳に鳴りつづく。
「──魔大陸」
気を遣ったのか、それとも迷った末に答えたのか。アトラが遅れてそう返答をした。
魔大陸といえば、まだガライヤの民の棲むことのない謎の多い未開の地。異常気象は当たり前、そして凶悪な魔物の跋扈する危険な場所だ。
「魔大陸……あぁ。するとブラックマーケットで何か狙いが?」
葬魔七曜血選と抱き合わせで開催されているブラックマーケットでは、魔大陸の品が数多く扱われている事を美楚羅は知っている。
美楚羅はきっとその事だろうと思ったが、静かに首を横に振るアトラ。
「違う? とすると…………まさか、行きたいのですか?」
「……」
その沈黙は肯定か。アトラは先ほどみたいに首を振らなかった。
その時、美楚羅には、そんな寡黙な彼の背中が強く物語っているように見えた。
「ははは、なら彼らについていくといいですね」
「なぜ?」
アトラは不意に顔を横に向け、後ろを睨みその理由を聞き返す。
「なんとなく、そんな気がしました! ははは」
「……」
美楚羅は笑う、笑い飛ばす。強く軽妙な指遣いで洗髪をしながら。
緑の髪に広がった、泡が弾けて飛んでいく。
根拠なんて何もない。どうせ考えても見つからない。問答続きのごちゃごちゃとした思考も、全て泡と共に、頭の上から弾けては、熱くかかったシャワーの音に流されていく。
アトラは黙って桶に腰掛け、曇る鏡を見つめ続けた────。
「バークローズ王国内で道場を開かれる前は、イダイヤ、ハートフィリア、ディスペリアの四大国をはじめ各地を転々と旅していたと聞きます。そんな羅黄師範ならば、魔大陸についても何かご存知と思うんですけどね? まあ、どちらかというと魔物との戦いより人と人との戦いに師範は重きを置いていますから……魔大陸のことを僕が聞き出そうとしても叱られるのがオチかもしれません。ははは」
「……」
大きな湯船に浸かりながら、魔大陸についての話をアトラと美楚羅がしていると──。
突然、湯船に大きな波が立ち、二人の髪をざぶんと濡らした。
「魔大陸? ブハハハハ、そんな所に行ってもその程度の腕じゃ、あっさり死ぬのがオチだぞ素人どもめ」
今聞こえてきたその下卑た太い声、そして波が過ぎ見えたずんぐりと肥えた腹。
「コンガ・リー・ダン……!」
「……こんがり? ……肉……」
いきなり豪快無礼にも波を立たせ、湯船に浸かり現れた巨漢の男。まさにその姿は肉丁コンガ・リー・ダン。美楚羅が戦ったコックの男であった。
「悪いことは言わん、英雄気取りで旅行したいのならやめておけ、この素人どもめ! ブハッハはははは」
大浴場に大きな笑い声が響き渡る。敵同士が奇しくも今同じ、湯船に浸かってしまったようだ。
「ブハッハはは……ブヘェ!? ごへっゴホッ!? な、なにしやがる!!」
「ふふふ」
「……ぅっさ」
アトラが湯の中で指を弾くと、鋭い波が一直線に、高笑いを浮かべるふくよかな面にぶつかった。
湯を飲んでしまったコンガは即座に怒るが、アトラは知らぬ振りをし、美楚羅は思わず笑ってしまった。
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▽
「冒険王オーズの手記によると、なんでもその特上の肉質を持つという黄金の牛は、恐ろしい蛇人が棲む孤島に飼っているらしいが。一度どうにかそれを盗み出し、天才コックの俺様の手で調理したいものさ。ブハッハ」
「私は黒い魔辛子を探している。辛さは一番上の特辣のさらに上、絶辣に分類され、常人そして私でさえそれをまともに食せば、舌を溶かしながら死に至ると言われている。がしかし……なんでもその魔辛子から噴き出る魔力炎で鍛え焼いた特別な鍋は、なんとも絶妙な辛さと風味を鍋肌に宿し、その鍋の中で調理する素材にも最高の辛みを与える効果を永久に保つという。うむ……そして我が村に伝わる戦士のカラネロも、そのルーツをたどれば魔大陸が原産だと聞いたのだ。もしかするとその幻の黒い唐辛子を交配させた末の物なのかも知れぬ」
肉丁コンガ・リー・ダン、そして途中から湯船に現れた激丁ぺネロ・ペッパー。二人の料理人はそれぞれ、魔大陸にあると言われている自分の追い求める幻の食材のことを美楚羅とアトラへ話し明かした。
「黄金の牛に黒い魔辛子……食材探しか……へぇー、それもまた面白そうですね」
「……ぅす」
美楚羅は興味ありげに頷き、アトラも黙って湯に浸かり話を聞いていた。
「ま、素人が手に出す段階じゃないことは確かだぜ。それは地元でやることがなくなってからだ。なんてな、ブハッハ」
自称玄人で天才コック、そんなコンガのいつまでもする素人煽りはさておき──。
「あの、次の調査船の予定は」
美楚羅は、魔大陸へと向かう次の調査船の出航日について、何か知っていることはないかと尋ねた。
「さぁな。実力者だって命の保障はない。誰も見返りもなしに軽々しくそんな所に行きやしない。こうしてブラックマーケットで、間接的に手に入れるチャンスを待つ方がよほど安全と言えるかもしれん。その分、大金が必要になるがな」
「ブハッハ、命知らずどもめ。しかし今は時期が悪いぜ。バークローズはまだいいが四大国も以前より仲が悪くなってきたからな。どこも慎重になり、自国の戦力をわざわざ削ってまで見返りがあるかどうか不透明な泥船を出そうなんて思わないのさ。特に犬猿の仲のディスペリアとイダイヤは今も小競り合いが続いていると、現地で働くコック仲間たちから聞くゾォ。危ないぜありゃ?」
「この世界ガライヤの情勢も踏まえる必要があると……確かに調査船を出すぐらいなら、自国の魔物を狩ってミラーを集めていた方が良いですもんねぇ? おまけに人間同士の争いも、残念ながら絶えない訳ですし」
聞く話によると、近く魔大陸へ出航予定の船はどうやら無い。今が冒険するに相応しいその時期ではないことは、美楚羅にもなんとなく分かったようだ。
「だがそれだけ料理人にとって魔大陸とは、未知の食材が手に入る、いわば食の楽園なのだ。腕のいいコックならば喉から手が出るほど欲しいものさ」
「もちろん国が豪華な調査船を用意することもあるが、今でも裏では、不定期だが魔大陸に行っている連中もいるらしいぞ?」
「「裏?」」
美楚羅とアトラは、コンガがさらりと言ってのけた「裏」という意味深なワードに、思わず声を揃えて反応した。
「暇を持て余した金持ち連中の考えることだ。魔大陸を開拓・制覇、珍品や遺物を一度持ち帰り生還すれば、それだけで己の権力の誇示にもなるからな。金に目が眩んだ冒険者どもがこぞって高い片道切符をその手に、用意された愛着のない船の中に乗り込むんだそうだ。まあ金の使い道としては、死んでも人類の役に立つ。そう悪くはない、カッカッカ」
「ここで活躍をし良いスポンサーがついたら、お前たち素人にも可能性はあるかもしれないな? ま、行きたいって言うのならばその時の運次第だが……俺たちはお前たちと違い料理人っ! そういった勧誘は引っ切りなし、比較的いつでも行ける立場だぜ? そうそう、機会が来たら天才コックの伝手で紹介してやったっていい。──ただ、金が欲しいだけのしょぼい連中と一緒に行ってもたいした成果が得られるとは、俺様は思わないがな? という訳だ! せいぜい、大波を待てよブハッハははは」
魔大陸へ向かう裏のルートは確かに存在すると、料理人の二人は同じように言う。しかし命の保障はない。
ぺネロは腕を組み渋く頷き、コンガはまた高笑いをする。
「……確かに。今目に見えている面子じゃ、しょぼいしな」
「ブハは……ごほっ……んだと!?」
「ぬぅ……! っ……」
「ははは! 手厳しい」
寡黙なアトラがそう皮肉な言葉を呟くと、湯を飲まされたコンガは顔を顰め、ぺネロは額に汗をかきながら何も言い返せず、美楚羅も笑うしかなかった。
血を流し争い合った敵であれ、今は一時休戦中。
同じ湯船に浸かりながら、四人は魔大陸について語り合ったのであった。
野菜に拘りのあるゲストの腹はまだ満たされていない。赤竜船の待機部屋に二品目の料理が運ばれて来た。
「【冷やしトマトの活け造り】、そしてこちらが【炙りトマトのカプレーゼ】」
シロツメ支部の者たちが皿をテーブルの上に静かに置いていく。
出された料理は二種のトマト料理。冷やした生のものと、炭火で火を通し間にチーズを挟んだもの。どちらもなんともシンプルな調理法であった。
ゲストの痩せ男は、しばらく提供された皿を睨んだ末に、フォークを手に取りそれらを口に運び始めた。
しかし生のトマトを一口食した際にゲストの男はすぐに手を止め、フォークを置き言い放った。
「2点」
「ってぇ、またぁ!?」
「トマトの鮮度が悪い。甘味酸味ともに生食向きには不適格。とても活け造りなどとぬかし食えたものではない。冷やし方も不十分、さらに用意されたソースの味にトマト自体がついていけていない、これでは水風船にタレを付けて食べているのと変わらん。0点、よって間を取って2点だ。あと野菜炒めを持ってこい」
またも総評は辛口の2点。ゲストの痩せ男は、活け造りの不出来さを辛辣に評した。
これにはリリスも押し黙る。もっともらしく聞こえた男の詳細なレビューに、ぐうの音も出なかったのだ。
「なるほどね」
「なるほどじゃないでしょ……はぁ……」
顎に手を当て呑気に頷くアキト。しかし今更なにか気づきを得た振りをしても遅い。
やはり野菜炒めを出さない限り高評価は得られないのか。予想通りとも言える低評価をもらってしまったリリスは溜息をついた。
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一方、シロツメ支部の皆の乗る赤竜船と、首を並べて海に浮かぶ青竜船の船内では──。
「【風のソルトコーンスープ】と、【火のOKAKA豆腐ハンバーグ】だ熱いうちに食え」
飴色の髪をしたこちらのコックも二品を提供。テーブルクロスの敷かれた机上に配膳されていく。
さっそくゲストの太った男は、器に盛られたなめらかなコーンスープの匂いを嗅ぎ、鉄板皿にジュージューと音を鳴らす白いハンバーグをむすっとした表情で見つめる。
しかしその心踊らない音を聞くだけでこの料理が偽物であることを、ゲストの太った男ミーシャ・クーポが見抜けない訳がない。
「むむぅ……むむむむむむむっっ、こんなもの食えるかあああ!!! いいかげん、ミーのお肉はまだなのか!!」
彼がオーダーしたのは肉、お肉。この料理にはどちらも肉が1gも含まれていない。とてもヘルシーな献立に、ミーシャ・クーポは机に両手を叩きつけた。
こぼれるコーンスープを見ながら、飴色髪のコックは目を細めた。
「あぁ? 俺だってこんなもの、好き好んで作りたくねぇんだ。仕方なく作ってやったんだよ。ガキじゃねぇなら黙って食いやがれ。あんまりうるさいと船の下に叩き落とすぞ」
コック自身もこのような料理を提供したのは不本意。他に誰も料理を作ろうとしなかったので、とりあえず手に入れた二種のちんけな食材を使い、できるだけゲストの注文に従い仕上げたまでである。
飴色髪のコック、ペコロ・ココットはそんな事も知らずに喚く客に向かい、強い言葉で脅しかかった。
「ひいっ!? とにかくお肉を持ってくるのだ! この三流コック! このミーをこのような不味い料理で、いつまでも待たせられると思うな!」
「三流……?」
「三流」という聞き捨てならない言葉を聞き、船室の壁を左の手のひらが打つ。
「ッ……フフンッ! 何を言われてもミーはお肉しか口に入れとうないのだ! こんなものマイナス一兆点! ミーの繊細な口と舌が汚れるだけなのだ!」
小国ドーラの第六王子、ミーシャ・クーポは自分でも牧場を経営するほどのお肉好き。鶏肉、牛肉、豚肉、羊肉に魔物肉。この世のありとあらゆる肉料理を食べてきた肉のスペシャリストにして食通だ。
そんな彼がとうもろこしや豆腐などを己の喉に通す訳がない。その口は肉汁を満たし、その歯は肉を噛むためにあるのだ。
「チッ、このおでぶ言わせておけば。……まったく、とんだわがままなやつだな」
静かに呟いたペコロは、やかましいゲストの居座る待機部屋を出て行った。
甲板の上に移動したコックは、コーンスープを頂きながら首を傾げる。
「……なんだこれは、まるで安っぽいぜ」
出来に満足しなかったのか、彼は愚痴を吐き捨てる。
コック帽を脱いだ飴色の髪が海風に揺れる。
青竜船の帆柱にもたれながら彼がだられていると、吹く横風と共に、紙が一枚目の前を流れてきた。
ペコロは不出来なコーンスープを傍に置き、今宙に流れてきたそれを手に取った。
「どれどれ……次の調達リストか。────チッ、また玉ねぎはねぇのかよ。これで俺に料理をしろって舐めているのかこいつら! まったく……あぁっ?」
リストを眺め、凝らした目のまま顔を顰めた。
ペコロがある食材が無いことに不満の言葉を独り、ぶち撒けていると──。
指に摘んでいた紙が、視界に不意に現れた何者かの手に攫われていく。
黒い服、黒いコック帽。一枚のリストを無断で持っていったのは、同じ船に乗るコック仲間だ。
腰元にただの包丁にしては長めの何かを携えて、その男の背は橋へと向かっていく。
(……料理人の手じゃねぇ)
ペコロ・ココットはじっと、遠くなっていくその男の手を凝視する。
「俺は料理人だぜ。不味いコースはご勘弁だ」
残りの冷めたコーンスープを飲み干し、やがて立ち上がった一介のコックは、橋を渡る怪しい影の動向に注視した──。