トランプメン 〜異世界で道化師プレイをつづけた結果、大変なことになったその男の末路〜 作:山下敬雄
彩光都市シロツメ。バークローズ・タワーハウス13階にて──。
窓辺をつつくのは、こんな朝から働き者の一羽の烏。
お行儀の良いノックに、室内から振り向いた彼は翳した手の魔力で窓を開く。
すると招き入れた漆黒の一羽は、彼の枕元にブツを渡すと、彼の袖内から金貨を一枚、器用に嘴に咥えた。そして、早朝の白い空へとまた飛び去っていった。
一羽の配達員により運ばれてきた世界新聞のインクの匂いは、相変わらずきな臭い。
「トランプメン、またも騎士団員を殺害。現場には一輪の青い花──」
新聞を広げたアキトはその不穏な紙面を見下ろし、欠伸の後に薄い笑みを浮かべた。
(勝手に増えていく彼の罪、歪に膨らむ邪なペルソナ。世間はよほどあの不気味な道化師に、ほつれた穴に臭い物を埋めるような、都合の良い役割を求めているらしい。──いいよ、今は休業中だ。名前とその手作りの仮面くらい好きに使うといい…………と言ってももうジブン個人の処理できる範疇を超えてきている……。はぁ、どうにかして名前の使用料だけでも取れないものか? それとも彼のテーマソングでも考えておくべきだったか? なぁーんてね、アハは)
近頃すっかりフリー素材と化した仮面模様違いのトランプメンより今は、タイキたちのいるise会シロツメ支部の事に彼は夢中だ。
目を瞑っておこう。そう思い彼が興味の失せた新聞を閉じようとしたその時──隣でシルクのシーツが擦れる音がした。
艶やかな黒髪をこぼし、裸身を晒したまま這い出してきたのは、クラン員のフミ・ソメイだ。
チャームポイントの太眉の眉間に皺を寄せたソメイは、静かに唸り声の寝言を呟きながら、やがてその目を開ける。
新聞の擦れる音と、横から射し込む朝日が眩しかったのか。ベッドの上で今目覚めた彼女。乱れた髪のまま、眠たそうなその目を呑気にこすっている。
まだ頭の冴えない彼女はぼーっと天を見上げた後、突然パッと何かを思い出したように上体を素速く起こした。そして、いきなり隣の彼の膝上にあった新聞紙を奪った。
「おいおいどうしたんだい? そのようなことを。こらこらお尻まで向けて? 天啓でも得たのかい?」
彼女は彼と言葉を交わすより先に、ベッドから降り近場にあった筆を執った。粗悪な紙質の新聞紙の上に、構わず塗りつぶす墨が躍る。
「アキトっ!」
「なるほど? フフ、そう来たか」
【夜狩】【騒乱】──ソメイが今両手で広げて持った新聞に、力強く書かれた二つの言葉にアキトは微笑った。
さらに顎をさすっていたその手を前方へと流し、アキトは、墨で白肌を汚したそんな天真爛漫な彼女に、こう問うた。
「その天啓……どっちが勝つか──視えたかい?」
「うむ、もちろんだ! ん〜……ンーーっ……強い方だ!」
強く念じるように思い出した末に、そう、ソメイは力強く言い放った。彼女の顎先に、長い彼の指先が届き触れる。
「……いいね♪──面白いっ」
アキトは頷き笑うソメイの裸体を隠していた新聞を放り捨てた。真っ白なシーツの上に、引き戻された豊かな黒髪が乱れる。墨に鼻をよごした白肌の彼女が、こそばゆそうに笑った。
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⬜︎
【
主に魔物の発生を抑えるために年に数度ギルド側が主催し行われる合同のクエスト。
森の各地に設置した観測ミラーに異常な発光現象と一定水準を超える異常数値が見られた時に、危険を予測して行う日程とその段取りを決める。
都市の光へと向かう恐れのある不浄な森の怒りを鎮める、そんな代々執り行われてきた儀式的な意味もあるものだ。
ここでギルドへの信頼を勝ち取り威信を示すために、クラン単位での参加となることが多い。有名クランはほぼこの名誉ある夜狩りに、ベストメンバーを揃えて参戦している。
⬜︎
ミラーの織りなす彩光煌めく美しきシロツメの街を背に、闇に沈む森の入り口へ集う色とりどりのマントと甲冑。鉄の音と、靴の音が入り乱れる。冒険者たちは今夜はまだ眠れないようだ。
今宵、夜の森の前にぞろぞろと影を重ね集まったのは、彩光都市シロツメに拠点を置き活動する様々なクランの面々。
ise会シロツメ支部の冒険者たちも参加したこの【夜狩り】に向けた最終の編成を整えている。
そして先に待機場所で待っていたタイキとリリスの班の元に少し遅れて現れたのは、あの男。
「おーい、こっちだアキトぉ〜!」
大声で手を振り旗を振り、ソメイが今悠然と歩いて現れた黒い三つ編みの彼のことを呼ぶ。
「アハは、君もそこにいたかソメイちゃん、僥倖だ。そして──やぁ、待たせたねタイキとイチゴちゃん」
「アキトさんっ!」
「て遅いわよっ、もう支部長からのブリーフィングも終わったって言うのに!」
タイキが笑顔で手を振り、対照的にリリスがご挨拶とばかりに遅刻したアキトに、ちくりと苦言を呈した。
「ブリーフィングか? んー、それならどうせ簡易なものだろう。ならジブンが出なくても問題はそれほどないだろう? 君たち戦闘班は戦闘に集中するように、あの支部長ならたぶんそう気遣ってくれているよ」
「え、そうなのっ!?(あれで簡易!?)」
「うむっ! より詳しい作戦とこれから挑む行軍ルートについては、旗手を務める私が支部長から伺っているぞ!」
「そゆこと、ふふふ」
夜の森の前でクラン員を集め、支部長のミタライから一度された簡易なブリーフィング。それより詳しい作戦内容は、タイキやリリスのような戦闘班ではなく、ソメイたちのようなバックアップメンバーに叩き込まれていた。一班に一人当てがわれた行軍ルートを指揮する旗手を務めるのが、タイキたちのいる第二パーティーでは今回はソメイになっていた。
「それに遅刻はジブンだけじゃないみたいだ」
遅れてきたのはアキトだけではない。アキトの横顔の先を居合わせた皆が振り返ると──。
「あれっ、アジバさん?」
「おぉー、君たち奇遇だなぁ? ははは」
見慣れた小麦色のスーツを着た者が、そこには一人歩き近づいて来た。今タイキの声に応えた暢気な声の主は、一本の戦斧を背負い、どこか白々しく笑うギルド職員のアジバだった。
「なぁんで職員がここにいるのよぉー?」
場違いな場所に現れニヤつくアジバに、リリスは早速その理由を問う。
「まぁ、夜狩りをやるってんで不正がないよう公正な記録係が必要だろ? ise会と言えばバークローズ王国でも三大超大手クラン、その支部もシロツメでも大手だ。それに今や飛ぶ鳥を落とす勢いである君たちの活躍ぶりも、レポートにびっちり書かせてもらいたいからな」
「わ、分かったけど、なんでそれであんたが自らなのよぉ?」
「そこは担当だからなっ! 普段尽くしているんだ、観戦チケットぐらい貰えてもいいだろ?」
「観戦チケットって……はぁ呑気。って普段尽くしてるってどこがよーっ! ……まったく」
話は分かるが人選には首を傾げたくなるものだ。リリスは相変わらずのこのギルド職員の男の調子に呆れる。
「普段の口ぶりから職員向きではないと思っていたよ」
二人の他愛無いやり取りを見ていたアキトが、皮肉か事実か分からないことを言った。
「ははは、あいにく〝それ〟よく注意される! まぁ、そういうことだから頼んだぞ期待のルーキーたち」
「そこはルーキーじゃないでしょっ!」
アジバ職員が話をいい感じに締めようとしたが、締まらない。リリスが男の「ルーキー」呼びに噛みついた。
「ああっ失礼した。AAA級のフミ、BB級冒険者タイキとアキト。それにご存知……B級のリリス・アルモンド女子、だったかな?」
「ふんっ、そうそうっ。……って女子は要らないっ!(なんで今度は私だけフルネームっ!?)」
第二パーティー(ise会シロツメ支部)
BB級 タイキ・フジ
B級 リリス・アルモンド
BB級 アキト
AAA級 フミ・ソメイ
記録係 アジバ
以上のメンバーが第二班として今回訪れた夜狩りに挑むことになった。
事前に夜狩りを見越した準備をしていた支部長のミタライは、招集したクラン員たちを四つのパーティーに分けた。そして、その四隊それぞれに適した効果的に魔物を間引く行軍コースを、既に予想し練り上げていた。
その第二パーティーには、売り出し中のタイキたち三人組を筆頭に、案内役と通信役を兼ねたソメイが入る。そして記録係という名目でついてきたアジバ職員をその輪に加えた。
今宵開かれるのは、彩光都市シロツメに滞在する腕利きの冒険者が集まる魔物狩りの祭典。既にise会以外の他のクランの者たちも、夜の森の前に集合している。
「ちょっとこんなにうじゃうじゃ居て、混雑とか大丈夫なの?」
リリスは少し心配そうに問うた。
「大丈夫ではないぞ。クエストの発行と夜狩りの主催者はこちらギルド側だが、森での力関係は各クラン、即ち冒険者たち側が優勢だからな。森の中では基本、血の気の多い冒険者たちの譲り合い精神に委ねられることになる。いざこざなんて日常茶飯事だ。だからこそ、クラン章の入ったその威圧感のある
するとギルド職員のアジバが懇切丁寧に彼女に教えた。第二隊に入ったクラン章を掲げる旗手役のソメイの存在は、ただの道案内だけではないようだ。冒険者たちの混雑が予想される森の中では、ise会シロツメ支部の旗印には、他の冒険者を寄せ付けない一定の効果も期待できるという寸法だ。
「な、なるほどっ?」
「ご丁寧にどうもだアジバ職員。喧嘩の仲裁はギルドはしてくれないようだね。しかし、ブリーフィングで聞いていなかったのかい?」
「ぬぎっ!? そ、それは……再確認よ再確認っ!」
「「ほぉ」」
「ほぉって何よ、ほぉって……」
「リリス、大丈夫だ。皆、今夜は魔物を倒しに来ているんだからっ。たとえ協力してくれなくても目的は同じっ! 任せるとこは任せて、俺たちは倒せる敵を倒そうっ!」
「そ、そうねっタイキ!」
「ふふ、同意だね。奪い合うよりお互いの実力に見合った敵を倒す。指揮官がバラバラなこういった集団クエストではそれが賢い。そして、他のクランが動き出したおかげでこうしてジブンたちは、ハーブティーも飲んでいられるわけだね」
「うむっ! こっちの水筒に緑茶もあるぞ! カフェインカフェインっ」
「そうそう譲り合い即ち利用し合い。アジバ職員の淹れた薄いコーヒーもあるぞ? 味は保証しないがな。ははは────ところで〝かふぇいん〟ってなんだ?」
そんな大勢の冒険者たちが挑む夜狩りの開始時刻は夜十時から。そして朝を迎えるまでには全員帰還が目標だ。もっともその目標が達成されたことはない。しかし万が一に備えて、ギルド側が用意した捜索部隊も後に控えている。
そしてもう既に、他のクランの冒険者たちの幾つかは森へと向けて出発している。
タイキたち第二隊は、四方に置かれていた風除けの陣幕の中で、優雅に茶を飲みその出発の合図を待っていた。
「アジバ殿、それもカフェっ──おおっ!? アキトっタイキリリス! 来たようだぞっ! 時がっ!」
ソメイ特製の筆のような槍の武器に、クランise会の刺繍が施された旗が巻きついている。
風に好きに靡いていたその一枚の幟が、今、急に幻想的な緑の光を宿し、旗の音が静まった。
それは第二隊へと伝った、支部長ミタライからの魔力のこもった出発の合図だ。
「さぁて、お手並み拝見」
腰掛けていた切り株の椅子から立ち、斧を背に担いだアジバがニヤリと笑う。
「記録する気あんの? はぁ、──タイキは準備いい?」
リリスの問いかけに、タイキは力強く頷いた。
「あぁっ。……リリス、アキトさん、アジバさん、ソメイちゃんさんっ! ──行こう!!」
目を合わせ、一人一人の名前を呼ぶ。それは、彼が心からこの仲間を信頼している証だった。
皆が青髪の彼に頷き、微笑い、それぞれの武器を手に取る。
勇ましく立ち上がった一人の剣士の背にする緑のマントが、夜風に大きく翻った。
蛍のように宵闇に灯る緑光の旗が、覚悟を決めた冒険者たちのことを、道を
五人の影は、光り輝くシロツメの街を背に、妖しくざわめく魔の森の中へと踏み込んでいった────。
▼
▽
ここは都市シロツメで東の森に一番近い整備中の新区画。今すれ違った、街中から森の方に一人向かう外套の少年の背を、二人の中年の男たちが振り返り眺めた。
「あっちは森の方だ、まさかあんな子供もこれから夜狩りに出るのかよ。ギルドは人手不足か?」
仕事帰りの資材運び屋のウトウは、遠のく少年の背を訝しみ見た。東の森ウッドフットは夜狩りの最中、決して子供の遊び場ではない。だが、注意し引き戻すにもその背はもう遠い。少年は迷いなくその歩幅を変えず、暗がりの路地を歩いていた。
「何言ってんだ、良いギフトがあれば子供であれ戦力なんだよ。それになんだか戦う顔をしているようにも見えたぜ、ありゃ?」
同じく運び屋のヘンダは、さっきすれ違った少年のしていた顔が少し気になったようだ。冒険者界隈に明るいマニアでもある彼は、友人のウトウの軽口へと違う意見を差し込んだ。
「いやいやギフトなんかより大事なのは魔力の量だろっ。それと筋肉!」
すると突然、右腕を捲り上げたウトウは、頼り甲斐のある筋肉と力こぶを作って見せた。彼は生業とする運搬業でも重宝されるほどの力持ちだ。
「はは、それだけじゃあるレベルになるとよっぽどじゃないと通用しねぇのよ。それこそ達人クラスじゃないとな。だからこそギフト次第で即戦力になる異世界人の助っ人が重宝されるわけっ」
「相変わらずくどくど言いやがってよォ。おい、だけどもガライヤにもギフト持ちはいるだろうが? 異世界人ってのは何も上位互換じゃねぇんだろ?」
溜息を吐き、そのご自慢の筋肉を見せつけるのをやめたウトウは、始まったヘンダのマニアックな冒険者話に付き合いまた問い返した。彼はへらへらと笑うヘンダの上から目線の異世界人贔屓が、どこか気に食わなかったようだ。夜の冷たい虚空に向かい、その拳でスパーリングを始めた。
「まぁな、ガライヤにも魔物狩りを続けてきた厚い戦いの歴史があるからな。精鋭たる王国の騎士団にはガライヤ人の血統もまだまだ多いし、この世界のどこかにはお前の筋肉ばりに鍛えられた魔力お化けも中にはいるって話だぜ。でも異世界人ってのは特別──みんな何故だかこぞってギフト持ちが当たり前だって噂だ、ハズレもあるがそもそもの当たりの数がちげぇのっ」
「おいおいなんで俺たちにはその有り余ってるギフトをくれねぇんだよ? 神様は馬鹿なのか? けっ、他所者優遇の政策に俺は誓って異議を唱えるぜ!」
「はははやめろ馬鹿。木彫りの神様からたまらずビンタのギフトが飛んでくるっ。はははそれによ、仮にお前がギフト持ちでもきっと、〝魔力を使っていつでも屁をこける能力〟ぐらいにしかなんねぇよ」
「はぁ? なんだと? くらえっ俺の渾身のギフトっ!!」
「ははははくっっっさっ!? ってぅお!?」
道端でふざけ合って歩いていた二人の男。不意打ち気味で放たれたウトウからの強烈なギフトに、鼻腔から危険を感じ取ったヘンダの身が思わず左へと避けて流れた。
その時、ヘンダは何かに足を引っ掛けて転んでしまった。振り返ると、そこには石壁に持たれて座る黒い外套の誰かがいた。
おそらくその者の足に引っ掛けたんだろう。そう思ったヘンダは、後ろにいたその黒い外套の者に向かい謝った。
「あーすまねぇっ! この辺は拡張したての区画でっっ──おぉ?」
余計ないざこざを危惧したヘンダが即座に謝るも──返事はない。
すると、道の左端、石壁の暗がりにもたれていた黒い外套の肩が、今ゆっくりと左に向かい倒れた。
「お、おぃい!?」
「おい待て待て、し、しんでる……? しんでるんじゃないか、そいつ!? っておい迂闊に触るなって! 浮浪者か酔っ払いか知らねぇが変な病気になるぞ!」
ヘンダは黒い外套が力なく倒れた姿に驚いた。同じくその様を隣で見ていたウトウは、死体かもしれないそれに近づこうとした友人のヘンダを呼び止めるが──。
「これは……BBB級の認証ミラー? しかもエメラルドクロウじゃないぞ?」
怯えるウトウを余所に、マニアの好奇心が恐怖に打ち勝ったヘンダが死体にぐっと近く歩み寄る。そして、失礼しながらもまさぐったその胸元で、鈍く光る黄色い首飾りを見つけた。
息絶えたように冷たい路に転がっているのは、ヘンダの見立てによると、ここシロツメのギルドの者ではないらしい。だが、それはBBB級の実力者を示す威厳ある証であった。
「トリプルビー!? おいまじかよ、お前冒険者オタクだからって、また間違った知識自慢を」
「いや、等級を示すミラーの刻印は全ギルド共通だ、間違いはねぇぞ。……ん〜と、この黄色いのはどこの地域のギルドだったか……?」
「おい、そんなことはどうでもいいって! なななんでうっかりこんな辺鄙な場所で死んでんだよ……そんなものっ……故郷にも帰れてねぇじゃねぇか?」
不可解、そして不気味な死体を前にウトウは震える声で言った。故郷を離れた地で、名もなきこんな変哲のない路地で、命を落とした強者の成れの果てが目の前にある。
「あぁ……とにかくこれは物騒だぞ」
「どうすんだ?」
「ツいてねぇ……きっと神様に見放されたんだ。とりあえず手を合わせて、こいつは酒代にしよう。……飲み直すか」
「あぁー、そっ、そりゃいいっ!! なんかぶるっと、冷えてきたしなっ。あそこの酒場で冒険者談義でもしながら、夜狩りの終わりを待つか」
「だなっ!」
どことなく漂ってきた生臭い死臭から逃げるように、二人は人気のない内にその場を足早に去っていった。
名も知らぬ顔も知らぬ一冒険者の死を丁重に悼む心など、この都市の端くれには存在しない。今宵は暖かい酒場で夜狩りの終わりの報せを待つ方が、彼らにとっては幸福な選択であった。
中年の男たち、二人の背中が営業中の賑やかな酒場の明かりに吸い込まれていく。
道端の陰にひっそりと残された死体。そのはだけた黒いフードの裏から──一枚の紙切れが、気まぐれな風に吹かれて舞い上がった。
【休業撤回♡】
謎のメッセージが、冷たくなったただの屍の上を通り過ぎ、騒ぐ森の方へとひらひらと流れ消えていった。
▼
▽
深い闇に包まれた東の森ウッドフット。
自らの意思で足を踏み入れ、その鬱蒼とした地の中へと迷い込んだ冒険者たちは、時に牙を剥く魔物たちの脅威にその武と魔力で打ち勝ち、時に恐怖を慣れて忘れ、更なる宝と武功を求め、血気盛んに森の奥へと挑むのであった。
「貰ったァ!!」
槍使いのスピルは渾身の突きを放った。隙を縫うように前方へと走った鉄の槍の穂先は、一体のウッドコングの右胸を貫いた。
槍を引き抜き、息の根を止める更なる追撃を加えようとしたスピルであったが──ウッドコングのその鋼鉄のような筋肉に挟み込まれ、握る槍を素早く引き抜くことができなかった。
「んぬぬっ!!? 抜けナッ!?」
穂先、柄まで埋もれた槍。深く抉りすぎた。それが逆に仇となったのか、スピルが必死にもたついている間にも、痛みに激昂したウッドコングがその太い腕を振るった。
槍は無残に叩き折られ、スピルは暴れるウッドコングに木の葉のように後ろへと吹き飛ばされた。
「クソッ、くたばりやがれっ!」
後方に控えていた弓使いのアロキが、震える手で弦を引き絞る。放たれた矢はしかし、狂乱する獣の動きの変化を捉えられない。厚い毛皮を掠めるに留まった。
外してしまった──。焦燥に駆られ、彼は背中の矢筒に手を伸ばすが──その指先はぶつからない。空の矢筒の感触に、アロキの額から顎先へと冷や汗が流れた。
「嘘だろ……もう少しだっての……ぬぃ!?」
しかし相手は手負いの獣、矢さえ回収できれば仕留めることができる。立ち並ぶ木の幹に刺さった再利用可能な矢を見つけたアロキは、同時に見つけてはならないものを見つけてしまった。
驚愕するその目に映ったのは、木々の間、後方から現れたもう一体のウッドコング。矢傷も槍傷も付いていない新品のウッドコングだ。
AAA級のウッドコングが二体。頼りとしていた武器を失ったAA級の冒険者スピルとアロキは、今リンクするように怒った森の獣の重なる咆哮に戦慄した。
太い前腕で地を掻き、強靭な後ろ足で前へと爆進する。一直線に向かって来た二体のウッドコング。
森で魔物を討つにつれ、緊張が解れ忘れていた恐怖を二人は今になって思い出す。
魔物は容赦なく牙を剥く、愚かな愚かな冒険者たちへと──。
だが、その時──。
鼓膜を震わせる轟音と共に、夜の闇を青白い雷光が焼き切った。
天から降り注いだ一筋の雷撃。情けなく尻餅をつき倒れていたスピル、そんな彼のもう爪先近くまで駆けていた獣が、突然雷に撃たれ──直立の万歳をしながら、後ろへと崩れ落ちた。
間髪入れず、闇の奥から揺らめく火の玉が飛来した。吸い込まれるように着弾したのは、木の幹を背にするアロキを追い詰めていた一匹のウッドコングの顔面。
ちょうど真横から直撃し、激しい爆炎が噴き上がった。森の暴君と呼ばれた魔物の頭部を無慈悲に吹き飛ばした。
「ぅおわっ!? なっ、なんだ!?」
アロキは今、前のめりに倒れ込んできた首なしのウッドコングの巨体を、なんとか避けた。
やがて、黙り倒れていた二体の獣の巨体が光と化して失せていく。淡い発光現象が終わると、『からん』と硬い音が鳴る。それは魔物の核であるミラーの欠片が、地に落ちた音だった。
「大丈夫、立てるかい?」
尻餅をついていた槍使いのスピルに、穏やかな声がかけられた。スピルが顔を上げると、そこには──握る剣に雷の残滓を纏わせた、青い髪の少年が今、緑のマントの背を振り返り立っていた。
その程度の獲物では満足していないというのか、まだバチバチと唸りを上げる雷剣。スピルは、青髪の剣士が見せる穏やかな笑顔とは裏腹のそれに、顔を引き攣らせながらも礼を言った。
「あっ、あぁ……助かった。あんたらは……」
「おい、向こうっ! 近づいて来るあの光ってる旗……〝ise会〟の連中か!?」
指を差す弓使いアロキの叫びに、槍使いのスピルも目を見開く。
AA級の二人の見つめる暗がりから近づいて来たのは、幻想的に灯る緑光の幟を堂々と掲げる、そんな一人の黒髪の女の姿。三大クランの一角、ise会シロツメ支部の象徴だ。
「ちょっと、戦う武器がないならないで大人しく戻ってなさいよ。余計な魔力使っちゃったじゃない?」
その光る旗印の後に続き現れたのは、不機嫌そうに古杖を弄ぶ赤髪の魔術師、リリスだ。その皮肉めいた言葉に続いて、同行していたギルド職員のアジバが、今遭遇した二人の冒険者の前へ出た。
「引き際を見極めるのも実力のうちだぞ。捜索隊に見つかって救助費用を毟られる前に、一介のギルド職員としてはっ、ここは一旦街へ戻られることを提案するっ! せっかく集めた成果までおしゃかになっちゃ、勿体ないだろ?」
アジバは足元に転がっていたウッドコングのミラーを一つ拾い上げると、呆然とする冒険者の一人へ無造作に放り投げた。
その小麦色のスーツはギルド職員に違いない。そんなアジバ職員の提案に説得力を感じたのか、アロキは受け取ったミラーを空になった矢筒の中へと詰めた。
「わ、わかった! あんたらも、深入りには気をつけてくれ! それと帰ったら何か一杯、礼をさせてくれっ!」
アロキがそう早口で言い残すと、命拾いした二人のAA級冒険者は、来た道へと脱兎のごとく駆け出していった。
「助けてもらっておいて余計なお世話よぉ! 礼は……ありだけどっ!」
リリスが吐き捨てるように、去っていった彼らの方へと叫び返す。その横で、アジバが落ちていたもう一つのミラーの欠片をちゃっかりと、収納袋の中へと収めながらニヤリと笑った。
「いいじゃないか。おたくらの鋭い剣と熱い魔法のおかげで、迷子になっていた連中も少しは頭が冷えたんだろうよ。これ一枚は、駄賃だな? ははは」
「そうだね。けれどもジブンたちのピクニックは、まだ始まったばかりだ。玉手箱もなしに帰るにはまだ早い……だろう、タイキ?」
三つ編みの髪を揺らし、遅れて追いついたアキトが楽しげに問いかける。
アキトと目を合わせたタイキは、抜いたままであった剣をぐっと握り直す。そして、騒ぐ獣の声と、不気味な風に葉を揺らがせる深い森の奥を、その赤い眼で見据えた。
「あぁっ! アキトさんっ! もしかするとウッドコングより強いのが出ているかもしれない。皆、このまま先へ行こう!」
「うむ、任せろ!」
タイキの曇りと迷いのない声を聞いたソメイが、同じぐらい勇ましく筆槍に巻かれた旗を振りかざす。
緑光の旗印に導かれ、タイキ率いる第二パーティーはさらなる魔の森の深部へと、足並みを揃え再び進み始めた。
後編につづく