トランプメン 〜異世界で道化師プレイをつづけた結果、大変なことになったその男の末路〜 作:山下敬雄
赤き火炎を吹き飛ばしたアトラの右手。
被りの食材を賭けた船上の戦い、その開始早々から状況を目まぐるしく変えていく。
不意打ちに失敗し、驚愕の表情を浮かべていた料理人は、しかし──。
黒いコック帽子をおもむろに脱ぎながら、深々とその場で一礼してみせた。
「私は
「──?」
やがて顔を上げた料理人ぺネロ・ペッパーは、怪しく口角を吊り上げた。
アトラが促されるままに握りしめていた己の拳を確認すると──。
「何? なんか……赤くなってる?」
「これまた一風変わったコースだね」
リリスやアキト、仲間たちの遠目にもアトラの拳は肌色よりも赤く色づいているように見えた。
火傷か、何が起こったのか。
先ほどから立ち込める、ツンと鼻を刺激するようなニオイにも、アトラはどこか違和感を覚えた。
「粉末状にし火と共に吹かしたそいつは、【戦士のカラネロ】と言ってな。俺の故郷の村の戦士たちは皆、大事な戦の前にこれを齧り、そうして体内を温め宿した火の神の魔力を己の味方に付けたと言われている。そしてある時、その強さに慄いた大国の使者が、村に忍び込み我らの秘蔵のカラネロを盗み出そうと企んだが、もぎ取り手にしたその瞬間に激痛に襲われ、誰もまともに触れることさえできなかったと言う。……つまり、その偉大なる火の粉をお前は今浴びてしまったのだ。どうだ、もうまともに動けなくなるほどの耐え難き辛さだろう?」
【戦士のカラネロ】──今ぺネロ・ペッパーが指に摘んで説明した、彼の村に伝わる特別な魔辛子。
それを粉末状にした物を忍ばせた口から飛ばし、先ほどの激しい火吹きを披露したのだと言う。
耐性を持たぬ村の戦士以外は触れるだけでもヒリヒリとする激痛を伴い、一度ニオイを嗅いだだけでも涙をだくだくと流すとされる、この魔辛子カラネロ。
いかなる手を用いて火炎を吹き飛ばしてみせても、粉末状にしたこの攻撃の残滓までは避けられない。
それはただの火炎ではない、ただの火の粉でもない。激丁の名を冠する料理人ぺネロ・ペッパーの用意した、地獄と天国を同時に味わえる特製のスパイスの効いた火であった。
常人ならばもうその右手を侵した激痛に耐えきれず、デッキの上で悶えのたうち回っていてもおかしくはない頃合いだ。
だが、ぺネロがしたり顔で視界に据えたアトラは依然、その表情を変えない。
変えない──
変わらない──
鼻の頭から汗粒一つ、黒いスーツを纏うそいつは流さない。
「──いや、全然」
やがて、アトラは赤く染まった己の手の甲を、まるで猫が前足の毛繕いをするようにゆっくりと舐め出した。
彼の味蕾を刺激したそれは、地獄の味にしては甘く、天国の味にしては物足りなくて不味い。
これを立っても居られぬ激痛と呼ぶならば、故郷の村の赤子も笑い泣くことだろう。
緑毛の獣は不敵にも、少し痺れた舌を出す。
慄く事を知らない琥珀色の眼光は、己に向けられたそのしたり顔を逃さない。
アトラはただ鋭く、激丁ぺネロ・ペッパーの浮かべる薄汚い余裕が崩れるまで、その顔面を睨み据えつづけた。