トランプメン 〜異世界で道化師プレイをつづけた結果、大変なことになったその男の末路〜 作:山下敬雄
料理人としての腕を、カラネロの偉大さを、大国の支配を退けた村の一族戦士の強さを知らしめていく。
逃れられないように固く結ばれた熱き互いの両手が、宙に白煙までを上げ始めた。
まるで火の神を身に宿した圧倒的な膂力で、ぺネロはアトラの手をじりじりと捻り、そのまま一気に地へと挫こうとする。
だがしかし、押し込んでいたぺネロの手が途中で止まった。まるで見えない大きな壁にぶち当たったように、何故かそれ以上押せない、いや押し返せない。
「なっ、ぬっ、はっ、カッ、ぐっ!!」
尋常ではない汗が滴り、乾いたデッキの上をぽたりぽたりと濡らしていく。ぺネロが必死の形相で幾度も幾度も力を込めるが、目の前の壁は微動だにしない。
「この勝負……」
「……あぁっ!」
「フフ。悪手だったね。握手だけに」
赤竜船で観戦するミタライ、タイキ、そしてアキトには同じくもう見えていた。
敵のコックとは対照的に浮かべる、涼しい顔。いくら押し潰されようとも決して崩れない、そんな全てを支え切る強靭たるその背姿。そして、まだその身に潜め眠る彼の真のパワーに──。
「なぜだ、この熱さ、このパワー! もう300万スコヴィルは越えているはずだ! ええいっ……ツラかろう、カラかろう! もういい加減に挫けろッ!!」
両手を離さずに挑んだ男同士の力比べ──今更、挫けろと言われて、ただで挫ける奴はいない。
真っ直ぐに突き刺さるその琥珀の瞳の眼光は、ぺネロの焦りと汗、怒りをも最後の一滴まで引き出していく。
「……さんびゃくまん? 俺はまだ──30だ」
表情に乏しいその冷徹な石の仮面をそっと砕くように、アトラは口角を吊り上げ、白い牙を覗かせる。
緑毛の獣が今見せた本性、そして不敵な笑みと共に動かずにいた両手が押し返されていく。
まるで巨大な岩盤に圧されている──その様にも感じた異様異質な怪力に、ぺネロの額・全身から滲み出し流れる汗が止まらない。
「この若造ふざけ、ぶふぁっっ!?」
秘蔵の魔辛子を取り込みブーストした戦士の力をも凌駕する、未知の強大な力を前に──ぺネロは一瞬口元を歪め、頬を大きく膨らませた。
そんな目の前に膨らみ始めた滑稽な面を、対面していたアトラは見逃さず、横薙ぎに吹き飛ばした。
打たれて歪むその口から吹き出したのは、火炎。
盛り上がってきた力比べから逃げようとした男に対して、アトラの振るう制裁の平手打ちが炸裂した。
「俺のメニューは一種だけ。これからお前を強く殴る」
纏う魔力が可視化できるほどに、大きく育った右手を軽く掲げて──シンプルにもそう宣言したアトラは、一歩一歩と甲板上を歩き出す。
「地獄か天国か好きに決めろ。カウントは減りはしないがな。──41、45、51」
平手打ちにより吹き飛ばされたコック服の敵へと向かい、それは拳を武器に、堂々たる足音で歩き続ける。
百の兵士を相手にするよりも、拳を掲げにじり寄る目の前のただ一人の方が──。
ただならぬプレッシャーに滲む汗。転んだ甲板から負けじと立ち上がった激丁ぺネロ・ペッパーは〝動けない〟。
謎のカウントと共に育ち続ける魔力の塊。黄金に輝きを放ち、荒々しく風を押しのけ唸らせる拳が、今振り下ろされようとした時──。
『ピュー』──突然にも鳥が鳴くような風音が、睨み合うアトラとぺネロの視界を横切り、デッキ上に一振りの剣が突き刺さった。
「待てッ!! その勝負そこまでだ! ……我が船に要らぬへそをつくるつもりか? フフフ」
勇ましい女船長の声が、戦士たちの耳をつんざいた。
「勝負はもう見えている」──そう言わんばかりに、神技を取り仕切っていたカタリナ・ゴルドンは水を差し、アトラの振り上げた右の拳に待ったをかけた。
天に掲げられていたその膨大なる黄金の魔力は、パーにし開いた右手と共に、やがて散り失せていく。
「…………どっちの勝ちだ?」
甲板上を渦巻く不気味な風音はまだ止まない。
水を差され中断されたその曖昧な決闘の勝敗を、拳を解いたアトラは女へと問うた。
彼は横から剣を投げ入れた女船長に、納得のいく後始末と覚悟のある答えを要求しているようだ。
そんな1ミリも臆せぬ不遜な態度を見せたアトラのことを、しばらくじっと睨み返したカタリナ船長。
やがて彼女はそうしている事にも飽きたのか、睨んでいた目を逸らし、今度はもう一人の戦士であるぺネロの顔を窺った。
カタリナの向ける鋭い眼と目を合わせたぺネロは、黒いコック服の裾までも多量の汗に染めた格好で、黙ったまま静かに頷いた。
「ということだ。──私にばかり見惚れているな。さっさと食材を持っていけ、ワカメ頭。フフ」
続けた先の勝敗は明白。対峙した本人ほど、そんな事はよく分かる。
汗をかいても、これ以上の恥はかかない。激丁ぺネロ・ペッパーに負けを認めさせ、水を差した女船長カタリナには改めて勝者の宣言をさせた。
新たに温めていた左の拳を、そっと脱力して開く。
アトラは今、文句なしの完全なる勝利を手にしたのだった。