トランプメン 〜異世界で道化師プレイをつづけた結果、大変なことになったその男の末路〜 作:山下敬雄
視界を、スベテを、真っ白に染め上げた狂気の閃光が明けていく────。
右から左へ手の甲で撫でた瞼をゆっくりと開いていくと、そこに広がるのはさっきまで自分たちが存在した鬱蒼とした薄霧の森ではなかった。
土汚れの固まるブーツの裏底に返ってくる感触は硬い。アキトは足元にある大理石の床を確認するように、コンコンと小気味よくつま先を当てて鳴らした。
見上げる頭上には、煌めくクリスタルのシャンデリア。眺める辺りには、数多のテーブルが整然と並ぶが人影はない。そして広々としたこの空間の壁一面には、様々な景色の絵が囲うように飾られていた。
「いないね?」
アキトは誘われたこの場所の様相を把握しつつも周囲に目を配ったが、彼が今一番会いたいターゲットはそこにいなかった。
「ここはおそらく【ミラールーム】。あのスーツの裏に縫い付けていた一つ一つのミラーの飾りが全てそうならば、全員、この迷宮のどこかへと吸い込まれたって感じかな?」
誘われたそこから状況を推測するのは容易かった。周りを敵軍に囲まれ追い込まれたツツミの放ったカウンターの秘策が、この豪華な異空間【ミラールーム】へと敵も味方も巻き込むことにあったのは明らか。そしてそれを主導し可能とする膨大な魔力量をクランマスターのツツミが持っていることも、アキトには分かっていた。
「そして不甲斐ないジブンの代わりに小粋な
綺麗に配列されていたジャケット裏の鏡の連なり、その一部を砕いたのは遠距離から狙い撃ったガーネットのギフトだった。自身を襲った不測の事態の連続にアキトが遅れをとった失策が、なんとも彼女の気の利いたギフトにより救われた形であった。
思わぬ幸運と拾い物にアキトは口角を上げ、目を笑わせた。
「その証拠に──」
床からおもむろに拾い上げたまだぬくもりの残る一粒の石から目を離したアキトは、その場を上機嫌に踵でターンし後ろを振り返った。
右手に付けられたままの手錠が、虚しく鉄音を鳴らし揺れた。振り返るがそこには誰もいない。余った鉄の輪の穴から見つめた何もない景色に、アキトはやがて肩をすくめる。
「しかしそれでは逆に困ったね。アレの相手がまともに務まるのは、今のレベルじゃジブンくらいだろう。そう遠くにいないといいが──」
指を軽妙に弾き鳴らし歩き出したと思えば、また、ふとその場に足を止めたアキト。そして隣のテーブルの上にあった空のシャンパングラスを手に取る。乾いた喉を潤そうと透明なグラスを傾けるが、そこには何も入っていなかった。
それでも空っぽのグラスを、彼は美味しそうに喉を鳴らし飲んでいく。まるでおどけた道化師が、客のいない会場で一人で寂しく芸の練習をしていた──そんな時だった。
アキトの目は、グラスの足底に一瞬だけ映り込んだ背後の不穏な影を捉えた。
するとその殺気立った影は、予想通りにも背後から容赦なく襲いかかってきた。そして、背後から迫る鋭く美しい剣筋を描いた凶刃が、アキトが振り向きざまに素速く抜き放ったレイピアとかち合った。
凄まじい金属音が誰もいないはずのパーティー会場に響き渡る。
「おや、どこかで会ったかな? その顔、追っかけていた有名人にそっくりだ」
「フッ……。サイン代をいただいていないと思ってね」
交えた一合の剣。直後に口にされたアキトの皮肉を受け流したのは、艶やかなピンクの髪をかきあげる男。【ダイヤモンドナイト】のクランマスター、サイトだった。
どうやら昨夜、サインをねだった時のような穏やかな雰囲気をその色男は漂わせてはいない。いくらその美しい面で平静を装おうとも、得体の知れない殺気と執念が腹の内から漏れ出ているのが、アキトの目には透けて見えていた。
ユーモアと気の利いた短いご挨拶を互いに終えると、共鳴し震えていたグラスがついにひび割れた。
微笑を浮かべたまま黙っていたアキトはそのがたくたになったグラスを、高々と上へと放り投げた。シャンデリアの光を乱反射しながら放物線を描き、やがて落ちてきた不完全なグラスが大理石の床に鋭く砕ける音を立てた。
それは取り決めのない無秩序の中で投じた、ささやかな決闘の合図。前へと深く踏み込んだ二人の実力者の刃が、再び火花の星を鮮やかに散らした────。
美しい剣筋を描く両者の剣が噛み合い、ぶつける刃に纏わせた魔力に共鳴したテーブルのグラスが次々に割れていく。
「どこに潜んでいた? キミはこの舞台に関係ないだろう、どういう風の吹き回しだい」
「考えを改めたのさ」
至近距離で鎬を削り、一歩も譲らず睨み合う二人の剣士。どちらも汗ひとつ流さない冷静な顔を浮かべながら、互いに言葉を交わしていく。
「この前の君の言う通りイダイヤは近々陥ちる。今は互いに虫を払う小競り合いの状況だが、行き過ぎたミラーの兵器運用を咎めることを理由に、ディスペリアに戦争を仕掛けられればあの国に未来はない」
「ディスペリアは強力なギフト使いの騎士たちを中心とした王国、イダイヤの職人が作る生活品のミラーツールだけではどうにもならないよ。均衡を保つための兵器化は必然の流れにも見えるが? そうそう不可侵のバリアもある」
落ち着いた両者の声のトーンとは裏腹に、離れては結び合う刃の噛み合う音がまた激しくなった。
「殻に閉じこもったふりをし無害を装う、それでも相手の恐怖心を刺激していることには変わりない。イダイヤ、ディスペリア、ハートフィリア、バークローズ、四大国が互いに不可侵で結んだ【シャッフル条約】ももはや本来の機能を失いかけている。形骸化だ、その気になれば戦争を吹っかける抜け道や口実などいくらでもある。それほどに今のイダイヤの一大看板であるあの気高い王女は、盲目な
「へぇ。国を思った実にいい説教だが……そんな大箱のスケールじゃ箱の外のジブンたちと今ちちくり合う理由にはなっていないよ。それにそのゲームも
アキトは鼻で笑いサイトの刃を受け流す。国同士の大きないざこざが、どうしてミラールームに舞台を密やかに移し繰り広げられている、このシロツメ支部とクロキリ本部の小さな争いに関係があるのか。サイトの回りくどい説教のどこを探しても、明確な答えに見えるものは載っていなかった。
「はっ、それだけの女なら口説くのは簡単だがね。──理由ならあるさ。この降って湧いてきた殲滅作戦に協力すれば【ise会】その八大本部、多大な存在感と権限を持つ豪華なその末席へと我々【ダイヤモンドナイト】のことを推薦してくれるのだと、以前酒を酌み交わしたあの男が言っていたよ」
問われたサイトは秘めていたその企みをあっさりと白状した。クロキリやサイカンなどのise会八大本部と言われる彼らの末席に、ここで功績を上げ自分たちダイヤモンドナイトが新たに加入する、それが彼の本当の狙いであった。
「ふふ、それでは都落ちじゃないか。石鹸売りとアイドルを続けた方がいい」
「君にとってはそうでも僕にとってはそうでない! お飾りの役割はもう十分にまっとうした。時代を変えうるのは国じゃない、僕たち冒険者クランだ!」
意地悪な皮肉を被せるアキトに対して、サイトは声を上げ高らかに宣言し返した。
「クランなんて名ばかりの異世界連中の田舎くさい互助会が、果たしてスタイリッシュなだけの君たちを受け入れるかな!」
「君の首を取ればね。ここでっ!」
尽きぬ言葉の応酬の末に、テンションと魔力を温め高め合った二人が同時に振るった刃が、強く弾け、押しのけ合う。
「──【バブルポップ】!!」
互角の刃を押し付け合い、生じた魔力の衝撃で離れた両者。その瞬間、見開いたサイトの瞳に一際強い光が宿る。
不意をつき口元から吹かせた泡粒のギフトが、体勢を崩したアキトに向かい一斉に襲いかかった。
視界一面を埋め尽くした光り輝く泡粒の群れが、鋭く虚空に踊らせたレイピアの刃に、その魔力に覆われ強化された膜を一突きに割られていく。
「BB級の冒険者が、高く見られたものだ。フフ──首は洗ったよ?」
小気味のいい破裂音を背に流しながら、無傷の黒髪の剣士がレイピアの切先をお相手の喉元に向ける。未知のギフトを引き出させたサイトのことを、刃を頷くように揺らし余裕げに挑発した。
際限なく襲いくる泡粒をアキトはレイピア一本で器用に対処する。だが、その中で魔力の密度が一際異なる泡粒が何点か混ぜられていることを、アキトは魔力のフィルターを通した己の目で視認しながら見抜いた。
(爆発する泡を混ぜたか)
今レイピアで突いた泡粒は、ハズレ。膜が弾ける瞬間にアキトの目の前で爆ぜた。
さらにその煙る爆発に乗じて、サイトが滑るように高速の剣で襲いかかる。
「もらった!」
視界・足場・タイミング。計算をし尽くした戦略で頭の中に思い描いたように、アキトをついに追い詰めたサイトが致命の剣を繰り出した。
このギフトと剣のコンボで今まで倒せなかった敵はいない。美しい流れ、そしてサイトの中にある絶対の自信から駆け抜けた刃だった、だが──。
「避けっ──!?」
駆け抜けた刃は狙いだった敵の首を外し、虚しくも空を切った。
そして高速で滑走する敵の驚愕した面を、アキトは左足を振り上げて、すれ違いざまに蹴り飛ばした。
「ぅ!?」
顔に直撃した予想外の一蹴りに、宙に身まで飛ばされたサイトは、なんとかぐらついた両足をつけてその場に倒れずに着地した。
「【スーパースニーカー】。ジブンは足元にもこだわりがあってね。ここぐらいは金をかけている。ちょっとやそっとのお風呂場の泡で足を取られやしないさ。ちなみに、ジブンのプロデュース」
天に突き上げた足裏を、鼻を抑えた色男へと見せつけるアキト。偽装していた安いブーツの皮が剥がれ落ち、近代的なスニーカーがその姿を現した。可視化できるほどの精密な魔力が足裏の溝に沿い流れている。
床の大理石を汚した泡やシャボン液に、冒険者アキトは足を取られやしない。いかなる足場でも満足にパフォーマンスを発揮できるように、彼は自分の開発した技術を結集した高級スニーカーをその両足に隠し履いていた。
サイトは美顔から滴り垂れた鼻血を手に拭う。そして息を深く吸い込むと、また──。
「まぐれとハッタリでつけ上がるな! 爆ぜろ【バブルポップ】!」
怒りの形相に変え、口元から次々と吹きつける泡粒の群れ。アキトの虚言に対してこれはハッタリではない、全てが爆ぜる質の高い泡による攻撃だった。
「な!?」
だが、そんな乱射されたサイトのギフトは全てアキトの元へと到達することなく途中で弾けて爆ぜた。
「【ショットガンシャッフル】──」
構えた両手から同じく乱射されたカードの束が、殺到する危険な泡の全てを打ち壊し相殺した。
「キミの【ギフト】を言い当ててあげようか」
占拠していた鬱陶しい泡粒の群れが失せクリアになった視界の中。するとアキトは、口を開けたままで間抜けにも固まっていたサイトに向かい静かに語りかけた。
「石鹸や泡、爆発はブラフ。本質は【
アキトが笑い見つめるサイトの首筋についた一筋のかすり傷が、だらりと赤く血を滲ませていく。
「今更僕のギフトに気づいて何が変わる! 変わらないだろ! 鈍いその剣と下らないカードで!」
「分からないかい」
「格下の戯言が分かるか! 美しく包め──【バブルオーラ】! 僕の本気は、もはやお前のする悪戯も何も受けつけやしない! ついでにその汚く止まらぬ口を、全てを、くたばるほどに洗い潰してやる!」
サイトの身を丸々と包んだのは大きな一粒の泡粒。美しく完璧に魔力を充足されたその泡は、虹色のなめらかな曲面を描き、彼の全身を覆う硬質な盾と化した。
その細い見栄えばかりの剣も悪戯に飛ばすカードも、全てこの完璧な泡のガードを通れやしない。向かい吹き荒れるアキトのカードは紙屑に等しく、バブルオーラを纏い猛進するサイトの勢いを止められやしない。
そして最後に真っ直ぐに狙い投げ放たれたアキトのレイピアは、泡を貫いた。だが、額に達せずに止まった冷たいレイピアの切先を見て、サイトは冷や汗を一筋垂らしながらも先の勝利を確信した。
だがそれが慢心であることに、この絶対防御のギフトにかまけた彼は気づかなかった。レイピアの刃が貫いていたのは一枚のカード、それが今内側で燃え尽き、連動するように泡の外側の曲面に張り付いていた役立たずに見えたカードたちが燃えていく。
その瞬間、不気味な風がぞわりと、泡の牢獄の中にいたサイトの全身を伝った。
そして無情にも弾ける泡の盾、逃げ場のない内側から盛大に爆ぜる魔力。起爆した特大の泡の
「が、はっ…………」
その男には届かない。床に崩れ這いつくばり伸ばしたサイトの手は虚しくも──。
やがて、宙を舞った一振りのレイピアが、倒れたサイトの目の前の砕けた地に突き刺さる。
「そう、──主人公の
レイピアをゆっくりと抜き取った。アキトの冷たい眼差しが憐れむように、虚飾に満ちたクランマスター、格下のサイトのことを見下ろしていた。