トランプメン 〜異世界で道化師プレイをつづけた結果、大変なことになったその男の末路〜 作:山下敬雄
爽やかなシャボン玉が宙を舞い、きらきらとシャンデリアの光を反射しては、やがて弾けて失せていく。
アキトは今おもむろに、お出かけ用に持ってきていたという彼の写真集を取り出し、床に眠っていたピンク髪のアイドルの手を取り、開いたお気に入りのページのそこにサインをしてもらう。
「……ふむ、迷惑料はこれでいいか」
生の血がついたこの世に一つだけの手形のサイン。アキトは本を閉じると傍にあったパーティー会場の椅子へと腰掛けた。そして指に挟んだ一枚の花札から、シャンパングラスへと不思議にも優雅に水を注いでいく。
「できれば一番はじめに見つけたいものだが。ふふ……あの啖呵だと、まだ近くにはいそうだ。さて、このまま誰も来なくては寂しい、どこへ行こうか」
グラスを片手にアキトは席を立つ。小休憩していたその場から歩き出した彼は、会場の周囲の壁に立てかけられた数々の絵画へと視線を巡らせた。
熱砂、お菓子の家、蜂のパーティー、時代劇。果たしてどのステージへと向かうべきか──アキトは軽い笑みを浮かべながらじっくりと考える。
グラスには口をつけずに、アキトはそれを絵画へと向けてそっと傾けた。静かに静かに絵から絵へと移動させていく。グラスの中の凪いでいた小さな水面は、やがて向き合った一つの絵の前で、わずかに震えながら波紋を描いた。
目の前に飾られているのは、貴族と聖者の並び立つ絵画。何らおかしい点は見当たらない、ごく普通の絵に見えた。
そこでアキトは何を思ったのか、今度は手持ちのグラスを斜めからそっと近づけた。すると、グラスの曲面に反射させて覗き込んだ絵には、──なんとそこにあるはずのない奇妙な髑髏が一つ浮かび上がっていた。
「アナモルフォーズか──」
雰囲気にそぐわない隠し絵を見つけ、アキトがそう呟いた時だった。
描かれていた貴族の男の口元がわずかに歪む。そして、奇怪にも勝手に炙り焼けていく絵の中から、血のような赤い雷電が一気に爆ぜるように吹き荒れた。
髑髏を映していたグラスが粉々に砕け、宙に吊られていたシャンデリアが糸が切れたように次々に床へと叩きつけられていく。焼け焦げた額縁の絵が虚しく落ちる音を立てる。吹き荒れていた赤い雷光がその熱き怒りの威力を鎮めた時──真っ白なスーツを纏った一人の男が、パーティー会場へと姿を現した。
「おっと、おや。出口をお間違えかな?」
絵画鑑賞の時間を終え、軽やかなステップで後ろへと飛んだ冒険者。バチバチと帯電した緑のマントを風に払いながら、アキトは前方に立つ白いスーツの男へと不敵に微笑みながら問うた。
「ぬかせ。ははは。
口元を大きく歪め凶悪な笑みを浮かべるその男は、クロキリ本部のクランマスター〝ツツミ〟。隠れ潜んでいた絵画の世界の中から今現れ、破れて焼けた絨毯の上を大きな革靴が踏み締める。
鏡の中のそのパーティーに誘ったのは果たしてどちらだったか。灰と黒の混じり合う髪を味わうようにゆっくりと掻き上げながら、君臨した支配者は、ふざけた冒険者のことを威風堂々と睨みつけた。
「ン……?」
ふと耳に入った小さく呻く声に、悪どい笑みを浮かべていたツツミは足元へと目を落とす。そこには無様に這いつくばり、革靴の爪先へと手を伸ばすピンク髪の男がいた。
「ツツ……ミ……こい……つは……っが!?」
ツツミはニヤリと口角を一瞬釣り上げると同時に、足元で何かをほざいていたその男のことを蹴り飛ばした。まるで道端の石ころでも蹴り飛ばすように、勢いよく壁際まで吹き飛んでいく。
「お友達じゃなかったのかい?」
テーブルごと蹴散らしていく、けたたましい衝突音が鳴る。随分なサイトの扱いに疑問に思ったアキトは、皮肉を込めてそうツツミへと問うた。
「あぁ、ちょっとしたな?
「それにしては、八大本部へと推薦するほどに目をかけていたと言うじゃないか?」
わざわざ自分の首を取ってくるようにけしかけた友達への処分にしては、手厳しい。サイトが豪語していた契約の話によると、随分と手厚い待遇で釣り、気にかけているようにもアキトには思えた。
「そのつもりもあったが……お飾りの宝石はちょいと小突けば割れてまう──どうやら見込みが違っていたようや」
「ははは。誰のせいだろうね」
ツツミのおしゃれな返答に、アキトは肩をすくめて微笑った。
「無論──お前だよトランプメン!」
その瞬間、いきなり前方へと素速く飛び上がり襲ったツツミの拳が、地に突き刺さるように炸裂した。そして赤き魔力を纏った拳が唸り、四方八方へと雷電が走り、激しい雷鳴を上げる。
ツツミが味わうように今叩きつけた拳を、砕け焦げた地から上へと引き抜いていく。すると、ふと違和感を感じたツツミがスーツの左の袖を覗いてみると──そこには一枚の花札が突き刺さっていた。
「今日、キミに送る花だ。さて……キミがつかむのは神々の授けし幸運か、あるいは罪をつむ天使たちの復讐か」
天より下った雷拳をひらりと躱した冒険者は、ツツミが言い放ったその正体を否定も肯定もしない。
そして口ずさんだ意味深な詩とともに、アキトが指を弾くと花札が一本の花へと変わった。その白く咲き誇る一輪の花は、〝死に花〟。怪人トランプメンが彼へと送るとっておきのご挨拶だった。
真っ白なスーツに根を張った安そうな花をゆっくりと引き抜き、ツツミはその小さな花弁へと向かい軽く息を吹きかけた。
「すべて喰らい尽くす。ははは……余興の詩はそれだけか怪人?」
そよ風に揺らいだ花は一瞬で燃え盛り、灰となって散っていく。
「あはははは。……あぁ、なら。──徹底的に
「俺の台詞や。はははははッ!」
冒険者を装う怪人は、見つけた最上の獲物へと睨むように妖しく目を細める。引き抜いた一本のレイピアが静かなる殺意と冷たい魔力を込めて、今鋭く細く敵の首へと向けられた。
足元に残った灰色の残骸を踏み躙りながら、白いスーツの男はその怪人の挑発に呼応するように闘志を溢れさせる。バチバチと赤く放電する魔力を纏い、爬虫類のような黄色い眼で、生意気にも歯向かう黒髪の男を睨み返した。
パーティー会場は笑いと狂気に満ちていく。ise会の絶対的支配者と、異世界を謳歌する怪人トランプメン、もはや交わることの避けられない二人の強者による真の死闘が幕を開けた──。
睨み合った両者、先に攻撃の痺れを切らしたのはツツミの方であった。合図のない開幕と同時に、荒々しい赤き雷が前方一面に向かい放たれた。
宙を裂くように枝分かれし進み襲う雷に対して、アキトは物怖じせずに前へと駆けた。最小限の動きと剣で雷風の中を躱し、破り、ラウンドテーブルの下をスライディングで華麗にくぐり抜けた。
恐ろしい速さと突破力。それまで飄々としていたのがブラフであったかのように、最短距離で突いたレイピアが呑気に雷を垂れ流していたツツミを捉えた。
「そんなに焦んなや、ははは」
しかし突き出した細身の剣が、白いスーツを串刺しにする光景はそこにはなかった。電光石火のアキトの仕掛けを正面から受け止めたのは、ツツミの右手から突如爪のように生えた三本の硬質な剣だった。
「ほぉ、それは獣人の真似かな? それともっ!」
「はっ!」
アキトが強引に剣を払うと、後ろへと弾かれたツツミはすぐに足を踏ん張り崩された体勢を持ち直して、前方へとバネのような突進を繰り出した。
右の爪剣を前に突っ込んでくるツツミ。自身の雷の魔力を纏わせて強化した爪剣のギフトによる反撃が、今度はアキトを襲う。
獣の如き突進を繰り返すツツミと、顔色を変えずそれを紙一重でいなしつづけるアキト。
だが、踊り狂うパーティー会場での攻防は、やがてツツミの気迫と俊脚がアキトの身躱しの舞踏を一歩上回り、その均衡を崩した。
崩れた体勢、もつれる足。その瞬間に虎視眈々とねじ込まれる雷爪の刃が、アキトの横腹を突き刺さんと、爆発的にスピードを上げて襲いかかる。
赤い雷光の尾をまっすぐに引きながら空を切り裂く三本の爪剣が、アキトの胴体へと向かい交錯する。
「──自分なら、こう使う」
しかし、ツツミが腕を目一杯に伸ばし繰り出した致命の刃に返ってきた手応えは、硬くて重い。描いていた肉を貫く感触はそこにはなく、高く至近で鳴り響いた鉄音。
ただ──四度、刹那の間にも、ツツミは凄まじく速い太刀筋に襲われた感覚を抱いた。足がもつれた演技をしたアキトが踵でターンし放った一払いの剣が、そんなあり得ない神技を披露したように見えたのだった。
「名付けて、【L:
閃光のように赤青と明滅した魔力。無常にも光る宙を舞い散っていく折れた爪が、肉を穿つことはなく、やがて地に突き刺さる。
受け取ったその感覚は錯覚ではなかった。三本の爪剣を折ってみせたのは、一払いの動作で三重の威力を連ねた高速の剣技──ツツミの爪剣のギフトを見て即興で習得した【L:三重剣】。
冒険者のレイピアが描いた華麗なる剣技が、支配者が暴れ振り回していたその無骨な雷爪を余すことなく叩き折る。
「気に食わんな、……はははっ」
左の頬に付いていたひりつく赤い切り傷を、ツツミはゆっくりと己の手で撫でていく。そして、握りしめた右の拳へとバチバチと鳴らす雷の魔力を帯電させ、不敵に笑うツツミは砕けた鋼鉄の刃をもう一度生やした。
ふと目を落とすと、床には焼けこげた三枚の花札。空しく落ちていたその残骸をさりげなく見つめ、ツツミは訝しむ。
「その剣、口先だけではないようだな。……しかし、どういうことや? お前はさっき何をしでかした、怪人?」
そう渋い顔でツツミが問うと、アキトは軽く笑い、向けていた剣を下ろし語り始めた。
「自分は人より少し器用でね、一度見た
肩をすくめてみせたアキトは、人差し指を立て、得意げな表情で話をつづけていく。
「そうそう、最近うちの組に腕のいい料理人が入ってきてね。これを料理に例えるとすれば、君の作ったものはとても熱い湯豆腐、ジブンのは冷めても美味しい麻婆茄子」
「あ?」
「ふふ。もっと分かりやすく言えば、今のは一度の剣に三度の剣撃のマジナイを乗せたトリプルブレード。三つの刃をただ、アメコミのヒーローみたいに手から生やしたキミのものとはちがうよ? ──どうだい、面白いだろう?」
アキトは近くのテーブルの上にあった白いナプキンを一枚取り出し、それを宙へと放り投げた。そしてひらひらと漂い落ちてくるその布地を、レイピアで一突きにした。
「御託が多いわ、はははっ」
アキトの見せたデモンストレーションと語る軽妙な解説に、ツツミは大口を開けて笑い飛ばした。そして、レイピアの切先から生意気にも投げ飛ばされたナプキンを受け取った。受け取ったその一枚の小さなナプキンは、なんと──ツツミの目を落とした手の中で、まるで死にゆくようにバラバラに裂かれていった。
「くどくどと
燃える塵が、左の手からこぼれ落ちていく。下に目をやっていたツツミは右に生やしていた雷爪で、いきなり前を向きアキトへと素速く襲いかかった。
「フフフ、それはキミもだろう? そのギフトはキミには似合わない。自前の雷で強化し玩具を振り回すだけのその姿は、まさに、小手先だけのスーパーマンだ」
悪びれることのない表情で、アキトは襲う雷爪をレイピアで受け止め返事をする。自分が付け焼き刃の小手先が好きな冒険者ならば、そちらは恵まれた魔力量をそぐわないギフトに添えて、ただ暴れつづけるだけの超人。お高そうな白いスーツを纏った渋い男の見た目に反して、その戦い方はお世辞にもスマートとは言えない。そう、少なくとも、熟練の冒険者アキトにとっては──。
「ははは! スーパーマンとは、なかなか高く買ってくれたな。……なら、口の減らないお前には〝こいつ〟をくれてやる」
またゴングのない戦いを再開した両者は、刃を交え、離れる。
これ見よがしに深く呼吸をしたツツミは、ひび割れた右の爪剣のギフトを解除すると同時に、また新たなギフトを溜めた手の構えから繰り出した。
「【ショックウェーブ】……ッ!」
今叫びながら勢いよく繰り出されたのは、赤い雷属性を帯びたショックウェーブ。ボーリングの球でも豪快に放るかのような動作で、赤い衝撃波がパーティー会場の床を這い進む。
「なるほどっ! そっちはいいレシピだ。垂れ流すだけの雷とは違うね」
手元から放たれる衝撃波が、進行方向にある物を蹴散らしながら次々とアキトを襲う。一発一発が当たればただではすまない、そんな凄まじい魔力を宿している攻撃だ。アキトの退路を根こそぎみるみると削り取っていく。
「どうした? スーパーマンの小手先には敵わないか、ドラハハ……ハッハーー!」
また陥ったのは防戦一方の踊りのターンか。緑のマントを乱れはためかせながら回避行動をつづけていたアキトの身を、ツツミが魔力を高め放った、弾速を一段上げた赤い衝撃波がついに捉えた。
激しい衝撃に、会場に濃い煙幕が立ち込める。
だが刹那、静寂の煙をすぐに突き破り現れたのは三又に分裂した赤い雷。まるで敵へ向けた攻撃が跳ね返って来たかのように、それらはツツミへと向かい逆襲した。
雷、いや生き物のように意思を持ち、それは横に回避しようとしたツツミの熱源を追いかけた。
「チッ……!」
思わず舌打ちをしたツツミは、今練り上げた大きな雷の衝撃波で、追って来ていた三つの小さな攻撃をまとめて吹き飛ばした。
「【L:
アキトが指先を鳴らすと、会場に散らばり置かれていたテーブルクロスが勝手に巻き上がる。そうして幾多のクロスを器用にも結び編み、生まれ出たのは何匹もの布の鼠たち。その愛らしい鼠たちの尻尾に見立てた部分に、アキトは握っていたレイピアの切先から出した青い火花で、次々に火を付けた。
長く立てた尻尾の導火線に微量の雷の魔力で火をつけて放つ、青いラットたちの大行進。次々と床を這って走る奇怪な青い鼠花火が、全方位から一斉に主人の敵を追いかけた。
発展した、中遠距離での撃ち合い。執拗に迫り来る鼠の群れに対し、ツツミは惜しみなく巨大なショックウェーブを乱射し掃討していく。
そして激しい撃ち合いの末に──最後は右手の爪剣でちょこまかと動く鼠を串刺しにし、足元に忍び寄っていた最後の一匹の青いゴミを、左の足裏で力強く踏み潰した。
「……それだけか?」
青い鼠を駆除し終えたツツミは、首に片手を当てて歪み笑う。身に及んだ青い雷電の痺れる威力を、まるで心地よいシャワーのように浴びながら。
圧倒的なスペックで全てを壊し平らげる。クロキリ本部の絶対的支配者ツツミ、この男の首は安くはない。
「次の料理はまだか」──そうとでも言いたげに、青い雷の心地良いシャワーを浴びながら、白いスーツのスーパーマンは余裕げな笑みを浮かべる。
故に彼は気づかない。自分がもう、
「それだけではないよ」
アキトは片手に持っていたシャンパングラスにレイピアの刃を当て、まるでヴァイオリンを一つ弾くように音を鳴らした。
振動するグラスの合図とともに、割れずに残っていた他のグラスも共鳴し、爽やかな泡粒が口から湧き出てパーティー会場を賑やかせる。
一体その演出に何の意味があるのか。ツツミが軽く笑い、髪を掻き上げようとしたその時──ツツミの身に強張る異常が生じた。自身の頭まで上げようとした腕が、何故か硬直したように上がらないのだ。
思わず顔を歪ませ顰めたツツミは、その不可解な異常をもたらした正体をすぐに目の当たりにした。視界には、虹色に光を反射する薄い膜。ちょうどその薄っぺらい膜の中心に己の体が捕らわれていたのであった。
ツツミを捕らえたのは、数々のグラスが点を成し織りなす大きな泡の膜。ただの楽しい演出ではない。周到に張り巡らされた怪人の用意した罠であった。
「【
グラスの内に潜んでいた小さな蜘蛛が魔法の泡を作り出し、大きな一枚のシャボンの虹膜を形成。形成されたその特別な泡は、対象の魔力の高まりを落としては封じ縛る、そんな強靭な枷となる。
「これからキミを屠る
鋭い眼差しでツツミを見つめたアキトは、そう神妙に宣言する。
「ぬかせ、こんなものが解けな──」
当然そんな宣言など戯言。このような薄っぺらく伸ばしたくだらないギフトで、この身に有り余る魔力を縛ることなどできない。そう思ったツツミが強引に魔力を高め始めると、薄い虹膜が不安定に振動を始める。
だが、その一瞬の隙こそが戦いにおいて致命的であることに、驕る支配者は気づかない。絶対的な魔力と力を持つが故に、天に隠されたもう一つの〝イト〟にさえ彼は気づくことができない。
「解いている暇は与えない。3、2」
頭上に高まる謎の魔力の存在に、ツツミはようやく気づいた。天井には駆除したはずの大量の青い鼠。そう【這鼠】は低い床を這うだけではない。壁を、天をこそこそと伝い這ったそのもう一つの群れたギフトの存在に気づいた時には、もう遅く──。
「ゼロ──」
カウントダウンはもう待てない。1は飛ばして道化師らしく、もがき焦る敵へと意地悪に。
つぶやいたゼロの合図と同時に、アキトが手元から投じた一枚の切り札。くるくると回転しながら綺麗な放物線を描いたそのカードの角が、やがて落ちていき、大きな泡の虹膜に届いた。
小さな光を発したカードが白い花に化ける。鋭く削られた茎の先端が膜に突き刺さり、一枚の泡が弾けた時、その攻撃は連動する。
【
虚しくも穿たれた泡が弾ける刹那、相反し、けたたましくも轟くのは雷鳴。極大の青い雷が打ち付ける。下る裁きの雷柱が、焦燥の顔で天を見上げた白き支配者を呑み込んだ。