トランプメン 〜異世界で道化師プレイをつづけた結果、大変なことになったその男の末路〜 作:山下敬雄
「
「いってきまーす!」
靴を結び、ドアのぶに手をかけた。しかし自分はどこへ行くというのだろうか。ふと、疑問に思った大起が背後から聞こえた声に振り返ると、そこに映っていたのは母の姿だった。
玄関の前で屈み笑顔で手を振る母。その母の膝の前には、小さなヒーロー人形たちがずらりと並べられ集結していた。その光景に大起は懐かしい心当たりがあった。母とヒーローたちに見送られ、玄関を振り返っていた大起は再び前を向いた。
今日は小学校のはじめての登校日。玄関のドアを開いた富士大起は、真新しい青いランドセルを揺らしながら、やわらかな朝の日差しの中へと駆け出していった。
住宅街のアスファルトを少年が走る風の中、カレンダーがまた一枚、勢いよくめくられていく──。
決して落とせないパスを受けた楕円の球を腕に抱えながら、容赦無く襲いくる敵のタックルをかいくぐる。タッチラインすれすれをスパイクの裏を踏み締めて、砂を蹴りとばし走り抜ける。そうして歓声の沸く中、ようやく目の前に見えてきた敵陣深くの白いラインと無人の灼けた砂。ボールを抱えて猛進する彼がインゴールへと勇敢に飛び込んだ瞬間に、笛の音が鳴り響く。とても心地いいあの笛の音が。
「ナイストラぁあイ、大起!」
「あぁ。ナイスパス。……藤木」
元気に駆け寄るチームメイトの声に、トライを決めた大起はその場から起き上がった。見上げる天からは熱い昼の陽射し、目の前には嬉しそうに自分の肩を叩く、同じ色のユニフォームを纏う中学生時代の藤木の姿があった。
「てか今の動きやばくね? 過去一のキレキレのステップじゃん! まるでイナズマかよおい!」
「そうだった……かな?」
「嫌味かよお前っ! まぁお前は俺のウイングだからな、全ては俺の潰れと俺の絶妙なパスありきっ、そこんとこ忘れるなよ!」
「あぁワンフォーオール」
「そうオールフォーワンだ! ってさっきのイナズマステップだとお前一人でも点取れそうだけどな? ははは」
青空の下、砂と汗にまみれた中学校のグラウンドでの練習試合。ラグビー部の仲間たちと、富士大起は肩を組み笑い合う。
高々と蹴り上げられた白球とともに、カレンダーがさらに一枚、青春の風に流されめくられていく──。
午後6時30分のチャイムが校内に鳴り響く。全校生下校の時間を知らせる合図だ。
「副会長っ! 富士大起副会長っ!」
「ん?」
「その私っ! わたし……やっぱり副会長のことが……」
夕暮れの廊下を渡っていると、彼の名を呼ぶ声と駆ける足音が聞こえてきた。生徒会役員の高山が同じ高校の制服とスカートの姿で現れ、副会長の大起に何かを打ち明けようとしていた。
そう言えばそんなシーンが昔あった。茶髪の彼女は息を切らしながらでも、ここまで走り伝えたかった想いがあるのだろう。大起はそんな頑張り屋の彼女のことが嫌いではなかった。彼女がここ最近生徒会に入ってからというものの、不器用ながらも頑張っている姿を近くで見てきたからだ。学校での彼女の評判は不良少女、だが周りから何を言われても一生徒会役員として、彼女は折れずに誰よりも真面目に職務をこなしていた。年下ながらも彼女のその強固にやり通す信念を、大起は尊敬していた。
その後なんと言ったのか大起は明確には覚えてない。でも彼女との仲は、生徒会以外でもつづいていたことは覚えている。
しかし、今の大起の中にはそれよりも大事な何かがある。勇気ある彼女の告白を後回しにしてでも、やらなきゃいけない何かが──胸の奥でずっとつっかえていた。
「ありがとう。でも、ごめん。俺、先にやらなきゃいけないことがあるんだ」
「……え? あぁ……先にやらなきゃいけないこと? ……それは一体?」
「それは」
驚き問う彼女の表情と、そっと顎に手を当て思い悩む彼。
大起がオレンジの廊下から窓の外を見つめると、猛烈な勢いで紙吹雪が降り注ぐ。窓に次々に張り付いたカレンダーの紙切れに、校内が暗く閉ざされていく──。
暗い。狭い。冷たい──ここはなんだか息が詰まる。
「なんだ……ここ? おーい、誰か? 誰かいませんか?」
暗がりで声を叫ぶも、誰も返事をしない。不思議に思い首を傾げることも窮屈でできない。このままこの暗くて狭い場所にいるのは、とても居心地が悪い。
そこで縛り付けられたように寝そべっていた大起は、目の前を塞ぐ見えない壁に触れた。そして両手に力を込めて、触れていた重い壁を力任せに天へと押し除けた。
すると真っ暗な世界に、割れるような眩しい光が射し込んだ。光は広がっていき、押し上げた壁が地に落ちた。ゆっくりと立ち上がった大起が、今目にしたその光景は──知り合いの顔がずらりと並んだとても突飛な光景だった。
「おかえりなさい、遅かったわね大起」
「これでまだまだ一緒にラグビーできるな、大起っ」
「なぁーんだ、死んじゃったかと思いましたよ副会長っ! びっくりさせないでくださいっ!」
周囲から巻き起こる無数の拍手と声。そこは、大きな寺の本堂の中だった。
座っていた参列者たちが立ち上がる。「おかえりなさい」と微笑む母に、歯を見せ笑いラグビーボールをパスする藤木の姿、飛び跳ね喜ぶ高山の姿もあった。
「あぁ……ごめん、母さん、みんな……」
大起の帰還を祝うように参列者のみんなから、手にしていた一輪の花が投げられていく。
白く舞う無数の花びら。みんなに祝われながら立ち尽くす一人の青年。だけど何故だろう、祝福に満ちた瞬間にも何故かまだ居心地の悪さがもやもやと拭えない。
ふと大起は藤木にパスされたラグビーボールに目を落とし、見つめつづける。そのボールの感触は、やはり懐かしいままだった。片手に握るように持ち変えてみても、まるで大きすぎて依然しっくりとはこなかった。
やはり抱えるそのボールにはない。懐かしさばかりで、闘志が思うように湧き上がってこない。そこに彼の求めていた〝闘い〟の感覚はなかった。
(そうか、俺は……)
降り止まぬ白い花びらの祝福、鳴り止まぬ拍手の渦、ドキドキと高まる心音。そんな混沌とする寺院の中で、一矢の悪意が音もなく放たれた。
「……そうだった」
並ぶ参列者の肩を抜け、白い花びらの雨を貫いた邪悪な矢は、彼の赤い目の前に突き刺さり止まった。
「今度は絶対強くなるって──決めたんだったな!!」
眼前に置いた矢の突き刺さったラグビーボールを、焼け焦げるほどに握りしめて、今彼の赤い瞳に滾る闘志が宿る。
青い稲妻の魔力を纏った楕円のボールが手元からこぼれた。そして木の床を一度打ったそれは、青いスーパースニーカーの右足に勢いよく蹴り飛ばされた。
鋭く前に蹴り出された青い雷球は、群衆の中で一際歪み嗤っていた藤木の顔を撃ち抜いた。
棺桶の前で彼は右足を元気に振り抜き、とある先輩にも似た不敵な笑みをニヤリと浮かべる。
冒険者タイキ・フジは、過去青春のまやかしから目覚める。そして見破った悪意と偽りに満ちた記憶のシーンを、今解き放った溢れんばかりのその痺れる魔力で、躊躇なく蹴破った。