ようこそ殺戮至上主義の教室へ   作:戦竜

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第一章 堀北鈴音の戦い

綾小路清隆が闇の中へ消えてから、倉庫の空気はさらに重くなった。

 

最初に送り出された一人が戻ってこないのは当然だ。

だが、それでも生徒たちは無意識のうちに、

ほんのわずかな非現実感へすがろうとしていたのかもしれない。

もしかしたら別の場所に待機させられているだけではないか。

もしかしたら島に着いた時点で何か種明かしがあるのではないか。

そんな薄っぺらい希望が、完全に断たれたわけではなかった。

 

だが綾小路の背中が完全に見えなくなったことで、

その曖昧な猶予さえ消え失せた。

 

次は自分かもしれない。

本当に、あの暗い島へ放り出されるのだ。

 

その実感が、生徒たちの喉を静かに締めつけていた。

 

「堀北鈴音」

 

茶柱の声が響く。

 

ざわつきが生まれることはなかった。

その余裕がもう誰にもない。

 

堀北鈴音は一歩前へ出た。

 

足は震えていない。

少なくとも、そう見えるように歩いた。

 

内心は違う。

胸の奥では不規則に鼓動が打っているし、指先も微かに冷えている。

だが、恐怖に飲まれた時点で終わりだと彼女は理解していた。

ここで必要なのは感情ではない。情報と判断力だ。

 

壇上へ近づく。

 

床に広がった血痕を、視界の端で捉える。

さっきまで生きていた生徒たちの痕跡。

まだぬめるような光沢を失っていないそれが、

この試験の現実味を嫌でも補強していた。

 

茶柱の前に立つ。

 

「受け取れ」

 

差し出された黒いバッグは見た目以上に重かった。

堀北は無言で受け取り、その場で中を確認する。

 

水。

食料。

懐中電灯。

地図。

包帯。

止血剤。

簡易ライター。

そして――コンバットナイフ。

 

短く息を呑んだ。

 

最悪、とは言わない。

だが、恵まれた武器とも言えない。

 

銃なら距離を取れる。

斧なら威圧感と破壊力がある。

だがナイフは近づかなければ使えない。

相手が銃器を持っていた場合、その時点で決定的な不利を背負う。

 

運に左右されるルール。

理不尽だが、もはやそこに文句を言っても意味はない。

 

「質問があります」

 

堀北は顔を上げた。

 

茶柱はわずかに眉を動かしただけで、続きを促しもしない。

 

「名前の呼び出し順は完全固定ですか?

それとも状況に応じて変動するのでしょうか」

「固定だ」

「投入地点は全員同じですか?」

「違う。複数存在する」

「最初の禁止エリア発表まではどれくらい?」

「回答不可」

「……そう」

 

それ以上は時間の無駄だと判断した。

茶柱から有益な情報を引き出せる限界は、すでに見えている。

 

だが最後に、堀北はほんの一瞬だけ彼女の目を見た。

 

問いただしたいことは山ほどあった。

なぜこんなことを受け入れたのか。

教師として何をしているのか。

この地獄を止めるつもりはないのか。

 

だが、茶柱の目はひどく乾いていた。

その奥に、説明では埋められない事情があることだけは分かった。

 

いま追及しても、意味はない。

 

堀北は倉庫を出る。

その途中で、一之瀬と目が合った。

 

一之瀬は何か言いたそうに唇を動かしたが、結局言葉にならなかった。

軽井沢は真っ青な顔で平田にしがみついている。

龍園は楽しげに笑っていた。

坂柳は相変わらず静かだ。

綾小路はもういない。

 

そのことが、妙に引っかかった。

 

彼ならどう動くのか。

いや、すでに動き始めているのだろう。

あの男は、こういう極限状態で立ち止まるような人間ではない。

 

武装した隊員に導かれ、小型艇へ向かう。

潮風が頬を打つ。冷たい。

夜の海は黒く、下を覗いても水面の境界がよく分からない。

 

「乗れ」

 

短い命令に従う。

 

艇が船から離れた。

 

その瞬間、豪華客船の光が妙に遠く感じられた。

ほんの数分前まで、自分はあの中にいた。

学校の延長線上にある休暇だと信じていた。

なのに今は、命の保証が一切ない無人島へ向かっている。

 

あまりにも急激な落差だった。

 

だが、だからこそ思考を止めてはいけない。

 

堀北はバッグの中身を脳内で再確認する。

水一本。

コッペパンと栄養補助食品。

応急処置用品。

ナイフ。

地図。

 

地図は島全体を大まかに示しているが、

詳細な高低差や建物の内部構造までは記載されていない。

海岸線、林、岩場、崖、小屋、廃墟、病院跡らしき記号。

おそらく最低限の地形把握用だろう。

 

重要なのは二つ。

 

身を隠しやすい場所。

そして他人が集まりやすい場所。

 

前者は生存に直結する。

後者は情報収集か、あるいは戦闘リスクの高い地点として認識すべきだ。

 

――まずは誰か信用できる相手と合流するべき。

 

真っ先に浮かぶのは須藤だ。

短絡的な面はあるが身体能力は高い。

少なくともこの状況で一人よりはましだ。

 

次に平田。

だが平田はおそらく軽井沢たちを守ろうと動く。接触できる保証は薄い。

 

一之瀬。

彼女はクラス単位での団結を試みるだろう。

だが、それはむしろ狙われやすい。

 

綾小路。

彼と組めれば理想だが、最初に放り出された以上、

すでに自分のペースで島を動いている可能性が高い。

向こうから接触しようとしない限り、探すのは難しい。

 

問題は、誰が最初に試験へ適応するかだ。

龍園や坂柳は、おそらく早い。

彼らは善悪ではなく勝敗で物を考える。

こういう状況で最初に危険人物になるのは、

最初から良心を手放せる人間か、

逆に恐怖で一線を越える人間だ。

 

小型艇が減速した。

 

砂浜が見える。

 

「降りろ」

 

堀北は飛び降りた。

靴底が湿った砂を踏みしめる。

艇はすぐさま離れていき、後には波音だけが残された。

 

暗い。

 

想像以上だった。

 

豪華客船の照明が届かない島の夜は、

現代の感覚ではほとんど異質なほどの闇だった。

月明かりがわずかに輪郭を浮かび上がらせるだけで、

林の奥は完全に黒く沈んでいる。

懐中電灯を使えば視界は確保できるだろう。

だが、それは同時に自分の位置を知らせることでもある。

 

使いどころを間違えれば、死ぬ。

 

堀北はまず、その場にしゃがんだ。

波音。

風向き。

周辺の地形。

耳を澄ます。

 

いまのところ近くに人の気配はない。

少なくとも、この上陸地点に待ち伏せしている者はいないようだ。

 

ならばすぐ移動する。

 

海岸は遮蔽物が少ない。

シルエットが浮きやすく、逃げ場も限られる。林へ入るべきだ。

 

堀北はバッグを抱え直し、砂浜から木々の間へ足を踏み入れた。

地面は柔らかい土と落ち葉で、思ったよりも滑りやすい。

枝が足に触れるたび、心臓が余計に跳ねる。

闇に目が慣れるまで、少し時間が必要だった。

 

歩きながら、彼女は自分の呼吸を意識的に整える。

吸って、吐く。

短く乱れた呼吸は、焦りを増幅させるだけだ。

 

進み始めて十分。

十五分。

二十分。

 

島の夜は、時間感覚を狂わせる。

どれだけ進んだのか、どこまで来たのか、

周囲の景色が似通っているせいで曖昧になる。

 

それでも堀北は、木の幹の太さや地面の傾斜、海風の方向を頼りに、

自分が大きく円を描いていないか確認し続けた。

むやみに走らない。

音を立てない。

立ち止まりすぎない。

 

その繰り返し。

 

だが、林を進み始めて四十分ほど経ったころだった。

 

ふと、何か白いものが視界に入った。

 

反射的に身を低くする。

木の陰から様子を窺う。

 

人。

 

――いや。

 

動かない。

 

近づくべきではない。

そう思ったのに、確かめずにはいられなかった。

 

数歩。

また数歩。

 

そして、月明かりがその輪郭を照らし出す。

 

女子生徒だった。

 

仰向けに倒れている。

目は開いたまま、どこも見ていない。

制服は乱れ、手から離れたバッグがすぐそばに転がっている。

 

堀北はその場で足を止めた。

 

冷たい現実が、じわじわと胸に染み込んでくる。

 

本当に死んでいる。

 

さっき倉庫で撃たれた20人だけではない。

試験が始まってから、もうすでに死者が出ている。

 

それだけでも十分だったはずなのに、数メートル先にはさらにもう一人いた。

木にもたれかかるように座り込み、そのまま力尽きたような姿勢の男子生徒。

そして少し離れた場所に、横倒しになった別の影。

 

合計四人。

 

いずれも動かない。

 

吐き気がこみ上げた。

 

「……っ」

 

喉元までせり上がってくる感覚を、堀北は必死に押し殺した。

吐けば体力を失う。

水分も失う。

食料だって限られている。

 

こんな状況で、自分の身体機能を無駄に削るわけにはいかない。

 

だが理屈と感情は別だ。

胃がきりきりと縮こまり、膝がわずかに震える。

今朝まで同じ学校生活を送っていた相手が、こんなにも簡単に動かなくなる。

その事実は、頭では分かっていても心が受け入れきれない。

 

――見ない。

 

いや、違う。

 

見なければいけない。

 

堀北は目を逸らしかけた自分を叱咤した。

これを直視できなければ、次に自分がやられる。

現実から目を逸らして生き残れるほど、ここは甘くない。

 

だから彼女は深く息を吸い、遺体の周囲を観察した。

 

争った形跡。

地面の荒れ。

倒れた位置。

バッグの中身が荒らされている者もいる。

 

つまり、ただ遭遇して相討ちになったわけではない。

戦闘のあとに物資を奪った者がいる。

少なくとも一人、あるいは複数。

近くにまだ潜んでいる可能性もある。

 

その結論に至った瞬間、背筋に冷たいものが走った。

ここに留まるべきではない。

 

堀北は足早にその場を離れた。

走りたい衝動を抑え、しかし歩く速度は上げる。

耳を澄ませる。

背後の気配に神経を尖らせる。

 

どこか遠くで銃声が響いた。

 

乾いた連続音。

一発ではない。

自分のナイフなどとは次元の違う、圧倒的な暴力の音。

 

続いて、短い悲鳴。

そして静寂。

 

堀北は無意識のうちに呼吸を止めていた。

いまこの瞬間にも、誰かが殺されている。

 

この島では、善悪も正しさも即効性のある盾にはならない。

何を信じるかではなく、どう動くかがすべてだ。

 

それでも――。

 

堀北鈴音は、まだ諦めていなかった。

 

最後の一人になることが目的だとしても、

学校側が生徒たち全員の即時殺害を望んでいるわけではないはずだ。

いや、もしかするとそうなのかもしれないが、少なくともルールを作り、

禁止エリアを設定し、バッグを支給している時点で、一定のゲーム性を装っている。

 

ならばそこには、何らかの抜け道がある可能性がある。

 

たとえば、誰かが主催側に直接接触する。

あるいは大規模な連携で抵抗する。

島からの脱出手段を確保する。

通信機器の奪取。

武装勢力の隙を突く。

 

どれも現実味は薄い。

だがゼロではない。

 

大事なのは、生存を諦めた者から壊れていくということだ。

そしてもう一つ。

この極限状況では、自分が知っているその人が

もうそのままの人格でいる保証はない。

 

その予感は、しばらく後に現実となる。

 

堀北は林の中を進みながら、ようやく身を隠せそうな場所を見つけた。

木々に囲まれた小さなくぼ地。上から見えにくく、周囲の足音も拾いやすい。

 

ここで少しだけ呼吸を整える。

 

水を飲むべきか迷ったが、まだ早いと判断した。

喉は乾いている。だが我慢できないほどではない。

むしろこの状況で重要なのは、物資に手をつけるタイミングを管理することだ。

 

ナイフを抜く。

刃は鈍くない。

護身用としては十分だが、これで銃に勝つことはできない。

 

ならば使い方は明白だ。

 

接近。

不意打ち。

あるいは最終手段。

 

堀北はナイフを見つめながら、自分に問いかけた。

 

私は人を刺せるのかしら。

 

答えはすぐには出なかった。

 

人を殴るのと、刃物を突き立てるのは違う。

まして、それが同じ学校の生徒であるならなおさらだ。

 

だが別の問いに置き換えれば、答えは少し変わる。

 

刺さなければ、自分が死ぬ。

あるいは、守れるかもしれない相手を守れない。

 

そのときでも躊躇するのか。

 

「……」

 

堀北は目を閉じ、短く息を吐いた。

 

理想だけでは生き残れない。

そんなことは分かっている。

 

分かっている、つもりだった。

 

ガサッ。

 

音がした。

 

堀北は即座に立ち上がる。

ナイフを構え、音の方向へ視線を向けた。

 

「誰?」

 

返事はない。

 

月明かりの差し込む木々の隙間から、影がゆっくりと現れる。

 

女子生徒。

 

小柄で、見慣れたシルエット。

 

「……櫛田さん?」

 

現れたのは、櫛田桔梗だった。

 

その瞬間、堀北の胸に複雑な感情が走った。

 

警戒。

安心。

困惑。

 

櫛田は入学から今にわたってクラスの中心にいた少女であり、

同時に堀北にとっては最も根深い不和を抱えた相手でもある。

信用などできない。できるはずがない。

だがこの島でたった一人知っている顔に出会ったこと自体は、

皮肉にも一瞬の安堵を生んでいた。

 

「ふふ……堀北さん」

 

櫛田は笑った。

 

だが、その笑みに堀北は即座に違和感を覚えた。

 

おかしい。

 

制服に血がついている。

いや、血だけではない。泥や擦れ、汗。髪も乱れている。

顔色も悪い。それ自体は不思議ではない。すでに試験が始まっているのだから。

 

問題は目だった。

 

焦点が定まりきっていない。

笑っているのに、楽しんでいるようには見えない。

張り詰めた糸が切れたあと、

なお惰性で笑顔の形だけを保っているような、不安定さがあった。

 

「あなたも無事だったのね」

 

堀北はできるだけ平静に言う。

 

「無事、かぁ」

 

櫛田は首を傾げた。

 

「無事って、どこまでなら無事なんだろうね?」

 

ぞくり、とした。

言葉の内容以上に、その声音が危うかった。

 

堀北はナイフをすぐ使える位置に保ちつつ、慎重に距離を測る。

櫛田の手には――銃。

 

マシンガン。

いや、正確な機種までは分からないが、少なくとも連射可能な銃器だった。

 

最悪だ。

 

こちらはナイフ一本。

正面から相対した時点で、すでに勝負にならない。

 

それでも、話すしかなかった。

 

「落ち着きましょう、櫛田さん。この試験は異常よ。

学校の指示にそのまま従う必要なんてないわ。

まずは生き残る方法を考えるべき――」

「生き残る方法?」

 

櫛田はくすくす笑う。

 

「堀北さん、本気で言ってるの?」

「本気よ」

「そんなの簡単だよ。みんな殺せばいいんだから」

 

言葉が、冷たく落ちた。

 

堀北は無表情を崩さないよう努めたが、胸の内では警鐘が鳴り響いていた。

この女は、もう危険だ。

 

「冗談を言っている場合じゃ――」

「冗談じゃないよ」

 

櫛田の声色が変わる。

笑顔のまま、目だけが少しも笑っていない。

 

「もう8人」

「……え?」

「8人殺したの」

 

堀北は言葉を失った。

 

耳がおかしくなったのかと思った。

だが櫛田は、まるで今日の天気でも報告するように繰り返した。

 

「もう8人。すごいでしょ?」

 

ぞっとした。

 

「何を……言ってるの」

 

「だって、やらなきゃやられるじゃん。

最初はみんなで一緒にいようって話してたんだよ?

でもさ、誰かが銃を持ってて、誰かが逃げようとして、誰かが揉めて、

気づいたら一人死んで、そこからはもう、あっという間」

 

櫛田は楽しそうでも悲しそうでもない、奇妙に平坦な口調で語る。

 

「最初は怖かったよ?でも一人撃ったら、あ、死ぬんだって分かって。

二人目を撃ったら、あ、止まるんだって分かって。

三人目で、もうどうでもよくなった」

「櫛田さん」

「だってさぁ」

 

櫛田は一歩踏み出す。

 

堀北は無意識に一歩引いた。

 

「こんな試験で、いい子のままいられるわけないじゃん」

 

その言葉には、真実が含まれていた。

 

だからこそ、なおさら危険だった。

櫛田は壊れている。だが完全に意味不明になっているわけではない。

壊れたまま、この状況に適応しようとしている。そういう相手が一番厄介だ。

 

「一緒に脱出する方法を考えましょう」

 

堀北は言った。

 

自分でも薄い提案だと分かっていた。

それでも、いきなり戦うよりはましだ。

 

「無人島には必ず管理側がいるはずよ。

監視設備もある。なら、その中枢を見つけて接触できれば――」

「ないよ」

 

櫛田が遮る。

 

「え?」

「そんなの、ない」

「どうしてそう言い切れるの」

「だってさっき探したもん。海辺で何人かと一緒に。船とかないかなーって。

通信機とかないかなーって。でもその途中で、あの子が裏切って、

あっちが叫んで、それで撃って、それで、また撃って――」

 

言葉がだんだん脈絡を失っていく。

 

危うい。

 

とにかく危うい。

 

堀北は結論した。

 

いまの櫛田に論理的説得は通じない。

彼女の思考は、現実への恐怖と自意識の肥大、

そして生き残りたいという本能が歪に混ざり合って、別の何かへ変質している。

 

それでも、まだ完全に見捨てる決断はできなかった。

 

クラスメイトだから。

同じ学校の生徒だから。

そして自分がまだ、そこまで割り切れていないからだ。

 

「櫛田さん、銃を下ろして」

 

堀北は低く言った。

 

「あなたを責めるつもりはないわ。

いま大事なのは、これ以上誰も死なせないことよ」

「誰も死なせない?」

 

櫛田は、ぴたりと動きを止めた。

 

沈黙。

 

風が木の葉を揺らす。

 

「堀北さんって、ほんと上からだよね」

 

その声音は、冷たかった。

 

「昔からそう。自分だけは正しいみたいな顔して。

みんなを見下して。自分は違う、自分は賢い、自分は特別って」

「……いまその話をしている場合じゃないわ」

「してるよ」

 

櫛田は笑みを浮かべたまま、銃口を少し持ち上げる。

 

「だって、ずっと嫌いだったもん」

 

堀北の指先が冷えた。

 

来る。

 

そう直感した瞬間には、もう遅かった。

 

ダダダダダッ!!

 

連続した銃声が夜の林を切り裂いた。

 

堀北は反射的に横へ飛ぶ。

地面に転がり、木の陰へ身体を滑り込ませる。

銃弾が幹を削り、乾いた破裂音が立て続けに響く。

 

「っ……!」

 

耳鳴りがした。

 

こんな距離で撃たれたら、ナイフでどうこうできる話ではない。

正面から接近すれば、その前に撃ち抜かれる。

 

「ねぇ、堀北さん!」

 

櫛田の声が飛ぶ。

 

「いい子のまま死ぬのって、どんな気分!?」

 

また銃声。

 

堀北は木の反対側へ回り込みながら、必死に考える。

相手は銃器持ち。

こちらは接近武器のみ。

ならば狙うべきは、相手が視界を失う瞬間か、弾切れ、あるいは油断。

 

だが櫛田は狂っていても愚かではない。

むしろ銃を手にしたことで、自分が優位だと理解している。

 

堀北は手近な石を拾い、右へ投げた。

音に反応して櫛田の銃口がそちらへ向く。

その隙に左へ走る。

 

だが、すぐに読まれた。

 

「そこっ!」

 

ダダダッ!

 

熱い痛みが腕を走った。

 

「っぁ……!」

 

身体が大きく揺れる。

左腕。撃たれた。

 

焼けるような痛み。

骨まで響く衝撃。

ナイフを握る手に一瞬力が入らなくなる。

 

まずい。

 

このまま距離を詰められたら終わる。

 

櫛田が近づいてくる足音。

軽い。けれど確実だ。

 

「もう終わりだね」

 

甘ったるい声。

 

「ほんとはもっとみんな殺すつもりだったんだ。

でも堀北さんを殺せるなら、それも悪くないかなって」

 

視界が揺れる。

痛みのせいだけではない。

血の気が引いている。

 

堀北は歯を食いしばり、木にもたれながら立ち上がった。

逃げ切れない。

ならば近づくしかない。

 

ナイフを逆手に握る。

 

腕が痛む。

息が荒い。

頭のどこかで、無謀だと分かっている。

 

だが、それでも。

 

ここで何もしなければ本当に終わる。

 

「……あなたは」

 

堀北は言った。

 

「もう、自分が何をしているのか分かっていないのね」

 

櫛田の笑みが、わずかに歪んだ。

 

「分かってるよ。生き残るの」

 

再び銃口が向けられる。

 

その瞬間、堀北は前へ踏み込んだ。

 

一直線ではない。

斜めに、揺さぶるように。

 

ダダッ、ダダダッ!

 

何発かが外れる。

だが一発が肩をかすめる。衝撃で足がもつれる。それでも止まらない。

 

あと数歩。

 

ここで届けば。

 

櫛田の目に、初めて本物の驚きが浮かんだ。

 

「は、ぁ!?」

 

堀北はナイフを振るう。

浅い。

制服の袖を裂いただけ。

 

だが櫛田が一瞬たじろぐ。その隙にさらに踏み込もうとした――

 

その直前。

 

パンッ。

 

単発の、乾いた銃声が響いた。

 

櫛田の身体が、ぴたりと止まる。

 

目が見開かれる。

口元から、掠れた息が漏れる。

 

「……え?」

 

櫛田の心臓から血が吹き出し、力が抜けたように膝から崩れ落ちた。

 

マシンガンが手を離れ、落ちる。

 

堀北はその場で凍りついた。

 

何が起きたのか、一拍遅れて理解する。

 

誰かが撃った。

 

櫛田を。

 

「立てるか」

 

背後から聞こえた声に、堀北は振り向いた。

 

そこにいたのは、綾小路清隆だった。

 

リボルバーを片手に、いつもの無表情のまま立っている。

息も乱れていない。

まるで最初から最後まで、すべて見ていたかのように。

 

「……綾小路くん」

 

声がかすれた。

 

綾小路は櫛田の倒れた身体を一瞥する。

そこに感傷はない。確認だけだ。

 

「急所に当たってる。もう無理だ」

 

淡々とした言い方だった。

次に綾小路は櫛田のマシンガンを回収する。

マイクロ ウージーと呼ばれるサブマシンガンであった。

 

堀北は言葉を失う。

 

櫛田が死んだ。

ついさっきまで話していた相手が、もう二度と立ち上がらない。

 

それを救ったのが綾小路であることも事実だ。

彼が撃たなければ、自分が死んでいた可能性は高い。

 

それでも。

 

「あなたが……撃ったの?」

「見れば分かるだろ」

「……そうじゃなくて」

 

言葉が続かない。

 

どう聞けばいいのか、自分でも分からなかった。

なぜそんなに躊躇なく撃てたのか。

いつからそこにいたのか。

自分を助けるためだったのか。

それとも、ただ状況的に不要な存在を排除しただけなのか。

 

綾小路は堀北の腕を見た。

 

「腕を撃たれてるな」

「平気よ」

「平気じゃない」

 

彼はそう言って、バッグから止血剤と包帯を取り出した。

動きに迷いがない。

 

「座れ。応急処置をする」

 

堀北は一瞬ためらったが、逆らう理由もなかった。

その場に腰を下ろす。腕の痛みで思考が鈍る。

 

綾小路は無駄な言葉を挟まず処置を始めた。

患部の確認。止血。固定。手際が良すぎる。

こういう場面に慣れている、としか思えない手つきだった。

 

「……あなた、どこから見ていたの」

「途中からだ」

「どうしてもっと早く出てこなかったの」

「出る必要がなかったからだ」

 

堀北は眉をひそめる。

 

「私は死にかけていたわ」

「だから撃った」

 

それだけだった。

 

助けたことを恩着せがましく語るでもなく、釈明するでもない。

事実だけを並べた返答。

 

だが、その冷たさが逆に綾小路らしかった。

 

「櫛田さんは……」

「試験に適応したんじゃない。壊れたんだろうな」

 

綾小路は淡々と言う。

 

「ただ、壊れた人間は危険だ。武器を持ってるならなおさらだ」

「……あなたは平然としているのね」

「平然として見えるだけだ」

 

その言葉が本当かどうかは分からない。

ただ少なくとも、綾小路は恐怖で判断を誤る人間ではない。

いまこの島で最も頼れる相手の一人であることだけは、認めざるを得なかった。

 

処置が終わる。

 

「動けるか」

「なんとか」

「なら移動する。銃声を聞きつけた誰かが来る可能性がある」

 

堀北は立ち上がる。

腕は痛むが、先ほどよりはましだ。

 

ふと、倒れた櫛田へ視線が向く。

 

月明かりの下、彼女は静かに横たわっている。

もう何も言わない。笑わない。罵らない。

あれほど強烈だった存在感が、あっけなく消えていた。

 

胸の奥がざらつく。

 

嫌いだった。

信頼もしていなかった。

それでも、こういう終わり方を望んでいたわけではない。

 

「……行くぞ」

 

綾小路の声で、堀北は我に返る。

 

彼の背中を見ながら、歩き出す。

 

この夜はまだ始まったばかりだ。

すでに死者は数え切れない。

そして、自分もまたほんの少し遅ければ、そこに加わっていた。

 

林の奥へ進みながら、堀北は理解する。

 

この島では、理性だけでも、善意だけでも足りない。

だがそれでも、自分が何を捨て、何を守るのかを決めなければならない。

 

綾小路清隆という男が、どこまで冷徹になれるのか。

自分が、その隣でどこまでついていけるのか。

 

その答えを知るには、まだ夜は長すぎた。




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