ようこそ殺戮至上主義の教室へ   作:戦竜

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第二章 壊れていく者、適応する者

同じ夜だった。

 

綾小路と堀北が林の奥を移動していたその頃、

島のあちこちでは、すでに別の地獄が始まっていた。

 

試験が始まった瞬間から、全員が平等に恐怖を与えられたわけではない。

むしろ逆だ。

 

同じルールを提示されても、同じように絶望する人間ばかりではない。

恐怖で思考を止める者。

怒りで現実を拒絶する者。

誰かに縋ろうとする者。

そして――最初から、この異常事態を利用できる状況として捉える者。

 

龍園翔は、その最後の側に立つ人間だった。

 

 

上陸地点は崖に近い岩場だった。

 

波がぶつかるたびに、暗い海が白く泡立つ。

足場は悪く、わずかに踏み外せば斜面を滑り落ちてもおかしくない。

普通なら最悪の地点だ。だが龍園は、艇から降りた瞬間に思った。

 

悪くない。

 

見晴らしが利く。

背後を海に預けられる。

地形を把握するには都合がいい。

 

支給されたバッグを肩に担ぎ、月明かりの下で中身を確認する。

 

水。

保存食。

包帯。

簡易地図。

懐中電灯。

そして武器。

 

「へぇ」

 

龍園は短く笑った。

 

アサルトライフル。

 

弾数の確認。

装填状態。

予備弾倉。

いずれも実用品として十分。

そして重要なのは、連射できるという事実だけだった。

 

周囲には、同じクラスの石崎、アルベルト、伊吹、そして椎名ひよりがいた。

呼び出し順や上陸地点の都合が近かったのだろう。

あるいは学校側が意図的に近接配置したのかもしれない。

 

どちらでもいい。

 

少なくとも、最初に知った顔と合流できたのは悪くなかった。

 

「龍園さん……」

 

石崎の声は明らかに硬かった。

無理もない。倉庫で見た20人の死は、誰にとっても現実離れした衝撃だった。

 

「お、俺たち、どうすれば……」

「決まってんだろ」

 

龍園は肩をすくめた。

 

「生き残る」

「いや、だから……」

 

石崎は視線を泳がせる。

言いたいことは分かる。

 

生き残るとは何か。

誰かを殺してでもか。

そんなことを、本当にやるのか。

 

そう訊きたいのだろう。

 

だが龍園は、そんな曖昧な葛藤に付き合う気はなかった。

 

「ビビってる時間はねぇ。まず場所を変える」

 

そう言って歩き出す。

 

アルベルトは無言でついてきた。

伊吹は不機嫌そうに舌打ちしつつも従う。

ひよりは小さく震えながらも、遅れまいと歩いている。

 

石崎だけが、一瞬だけ動けなかった。

 

それでも置いていかれる恐怖が勝ったのか、慌てて後を追う。

 

林へ入る手前で、龍園は立ち止まり、全員に武器を出させた。

 

「見せろ」

 

誰も逆らえない。

 

石崎はハンドガン。

アルベルトも同じくハンドガン。

伊吹は金属バットに近い形状の鈍器。

ひよりはワルサーPPKという小型拳銃。

そして自分はM16A1というアサルトライフル。

 

差がある。圧倒的に。

この時点で戦力の優劣は大きく傾いていた。

 

「……運がいいわね」

 

伊吹が眉をひそめて言う。

 

「だな」

 

龍園は隠しもせず笑った。

 

運。

その言葉を嫌うつもりはない。

実際、生き死には運にも左右される。

だが、運を引き寄せたあとにどう使うかは本人次第だ。

 

石崎が乾いた唇を舐めた。

 

「お、俺たちで固まってれば、しばらくは何とかなるよな?

無駄に戦う必要なんてねぇし、朝になってから考えても――」

「無駄?」

 

龍園が訊き返す。

 

静かな声だった。

 

だがその一言で、石崎は肩を跳ねさせた。

 

「そ、それは……」

「お前、まだ分かってねぇのか?」

 

龍園は一歩近づいた。

 

「これは試験だとかルールだとか、そういう見せかけがついてるだけの殺し合いだ。

朝になったら何か変わるとでも思ってんのか?教師が謝って終わりになる?

船に戻してくれる?寝ぼけたこと言ってんじゃねぇよ」

「でも……!」

 

石崎の声が掠れる。

 

「だからって、本当にやるんですか……?

クラスのやつとか、他の連中とか、そんなの撃てるわけねぇ!」

「撃てないやつから死ぬ」

 

龍園は即答した。

 

そこに迷いは一切ない。

 

石崎は言葉を失った。

アルベルトも険しい顔のまま黙り込んでいる。

伊吹は龍園の言い分自体は理解しているようだったが、

その物言いが気に入らないのか腕を組んだままそっぽを向いていた。

ひよりは何も言えない。

 

龍園はその全員を見渡し、内心で評価する。

 

石崎。

情が邪魔をする。扱いやすいが、こういう場では足手まといになりやすい。

 

アルベルト。

戦闘力は高い。だが優しすぎる。命令には従うが、自発的に一線を越えられない。

 

伊吹。

反発心が強い。けれど闘争そのものには適性がある。制御は面倒だが使える。

 

ひより。

身体能力は低い。だが頭はいい。

冷静さを取り戻せば、情報処理役として価値が出る。

 

つまり、残すべきかどうかはもう見えている。

 

この状況で仲間を維持するために必要なのは、信頼ではない。

使えるか、使えないか。

ただそれだけだ。

 

「龍園さん……まさか」

 

石崎の声に、怯えが混ざる。

 

ようやく気づいたのだろう。

自分がいま、誰と一緒にいるのかを。

 

龍園は笑う。

 

「まさか、なんだ?」

「俺たちまで……」

「どうすると思う?」

 

悪趣味な問いかけだった。

だが龍園は相手を追い詰めたとき、こういう間を好む。

 

石崎は一歩下がる。

アルベルトも反射的に身構えた。

伊吹が鋭く龍園を見る。

ひよりは息を呑んだ。

 

そして次の瞬間、龍園は引き金を引いた。

 

短い連射。

 

石崎の身体が跳ねる。

 

「……っ、が」

 

信じられないものを見る目で、龍園を見たまま崩れ落ちる。

 

「~~~~~ッ!!」

 

アルベルトが叫んだ。

 

だが、遅い。

 

龍園は銃口を滑らせるように向け変え、今度はアルベルトへ撃ち込んだ。

巨体がわずかによろめく。急所を外した一瞬。

その間にアルベルトは前へ出ようとしたが、

二射目、三射目で膝をつき、そのまま地面へ倒れた。

 

伊吹が弾かれたように飛び出す。

 

「龍園!てめぇぇぇぇぇッ!!」

 

銃相手に真正面から突っ込むのは愚かだ。

だが、伊吹らしいとも言えた。

 

彼女は怒りのまま龍園へ組み付き、銃口を逸らす。

連射音が夜に散り、弾は木々を削った。

 

「ふざけんじゃないわよ!!何が試験だ!!何が生き残るだ!!」

「うるせぇな」

 

龍園は低く吐き捨てる。

 

格闘になれば、伊吹にも分がある。

実際、足技と低い重心で龍園の体勢を崩しにかかってきた。

だが感情のままに飛び込んだ時点で、勝負は長く続かない。

 

龍園は伊吹の腕を外し、肘を叩き込み、体勢を崩させる。

さらに背後へ回り込み、その首元に腕を回した。

 

「放せッ……!」

「お前は惜しかったな」

 

耳元で囁く。

 

次の瞬間。

龍園は躊躇わず伊吹の首をへし折った。

鈍い音とともに、伊吹の身体から力が抜けた。

 

龍園はそれを乱暴に地面へ捨てる。

 

静かになった。

 

波の音。

風の音。

そして、ひよりの怯えた呼吸だけが聞こえる。

 

龍園はアサルトライフルを持ち直した。

 

目の前には三つの沈黙。

石崎。

アルベルト。

伊吹。

 

どいつも、少し前まで同じクラスで騒いでいた連中だ。

だが感傷はない。あっても邪魔なだけだ。

 

「……どうして」

 

ひよりが、ようやく声を絞り出した。

 

「どうして、こんな……」

 

龍園は振り返る。

 

ひよりは蒼白だった。

いまにもその場で崩れそうなほど震えている。

 

「使えねぇからだ」

「……っ」

「石崎もアルベルトも甘すぎる。

伊吹はキレると周りが見えなくなる。お前はどうだ、ひより」

 

ひよりは答えられない。

 

龍園は数歩近づく。

 

ひよりは逃げない。逃げられない。

怯え切った目で見上げるだけだ。

 

「お前、頭は回るよな」

「……」

「こういうとき、何が必要か分かるか?」

 

長い沈黙のあと、ひよりはかすかに唇を動かした。

 

「……情報、ですか」

 

龍園は口角を上げた。

 

「正解だ」

 

だから残す。

その意味を、ひよりも理解したのだろう。

 

助けられたわけではない。

選別の結果、生かされたにすぎない。

 

「ついてこい」

 

龍園は言った。

 

「役に立て。そうすりゃ少なくとも今すぐは殺さねぇ」

 

ひよりは小さく震えながら、うなずくしかなかった。

 

こうして龍園翔は、最初の仲間を失い、最初の駒を手に入れた。

 

 

一之瀬帆波は、試験開始直後から必死だった。

 

恐怖に飲み込まれそうになるたびに、自分より先に周囲の顔を見る。

怯えているクラスメイト。

泣きそうになっている女子。

怒りと混乱で声を荒らげる男子。

 

自分まで崩れたら終わる。

そう思えばこそ、笑顔に近い表情を無理やり作り、声を張った。

 

「落ち着いて!まだ始まったばかりだから!みんな、できるだけ一緒に動こう!」

 

上陸地点が近かった十数名は、一之瀬のもとに自然と集まった。

網倉。白波。小橋。柴田。ほかにも何人か。

 

彼らは一之瀬に期待していた。

こういうときでも、彼女なら何とかしてくれるのではないかと。

 

その期待が重いことを、一之瀬は理解していた。

けれど同時に、それを手放した瞬間に全員がばらばらになることも分かっていた。

 

「まず人が集まりやすい場所は避けよう。海辺は危ない。

林の中を通って、どこか身を隠せる場所を見つけるの」

「でもさ、こんなのマジでどうするの……」

 

小橋が顔を引きつらせる。

 

「学校が本気でこんなこと――」

「考えても仕方ないよ。いまは、生き残ることだけ考えよう」

 

そう言いながら、一之瀬自身も胸の内では混乱していた。

 

本気なのか。

なぜ、ここまで。

誰が、何のために。

 

答えは見えない。

だが目の前の死だけは本物だった。

 

だから彼女は、理解できない現実を理解しようとするより先に、

人をまとめるという自分の役割へしがみついた。

 

しばらくは、それで何とか進めた。

 

だが、集団行動には集団行動の脆さがある。

 

人数がいれば安心感は増す。

その一方で、意見が割れる。移動が遅れる。音が増える。

誰かが怯えればその恐怖が伝染する。

そして武器や物資の格差が、不信を生む。

 

それが最初に表面化したのは、林を抜けかけたあたりだった。

 

「ちょっと待って」

 

女子の一人が立ち止まる。

 

「このまま一之瀬さんについていって、本当に大丈夫なの?」

 

空気が変わる。

 

一之瀬はすぐに振り返った。

 

「どういう意味?」

「だって……何も決まってないじゃん。どこへ行くのかも、どうするのかも。

まとまって動くって、それ目立つだけじゃない?」

「目立っても、一人ずつバラバラになるよりは――」

「でも武器の差もあるし……!」

 

別の男子が口を挟む。

 

「俺のは棒みたいなやつだけど、あいつ銃持ってるんだぞ?

そんな状態で仲良くしましょうって無理だろ!」

 

誰かが誰かを見る。

 

視線に警戒が混ざる。

 

それだけで十分だった。

疑念は、一度形になれば止まらない。

 

「私たちで武器を集めたほうがいいんじゃない?」

「いや、それってつまり、強い武器持ってるやつを狙うってこと?」

「でもそうしないと不公平じゃん」

「不公平とか言ってる場合かよ!」

 

声が重なり、荒くなる。

 

「やめて!」

 

一之瀬は思わず強く言った。

 

全員の視線が集まる。

 

「ここで揉めたら、本当に終わるよ。みんな冷静になって」

「冷静になれって言われても!」

 

小橋が吐き捨てるように言った。

 

「冷静になって何になるの!

結局誰かが誰かを殺さなきゃ終わらないんでしょ!?だったら――」

 

その瞬間だった。

 

林の奥から銃声が響いた。

 

全員が硬直する。

 

次いで、別方向からも音。

足音。

誰かがいる。

 

「伏せて!」

 

一之瀬が叫ぶより早く、木々の間から弾丸が飛んだ。

 

悲鳴。

誰かが倒れる。

逃げる者、固まる者、叫ぶ者。

 

集団は一瞬で崩れた。

 

どこから撃たれたのかも分からない。

相手の姿もはっきりしない。

ただ、撃たれているという事実だけが恐怖を増幅させる。

 

「こっちだ!」

 

柴田が一之瀬の腕を掴み、近くの岩陰へ引き込んだ。

 

網倉たちも散開する。

だがそのとき、一之瀬は見てしまった。

 

白波が立ち上がろうとした瞬間、さらに別の方向から撃たれて崩れるところを。

小橋が叫びながら走り出し、その先で足をもつれさせ、もう動かなくなるところを。

 

時間にすればほんの数十秒。

なのに、それだけでクラスの空気は完全に壊れた。

 

どうにかその場を離れ、

比較的深い林へ逃げ込めたのは一之瀬を含め数名だけだった。

 

息が乱れる。

誰も言葉を発さない。

 

網倉がいない。

白波も。

小橋も。

さっきまで一緒にいた顔がいくつも消えている。

 

そして残った者の目にも、もはや以前の信頼はなかった。

 

「……なんで」

 

女子の一人が震える声で言った。

 

「なんで、こんな」

 

一之瀬は返せない。

 

自分がまとめれば何とかなると思っていた。

だが実際は違った。

守れなかった。

止められなかった。

むしろ、集団でいたからこそ狙われた可能性すらある。

 

柴田が歯を食いしばる。

 

「まだ諦めるな」

 

一之瀬は顔を上げた。

 

「柴田くん……」

「ここで終わりじゃねぇよ。みんなで固まって、

武器あるやつは前に出て、ないやつは後ろに回って――」

「もう遅いよ」

 

誰かが吐き捨てた。

 

「何がみんなでだよ。撃たれたら終わりじゃん」

「じゃあ一人で勝手にしろよ!」

「そうするよ!」

 

また崩れる。

またまとまりが消える。

 

一之瀬は必死に止めようとした。

だがその努力自体が、逆に空虚に思え始めていた。

 

みんなを守りたい。

誰も死なせたくない。

そんな理想が通じるなら、とっくに最初の20人は死んでいない。

 

この島では、願いが弱い。

優しさが遅い。

善意は、引き金より遅れて届く。

 

「諦めちゃだめだ!」

 

柴田が再び言う。

 

「一之瀬、お前がそんな顔するなよ!まだ方法はある。絶対にあるはずだ!」

 

その言葉に、一之瀬はゆっくり顔を向けた。

 

柴田は本気だった。

この地獄の中でも、まだ仲間を信じ、何とかなると信じている。

 

眩しいと思った。

 

そして同時に――耐えられなかった。

 

なんとかなる?

 

何が。

誰が。

どうやって。

 

網倉はもういない。

白波も。

小橋も。

何人も死んだ。

自分は何一つ守れなかった。

 

なのにまだ、そんな綺麗な言葉を口にできるのか。

 

「……もう、やめて」

 

一之瀬は小さく言った。

 

「え?」

「そういうの、やめてよ」

 

柴田が目を見開く。

 

一之瀬は、自分でも驚くほど静かな声で続けた。

 

「励ましたって生き返らない。信じようって言ったって、弾は止まらない。

私たちはもう、前の私たちじゃないんだよ」

「一之瀬……?」

「分からないの?」

 

顔を上げる。

 

自分の声が、自分のものではない気がした。

 

「ここでは、先に割り切った人が勝つんだよ」

 

沈黙。

 

誰も言葉を返せない。

 

柴田だけが、それでも首を横に振った。

 

「違う」

「……」

「違うだろ。一之瀬。お前はそんなやつじゃ――」

 

そのそんなやつじゃないが、決定打になった。

 

そんなやつじゃない?

 

じゃあ、どんなやつならこの島で生き残れる?

 

みんなを守りたい一之瀬帆波のまま、何人死ぬのを見続ければいい?

 

何人死ねば、自分は現実を認めていい?

 

気づいたときには、手が動いていた。

 

支給された斧を握る。

柴田は一瞬、意味を理解できなかったのか動かない。

 

「一之瀬――」

 

斧が柴田の頭へ振り下ろされる。

 

鈍い音。

 

それで終わりではなかった。

もう一度。

もう一度。

 

誰かの悲鳴が上がる。

だが一之瀬には、もうそれが遠く聞こえた。

 

ようやく手を止めたとき、足元で柴田は動かなくなっていた。

 

静かだった。

 

周囲のクラスメイトたちは凍りついている。

さっきまで一之瀬に期待を向けていた目が、いまは恐怖に変わっていた。

 

一之瀬はその視線を受けながら、ゆっくりと息を吐く。

 

「……これで分かったでしょ」

 

自分でも驚くほど乾いた声だった。

 

「綺麗ごとは、もう終わり」

 

誰も反論しない。

できない。

 

その瞬間、一之瀬帆波という少女の中で、何かが確かに折れた。

 

 

坂柳有栖は、最初から静かだった。

 

彼女にとって恐怖がないわけではない。

だが恐怖を表に出すことが、状況を改善しないことを知っている。

 

倉庫で20人が殺されたときも、彼女は舞台装置が本物だったと理解しただけだった。

不愉快ではある。

だが、それで思考を止めるほど愚かではない。

 

上陸後、近くにいたのは橋本正義と神室真澄、それから数名のクラスメイトだった。

島の暗さは、坂柳にとっては致命的な不利でもある。

身体にハンデがある以上、単独で長時間移動するのは現実的ではない。

 

だから彼女は最初から決めていた。

自分は頭脳に徹し、足は他者に担わせる。

 

「まず拠点を確保しましょう」

 

坂柳の提案に、橋本は苦い顔をした。

 

「拠点って言ってもな……安全な場所なんてあるのか?」

「ありません」

 

即答だった。

 

「ですが、比較的ましな場所はあります。

人が集まりやすい海辺や開けた場所を避け、壁や屋根のある場所へ向かうべきです」

「建物ってことか」

「ええ。地図上では、廃病院らしき施設があります。

古くても、野営よりははるかにましです」

 

神室が短く言う。

 

「そこまで行くのが問題でしょ」

「だから、あなたがいるのでしょう?」

 

坂柳はさらりと返した。

 

神室は眉をしかめたが、否定はしない。

事実、彼女は身体能力も判断力もある。

坂柳を守る役としては適任だった。

 

移動は決して楽ではなかった。

 

足場の悪い林。

闇。

いつどこから誰が現れるか分からない緊張。

坂柳の歩幅は小さく、速度も出ない。

 

橋本は何度か周囲を警戒しつつ、やや苛立ったように言った。

 

「ほんとにこれ、勝ち目あんのかよ」

「ありますよ」

「その自信、どっから来るんだか」

「自信ではなく計算です」

 

坂柳は淡々と答えた。

 

「この試験では、力のある者が必ずしも勝つとは限りません。

むしろ、最後に必要なのは総合的な判断です。

誰と戦うべきか、いつ退くべきか、どこで他者を消耗させるか。

それを誤らなければ、生存率は上がります」

「おまえ、ほんとこういうときでも変わんねぇな」

 

橋本は呆れたように笑う。

 

だが、その軽口にどこか救われている部分もあるのだろう。

極限状況では、いつもどおりに振る舞う人間が

一人いるだけで呼吸がしやすくなることがある。

 

やがて彼らは、地図に記されていた廃病院へ辿り着いた。

 

外壁はひび割れ、窓ガラスもいくつか割れている。

だが建物としての形は保っていた。

少なくとも風雨を凌げるし、出入口の管理もしやすい。

 

「ここを当面の拠点にします」

 

坂柳の指示で、まず内部確認を行う。

橋本が先行し、神室が坂柳を庇うように移動する。

 

静かだった。

不気味なほどに。

 

しかし、その静けさこそが逆に危険でもある。

 

誰かが先に潜んでいる可能性。

物資を求めて後から来る可能性。

建物は守りやすいが、一度包囲されれば逃げ道が限られる。

 

それでも、夜を越える場所としては悪くない。

 

坂柳は壁際に腰を下ろし、短く息を整える。

 

「さて」

「さて、じゃないだろ」

 

橋本が肩をすくめる。

 

「これからどうすんだ。

まさか、ほんとに最後の一人になるまで待つわけじゃねぇよな?」

「理想は、他者同士で潰し合ってもらうことです」

「そりゃそうだ」

「ですが、完全に受け身ではいけません。情報が必要です。

近隣の地形、残っている生徒の傾向、武器の種類、そして危険人物の所在」

 

坂柳はそこで一拍置き、静かに言った。

 

「特に龍園くんと高円寺くん」

 

橋本の表情が引き締まる。

 

「やっぱそこか」

「ええ。龍園くんはこういう場で最も分かりやすく適応するでしょう。

高円寺くんは、その上でさらに読みにくく、身体能力、知略ともにトップレベル。

この試験の優勝候補の筆頭格と言えましょう」

 

神室が壁にもたれながら言う。

 

「一之瀬は?」

「初動では脅威になりにくいでしょう。ですが、彼女が壊れた場合は別です」

 

橋本は軽く息を吐いた。

 

「どいつもこいつも厄介だな」

「だから試験なのでしょう」

 

坂柳は微笑む。

 

そのときだった。

 

廊下の向こうで、何かが鳴った。

 

足音。

 

複数。

 

橋本が即座に身を低くする。

神室も立ち上がり、武器を構える。

 

「来たな」

 

囁くように橋本が言う。

 

誰かが病院へ入ってきた。

生徒か、それとも主催側かは分からない。

だが、この場で後者の可能性は低い。

 

坂柳は一瞬で思考する。

 

戦うか。

隠れるか。

逃がすか。

 

結論が出る前に、銃声が響いた。

 

橋本が飛び出し、神室が坂柳の前へ出る。

廊下の奥で怒号。

誰かの悲鳴。

 

「坂柳!走れ!」

 

橋本の叫び。

 

その声音で、坂柳は理解した。

こちらに有利はない。橋本は時間を稼ぐつもりだ。

 

そして同時に、もう一つの事実も理解していた。

 

この試験では――坂柳有栖の頭脳は、ほとんど意味を持たない。

 

教室ならば違った。

ポイント重視の試験ならば違った。

交渉と情報と心理戦が支配する世界ならば、坂柳の思考は常に優位に立てた。

 

盤面を読み、駒を動かし、相手の選択肢を削り、

勝利の形を組み立てる。

 

それが坂柳有栖の戦い方だった。

 

だが、ここには盤面がない。

 

チェスの盤も、駒も、知略も、

この狂気の沙汰の前では何の意味も持たない。

 

あるのはただ――

 

銃声。

爆発。

そして、殺意だけだ。

 

身体能力の差も、ここでは容赦なく突きつけられる。

 

坂柳は走れない。

跳べない。

戦えない。

 

杖をつかなければ満足に歩くことすらできない。

 

普段ならば、それでも問題はなかった。

身体的な劣勢は、思考でいくらでも覆せる。

 

だがこの試験は違う。

 

相手が理屈で動くとは限らない。

むしろ、理屈など最初から存在しない。

 

恐怖。

憎悪。

絶望。

 

そういった感情に突き動かされた人間が、引き金を引く。

 

それだけで、すべてが終わる。

 

どれだけ先を読んでも、

どれだけ戦略を組んでも、

一発の弾丸がすべてを覆す。

 

それが、この試験だった。

 

坂柳は理解していた。

 

自分は今、この試験が始まって以来、

初めて本当の意味で窮地に立たされている。

 

盤面の外へ放り出された棋士。

 

それが今の坂柳有栖だった。

 

そして。

 

この状況で生き残る方法は、一つしかない。

 

壊れるか。

適応するか。

 

そのどちらかだ。

 

「神室さん」

「分かってる」

 

神室は短く言って、坂柳を背負った。

 

「しっかり掴まって!」

 

小柄な坂柳の身体が浮く。

神室はそのまま裏口へ向けて走り出した。

 

後方で、さらに銃声。

橋本の声が一度だけ響き、それきり聞こえなくなる。

 

坂柳は振り返らない。

 

振り返る必要がないからではない。

振り返ったところで、何も変えられないからだ。

 

橋本正義はここで切られた。

それだけのこと。

 

神室は夜の林を走った。

坂柳を背負ったまま。

不安定な地面を蹴り、枝を避け、息を荒げながらも止まらない。

 

その姿を、坂柳は背中越しに感じていた。

 

この女は不器用だ。

口も悪い。

素直さもない。

だが、いざというときには動く。

 

だから価値がある。

 

「神室さん、左です」

「……指示すんな」

「道を誤れば二人とも終わりますよ」

「分かってるって……」

 

言い返しながらも、神室は指示どおりに進路を取る。

 

その途中で、他の生徒と遭遇した。

相手も怯えていた。

だが、怯えた相手ほど引き金は軽い。

 

神室は容赦なく対処した。

 

一人。

二人。

そしてさらに数人。

 

生き残るために。

坂柳を守るために。

 

気づけば、神室自身も傷を負っていた。

被弾。

擦過傷。

息は荒く、足取りも重い。

 

それでも彼女は止まらなかった。

 

その結果として、坂柳有栖は生かされ続けた。

 

 

夜は深くなっていく。

 

同じ島の上で、同じように恐怖を与えられながら、進む道は決定的に分かれていた。

 

試験に乗れない者。

試験に乗る者。

乗ったふりをする者。

そして、最初から他人を資源としか見ていない者。

 

龍園は、選別を終えたあとすぐに動き始めていた。

 

ひよりを連れ、音を拾い、地形を確認し、

誰がどのあたりで交戦しているか推測する。

 

「……龍園くん」

 

ひよりが小さく言う。

 

「なんだ」

「このまま、最後まで……?」

「生き残る気があるなら、最後まで行くしかねぇだろ」

「でも、あなたも怪我をするかもしれません」

「だから?」

 

ひよりは黙る。

 

龍園は鼻で笑った。

 

「お前は優しいな」

「……」

「だが、優しいままじゃここじゃ生き残れねぇ」

 

その言葉は、龍園なりの事実だった。

 

一方、一之瀬はもうまとめ役ではいられなくなっていた。

柴田を手にかけたあと、残った者たちは彼女から距離を取り、

ある者は逃げ、ある者は怯え、ある者は従うふりをした。

 

かつて誰からも好かれ、誰よりも人の中心にいた少女は、

この夜だけで別の存在に変わりつつあった。

 

坂柳は神室に命を預け、橋本を切り捨てながら、

それでも頭脳の主導権を失っていない。

この極限状況の中でも、誰をどこで使い潰すかを考えている。

 

そして、綾小路と堀北もまた動いている。

 

島全体が、少しずつ収束していく。

強者が弱者を呑み込み、弱者は数を減らし、偶然の遭遇が次の死を呼ぶ。

 

まだ第一夜だというのに、すでに多くの生徒が脱落した。

明日の朝、どれだけの名前が生き残っているのか、もはや誰にも分からない。

 

それでも夜は止まらない。

 

月は変わらず空にあり、海は何事もなかったように波を返す。

人が何人死のうと、島そのものは何一つ動じない。

 

その冷たさが、この試験の本質だった。

 

ここでは、悲劇でさえ平等ではない。

 

価値のある死と、価値のない死。

意味のある抵抗と、無意味な絶命。

そういう残酷な差が、当たり前のように生まれていく。

 

そしてこの夜の終わりが近づく頃には、ほとんどの生徒が理解することになる。

 

助けを待っても、誰も来ない。

正しさを叫んでも、弾は止まらない。

優しさだけでは、生き残れない。

 

この島で必要なのは、覚悟だ。

 

殺す覚悟。

捨てる覚悟。

自分が壊れる覚悟。

 

そのいずれかを持てない者から、静かに消えていく。




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