櫛田桔梗の死体をその場に残し、
綾小路清隆と堀北鈴音は林の奥へ進んでいた。
夜の無人島は、相変わらず底知れない暗さを保っている。
さっきまで響いていた銃声も、いまは遠くに散ったきり、
周囲には木々のざわめきと、時折足元の枝を踏む音しかない。
だが、静かだから安全というわけではない。
むしろこういう沈黙の時間こそ危険だった。
誰かが隠れているかもしれないし、こちらを見ているかもしれない。
そうした想像が、神経をじわじわと削っていく。
堀北は左腕に巻かれた包帯を意識した。
痛みは鈍く、しかし確実に存在している。
止血はできている。
だが、腕を大きく動かすたびに熱を持ったような疼きが走った。
戦闘継続が不可能なほどではない。
けれど、万全でないことは明らかだ。
「歩けるか」
先を行く綾小路が振り返らずに言った。
「問題ないわ」
「本当に問題ない人間は、そういう言い方をしない」
「あなたは人の言葉尻を拾う余裕まであるのね」
「余裕がないと死ぬからな」
淡々とした返答だった。
それが事実であることを、堀北も認めざるを得ない。
この男は、極限状況において異様なほど安定していた。
櫛田が銃を乱射し、自分が撃たれ、目の前で人が死んだあとだというのに、
綾小路の呼吸も足取りもほとんど乱れていない。
普通ではない。
以前から、ただ者ではないとは分かっていた。
試験や実力行使のたびにその片鱗は見せていたし、
無人島試験や体育祭のような局面でも、
彼の判断力は明らかにクラス平均を逸脱していた。
だが、いま目の前にいる綾小路清隆は、それともまた違う。
これはもう、優秀な生徒という範疇ではなかった。
死が隣にある状況に、最初から適応するために作られたような人間。
「……あなた」
堀北は歩きながら言った。
「さっき、櫛田さんを撃ったとき……迷わなかったわね」
「迷う理由がない」
「相手は同じクラスの生徒よ」
「それがどうした」
あまりにも即答だったため、堀北は一瞬言葉を失った。
綾小路は前だけを見たまま続ける。
「同じ学校、同じクラス、知ってる顔。
そんな条件は、この試験では優先順位が低い。
目の前で銃を持った相手が、おまえを殺そうとしていた。
だったら撃つ以外に選択肢はない」
「説得する余地はあったかもしれないわ」
「なかった」
「どうしてそう言い切れるの?」
「目を見れば分かる」
綾小路の声に感情はない。
「正常な判断を失っていた。
ああいう相手は、自分が死ぬ直前まで自分を正当化する。
説得に使う数秒で、こっちが死ぬ」
堀北は反論しかけて、やめた。
綾小路の言葉には冷たさがある。
だが、少なくとも櫛田とのやり取りを思い返せば、全面的に否定はできなかった。
あのときの櫛田は、すでに話し合いの土俵から降りていた。
彼女を救うことと、自分が生き残ることを同時に成立させるのは難しかっただろう。
だからこそ、不快だった。
綾小路の判断が合理的であればあるほど、そこに自分の甘さが浮き彫りになる。
「……あなたは最初から、こうなると分かっていたの?」
「ある程度はな」
「ある程度?」
「この試験が普通じゃないことも、主催側が本気だってことも、
倉庫で20人撃たれた時点ではっきりした」
「そうじゃないわ」
堀北は綾小路の背中を見つめる。
「この試験の性質よ。こんなことを仕掛けてくる相手がいて、
あなたはそれを予想していたんじゃないの?」
沈黙。
風が葉を揺らす。
綾小路は数歩進んでから、ようやく言った。
「その質問に答える必要はない」
「答えられないのではなく?」
「どっちでもいい」
拒絶に近い言い方だった。
だが堀北は、それ以上追及しなかった。
いまの綾小路は、隠し事を暴く相手として向き合うべき男ではない。
少なくともこの島で生き延びるまでは、使える情報だけを拾うべきだ。
「これからどうするつもり?」
「まず夜を越える」
「それだけ?」
「十分だろ」
「生き残るための方針を聞いているのよ」
綾小路は少しだけ歩調を落とした。
「味方になり得る戦力と合流する」
「誰を想定しているの?」
「須藤」
その名前に、堀北はわずかに目を細めた。
「……須藤くん?」
「身体能力が高い。単純な力だけなら、この島でも上位だ」
「精神面には不安があるわ」
「前よりはましになってる」
「それは認めるけれど」
「それに」
綾小路が言う。
「おまえの言葉に従う可能性が高い」
堀北は小さく息を詰めた。
綾小路は、そういうところだけ妙に容赦がない。
自分の能力だけでなく、他人の感情や関係性まで冷静に計算に入れる。
「……利用するつもり?」
「利用できるものは利用する」
「あなたは、本当に」
「ここで綺麗ごとを言いたいなら止めない」
綾小路は淡々と告げた。
「だが、その場合は先に死ぬ」
それで会話は終わった。
堀北は唇を引き結ぶ。
腹立たしさはある。
だが、反論のための反論をしても意味がないのは分かっていた。
綾小路の言い方は冷酷だが、少なくともこの状況においては、
感情に寄りかかる余地がほとんど存在しない。
やがて二人は、小さな木造の小屋を見つけた。
地図上に記載されていた簡易避難所のようなものだろうか。
外壁は古びており、窓も半分は汚れている。
だが壊れきってはいないし、屋根もある。夜を越すだけなら十分だった。
綾小路はすぐに周辺を確認した。
足跡。
出入りの痕跡。
気配。
「いまのところ使われた形跡は薄い」
「本当に安全?」
「安全な場所はない」
そう言って扉を開ける。
中は暗く、湿った木の匂いがした。
机代わりの板と、簡素なベンチのようなものが置かれているだけ。
寝泊まりに向いた場所ではないが、
林の中で無防備に夜を明かすよりは遥かにましだ。
「ここで数時間休む」
綾小路が言った。
「眠れるわけないでしょう」
「眠れなくても目を閉じろ。思考力が落ちる」
堀北は壁にもたれながら腰を下ろした。
極度の緊張状態のせいで疲労に気づきにくかったが、
こうして動きを止めると身体が一気に重くなる。
左腕の痛みも、冷えた空気に触れてじんじんと存在感を増してきた。
綾小路は入口に近い位置へ座り、リボルバーを手の届くところに置く。
彼は完全に眠るつもりはないらしい。
いつでも反応できる姿勢を崩していなかった。
「交代で見張るべきじゃないかしら」
「オレが先に見る。おまえは休め」
「一方的すぎるわね」
「怪我人に無理をさせる理由がない」
「私を足手まとい扱いしているの?」
「してる」
即答だった。
あまりにも迷いがなく、堀北は言葉を失う。
怒るべきなのに、なぜか少しだけ可笑しくなった。
「……そう」
「事実だろ」
「否定はしないわ」
悔しいが、いまの自分が万全でないのは事実だ。
もしこの場に敵が来れば、綾小路の判断に頼る場面が多くなる。
そういう現実を認めることと、自尊心は別の話だった。
しばらく沈黙が続く。
遠くで銃声が鳴った。
さらに離れた場所では、誰かの短い叫び声がした気もする。
島の夜は終わっていない。自分たちが小屋の中で息を潜めている間にも、
誰かが誰かを殺し、また誰かが怯えながら逃げているのだろう。
「綾小路くん」
「なんだ」
「あなたは、この試験が終わったあと……元の生活に戻れると思う?」
問いを発した瞬間、自分でも奇妙だと思った。
いま考えるべきことではない。
けれど、人が死に続けるこの島の中で、先の話をしなければ息が詰まりそうだった。
綾小路は少しだけ視線を落とした。
「戻れないだろうな」
「……そう」
「おまえもだ」
堀北は目を伏せる。
その通りだった。
今日一日で見たもの。聞いたもの。感じた恐怖。
自分がナイフを握り、櫛田を本気で刺そうとした瞬間。
そのどれもが、以前の自分に戻れないことを証明していた。
学校生活。
クラス競争。
Aクラスを目指すだの、成長だの、協力だの。
つい数日前まで、自分たちはそういう普通ではないが、
まだ平和の範疇にある競争の中で生きていた。
だがいまは違う。
この島では、勝敗の先にあるのはポイントでも評価でもなく、生死そのものだ。
「……寝るわ」
「そうしろ」
堀北は壁にもたれたまま目を閉じた。
眠れるはずがないと思っていた。
だが身体は正直だったのかもしれない。
緊張と疲労に引きずられるように、意識は少しずつ沈んでいく。
最後に見たのは、入口近くで微動だにしない綾小路の横顔だった。
暗闇の中でも、あの男だけは不思議なほど輪郭を保って見えた。
翌朝。
目を覚ましたとき、堀北は一瞬、自分がどこにいるのか分からなかった。
湿った木の匂い。
冷たい空気。
硬い壁。
そして左腕の痛み。
すぐに現実が戻ってくる。
「起きたか」
綾小路の声。
彼はすでに立っていた。
外の様子を見ていたのか、扉の近くに寄っている。
「何時?」
「正確には分からないが、朝だ。日が上がってる」
堀北はゆっくり身体を起こした。
全身がだるい。
少し眠っただけでも多少は回復したはずなのに、
それ以上に精神的な消耗が大きい。
腹が空いていた。
食欲はない。だが空腹はある。矛盾した感覚だった。
綾小路が支給品の袋を投げて寄越す。
「食べろ」
中にはコッペパンと水が入っていた。
「こんな状況で、よく食べられるわね」
「食べないと動けない」
綾小路はすでに自分の分を口にしていた。
味わっているわけではない。
ただ必要な栄養を摂取するために処理している、といった食べ方だった。
堀北もパンの袋を開ける。
喉を通らないかと思った。
だがひと口、ふた口と無理やり咀嚼していくうちに、
身体がそれを必要としていたことを思い知らされる。
水で流し込む。味などほとんど分からない。
「禁止エリアの発表はまだ?」
「聞こえてない。だが近いうちに来るはずだ」
「行動範囲が狭まる前に動くのね」
「ああ」
短い朝食を終え、二人は小屋を出た。
朝の島は、夜よりましだった。
視界が利くぶん、少なくとも得体の知れない闇に怯える必要は減る。
だがその代わり、現実が輪郭を持って見えるようになる。
草木についた血。
踏み荒らされた地面。
遠くに横たわる影。
夜には曖昧だったものが、朝にははっきりしてしまう。
綾小路は地図を広げ、簡潔に確認した。
「ここからなら、海辺を経由して南側へ回れる」
「須藤くんもそのあたりにいると?」
「可能性が高い」
「どうして?」
「開けた場所を好む。視界が利くほうが動きやすいタイプだ。
加えて、あいつが単独で長時間林を移動するイメージはない」
「偏見じゃないかしら」
「経験則だ」
堀北は小さく息を吐く。
否定しきれないのが悔しい。
須藤は以前より成長したとはいえ、本質的には分かりやすい人間だ。
こういう極限状況では、慎重な潜伏よりも、
移動しやすく見通しのいい場所を選ぶ可能性が高い。
「会えたとして、あなたはどうするつもり?」
「使えるなら合流する」
「使えないなら?」
「捨てる」
堀北は眉をひそめる。
「あなた、本当に一貫しているわね」
「ぶれる理由がない」
しばらく二人は無言で進んだ。
途中、綾小路がふと足を止める。
「どうしたの?」
「死体がある」
堀北の緊張が跳ね上がる。
綾小路の視線の先、少し開けた斜面を下った先に海が見えた。
そして、その砂浜の手前。
倒れている人影が一つ。
二人は慎重に近づく。
堀北はその顔を見た瞬間、喉が詰まった。
「……須藤くん」
須藤健だった。
仰向けに倒れ、身体のあちこちに銃創がある。
制服は血に染まり、もう動かない。
バッグは脇に転がっていて、中身の一部が散乱していた。
そして、そのすぐそばには――フォーク。
支給武器なのだろう。
あまりにも、ひどかった。
「……こんな、武器で」
堀北は唇を噛む。
身体能力が高くても、銃に対してフォークでは話にならない。
しかも相手が距離を保っていたなら、なおさらだ。
「待って」
堀北は周囲を見回した。
「おかしいわ。遺体をそのまま残してる」
「囮だろうな」
綾小路が言う。
「っ」
「食料ごと残ってる時点で分かる。近くにいる」
その瞬間だった。
ダダダダダッ!!
海辺の岩陰から、激しい連射音が弾けた。
「伏せろ!」
綾小路の声と同時に、堀北は地面へ身を投げる。
砂が跳ねる。弾丸が頭上を掠め、背後の木に食い込んだ。
岩陰から姿を現したのは、龍園翔だった。
口元に、獰猛な笑み。
手にはアサルトライフル。
「よう、綾小路」
挨拶のように言いながら、再び連射する。
綾小路は低い姿勢のまま横へ転がり、リボルバーを抜いて応射した。
乾いた単発音。龍園は岩に身体を寄せ、ほとんど紙一重でそれを避ける。
「やっぱりてめぇが来たか」
龍園の声は愉快そうだった。
「須藤みてぇな分かりやすいエサを置いときゃ、
誰かしら食いつくと思ったが……最高の獲物が釣れたな」
「あなたがやったのね」
堀北が吐き捨てる。
「だとしたらどうした、鈴音」
龍園は視線だけを向けた。
「武器ガチャで外した雑魚が死んだ。それだけだろ」
「……っ!」
怒りで身体が熱くなる。
だが、前に出れば撃たれる。
綾小路は低く言った。
「感情的になるな。動くな」
「でも――」
「死ぬぞ」
次の瞬間、龍園が連射した。
堀北は歯を食いしばり、地面に伏せたまま堪える。
龍園の射撃は、昨日までの不良じみた乱暴さとは別物だった。雑ではない。
連射の中に明確な狙いがあり、こちらを動かし、位置を制限しようとしている。
マガジンチェンジの動作にも無駄がない。
――慣れている?
そんなはずがない。
だが少なくとも、初めて銃を握った人間の動きではなかった。
綾小路が再度発砲する。
龍園は一瞬身体を引き、その隙にまたアサルトライフルで面制圧してくる。
リボルバーは弾数で劣る。正面からの撃ち合いでは不利だ。
「どうした、綾小路!」
龍園が笑う。
その声は海風に乗って響いた。
「昨日みてぇに冷静じゃねぇな!やっぱ守るもんがいると違うか?」
挑発だった。
そして、その挑発が成立している時点で、龍園にはまだ余裕があった。
堀北がわずかに身を強張らせる。
綾小路は反応しない。言葉には一切乗らず、視線だけを龍園へ向けていた。
この男は、撃つ準備ができている。
話していても、次の瞬間には平然と撃つ。
綾小路はゆっくりと足を動かした。
一歩。
また一歩。
砂を踏む音が、小さく鳴る。
龍園の銃口がわずかに動いた。
それだけで十分だった。
「……」
綾小路は須藤の死体から角度を外し、岩の陰へ半身を隠した。
龍園が鼻で笑う。
「おいおい」
軽くアサルトライフルを振る。
「隠れんのか?」
銃口が岩へ向く。
龍園は引き金に指をかけた。
「来いよ、綾小路清隆」
一歩、岩から踏み出す。
砂がざらりと音を立てる。
「怖ぇのか?」
沈黙。
綾小路は答えない。
その代わり、視線だけがまた動いた。
龍園の足。
重心。
銃口の角度。
右肩のわずかな傾き。
引き金へかかった指。
ほんの数秒で把握しきる。
次の瞬間、綾小路が動いた。
砂を蹴る。
低い姿勢で岩の陰から滑り出すように走る。
龍園の目が細くなる。
「――!」
アサルトライフルが火を吹いた。
ダダダダダダダッ!
乾いた連射音。
弾丸が砂浜をえぐる。
砂が爆ぜる。
弾が岩を叩き、火花が散る。
綾小路は止まらない。
一直線ではない。
斜め。
蛇行。
岩を盾に、射線をずらしながら距離を詰める。
龍園が舌打ちする。
「ちっ」
連射。
弾丸が綾小路の足元を抉る。
砂が跳ね上がる。
それでも綾小路は止まらない。
一歩。
二歩。
三歩。
龍園が岩から飛び降りた。
砂浜へ着地。
同時に銃口を振る。
「逃がすかよ!」
また乱射。
弾丸が一直線に綾小路を追う。
だが綾小路は木の影へ滑り込んだ。
弾丸が幹へ突き刺さる。
木片が弾け飛ぶ。
龍園が笑った。
銃を構え直す。
その目は、獲物を逃さない蛇のそれだった。
「やっと動いたな」
砂浜の上で、龍園がゆっくり歩き始める。
一歩。
また一歩。
アサルトライフルを構えたまま、綾小路を追い詰めるように角度を変えていく。
無理に前進して近接へ持ち込まれるのを嫌い、常に優位な距離を保とうとしている。
綾小路は木の陰で呼吸を整えながら、次の動きを計算していた。
岩。
林。
砂浜。
この三つの地形。
そして――龍園という男の癖。
「……」
綾小路は静かに目を細めた。
そして、低く呟く。
「右へ回る」
堀北だけに聞こえる声量だった。
堀北はほんの一瞬だけ綾小路を見た。
意図を確認する間もなく、彼は次の行動へ移っている。
囮。
分散。
射線の分割。
綾小路が左へ意識を向けさせ、その隙に堀北が右から動く。
うまくいけば龍園の射線を一瞬だけ散らせる。
問題は、その一瞬で決定打を作れるかどうかだった。
綾小路が再び木の陰から出る。
龍園が即座に撃つ。
ダダダダダダダダッ!!
綾小路は低く身体を落とし、砂浜と林の境目を走る。
潮を吸った砂は足を取るが、それでもただの平地よりは弾道を読みやすい。
林へ入れば木に隠れられるが、そのぶん動きは制限される。
海辺へ出過ぎれば遮蔽物がなくなる。
砂浜の真ん中に追い出せれば、龍園の勝ちだ。
だが綾小路は、その追い出しに乗らない。
木陰から木陰へ。
砂を蹴る。
体を傾ける。
最短ではなく、もっとも死ににくい線を選ぶ。
その間に、堀北が動いた。
右。
低く、速く。
まだ傷の残る身体で、できる限り静かに岩場へ回る。
龍園の銃口が一瞬だけ揺れた。
そのわずかな揺れを、綾小路は逃さない。
前へ出る。
龍園が舌打ちする。
アサルトライフルの角度が変わる。
その瞬間、綾小路のリボルバーが火を吹く。
乾いた単発。
龍園が身を捻る。弾は肩口を浅く掠め、血が飛んだ。
龍園の笑みが少しだけ深くなる。
「そうだよなぁ」
低く笑う。
「こうでなくちゃ面白くねぇ!」
すぐさま反撃。
アサルトライフルの連射が堀北の動線を叩く。
岩へ散弾のように弾が当たり、破片が飛ぶ。
堀北は身を伏せるしかない。
綾小路はまた位置を変える。
龍園の射線は鋭い。だが、その鋭さは同時に癖でもある。
綾小路だけを意識するあまり、狙いが一点へ集まりやすい。
これは長所でもあり、読みどころでもあった。
「来ねえのか!」
龍園が叫ぶ。
「もっと来いよ!」
その声には高揚があった。
綾小路と戦うこと自体を楽しんでいる。
この男にとっては生き残り条件以上の意味があるのだろう。
綾小路清隆を倒す。それが龍園自身の価値証明になっている。
だからこそ、欲が出る。
だからこそ、読める。
綾小路は須藤の死体へ一瞬だけ視線を落とした。
食料。
バッグ。
位置。
龍園がそこを餌にしたように、自分も地形を餌にするだけだ。
綾小路はあえて砂浜の開けた側へ一歩出た。
龍園の目が鋭くなる。
銃口が向く。
撃つ。
その瞬間を待っていた。
綾小路は半歩だけ沈み込み、砂を蹴って身体を横へ流す。
龍園の弾が空を切り、背後の砂浜を深く抉る。
同時に綾小路が前へ出る。
「――っ!」
龍園の反応は速い。
だがゼロではない。
そのわずかな遅れの間に、綾小路は距離を一気に縮めた。
龍園がアサルトライフルを振る。
近距離では長物は不利だが、龍園はそれを理解している。
銃床での打撃も視野に入れている動きだった。
綾小路は腕で受け流し、銃口のラインを外す。
龍園は同時に膝を入れようとする。
綾小路が体を捻る。
砂が跳ねる。
岩場のすぐ手前、二人の間合いが一気に近接へ変わった。
堀北が息を呑む。
今の戦いは、完全な銃撃戦ではなくなった。
龍園はアサルトライフルを持ちながらも、
最短で綾小路を仕留めるために近接へ移行している。
綾小路もそれを承知で踏み込んだ。
龍園が笑う。
「やっと来たかよ」
銃床が振り抜かれる。
綾小路が腕で受ける。
鈍い衝撃。
すぐさま綾小路のリボルバーが向く。
龍園がそれを叩き落とすように腕を振る。
弾は発射されず、乾いた金属音だけが鳴る。
綾小路が体勢を入れ替える。
龍園も砂を蹴って距離を半歩だけ取る。
アサルトライフルを再び向ける。
完全な間合い管理だった。
近すぎず、遠すぎず。
龍園は自分にとって最も勝ちやすい位置を維持しようとしている。
「面倒くせぇな、お前!」
綾小路は答えない。
呼吸を乱さない。
感情も見せない。
ただ、次の動きを読む。
堀北はその横顔を見ていた。
綾小路はやはりいつも通りだった。
死体が転がり、海風が血の匂いを運び、
龍園が殺意を隠しもしないこの状況で、
彼だけは分析をやめない。
だが同時に、さっき龍園が言った言葉も頭から離れない。
守るものがいると違うか。
あれは挑発だ。
だが、完全な的外れでもないのかもしれない。
綾小路の立ち回りは慎重だ。
自分一人ならもっと踏み込んでいたかもしれない局面で、
いまは堀北の位置まで計算に入れている。
龍園もそれを嗅ぎ取っている。
だからこそ、面白がっている。
綾小路は静かに目を細めた。
そして、低く呟く。
「おまえはここで伏せてろ」
「それじゃ挟めない」
「怪我人が前に出る意味がない」
「でも――」
そのときだった。
龍園の視線が、ふいに綾小路たちから外れた。
次の瞬間、別方向から銃声が弾けた。
パンッ、パンッ、パンッ!
龍園のすぐ近くの砂が跳ねる。
龍園が舌打ちしながら身体を引く。
「ちっ……!」
新たに現れた人影。
海辺の反対側、流木の陰からハンドガンを構えている女子生徒。
軽井沢恵だった。
「はぁっ、はぁ……!」
息を乱し、恐怖で顔を強ばらせながら、それでも引き金を引いている。
M1911コルト・ガバメントというオートマチック拳銃であることが分かる。
「龍園くん……っ、あんた……!」
「軽井沢か」
龍園の目が細まる。
挟まれた。
そう判断したのか、龍園は即座に距離を取ろうと動いた。
綾小路がその隙にリボルバーを撃つ。一発が龍園の肩口を掠めた。
「ぐっ……!」
だが致命傷ではない。
龍園はアサルトライフルをばら撒くように乱射し、
砂煙と木片を巻き上げながら後退する。
軽井沢が悲鳴を飲み込みつつもさらに撃つが、当たりは浅い。
綾小路が追撃しようとしたときには、龍園はすでに林の中へ身を消しかけていた。
「逃がさないで!」
堀北が叫ぶ。
だが綾小路は追わなかった。
「深追いは危険だ」
「でも!」
「まだ近くに誰か潜んでる可能性がある」
その判断は冷静だった。
龍園が須藤の死体を囮に使ったなら、単独とは限らない。
ここで追い込まれたふりをして奥へ誘い、
別の地点で待ち伏せしている可能性もある。
数秒後、銃声は完全に途絶えた。
静寂。
ただ、海の音だけが戻ってくる。
軽井沢がその場にへたり込んだ。
ハンドガンを握ったまま、肩で大きく息をしている。
「……助かったわ」
堀北が言う。
軽井沢はすぐに答えなかった。
怯えている。いや、それだけではない。何か別のものが混ざっている。
綾小路がゆっくり近づく。
「軽井沢」
名前を呼ばれた瞬間、軽井沢の肩がびくりと跳ねた。
それから彼女は、ほとんど泣きそうな目で綾小路を見上げる。
「き、清隆……」
その声には、安堵と怯えと、どうしようもない疲弊が混ざっていた。
堀北は軽井沢を見た。
制服は汚れ、髪も乱れている。顔色は悪い。
それでも致命的な外傷は見当たらない。
少なくとも見た限りでは、まだ動ける状態だ。
だが、問題はそれではない。
彼女の目だった。
そこには、昨日の倉庫にいた軽井沢恵とは違う色があった。
人を撃った者の目。
死を間近で見続けた者の目。
そして、綾小路が静かに問う。
「何があった?」
軽井沢はすぐには答えられなかった。
唇を震わせ、何度か息を整えようとして、それでもうまくいかない。
やがて、絞り出すように言う。
「……平田くんと、佐藤さんが」
そこで一度、言葉が途切れる。
「死んだ」
その短い一言だけで、海辺の空気がさらに重くなった。
堀北は息を呑む。
綾小路だけが、表情を変えない。
「誰にやられた?」
その問いに、軽井沢は首を横に振った。
そして泣き出しそうな顔のまま、かすれた声で続ける。
「……あたしが」
堀北の目が見開かれる。
軽井沢はもう、止まれなかった。
「違うの……!違う、違うの、最初はほんとに違ったの!
ちょっとしたことで揉めて、佐藤さんが怒って、あたしも言い返して、
それで平田くんが止めようとして……そしたら、佐藤さんが……撃って……」
声が震える。
うまく説明しきれないのだろう。混乱の記憶がそのまま喉につかえている。
「平田くんが、倒れて……あたし、何が起きたか分かんなくて……
でも佐藤さんがまた銃向けてきて……っ、だから……!」
軽井沢はハンドガンを握った手を見た。
「撃ったの……何回も……」
ぽろぽろと涙が零れ始める。
「あたし、そんなつもりじゃなかったのに……っ」
堀北は言葉を失った。
この島では、些細な口論が死に直結する。
恐怖と不信と武器の存在が、人間関係を一瞬で壊す。
理解はできる。
だが、受け止めきれる話ではない。
そんな中で、綾小路はただ一言だけ言った。
「そうか」
軽井沢が顔を上げる。
責められると思ったのかもしれない。
だが綾小路の声音には、非難も慰めもなかった。
あるのは確認だけだった。
「まだ動けるな?」
「……え?」
「怪我は」
「な、ない……けど……」
「なら一緒に来い」
軽井沢が目を瞬かせる。
「え……?」
「一人でいるよりましだ」
あまりにも簡潔で、あまりにも綾小路らしい言葉だった。
堀北は思わず口を開く。
「あなた、彼女を信用するの?」
「いま一人増える利益のほうが大きい」
「それだけ?」
「それだけで十分だ」
綾小路は軽井沢へ視線を戻す。
「来るか」
軽井沢は唇を噛み、数秒迷ったあと、小さくうなずいた。
「……行く」
その返事は、ほとんど縋るようだった。
こうして、綾小路、堀北、軽井沢の三人は臨時の同行者となる。
だが、海辺には須藤の死体が残り、龍園はなおどこかでこちらを狙っている。
誰かを仲間に加えたからといって、この地獄が少しでも軽くなるわけではない。
むしろ人数が増えた分だけ、守る対象も、
裏切りの可能性も、感情の揺れも増えていく。
それでも今は進むしかない。
第二日目の朝は始まったばかりだった。
そしてその朝は、彼らからまだ何も奪い終えていなかった。
モチベ維持のために感想・評価をもらえると助かります。