ようこそ殺戮至上主義の教室へ   作:戦竜

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第三章 毒蛇との遭遇

櫛田桔梗の死体をその場に残し、

綾小路清隆と堀北鈴音は林の奥へ進んでいた。

 

夜の無人島は、相変わらず底知れない暗さを保っている。

さっきまで響いていた銃声も、いまは遠くに散ったきり、

周囲には木々のざわめきと、時折足元の枝を踏む音しかない。

 

だが、静かだから安全というわけではない。

むしろこういう沈黙の時間こそ危険だった。

誰かが隠れているかもしれないし、こちらを見ているかもしれない。

そうした想像が、神経をじわじわと削っていく。

 

堀北は左腕に巻かれた包帯を意識した。

 

痛みは鈍く、しかし確実に存在している。

止血はできている。

だが、腕を大きく動かすたびに熱を持ったような疼きが走った。

戦闘継続が不可能なほどではない。

けれど、万全でないことは明らかだ。

 

「歩けるか」

 

先を行く綾小路が振り返らずに言った。

 

「問題ないわ」

「本当に問題ない人間は、そういう言い方をしない」

「あなたは人の言葉尻を拾う余裕まであるのね」

「余裕がないと死ぬからな」

 

淡々とした返答だった。

 

それが事実であることを、堀北も認めざるを得ない。

この男は、極限状況において異様なほど安定していた。

櫛田が銃を乱射し、自分が撃たれ、目の前で人が死んだあとだというのに、

綾小路の呼吸も足取りもほとんど乱れていない。

 

普通ではない。

 

以前から、ただ者ではないとは分かっていた。

試験や実力行使のたびにその片鱗は見せていたし、

無人島試験や体育祭のような局面でも、

彼の判断力は明らかにクラス平均を逸脱していた。

 

だが、いま目の前にいる綾小路清隆は、それともまた違う。

 

これはもう、優秀な生徒という範疇ではなかった。

死が隣にある状況に、最初から適応するために作られたような人間。

 

「……あなた」

 

堀北は歩きながら言った。

 

「さっき、櫛田さんを撃ったとき……迷わなかったわね」

「迷う理由がない」

「相手は同じクラスの生徒よ」

「それがどうした」

 

あまりにも即答だったため、堀北は一瞬言葉を失った。

 

綾小路は前だけを見たまま続ける。

 

「同じ学校、同じクラス、知ってる顔。

そんな条件は、この試験では優先順位が低い。

目の前で銃を持った相手が、おまえを殺そうとしていた。

だったら撃つ以外に選択肢はない」

「説得する余地はあったかもしれないわ」

「なかった」

「どうしてそう言い切れるの?」

「目を見れば分かる」

 

綾小路の声に感情はない。

 

「正常な判断を失っていた。

ああいう相手は、自分が死ぬ直前まで自分を正当化する。

説得に使う数秒で、こっちが死ぬ」

 

堀北は反論しかけて、やめた。

 

綾小路の言葉には冷たさがある。

だが、少なくとも櫛田とのやり取りを思い返せば、全面的に否定はできなかった。

あのときの櫛田は、すでに話し合いの土俵から降りていた。

彼女を救うことと、自分が生き残ることを同時に成立させるのは難しかっただろう。

 

だからこそ、不快だった。

 

綾小路の判断が合理的であればあるほど、そこに自分の甘さが浮き彫りになる。

 

「……あなたは最初から、こうなると分かっていたの?」

「ある程度はな」

「ある程度?」

「この試験が普通じゃないことも、主催側が本気だってことも、

倉庫で20人撃たれた時点ではっきりした」

「そうじゃないわ」

 

堀北は綾小路の背中を見つめる。

 

「この試験の性質よ。こんなことを仕掛けてくる相手がいて、

あなたはそれを予想していたんじゃないの?」

 

沈黙。

 

風が葉を揺らす。

 

綾小路は数歩進んでから、ようやく言った。

 

「その質問に答える必要はない」

「答えられないのではなく?」

「どっちでもいい」

 

拒絶に近い言い方だった。

 

だが堀北は、それ以上追及しなかった。

いまの綾小路は、隠し事を暴く相手として向き合うべき男ではない。

少なくともこの島で生き延びるまでは、使える情報だけを拾うべきだ。

 

「これからどうするつもり?」

「まず夜を越える」

「それだけ?」

「十分だろ」

「生き残るための方針を聞いているのよ」

 

綾小路は少しだけ歩調を落とした。

 

「味方になり得る戦力と合流する」

「誰を想定しているの?」

「須藤」

 

その名前に、堀北はわずかに目を細めた。

 

「……須藤くん?」

「身体能力が高い。単純な力だけなら、この島でも上位だ」

「精神面には不安があるわ」

「前よりはましになってる」

「それは認めるけれど」

「それに」

 

綾小路が言う。

 

「おまえの言葉に従う可能性が高い」

 

堀北は小さく息を詰めた。

 

綾小路は、そういうところだけ妙に容赦がない。

自分の能力だけでなく、他人の感情や関係性まで冷静に計算に入れる。

 

「……利用するつもり?」

「利用できるものは利用する」

「あなたは、本当に」

「ここで綺麗ごとを言いたいなら止めない」

 

綾小路は淡々と告げた。

 

「だが、その場合は先に死ぬ」

 

それで会話は終わった。

 

堀北は唇を引き結ぶ。

腹立たしさはある。

だが、反論のための反論をしても意味がないのは分かっていた。

綾小路の言い方は冷酷だが、少なくともこの状況においては、

感情に寄りかかる余地がほとんど存在しない。

 

やがて二人は、小さな木造の小屋を見つけた。

 

地図上に記載されていた簡易避難所のようなものだろうか。

外壁は古びており、窓も半分は汚れている。

だが壊れきってはいないし、屋根もある。夜を越すだけなら十分だった。

 

綾小路はすぐに周辺を確認した。

足跡。

出入りの痕跡。

気配。

 

「いまのところ使われた形跡は薄い」

「本当に安全?」

「安全な場所はない」

 

そう言って扉を開ける。

 

中は暗く、湿った木の匂いがした。

机代わりの板と、簡素なベンチのようなものが置かれているだけ。

寝泊まりに向いた場所ではないが、

林の中で無防備に夜を明かすよりは遥かにましだ。

 

「ここで数時間休む」

 

綾小路が言った。

 

「眠れるわけないでしょう」

「眠れなくても目を閉じろ。思考力が落ちる」

 

堀北は壁にもたれながら腰を下ろした。

極度の緊張状態のせいで疲労に気づきにくかったが、

こうして動きを止めると身体が一気に重くなる。

左腕の痛みも、冷えた空気に触れてじんじんと存在感を増してきた。

 

綾小路は入口に近い位置へ座り、リボルバーを手の届くところに置く。

彼は完全に眠るつもりはないらしい。

いつでも反応できる姿勢を崩していなかった。

 

「交代で見張るべきじゃないかしら」

「オレが先に見る。おまえは休め」

「一方的すぎるわね」

「怪我人に無理をさせる理由がない」

「私を足手まとい扱いしているの?」

「してる」

 

即答だった。

 

あまりにも迷いがなく、堀北は言葉を失う。

怒るべきなのに、なぜか少しだけ可笑しくなった。

 

「……そう」

「事実だろ」

「否定はしないわ」

 

悔しいが、いまの自分が万全でないのは事実だ。

もしこの場に敵が来れば、綾小路の判断に頼る場面が多くなる。

そういう現実を認めることと、自尊心は別の話だった。

 

しばらく沈黙が続く。

 

遠くで銃声が鳴った。

さらに離れた場所では、誰かの短い叫び声がした気もする。

島の夜は終わっていない。自分たちが小屋の中で息を潜めている間にも、

誰かが誰かを殺し、また誰かが怯えながら逃げているのだろう。

 

「綾小路くん」

「なんだ」

「あなたは、この試験が終わったあと……元の生活に戻れると思う?」

 

問いを発した瞬間、自分でも奇妙だと思った。

いま考えるべきことではない。

けれど、人が死に続けるこの島の中で、先の話をしなければ息が詰まりそうだった。

 

綾小路は少しだけ視線を落とした。

 

「戻れないだろうな」

「……そう」

「おまえもだ」

 

堀北は目を伏せる。

 

その通りだった。

今日一日で見たもの。聞いたもの。感じた恐怖。

自分がナイフを握り、櫛田を本気で刺そうとした瞬間。

そのどれもが、以前の自分に戻れないことを証明していた。

 

学校生活。

クラス競争。

Aクラスを目指すだの、成長だの、協力だの。

 

つい数日前まで、自分たちはそういう普通ではないが、

まだ平和の範疇にある競争の中で生きていた。

だがいまは違う。

 

この島では、勝敗の先にあるのはポイントでも評価でもなく、生死そのものだ。

 

「……寝るわ」

「そうしろ」

 

堀北は壁にもたれたまま目を閉じた。

 

眠れるはずがないと思っていた。

だが身体は正直だったのかもしれない。

緊張と疲労に引きずられるように、意識は少しずつ沈んでいく。

 

最後に見たのは、入口近くで微動だにしない綾小路の横顔だった。

暗闇の中でも、あの男だけは不思議なほど輪郭を保って見えた。

 

翌朝。

 

目を覚ましたとき、堀北は一瞬、自分がどこにいるのか分からなかった。

 

湿った木の匂い。

冷たい空気。

硬い壁。

そして左腕の痛み。

 

すぐに現実が戻ってくる。

 

「起きたか」

 

綾小路の声。

 

彼はすでに立っていた。

外の様子を見ていたのか、扉の近くに寄っている。

 

「何時?」

「正確には分からないが、朝だ。日が上がってる」

 

堀北はゆっくり身体を起こした。

全身がだるい。

少し眠っただけでも多少は回復したはずなのに、

それ以上に精神的な消耗が大きい。

 

腹が空いていた。

食欲はない。だが空腹はある。矛盾した感覚だった。

 

綾小路が支給品の袋を投げて寄越す。

 

「食べろ」

 

中にはコッペパンと水が入っていた。

 

「こんな状況で、よく食べられるわね」

「食べないと動けない」

 

綾小路はすでに自分の分を口にしていた。

味わっているわけではない。

ただ必要な栄養を摂取するために処理している、といった食べ方だった。

 

堀北もパンの袋を開ける。

喉を通らないかと思った。

だがひと口、ふた口と無理やり咀嚼していくうちに、

身体がそれを必要としていたことを思い知らされる。

水で流し込む。味などほとんど分からない。

 

「禁止エリアの発表はまだ?」

「聞こえてない。だが近いうちに来るはずだ」

「行動範囲が狭まる前に動くのね」

「ああ」

 

短い朝食を終え、二人は小屋を出た。

 

朝の島は、夜よりましだった。

視界が利くぶん、少なくとも得体の知れない闇に怯える必要は減る。

だがその代わり、現実が輪郭を持って見えるようになる。

 

草木についた血。

踏み荒らされた地面。

遠くに横たわる影。

 

夜には曖昧だったものが、朝にははっきりしてしまう。

 

綾小路は地図を広げ、簡潔に確認した。

 

「ここからなら、海辺を経由して南側へ回れる」

「須藤くんもそのあたりにいると?」

「可能性が高い」

「どうして?」

「開けた場所を好む。視界が利くほうが動きやすいタイプだ。

加えて、あいつが単独で長時間林を移動するイメージはない」

「偏見じゃないかしら」

「経験則だ」

 

堀北は小さく息を吐く。

 

否定しきれないのが悔しい。

須藤は以前より成長したとはいえ、本質的には分かりやすい人間だ。

こういう極限状況では、慎重な潜伏よりも、

移動しやすく見通しのいい場所を選ぶ可能性が高い。

 

「会えたとして、あなたはどうするつもり?」

「使えるなら合流する」

「使えないなら?」

「捨てる」

 

堀北は眉をひそめる。

 

「あなた、本当に一貫しているわね」

「ぶれる理由がない」

 

しばらく二人は無言で進んだ。

 

途中、綾小路がふと足を止める。

 

「どうしたの?」

「死体がある」

 

堀北の緊張が跳ね上がる。

綾小路の視線の先、少し開けた斜面を下った先に海が見えた。

そして、その砂浜の手前。

倒れている人影が一つ。

 

二人は慎重に近づく。

堀北はその顔を見た瞬間、喉が詰まった。

 

「……須藤くん」

 

須藤健だった。

 

仰向けに倒れ、身体のあちこちに銃創がある。

制服は血に染まり、もう動かない。

バッグは脇に転がっていて、中身の一部が散乱していた。

 

そして、そのすぐそばには――フォーク。

 

支給武器なのだろう。

あまりにも、ひどかった。

 

「……こんな、武器で」

 

堀北は唇を噛む。

 

身体能力が高くても、銃に対してフォークでは話にならない。

しかも相手が距離を保っていたなら、なおさらだ。

 

「待って」

 

堀北は周囲を見回した。

 

「おかしいわ。遺体をそのまま残してる」

「囮だろうな」

 

綾小路が言う。

 

「っ」

「食料ごと残ってる時点で分かる。近くにいる」

 

その瞬間だった。

 

ダダダダダッ!!

 

海辺の岩陰から、激しい連射音が弾けた。

 

「伏せろ!」

 

綾小路の声と同時に、堀北は地面へ身を投げる。

砂が跳ねる。弾丸が頭上を掠め、背後の木に食い込んだ。

 

岩陰から姿を現したのは、龍園翔だった。

 

口元に、獰猛な笑み。

手にはアサルトライフル。

 

「よう、綾小路」

 

挨拶のように言いながら、再び連射する。

綾小路は低い姿勢のまま横へ転がり、リボルバーを抜いて応射した。

乾いた単発音。龍園は岩に身体を寄せ、ほとんど紙一重でそれを避ける。

 

「やっぱりてめぇが来たか」

 

龍園の声は愉快そうだった。

 

「須藤みてぇな分かりやすいエサを置いときゃ、

誰かしら食いつくと思ったが……最高の獲物が釣れたな」

「あなたがやったのね」

 

堀北が吐き捨てる。

 

「だとしたらどうした、鈴音」

 

龍園は視線だけを向けた。

 

「武器ガチャで外した雑魚が死んだ。それだけだろ」

「……っ!」

 

怒りで身体が熱くなる。

だが、前に出れば撃たれる。

 

綾小路は低く言った。

 

「感情的になるな。動くな」

「でも――」

「死ぬぞ」

 

次の瞬間、龍園が連射した。

堀北は歯を食いしばり、地面に伏せたまま堪える。

 

龍園の射撃は、昨日までの不良じみた乱暴さとは別物だった。雑ではない。

連射の中に明確な狙いがあり、こちらを動かし、位置を制限しようとしている。

マガジンチェンジの動作にも無駄がない。

 

――慣れている?

 

そんなはずがない。

だが少なくとも、初めて銃を握った人間の動きではなかった。

 

綾小路が再度発砲する。

龍園は一瞬身体を引き、その隙にまたアサルトライフルで面制圧してくる。

リボルバーは弾数で劣る。正面からの撃ち合いでは不利だ。

 

「どうした、綾小路!」

 

龍園が笑う。

その声は海風に乗って響いた。

 

「昨日みてぇに冷静じゃねぇな!やっぱ守るもんがいると違うか?」

 

挑発だった。

そして、その挑発が成立している時点で、龍園にはまだ余裕があった。

 

堀北がわずかに身を強張らせる。

綾小路は反応しない。言葉には一切乗らず、視線だけを龍園へ向けていた。

 

この男は、撃つ準備ができている。

話していても、次の瞬間には平然と撃つ。

 

綾小路はゆっくりと足を動かした。

 

一歩。

また一歩。

 

砂を踏む音が、小さく鳴る。

 

龍園の銃口がわずかに動いた。

それだけで十分だった。

 

「……」

 

綾小路は須藤の死体から角度を外し、岩の陰へ半身を隠した。

龍園が鼻で笑う。

 

「おいおい」

 

軽くアサルトライフルを振る。

 

「隠れんのか?」

 

銃口が岩へ向く。

龍園は引き金に指をかけた。

 

「来いよ、綾小路清隆」

 

一歩、岩から踏み出す。

砂がざらりと音を立てる。

 

「怖ぇのか?」

 

沈黙。

綾小路は答えない。

その代わり、視線だけがまた動いた。

 

龍園の足。

重心。

銃口の角度。

右肩のわずかな傾き。

引き金へかかった指。

 

ほんの数秒で把握しきる。

 

次の瞬間、綾小路が動いた。

砂を蹴る。

低い姿勢で岩の陰から滑り出すように走る。

 

龍園の目が細くなる。

 

「――!」

 

アサルトライフルが火を吹いた。

 

ダダダダダダダッ!

 

乾いた連射音。

弾丸が砂浜をえぐる。

砂が爆ぜる。

弾が岩を叩き、火花が散る。

 

綾小路は止まらない。

一直線ではない。

 

斜め。

蛇行。

岩を盾に、射線をずらしながら距離を詰める。

 

龍園が舌打ちする。

 

「ちっ」

 

連射。

弾丸が綾小路の足元を抉る。

砂が跳ね上がる。

それでも綾小路は止まらない。

 

一歩。

二歩。

三歩。

 

龍園が岩から飛び降りた。

砂浜へ着地。

同時に銃口を振る。

 

「逃がすかよ!」

 

また乱射。

 

弾丸が一直線に綾小路を追う。

だが綾小路は木の影へ滑り込んだ。

弾丸が幹へ突き刺さる。

木片が弾け飛ぶ。

 

龍園が笑った。

銃を構え直す。

その目は、獲物を逃さない蛇のそれだった。

 

「やっと動いたな」

 

砂浜の上で、龍園がゆっくり歩き始める。

 

一歩。

また一歩。

 

アサルトライフルを構えたまま、綾小路を追い詰めるように角度を変えていく。

無理に前進して近接へ持ち込まれるのを嫌い、常に優位な距離を保とうとしている。

 

綾小路は木の陰で呼吸を整えながら、次の動きを計算していた。

 

岩。

林。

砂浜。

 

この三つの地形。

 

そして――龍園という男の癖。

 

「……」

 

綾小路は静かに目を細めた。

 

そして、低く呟く。

 

「右へ回る」

 

堀北だけに聞こえる声量だった。

 

堀北はほんの一瞬だけ綾小路を見た。

意図を確認する間もなく、彼は次の行動へ移っている。

 

囮。

分散。

射線の分割。

 

綾小路が左へ意識を向けさせ、その隙に堀北が右から動く。

うまくいけば龍園の射線を一瞬だけ散らせる。

問題は、その一瞬で決定打を作れるかどうかだった。

 

綾小路が再び木の陰から出る。

 

龍園が即座に撃つ。

 

ダダダダダダダダッ!!

 

綾小路は低く身体を落とし、砂浜と林の境目を走る。

潮を吸った砂は足を取るが、それでもただの平地よりは弾道を読みやすい。

 

林へ入れば木に隠れられるが、そのぶん動きは制限される。

海辺へ出過ぎれば遮蔽物がなくなる。

砂浜の真ん中に追い出せれば、龍園の勝ちだ。

 

だが綾小路は、その追い出しに乗らない。

 

木陰から木陰へ。

 

砂を蹴る。

体を傾ける。

最短ではなく、もっとも死ににくい線を選ぶ。

 

その間に、堀北が動いた。

 

右。

 

低く、速く。

まだ傷の残る身体で、できる限り静かに岩場へ回る。

 

龍園の銃口が一瞬だけ揺れた。

そのわずかな揺れを、綾小路は逃さない。

 

前へ出る。

龍園が舌打ちする。

 

アサルトライフルの角度が変わる。

その瞬間、綾小路のリボルバーが火を吹く。

 

乾いた単発。

龍園が身を捻る。弾は肩口を浅く掠め、血が飛んだ。

 

龍園の笑みが少しだけ深くなる。

 

「そうだよなぁ」

 

低く笑う。

 

「こうでなくちゃ面白くねぇ!」

 

すぐさま反撃。

アサルトライフルの連射が堀北の動線を叩く。

岩へ散弾のように弾が当たり、破片が飛ぶ。

 

堀北は身を伏せるしかない。

 

綾小路はまた位置を変える。

 

龍園の射線は鋭い。だが、その鋭さは同時に癖でもある。

綾小路だけを意識するあまり、狙いが一点へ集まりやすい。

これは長所でもあり、読みどころでもあった。

 

「来ねえのか!」

 

龍園が叫ぶ。

 

「もっと来いよ!」

 

その声には高揚があった。

 

綾小路と戦うこと自体を楽しんでいる。

この男にとっては生き残り条件以上の意味があるのだろう。

綾小路清隆を倒す。それが龍園自身の価値証明になっている。

 

だからこそ、欲が出る。

だからこそ、読める。

 

綾小路は須藤の死体へ一瞬だけ視線を落とした。

食料。

バッグ。

位置。

 

龍園がそこを餌にしたように、自分も地形を餌にするだけだ。

 

綾小路はあえて砂浜の開けた側へ一歩出た。

 

龍園の目が鋭くなる。

 

銃口が向く。

撃つ。

 

その瞬間を待っていた。

 

綾小路は半歩だけ沈み込み、砂を蹴って身体を横へ流す。

龍園の弾が空を切り、背後の砂浜を深く抉る。

 

同時に綾小路が前へ出る。

 

「――っ!」

 

龍園の反応は速い。

だがゼロではない。

 

そのわずかな遅れの間に、綾小路は距離を一気に縮めた。

 

龍園がアサルトライフルを振る。

 

近距離では長物は不利だが、龍園はそれを理解している。

銃床での打撃も視野に入れている動きだった。

 

綾小路は腕で受け流し、銃口のラインを外す。

龍園は同時に膝を入れようとする。

綾小路が体を捻る。

砂が跳ねる。

岩場のすぐ手前、二人の間合いが一気に近接へ変わった。

 

堀北が息を呑む。

 

今の戦いは、完全な銃撃戦ではなくなった。

龍園はアサルトライフルを持ちながらも、

最短で綾小路を仕留めるために近接へ移行している。

綾小路もそれを承知で踏み込んだ。

 

龍園が笑う。

 

「やっと来たかよ」

 

銃床が振り抜かれる。

 

綾小路が腕で受ける。

鈍い衝撃。

すぐさま綾小路のリボルバーが向く。

 

龍園がそれを叩き落とすように腕を振る。

弾は発射されず、乾いた金属音だけが鳴る。

 

綾小路が体勢を入れ替える。

龍園も砂を蹴って距離を半歩だけ取る。

アサルトライフルを再び向ける。

 

完全な間合い管理だった。

 

近すぎず、遠すぎず。

龍園は自分にとって最も勝ちやすい位置を維持しようとしている。

 

「面倒くせぇな、お前!」

 

綾小路は答えない。

 

呼吸を乱さない。

感情も見せない。

 

ただ、次の動きを読む。

 

堀北はその横顔を見ていた。

綾小路はやはりいつも通りだった。

死体が転がり、海風が血の匂いを運び、

龍園が殺意を隠しもしないこの状況で、

彼だけは分析をやめない。

 

だが同時に、さっき龍園が言った言葉も頭から離れない。

 

守るものがいると違うか。

 

あれは挑発だ。

だが、完全な的外れでもないのかもしれない。

 

綾小路の立ち回りは慎重だ。

自分一人ならもっと踏み込んでいたかもしれない局面で、

いまは堀北の位置まで計算に入れている。

 

龍園もそれを嗅ぎ取っている。

 

だからこそ、面白がっている。

 

綾小路は静かに目を細めた。

 

そして、低く呟く。

 

「おまえはここで伏せてろ」

「それじゃ挟めない」

「怪我人が前に出る意味がない」

「でも――」

 

そのときだった。

 

龍園の視線が、ふいに綾小路たちから外れた。

次の瞬間、別方向から銃声が弾けた。

 

パンッ、パンッ、パンッ!

 

龍園のすぐ近くの砂が跳ねる。

龍園が舌打ちしながら身体を引く。

 

「ちっ……!」

 

新たに現れた人影。

 

海辺の反対側、流木の陰からハンドガンを構えている女子生徒。

 

軽井沢恵だった。

 

「はぁっ、はぁ……!」

 

息を乱し、恐怖で顔を強ばらせながら、それでも引き金を引いている。

M1911コルト・ガバメントというオートマチック拳銃であることが分かる。

 

「龍園くん……っ、あんた……!」

「軽井沢か」

 

龍園の目が細まる。

 

挟まれた。

 

そう判断したのか、龍園は即座に距離を取ろうと動いた。

綾小路がその隙にリボルバーを撃つ。一発が龍園の肩口を掠めた。

 

「ぐっ……!」

 

だが致命傷ではない。

 

龍園はアサルトライフルをばら撒くように乱射し、

砂煙と木片を巻き上げながら後退する。

軽井沢が悲鳴を飲み込みつつもさらに撃つが、当たりは浅い。

綾小路が追撃しようとしたときには、龍園はすでに林の中へ身を消しかけていた。

 

「逃がさないで!」

 

堀北が叫ぶ。

 

だが綾小路は追わなかった。

 

「深追いは危険だ」

「でも!」

「まだ近くに誰か潜んでる可能性がある」

 

その判断は冷静だった。

龍園が須藤の死体を囮に使ったなら、単独とは限らない。

ここで追い込まれたふりをして奥へ誘い、

別の地点で待ち伏せしている可能性もある。

 

数秒後、銃声は完全に途絶えた。

 

静寂。

 

ただ、海の音だけが戻ってくる。

 

軽井沢がその場にへたり込んだ。

ハンドガンを握ったまま、肩で大きく息をしている。

 

「……助かったわ」

 

堀北が言う。

 

軽井沢はすぐに答えなかった。

怯えている。いや、それだけではない。何か別のものが混ざっている。

 

綾小路がゆっくり近づく。

 

「軽井沢」

 

名前を呼ばれた瞬間、軽井沢の肩がびくりと跳ねた。

それから彼女は、ほとんど泣きそうな目で綾小路を見上げる。

 

「き、清隆……」

 

その声には、安堵と怯えと、どうしようもない疲弊が混ざっていた。

 

堀北は軽井沢を見た。

 

制服は汚れ、髪も乱れている。顔色は悪い。

それでも致命的な外傷は見当たらない。

少なくとも見た限りでは、まだ動ける状態だ。

 

だが、問題はそれではない。

 

彼女の目だった。

 

そこには、昨日の倉庫にいた軽井沢恵とは違う色があった。

人を撃った者の目。

死を間近で見続けた者の目。

 

そして、綾小路が静かに問う。

 

「何があった?」

 

軽井沢はすぐには答えられなかった。

 

唇を震わせ、何度か息を整えようとして、それでもうまくいかない。

やがて、絞り出すように言う。

 

「……平田くんと、佐藤さんが」

 

そこで一度、言葉が途切れる。

 

「死んだ」

 

その短い一言だけで、海辺の空気がさらに重くなった。

 

堀北は息を呑む。

綾小路だけが、表情を変えない。

 

「誰にやられた?」

 

その問いに、軽井沢は首を横に振った。

そして泣き出しそうな顔のまま、かすれた声で続ける。

 

「……あたしが」

 

堀北の目が見開かれる。

 

軽井沢はもう、止まれなかった。

 

「違うの……!違う、違うの、最初はほんとに違ったの!

ちょっとしたことで揉めて、佐藤さんが怒って、あたしも言い返して、

それで平田くんが止めようとして……そしたら、佐藤さんが……撃って……」

 

声が震える。

うまく説明しきれないのだろう。混乱の記憶がそのまま喉につかえている。

 

「平田くんが、倒れて……あたし、何が起きたか分かんなくて……

でも佐藤さんがまた銃向けてきて……っ、だから……!」

 

軽井沢はハンドガンを握った手を見た。

 

「撃ったの……何回も……」

 

ぽろぽろと涙が零れ始める。

 

「あたし、そんなつもりじゃなかったのに……っ」

 

堀北は言葉を失った。

 

この島では、些細な口論が死に直結する。

恐怖と不信と武器の存在が、人間関係を一瞬で壊す。

 

理解はできる。

だが、受け止めきれる話ではない。

 

そんな中で、綾小路はただ一言だけ言った。

 

「そうか」

 

軽井沢が顔を上げる。

 

責められると思ったのかもしれない。

だが綾小路の声音には、非難も慰めもなかった。

あるのは確認だけだった。

 

「まだ動けるな?」

「……え?」

「怪我は」

「な、ない……けど……」

「なら一緒に来い」

 

軽井沢が目を瞬かせる。

 

「え……?」

「一人でいるよりましだ」

 

あまりにも簡潔で、あまりにも綾小路らしい言葉だった。

 

堀北は思わず口を開く。

 

「あなた、彼女を信用するの?」

「いま一人増える利益のほうが大きい」

「それだけ?」

「それだけで十分だ」

 

綾小路は軽井沢へ視線を戻す。

 

「来るか」

 

軽井沢は唇を噛み、数秒迷ったあと、小さくうなずいた。

 

「……行く」

 

その返事は、ほとんど縋るようだった。

 

こうして、綾小路、堀北、軽井沢の三人は臨時の同行者となる。

だが、海辺には須藤の死体が残り、龍園はなおどこかでこちらを狙っている。

 

誰かを仲間に加えたからといって、この地獄が少しでも軽くなるわけではない。

 

むしろ人数が増えた分だけ、守る対象も、

裏切りの可能性も、感情の揺れも増えていく。

 

それでも今は進むしかない。

 

第二日目の朝は始まったばかりだった。

そしてその朝は、彼らからまだ何も奪い終えていなかった。




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