人は何かをせずにはいられない生き物である。働いている時はあれほど休みたいと考えていたのに、いざ休みが続くと、それが返って言いようのない苦痛になる。これは人が持つ性だと私は考える。
では、そんな人間はどうするべきか。一言で言えば趣味を作ればいい。何もない時間を苦痛に感じるのであれば、無益だろうと無駄だろうと、何もない時間を消すことを心掛ければいい。
「はぁ……」
ため息が無意識に漏れる。生きるためには働かねばならない。しかし、いつしかそれは手段ではなく目的にすり替わってしまうものだ。今日も今日とて残業だ。キラキラとした社会人初めの頃の雰囲気など消え失せ、今はただ働いては惰眠を貪り、そしてまた仕事に就く。そんな毎日だ。しかし、しかしだ。必要だからと、無駄を省く事は心の精神衛生にとって非常に悪い。
だから、私は今日も仕事を終え、お気に入りの服に着替えて、ソファに身を沈めて本を開く。表紙とタイトルを見て直感で選んだ本だ。
「…………」
自分の部屋で響くのは、自分の指が本の頁を捲る音と、時計の針が動くカチカチとした音だけ。この時間が好きだ。生きるために働くのが人だが、私にとって生きるとは本を読む事にある。本とは、世界だった。描かれた文字の羅列が読む者をこことは違う世界へと誘ってくれる。その隅々を頭の中で燻らせ、浸るのだ。さながら世界を旅する冒険家のように。
しかし、そんな時間はすぐに終わりを迎える。楽しい時間ほど時間の進みは早い。もうすぐに寝なくてはならない時間だ。明日もまた、仕事が待っている。
「はぁ……」
パタン、と本を閉じ、そっと机に置いてベットに横になる。明かりを消し、目を閉じる。
──ずっと、本だけ読んでいられたらいいのに。
そんな叶うことのない夢を冗談めかして願いながら、眠りをついた。
「は」
そうして、パチッと目を開けた私は何処かの街中、人通りのど真ん中に立っていた。突然の事に理解できず呆けた声を漏らす。声色も私の声じゃない。体を見ればボンキュッボン、どうみても私の体じゃない。というか服装どうなってるんだこれは。どうやって着ているのかわからない構造をしている。混乱の中、私は一つの結論を導き出した。
「夢か」
なるほど、現実逃避じみた考えだったが口に出してみればストンと、納得できるような気がした。この支離滅裂さ。どう見ても自分じゃない自分。夢と言われたら理解もできる。夢を夢と理解しながら見る夢、確か明晰夢と言ったか。なんにせよ、夢なら好き勝手したっていいはずだ。見たことも無い本だってある筈。そう思えばこの状況も楽しくなってきた。
「さて、行こうか」
先ほどの混乱は何処へやら。ルンルンと軽やかな足取りでアテなく歩いた。なんとなく、こっちにある気がする。
その日は訓練が早めに終わり、皆がそれぞれ帰路に着く者、自らを鍛える為に自主訓練に励む者へと分かれる。普段の自分なら訓練に向かっていただろう。しかし、今日は違う。師匠に頼まれた物を受け取りに行かねばならなかったのだ。まだ背丈の足りない自分の体では、人の波を抜けながら走るのが大変だった。いずれはここの誰よりも背丈を伸ばそう、と密かな野望を胸に走る。遅れたら、師匠になんて言われるかわかった物では無い。
そうして、走る自分の視界の端で、強烈に視線を引き寄せるものを捉えた。
「え」
立ち止まって、改めて視界の中央に収めた。まるで額縁の中からそのまま出てきたような女性が、そこにいた。階段に腰を下ろし、本に目を落としている。垂れた髪が簾のように彼女を見る通行人の視線を遮り、隙間から覗く瞳は何処までも本に向けられていた。
ただ道端の階段に座って本を読んでいるだけ。それだけだ。だというのに、まるで宗教画のように様になっていた。自分は訳もなく顔を赤くしていた、と思う。師匠とは違った、鋭さを持った美しさがあった。
「あ、あの」
何をしているのか、自分は。視線を奪われたまま、気がつけば話しかけていた。しかし、彼女はその声に反応することなく本の頁を捲る手を止めることはない。
「あの──」
「なにかな?見ての通り、ボクは本を読むので忙しいんだけど」
視線をずらすことなく、彼女は涼やかな声でそう言った。頭が真っ白で、何を言えばいいのか分からないまま言葉を続ける。
「う、雲騎軍所属の景元です。怪しい人がいると報告を受けてきました。少しお話よろしいでしょうか」
嘘である。考えが纏まらない中、なんとか捻り出したそれらしい言い訳だ。しかし、目の前の彼女はその言葉に本に向けていた視線を自分へと向けた。
「雲騎軍……警察みたいな自治団体かな?」
それじゃ、行こうか。小さな兵士さん。そんな風に笑って自分の頭を撫でた。その後、どんな会話して、どんな風に別れたのか。ハッキリと覚えてない。当然のように遅れて師匠には怒られたし、修行の量が跳ね上がって悲鳴をあげた。
執務の最中、どうやら船を漕ぎ出していたらしく、ガクンと首が落ちそうになるところでようやく目が覚めたらしい。なんとか涎が垂れることだけは阻止したらしいが、このような温かな日差しの中で小難しい文字の羅列を読むのだから、眠気も一塩というもの。しかし、それでは仕事が終わらないのも確かだ。
「ふふ……」
それにしても、懐かしい夢を見た。まだ新米だったあの頃の夢だ。当時の自分の至らなさには苦笑半分、羞恥半分といったところだ。しかし、今でもあの時自分を見た彼女の顔を覚えている。
……きっと、一目惚れというやつだったのだろう。
その時だ。執務室の扉を数回ノックし、こちらの返事を待つことなく扉が開かれる。
「将軍、報告が」
「あぁ、符玄殿か。君が直接来るとは、何かあったのかな?」
「いえ、そこまで緊急ではないけど……将軍には言っておいた方がいいと思いまして」
「ほう?」
一体何があったのか。様々な思考が頭の中を巡るが、その答えはすぐに分かる。
「つい先程、『読書家』を見かけ──」
「おっと、急用を思い出した。すまないが符玄殿ここを頼む」
「ちょ──」
普段の自分らしからぬ早口と速さでその場の書類を符玄殿に手渡し、執務室を出る。その速さにさしもの符玄殿も文句を挟む余裕もなく、足早に彼女に会いに行く。その足取りはとても軽かった。
読書家
夢主。見たことのない世界で赴くままに本が読めることを楽しんでいる。夢なのをいいことに普段とはまるっきり違うキャラになりきっている。……ほんとに?
景元
まだ女性との経験が薄かった幼少期、とんでもねー女に女性観をぶっ壊された被害者。初恋を奪われたいい歳した男の諦めの悪さを彼女はまだ知らない。
符玄
とばっちり受けた人。どこ行ったあのクソ神策将軍──!!!