武術の王『虎杖悠仁』   作:やめろ小僧、その技は俺に効く

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これから高田ちゃんの個握がある。東京に来たのはその為と……

 

 

 

 

 終わらせることに最適化されている、作業、闘争を楽しめていない——宿儺の言葉が頭の奥で何度も反響し続けていて、消そうとしても消えず、むしろ考えれば考えるほど輪郭を強めていくその感覚が妙に不快で、同時に無視しきれない重さを持っていた。

 

 なんだか俺は、如来神掌の最後の課題をクリアしたあの日から、どこかで全てを理解したような気になっていたのだと思う。実際、あの瞬間に何かが変わったのは間違いないし、見えるものも、感じ取れるものも、それまでとはまるで別物になった。だからこそ、それを“完成”だと、疑いもなく受け入れていた。

 

 いや、実際に悟ったのは事実だ。

 

 宿儺の領域展開の中で、俺は一度死んだ。死んで、戻ってきて、その時に経絡が開いて、全身を巡るものが一本の線として繋がった。その瞬間から、俺は『全てを感じる』ようになった。

 

 自身を循環する『流れ』。

 

 外界に満ちる『流れ』。

 

 それらが同時に見えて、同時に触れられるようになったあの感覚は、確かにこれまでとは別の段階に踏み込んだ証だった。

 

 だからこそ、それを疑うことなんてなかった。

 

 だが宿儺は、それを一言で切り捨てた。

 

 『それはただの“作業”だ』

 

 俺は自販機の前に立っていた。高専の通用門近く、コンクリートに囲まれた無機質なスペースに置かれたその機械は、昼間よりも静かな時間帯のせいかやけに存在感が際立って見え、小銭を投入する金属音すら妙に耳に残る。

 

 ポケットから取り出した硬貨を投入口に滑り込ませ、指先でボタンを押すと、内部でガタンッという音がして飲み物が落ちてくる。その一連の動作をぼんやりと眺めながら、俺は自分の中にある違和感の正体を掴みきれずにいた。

 

 金を入れる。

 

 ボタンを押す。

 

 決められた結果が返ってくる。

 

 その仕組みには一切の迷いも揺らぎもなく、入力に対して最適な出力が返るだけの単純な構造でしかない。

 

 (俺の動きも……これと同じか)

 

 ふと、そんな考えが浮かぶ。

 

 戦闘でも同じだ。相手の動きを見て、流れを読んで、最も効率のいい選択をする。それを繰り返して、最短で終わらせる。それは確かに無駄がなく、強い動きだが、その過程に余計なものは一切含まれていない。

 

 「俺は……」

 

 口に出しかけた言葉が、途中で途切れる。

 

 自分が何を言おうとしたのか分かっているはずなのに、うまく形にならない。その曖昧さが余計に引っかかる。

 

 その時、空気がわずかに変わった。

 

 意識を向けるよりも先に、身体が反応する。

 

 気配、二人。

 

 俺はゆっくりと顔を上げ、通用門の方へ視線を向けた。開かれた門の向こうから、男女がこちらへ向かって歩いてくるのが見える。

 

 一人は大柄な男だった。身長は俺よりも高く、全身の骨格が太い。筋肉の付き方にも無駄がなく、ただ立っているだけで圧を感じる。左目の周囲には大きな傷が走っていて、その歪みが顔全体の印象をさらに強くしていた。纏っている呪力は荒々しく、今にも外へ溢れ出しそうなほど濃いのに、不思議と暴れていない。肉体の内側にぴたりと収まり、制御されている。強さがそのまま形になっているような存在だった。

 

 そしてもう一人は、真希先輩と同じ顔をした女性だった。髪型や雰囲気が違うが、骨格や目元はほとんど同じで、初見でも双子だと分かる。真希先輩は術式を持たないが、この人にははっきりとした呪力の流れがある。さらにその奥、生得領域の気配まで感じ取れる。

 

 それだけじゃない。

 

 真希先輩の時にも見えた“繋がり”が、この人からも伸びている。細く、だが確実に存在する線のようなものが、遠くへと続いているのが分かる。それは単なる呪力の流れではなく、もっと根本的な、存在そのものを結びつける何かだ。

 

 (……なんだ、これ)

 

 理解しきれないまま視線を戻すと、女の方が口を開いた。

 

 「あなたが宿儺の器っていう虎杖悠仁ね?」

 

 その言葉は軽い調子だが、こちらを測るような視線が混じっている。

 

 「そうだけど……京都高の人がなぜわざわざ東京に?」

 

 問い返すと、女はわずかに笑みを浮かべた。

 

 「フフフ、偵察っていうやつかしら?ついでに叩き潰していく——ちょ東堂!?」

 

 その言葉を遮るように、隣にいた大柄な男が一歩前に出る。

 

 「お前が虎杖悠仁……!」

 

 声が重い。空気がわずかに沈む。

 

 「単刀直入に聞く。お前の好きな女のタイプは?」

 

 な、なんだって?

 

 唐突すぎる問いに、一瞬思考が止まる。

 

 「『ククッ痴れ者が……』」

 

 頭の奥で宿儺が笑う。嘲るような声音だが、俺だって状況が飲み込めていない。

 

 だが聞かれた以上、答えない理由もない。

 

 好きな女性のタイプ。

 

 そういえば昔、山で修行していた時に偶然拾ったことがある。エロ本だ。あの時は何となく持ち帰って、暇な時に眺めていた。

 

 今見ても別に何も思わない——くもないが、あの時に見た女性の印象は、妙に頭に残っている。

 

 「俺のタイプは金髪で背が高くてお尻が大きい女性だ」

 

 そう言った瞬間だった。

 

 「———ッ!!!!」

 

 目の前の男——東堂が大きく仰け反る。

 

 その動きと同時に。

 

 俺の脳内に、何かが流れ込んできた。

 

 それは記憶の形をしているのに、俺のものじゃない。

 

 存在しないはずの、記憶——。

 

 

 

 

 

 東堂葵が虎杖悠仁の好みの女性のタイプの答えを聞いた時——その瞬間、東堂の脳内に溢れ出す。存在しない記憶。

 

 それは断片的なものではなかった。流れを持ち、時間を持ち、温度すら伴った連続した光景であり、東堂の意識は一瞬でそこへと引き込まれる。現実での時間経過はほとんどないにも関わらず、その内側では確かに“積み重ねられた時間”が存在していた。

 

 一方で、その異常は東堂の内部だけに留まらなかった。

 

 虎杖悠仁の感覚は、すでに常人の域を逸脱している。周囲の呪力の流れだけでなく、空間に滲む気配、さらには相手の生得領域の輪郭すら掴めるほどに研ぎ澄まされたその感覚は、単なる“外界”だけを捉えるものではない。内側に発生した歪みや異常な情報の流れすらも、曖昧な輪郭を持って知覚する段階へと達していた。

 

 それはつまり——東堂の脳内に溢れ出した“存在しない記憶”すら、虎杖は感じ取っていたということだ。

 

 視覚として見えているわけではない。だが、確かに“流れてくる”。他者の内部で完結しているはずの情報が、微かな波紋となって外へ滲み出し、それが虎杖の感覚に触れる。

 

 そして、その波紋は形を持つ。

 

 ——教室。

 

 午後の柔らかな光が窓から差し込み、木製の机と椅子を淡く照らしている。空気には弁当の匂いと、まだ消えきらないチョークの粉の気配が混ざっていた。授業と授業の合間、ざわめきの中でいくつもの会話が交差しているが、その中で一角だけ、妙に鮮明な空間がある。

 

 そこに、二人の少年が並んで座っていた。

 

 東堂葵と——虎杖悠仁。

 

 どちらもまだ幼い。身体は今よりも細く、顔立ちにもあどけなさが残っている。だが、その目の奥にある芯の強さは、すでに現在と同じものを宿していた。

 

 机の上には弁当箱が広げられている。簡素だがしっかりとした内容で、白米の上に乗った焼き魚と卵焼きが、午後の光を受けてわずかに艶を持っている。

 

 「俺は高田ちゃんが好きだ……!」

 

 東堂が、箸を握ったまま真剣な顔で言った。その声音には一切の迷いがなく、ただ純粋な確信だけが込められている。まるでそれがこの世界の真理であるかのような、揺るぎない断言だった。

 

 その隣で弁当を頬張っていた虎杖が、わずかに目を見開く。

 

 「マジで!?」

 

 驚きの声だが、否定はない。むしろその反応には興味と共感が混ざっている。

 

 「あぁ、初めて見た時から俺の運命に紐付けられた。まさにディスティニー……」

 

 東堂はそう言いながら、遠くを見るように視線を上げた。その表情には照れも誤魔化しもなく、ただ真っ直ぐな信念だけがある。

 

 虎杖は一瞬だけその様子を見つめ、そして口の端をわずかに上げた。

 

 「いいじゃん、分かる気がする」

 

 軽い言葉。

 

 だが、それだけで十分だった。

 

 理解。

 

 共鳴。

 

 価値観の一致。

 

 それらが言葉を介さずに成立し、二人の間にある距離が一瞬で消える。そこには説明も、理屈もいらない。ただ“同じものを見ている”という確信だけがあった。

 

 笑い声が重なる。

 

 他愛のない会話が続く。

 

 だがその時間は、ただの昼休みではない。後に振り返れば、それは確かに“繋がり”として残る瞬間だった。

 

 ——そして。

 

 その光景は唐突に途切れる。

 

 現実へと引き戻される。

 

 通用門の前、数秒にも満たない時間の中で、東堂の内部では確かに“長い時間”が流れていた。

 

 「……」

 

 東堂は動かない。

 

 だが、その身体から発せられる気配は、先ほどまでとは明確に変わっていた。殺気でも敵意でもない、もっと別の、奇妙な確信に満ちた圧がそこにはある。

 

 そして。

 

 「……親友(マイベストフレンド)

 

 低く、確かめるように呟く。

 

 その声は、迷いなく、疑いなく、ただ一つの結論へと到達していた。

 

 

 

 

 

 

 

 意識が戻る。

 

 ほんの一瞬だったはずなのに、やけに長い時間を潜っていたような感覚が残っていて、現実へ引き戻された瞬間に足元の感触や空気の重さが妙に鮮明に伝わってくる。さっきまで確かにここに立っていたはずなのに、どこか別の場所から帰ってきたようなズレがあった。

 

 なんだ今の……なんなんだ?

 

 頭の奥に残るのは、断片的でありながら妙に具体的な光景だ。教室、弁当、夕方の光、笑い声——どれも俺の記憶には存在しないはずなのに、触れたことがあるような温度を持っている。

 

 それを整理するよりも先に、目の前の現実が動いた。

 

 「……親友」

 

 仰け反っていた東堂がゆっくりと身体を戻しながら、低くそう言った。その声音には先ほどまでの威圧や試すような鋭さはなく、むしろ確信を得た後の静かな落ち着きがあった。

 

 親友?

 

 俺が?

 

 いや——違う。

 

 違和感の正体はそこじゃない。言葉の意味じゃなくて、もっと別の、感覚の部分で引っかかる。

 

 「親友じゃねぇだろ。ブラザー」

 

 気づけばそう口にしていた。考えたわけじゃない。ただ、しっくりくる言葉がそれだった。

 

 「!!!」

 

 東堂の目が見開かれる。その反応は大げさなようでいて、どこか嬉しそうでもあった。まるで探していた答えを見つけたみたいな顔だ。

 

 次の瞬間、東堂が一歩踏み込んでくる。

 

 俺も同じように前へ出ていた。

 

 距離が詰まる。間合いの読み合いじゃない。戦うための動きでもない。ただ、自然と身体が前へ出ていた。

 

 そして——

 

 パァン!と、乾いた音が響く。

 

 互いの手がぶつかる。力加減も、角度も、タイミングも、まるで最初から決まっていたかのように一致していた。その感触が妙に心地いい。単なる接触なのに、どこかで“繋がった”感覚がある。

 

 「……いいだろう」

 

 東堂が満足げに頷く。

 

 その表情には先ほどまでの荒々しさとは違う、納得と喜びが混ざっていた。

 

 「どういうことなの?」

 

 横から困惑した声が入る。真希先輩の妹——真依が、完全に状況を理解できていない様子でこちらを見ていた。そりゃそうだと思う。俺だって全部理解してるわけじゃない。

 

 だが、説明できるかと言われると無理だ。

 

 理由は分からない。

 

 けど、納得はしている。

 

 それだけだ。

 

 「真依、いくぞ」

 

 東堂が背を向けながら言う。

 

 「これから高田ちゃんの個握がある。東京に来たのはその為と……ブラザーの為だ!!!」

 

 最後の一言だけやけに力が入っていた。

 

 「いや、は?なに勝手に……!?」

 

 真依が慌てて後を追う。完全に振り回されているが、それでも置いていかれないように足を速めるあたり、慣れているのかもしれない。

 

 東堂はそのまま迷いなく走り去っていく。その背中には一切の迷いがなく、来た時よりも軽い足取りで去っていくのが印象的だった。

 

 静けさが戻る。

 

 さっきまでのやり取りが嘘みたいに、通用門の前にはいつもの空気が流れている。

 

 「東堂先輩か……」

 

 自然と呟く。

 

 なんか不思議な人だ。

 

 強いのは間違いないし、まともじゃないのも確かだが、それ以上に“真っ直ぐ”だった。理屈じゃなくて、感覚で動いている。それなのに、その感覚がズレていない。

 

 あの感じ——

 

 頭で考える前に、身体が動く。

 

 理由は後からついてくる。

 

 俺が昔、山で修行していた時の感覚に少し似ている。

 

 さっきまで頭の中をぐるぐる回っていた宿儺の言葉が、ふと浮かぶ。

 

 作業。

 

 最適化。

 

 闘争を楽しめていない。

 

 それら全部が、さっきの東堂の動きと並べた瞬間に、少しだけ違って見えた。

 

 (……なんだろうな)

 

 考えようとすると、うまく言葉にできない。

 

 けど——

 

 さっきの一連の流れは、確かに“楽しかった”。

 

 意味も理由も分からないまま、流れに乗って動いて、気づいたら終わっていた。それなのに、妙にしっくりきている。

 

 俺は手を軽く握って、さっきハイタッチした感触を思い出す。

 

 (……悪くない)

 

 自然と、そう思えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 虎杖悠仁は東堂葵との邂逅を果たした。

 

 それは単なる他校の術師との接触という枠には収まらない出来事であり、彼の内側に既に生じていた変質へと、決定的な歪みを与える契機となっていた。直前に行われた禪院真希との組み手、その最中に見せた圧倒的な身体操作と流れの制御、そして戦闘後に両面宿儺から突きつけられた言葉——“それは闘争ではなく作業だ”という指摘が、虎杖の内面に微細な亀裂を刻み込んでいた。

 

 そこへ重なるようにして起きたのが、東堂葵との邂逅である。

 

 好きな女性のタイプという突飛な問い、その回答をきっかけとして発生した“存在しない記憶”の流入。それは幻覚や錯覚といった類のものではなく、まるで最初から自身の中に刻まれていたかのような現実味を伴って虎杖の意識へと侵入し、時間の連続性すら歪めるほどの密度を持って脳内へと定着した。

 

 その瞬間、虎杖悠仁の内側で二つの流れが衝突した。

 

 一つは、死を経て開かれた経絡によって得た“悟り”に近い静的な均衡。全てを俯瞰し、最適解を導き出し続けるための機構として機能していた冷静な思考回路であり、そこには感情の揺らぎが入り込む余地はほとんど存在していなかった。怒りも、悲しみも、喜びすらも、全てが処理対象として平坦に扱われる状態——それが当時の虎杖悠仁の基準であった。

 

 もう一つは、元来の彼が持っていた人間としての衝動である。

 

 他者と笑い、無駄な会話に時間を費やし、理屈ではなく直感で行動し、時には非効率と分かっていても誰かのために手を伸ばそうとする、その極めて非合理的で、しかし確かに“生きている”と実感させる感情の流れ。その源流は、祖父と過ごした日々の中で培われた価値観に根ざしており、決して消え去ったわけではなく、ただ深層へと押し込められていただけのものだった。

 

 東堂との邂逅によって流入した“存在しない記憶”は、この二つの流れを強引に接続した。

 

 理屈では説明のつかない友情。

 

 論理を介さない理解。

 

 効率とは無縁の感情の共有。

 

 それらが一気に虎杖の内側へと流れ込み、均衡を保っていた回路に過負荷を与えたことで、これまで滑らかに機能していた“最適化された思考”に微細なノイズが生じ始める。ほんの僅かなズレ。しかし、そのズレは確実に拡大していく兆しを孕んでいた。

 

 さらに追い打ちをかけたのが、宿儺の言葉である。

 

 “闘争を楽しめていない”

 

 “それは作業だ”

 

 その指摘は単なる嘲笑ではなかった。虎杖自身が無意識のうちに避けていた部分を、的確に抉り出すものだった。強さを追い求める過程で削ぎ落としたもの、それが何であるかを突きつけられた時、虎杖の内側で抑え込まれていた感情が、わずかに揺らぐ。

 

 完全な否定ではない。

 

 だが、完全な肯定でもない。

 

 その曖昧さこそが、変化の兆候だった。

 

 結果として、虎杖悠仁の精神構造は一方向へと収束することなく、再び分岐を始める。

 

 悟りに至った者の静寂と、未熟で不完全な人間の衝動。

 

 その両方が同時に存在し、互いに干渉し合う状態へと移行していった。

 

 それは“回帰”と呼べるほど単純なものではない。

 

 一度壊れたものが元に戻るのではなく、壊れたまま別の形で再構築されていく過程であり、むしろ以前よりも不安定で、しかし同時に可能性を孕んだ状態だった。

 

 そしてその変化は、日常の些細な場面において徐々に表面化していく。

 

 無駄な会話に対して、かつては切り捨てていたはずの思考が、ほんの一瞬だけ立ち止まる。

 

 効率の悪い行動に対して、合理性とは別の価値を見出そうとする揺らぎが生まれる。

 

 戦闘においても、単に終わらせるだけではない何かが、わずかに意識の端へと引っかかるようになる。

 

 その全ては微細であり、外から見ればほとんど変化はない。

 

 だが確実に、虎杖悠仁は変わり始めていた。

 

 “完成”してしまったはずの存在が、再び未完成へと戻りつつある。

 

 それは退化ではない。

 

 むしろ——

 

 より人間に近づくための、歪な再構築だった。

 

 そして一ヶ月後——




宿儺「!?!?」
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